鼻水論 幸田露伴
人間たるもの、天地のあいだに在って、四時の移ろいを身に受けぬことはなし。
春の微寒、秋の燻冷、さればこそ、鼻水というもの、常に人とともに在る。
世において、これを下賤なりと侮る者あり。されど我は曰く、鼻水、これ人の情を映す鏡なり。
憂いに伏す時、はからずも鼻水を啜る。歓びに興じたる折にも、ふと流れ出づることあり。風邪の兆しとて軽んずべからず。いはば天地の気、人体の外に溢れいずる形象なればなり。
思うに、古の賢人にしても、風寒を受けざる者なし。孔子の如きも、晩秋の旅に鼻水をすすりつつ、子路に説教せしこともあらん。老荘にいたりては、むしろ鼻水をもって自然の気の流転を感ずるよすがとせしも、想像に難くはなし。
現代の人、これを忌み、拭い、捨てる。さもあらばあれ、一滴の鼻水にすら、宇宙の理は宿る。その滴、もし顕微鏡にて観察すれば、細菌あり、塩分あり、生命の証のごとくにして、まこと微細なる世界の縮図なり。
まして、文学を志す者においては、鼻水をも筆にせねばならぬ。
鼻水を語らずして、人間を語ること叶わず。涙を語って鼻水を黙するは、片手落ちなり。
わが若き日、隅田川の岸にて筆をとりしとき、冬の寒さに鼻水垂れぬ。されど我は、これを拭わず、紙に滴らせて記す。
「此の一滴、我が今日の真情なり」と。
かくのごとく、鼻水なるもの、人の生を貫く。
賤しむなかれ。笑うなかれ。鼻水を以て人間を識る者、すなわち真の知者なり。
――了