第一巻
風で花びらが地面を舞った。
少しずつ陽も暖かくなって、
外の世界は活気が出てきて、
僕は階段に座って息を吐く。
青い空のもとで子供たちも走り回っている。
ぼやけて見える砂場には見えなくなった影がある。
僕はひたすら祈ることしかできないでいる。
花見の先にはいつも君が見える。
一
時は縄文時代。
日本には深い森が広がっていた。
手つかずの広大な大地と輝く川。
残酷なくらい美しい鹿。
そんな大自然の中で縄文人は確かに生きていた。
サインはいつも泣いている少年だった。
サインの住んでいた集落には竪穴住居が7軒あり、たくさんの子供がいた。
その中でもサインは体が小さく、そして何より筋力が弱かった。
ある日、集落の子供たちで採集にいった。
木の実を探しながら子供たちは歩いた。
しかし結局木の実が思いの外見つからず夕方になってきた。
臆病なサインは引き返そうと言った。
しかし他の子供たちは諦めずに森の深くへ入っていく。
仕方なく着いていった結果、その森の中で大量の木の実が見つかった。
その実を見つけた子供たちは大喜び。
サインを指さして「臆病者!」と罵った。
サインは自責の念に駆られた。
だが言い返した。
「臆病者で何が悪いんだ。
ここからどうやって帰るの。もう暗いぞ。」
子供たちはサインの言葉を無視して歩き出した。笑いながら歩く子供たちの背中には不安なんてものはないように見えた。
サインは言葉を発した時点から自分が情けなく思っていた。心の奥深くでは自分を責めながらも、自尊心から言い返しただけだった。
子供たちの背中を見ながら歩くサインは自分が嫌いで仕方なかった。自尊心というのは必ずしも直接的な効果を狙うものではなく、一時凌ぎ的な意味で発生することが多い。
つまり、サインは社会の中での自分が好きで仕方ないから自尊心を持っていたのではなく、変わりたいと思いながらも変われない自分をさらにどん底に追いやらないために自尊心を持っていた。
村が近づいていけば行くほど周りのテンションは上がっていった。
サインの心持ちは安心と共に沈んでいった。
その晩、竪穴住居の中で横たわったサインはそっと自分の手を眺めた。
先祖から受け継がれたその手に感動しながら、サインはそっと息を吹きかけた。
手にその息の感触が伝わり、その暖かさの中でサインはそっと眠りについた。
ある日、集落に遠方から交易人がきた。
集落の大人たちは交易人と試行錯誤しながら話していた。それぞれの地域に様々な言葉があったり、訛りがあったりで交易は少し大変だった。
サインは遠方から来たその人に興味を持った。
交易人は身長160cmほどでサインから見たら大男だったがサインは勇気を出して話しかけた。
交易人は笑顔で応じた。
交易人はいろんな事を教えてくれた。
北西の方に行くと大きな山と森があり、そこには非常に大きな鹿がいるという。
それらの地域にも人々が暮らしていて、この世界には物凄い数の人がいるらしい。
サインはその鹿を見たいといったが、交易人は困ったように笑った。
かなり山深いもんだから子供にはいけない。
そんな感じの身振りをした交易人は最後にそっと黒い石をくれた。
その交易人の住む地でとれる貴重な石だという。サインはその黒い石を大切にした。
それからサインは想像に明け暮れた。
その美しき鹿を見てみたいと心から思った。
サインはその鹿の話や、それを見てみたいという願望を同年代の子供たちに伝えたが、子供たたは全く興味を示さなかった。
そんなものよりあの交易人がもたらした装飾品や食べ物の話をしよう、と話題を一瞬で変えられる有様だった。
子供たちの願望が放たれる中でサインの言葉はそっとしまわれた。
サインはその度に喉の下の奥深くにツンとした寂しさを感じた。
寂しさはいつも喉の下、背中あたり
その奥深くに存在する。
青年となったサインはひたすら夜空を眺めていた。同じ空を誰かが見てるのかなと、まだ出会わぬ誰かに想いを馳せる日々だった。
ほおっとため息をする。
夜空に白い息が浮かぶとなんだか寂しい。
同世代の青年たちはどんどん恋愛を重ねていた。内気なサインには人に話しかける勇気もあまりなかった。
急に色を出す同世代に困惑するサインだったが、
真面目であり不真面目が嫌いなサインはそういうものに触れることも無かった。
サインの世界に恋はなかった。
だからこそ周囲を見るたびに疎外感を感じた。
自分自身に魅力がないからではないかとサインは疑った。サインは自分のことを透明人間だと思うようになった。
厭世的になったサインは生きる意味をひたすら考えた。周りの人間は種の繁栄だという。
サインがそれに納得することはなかった。
同世代の人々は言った。外見が一番大事だと。
サインはそれにも納得できなかった。
外見なんていくらでも変わるじゃないか。
そんなものが一番大事な価値なら、人間の価値というのは非常に不安定なものになる。
そんな揺らぐようなものを人間の価値だとは思いたくない。
僕らはきっと揺るがない何かを持っているはずなんだ。
ひたすら考え事をするサインだったが、それが続いていくうちに精神状態が悪化していった。
思考が回って回ってひたすら自分を傷つける、
もともとネガティヴだったサインはそんな悪循環にさいなまれた。
サインは冒険に逃げた。
一人で集落を飛び出し、近くの森を散策した。
サインはそうやっている時が一番幸せだった。
かつて交易人に質問を投げかけように、サインは人が集落を通るたびに外の世界のことを聞いていた。人見知りなサインだったが、一対一の初対面なら案外話せた。
同世代の人間が遊んでるなか、サインは外の世界のことを勉強していた。
集落の人間はそんなサインを真面目で不気味だといった。
そしてこれは誰も口にはしなかったことだったが、外の世界の勉強など無駄だと思っていた。
サイン自身もそれを理解してはいた。
実際青年になるまでその知識が人間社会において役立ったことはない。
でもサインは確かにそれらの知識に救われた。
サインは外の世界のことを知るのが大好きだった。四六時中、頭の中で知識の話をしていた。
青空の下、緑の原っぱに寝転ぶサインを誰も邪魔することはできない。
いよいよ成人を迎えようとするサインだったが、成人には一つ乗り越えなければならない壁があった。
それが狩りである。
身体能力の低いサインはなかなかこれが難しかったのだ。
一人で動物を狩らなければ一人前として認められない。
同世代の男たちと同じタイミングで始めた狩りだったが、圧倒的な差をつけられてしまった。
弓を持ったサインは森の中を進んでいく。
賢いサインは森の状況や動物の位置を把握する能力に長けていた。
だから動物を見つけるのは誰よりも早かった。
イノシシを見つけたサインは弓に手をかける。
照準を定めたサインは
イノシシに向かって矢を放つ。
照準はそれほど悪くなかった。
ただ遠いイノシシのところまで全く届かなかった。
サインはそうだよなとため息をついた。
そして次の獲物を探しにいく。
ウサギを見つけた。
サインは再び弓を構えた。
そして矢を射った。
命中した。ウサギに矢が刺さった。
サインの矢ではない。
同世代の力自慢の男の矢だった。
サインの矢はどこにいったのか?
遥か近くに落ちていた。
届かなかったのだ。
何も獲れなかったサインは落ち込んだ様子で集落は戻った。
同世代はみんなイノシシやらシカやらを
持ってきた。
サインはそっと弓を置いた。
同世代の男たちは、妻や愛人と笑いながら狩りの自慢話をしている。
サインには武勇伝も相手もなかった。
騒めきの中で一人弓を置いたサインに気づく人はいない。
喧騒は煙のように少しずつ消えていった。
やがて静寂の中に白い雪が降り始めた。
集落の人間はもう竪穴住居に帰ったようだ。
そこは雪の降る一面無音の世界だった。
透明人間だ。僕は透明人間だ。サインはそう独り言をしていた。
サインは何度も弓の練習をした。
周りの人間のやり方も勉強した。
しかし本当に届かない。
狩りの度に運命の残酷さを思い知る、ただそれだけの日々だった。
サインはニホンザルに弓を向けた。
ピャウと射ったが素早い猿は巧みにそれを避け木の裏に隠れた。
サインは槍を持ち、木に向かう。
茶色く強い樹木がサインに立ち向かう。
木登りに自信のないサインだったがもう退く道など彼に無かった。
やってやるんだ。サインはザラザラした木に手をつけ登り始めた。
何度も落ち何度も落ち、ようやく猿が視界に入った頃には夕暮れ時だった。
サインは槍を振るった。
ニホンザルは飛んだ。
サインは驚いた。猿は飛ぶのか。
猿は木から落ちるんじゃなかったのかと。
結局木から落ちたのはサインだった。
猿は木の枝から仰向けに倒れるサインを不思議そうに見つめていた。川の音がした。
サインは起き上がると川に向かった。
自然に囲まれた川だった。
サインは緑の河原から独りで、流れ続ける川を見つめていた。
気づけば日が暮れていた。
瞬く間に闇に包まれ、霧が辺りを覆う。
狼の遠吠えが鳴り響く。
サインは集落を目指してひとまず歩き始めたが、迷子になってしまった。
草木が揺れ、ぶつかり合う草木の音で他の音が聞こえない。
その時は突然来た。
熊が突如現れた。
サインが熊に気づいた頃にはもう
熊は目の前にいた。
サインは背中を向けず、
後退りして逃げようとした。
しかし熊は明らかな敵意を持って向かってきた。これはまずい。サインは走って逃げることを選んだ。
草木をかき分けかき分け、
草むらの中を駆け回った。
倒木を飛び越えては潜り抜け、逃げた。
熊はどんどん迫ってくる。
熊の足音が聞こえている。
サインはついに追い詰められて後ろを振り返り槍を構えた。
熊はサインに襲いかかる。
サインは熊を槍で突いた。槍は熊に命中し、熊は唸り声を上げる。
しかし熊は圧倒的な力で
サインの槍を弾き飛ばした。
槍を持ったサインも吹き飛ばされた。
そして草むらの奥にあった溝の近くに倒れた。
しかしバランスを崩して溝の中に落ちそうになる。
地面に槍をついてなんとか起き上がったサインは弓矢を熊に向けた。
熊は走りながら向かってくる。
サインは矢を射り、
至近距離なのもあって命中した。しかし威力が弱かったのか、熊は逃げなかった。
後ろには木があり、サインは逃げ場もなかった。まずい、
死を覚悟したその時、熊に右から矢が命中した。
それが痛手だったらしく、熊はさっきまでの勢いを失った。
サインも矢を射た。熊は次々と矢を受け、逃げていった。
「大丈夫?」女性の声がした。
明るくてどこか寂しいその女性はサインの方に来るとそっと手を握った。
サインは助けてもらった感謝を述べた。
女性はなんてことはないよと言った。
サインはその女性にどこの人間なのか聞いた。
女性は、この森の中で独りで住んでるのと言った。
そして名前よりも先に住んでる場所を聞くサインにそっと微笑んだ。
サインは名前を尋ねた。
女性はハルと名乗った。
「ハル。」
サインがそう言うとハルは照れた様子だった。
ハルは不思議そうに聞く。
「君はこんな夜中にどうしてこの深い森にいるの?」
サインは答えられなかった。
ハルは支えるように笑った
「迷子になったのね」
サインも頷きながら笑った。
ハルはサインの手を握る。
「私は洞窟に住んでいるの。夜の森は危ないからとにかく洞窟に行こう!」
そう笑かけるハルの目を見て、サインは一瞬目を逸らした。
そしてもう一度目を合わせた。
ニコリと笑いかけたその女性はサインの準透明な右手をそっと掴んだ。
手が触れてサインはそっと涙が出た。
サインは腕を引っ張られその娘とひたすら月夜の照らす森を走ったのだった。
走りながら隠すように左手でさらりと涙を拭う。
しばらく走ると真っ暗な洞窟の入り口が見えた。
サインはその覚束なさに一瞬戸惑った。
しかし、引っ張られるままに洞窟へ入って行った。
先へ進んでいく。
ヒュウフと風が洞窟を通る。
まるで洞窟が呼吸しているみたいだった。
奥の風の届かぬ空間にたどり着くと娘とサインは座り込んだ。火を起こす。
入り口からはヒュウフヒュウフと
風の音が聞こえる。
サインは娘の顔をやっとはっきり認識した。
火に照らされたそれはあまりにも美しかった。
集落の人間のように濃い化粧をしてるわけでは全くない。
しかし、筋の通った鼻と凛とした目、優しい声にサインはうっかり惚れてしまいそうだった。
「大丈夫?君のことを教えて」
サインは自分が集落の人間であること、サインという名前であることを話した。
「サイン、素敵な名前だね!」
ハルがそう言うと、サインは胸が熱くなった。
そしてハルはそっと頷きながら、
貴方は帰らないといけないのねと呟いた。
少し寂しそうな目に、サインは言葉にできないものを感じた。
それから火を囲っていろいろな話をした。
サインはこんなに自分に興味を持って話してくれる人がいなかったので、嬉しかった。
嬉しくて嬉しくて仕方ないその時間は倍速で過ぎていく。
「ねえ、貴方の思う幸せって何でしょう?
私は小さい頃からずっとその事を考えてきたの。考えなくていいというけど、なんでも考えてしまう性格で。でもそれも疲れてしまうんだけどね。答えが出ないと先に進めない気がして。サイン、貴方はどう思う?」
サインはうまく答えられなかった。
「僕自身もずっとそのことを考えてきたんだ。
でも分からないまま。
集落の人たちは愛だと言うけれど、
少なくとも自分は孤独な人間だから僕に幸せは似合わないのかもしれない。」
「そんなことないよ。絶対に。
…。
でも私にも分からない。
愛って何だろう。」
サインを共感と不思議が襲う。
サインは彼女に問いかける。
「家族はどこにいるの?」
娘はサインの目を見て微笑んだ。
サインはその笑顔に綺麗だなと思った。
「どうしてここに住んでるかよりも先に家族の場所を聞くなんて君はやっぱり変わってるね。」
サインは赤面した。
うっかりしていた。
申し訳ないと謝るサインに彼女は言った。
「いいよ。私も変わってる。父親は分からない。
母親は子供の頃に突然消えた。
その時は泣きながら至る所を
たくさん探したけれど、
どこにもいなかった。
それからある日、体が病気になって蕁麻疹が全身を覆ったの。
村の子供たちは突然私を避けるようになり、
大人たちは『神はお前を罰するおつもりだ。
罪を犯したお前はこの村から出ていけ』と追い出した。そして私はひたすら泣きながら走った。
そんな夜のこと。思い出したくない夜だけど、
今でも忘れられないのは
神が私を罰するという事実。
私は何をしたのだろうとずっと問い続けてきて、でも答えが出てこなかった。
蕁麻疹もすっかり消えたけど、私は村に馴染めないから、戻らないでこの森に住んでる。」
サインはその優しい声にずっと耳を傾けていた。
そしてそっと涙した。涙が止まらなかった。
二人で涙した。
サインは言う。
「この世界は言葉にできないほど酷い。
でも僕は世界側にはならない。
君を独りにはしない。
蕁麻疹が出たって、君は君じゃないか。
どんな姿でも美しい。
何が君を襲ったって僕がいるから。
一緒に暮らそう。」
やがて夜は明けて行く。
暗くて寒い霧が森を覆って、それが少しずつ消えて行く。
霧が晴れると朝が来て、森の獣たちも日に触れて毛並みを輝かせる。
太陽に照らされた木々が鮮やかである。
二人は洞窟を出て、空を見上げる。
青い空にため息をつくと、昨日までと違って、
1人じゃない朝に気づいた。
ハルが朝食を取りに行こうと言うと、
サインはしかめっ面をする。
「自信がないの?私もいるから大丈夫だよ」
サインは狩りもできない自分など捨ててハルがどこかへ行ってしまうのではないかと不安になった。
ハルはそっと腰を下ろして、土に触れる。
「あっちに猪がいる。私は木に登って上から行く。サインはこの槍でトドメを刺して。」
ハルは木に登る。静かな森に息を潜めて、
少しずつ、茶色い毛に接近する。
サインは草むらに隠れ槍を構える。
(この草は音が出なくて隠れるのに良いんだったな。)
次の瞬間、ハルは持っている槍を木から投げ、
猪に突き刺した。背中に槍の刺さった猪は驚いて走る。ハルは木から木へと移りながら矢を射かける。猪は草むらへ飛び込もうとする。
どっどっどと足音の鳴り響く大地、
サインは呼吸が早くなるのを感じた。
草むらから飛び出して猪に全力で槍を突き刺す。
猪は前から現れた人間に驚いて目を見開く。
槍が刺さるとサインと目が合う。
見開いた目は少しずつ閉じて行く。
ハルが木から飛び降りて後ろから槍で刺すと猪は倒れた。
「うまくいったね!怪我はない?」
ハルはサインにグッドポーズをして見せる。
サインは頷くと槍を見つめる。
今までまともに上手くいかなかった狩りが
こんなにもうまくいった。
それからたくさん二人で狩りをしたのだった。
少しずつ季節は暑くなり、汗をかく。
サインはある日火空を思い出した。
昔、西の海の先からやってきたという行商人が教えてくれたことだ。
竹を火の中に投げ込むと爆発して綺麗だという。
サインはハルにそれを見せてやりたいと思った。
サインは石の斧を作ると竹を切りに朝早く竹林に入った。霧が立ち込める竹林は雄大な感じがした。竹をコンコンととると、狐の声がする。
コンコン… コンコン… 霧の奥深くだ。
コーン。コーン。サインは竹を切り終えて、帰ろうとする。
振り返ると霧の奥には狐が佇んでいるのが見えた。
そっと上を見つめて、毛繕いをしている。
黄色い毛並みは温かく感じた。
サインはほっとため息を吐いて、コンコン言いながらそこを後にした。
狐はコンコン言いながらサインが去っていくのを不思議そうな目で見つめていた。
その日の夜、いつものように二人で狩りから戻り、火を起こす。
サインは用意していたもう一つの薪を使い、
いつもとは違うところにも火を起こすと、
ハルを呼ぶ。
ハルが火を見てどうしたのと笑う。
見てろよ。綺麗だぞ。
サインは自慢げに竹を火に入れる。
パチン!
火空だ。綺麗な火花が空を舞う。
踊るように抱きしめるように、火花が絡み合って夏の夜を彩る
「綺麗!こんなに綺麗なものがこの世にはあるんだね!サイン、凄いよ!」
ハルはサインの手を握って笑いかける。
サインは嬉しかった。
そしてその手の温もりが
身体中に広がるのを感じた。
ハルは火空のやり方に興味津々だった。
サインは幸せそうにそれを教える。
ハルが火空に成功すると、二人してバンザイした。
やったね。
虫の音のなる夏の夜もまるで二人だけの世界のようだった。
それから数週間経った。
いつものように狩りをしていると集落の人間を見つけた。
狩りをしている男だ。
サインもハルも知らない人間に会うのは久しぶりだった。
だから二人とも話しかけようとはせず、通り過ぎようとした。
しかしその男はハルを見て、サインを見て、突然話しかけてきた。
「ああ!サインじゃないかよ。久しぶりだな。
いきなり集落を抜け出してどうしたんだよ。
お前は何もできないのに大丈夫かよ。」
そしてわざとらしく振り返って
「しかもこんな美人連れて何してるんだよ。
貴方の名前は?」
ハルが名乗る。
男はニカっとして、
「俺は弥助だ。村の若頭をやってる。
とりあえず村に来いよ。森は危ねぇぞ。」
と言う。
サインは断ろうとするが、弥助は強引に手を引っ張り、集落へ行った。
集落は大騒ぎだった。
「前に失踪したサインってやつが戻ってきたらしい」
「あの女は何者だ。俺の奥さんにしたいな」
村の広場に行くと、弥助が竪穴住居から出てきて、腕を組む。
「サイン、お前よくここまで生きてこれたな。
成長したか?」
サインはハルと数多くの狩りをこなしていたので、少し自信がついていた。
しかし、弥助の立派な筋肉と高い身長を見るとひきつった。
まあ…とサインがささやくと、ハルがサインの手に触れる。
振り返るとハルがグッドポーズをしている。
「サインは成長したよ。大丈夫。」
弥助がムッとした顔になったのをサインは見逃さなかった。
「じゃあ俺と力勝負でもしようじゃないか。
どっちが大きな動物を狩れるか。
まあ、お嬢ちゃん見ててくれよ。」
弥助がハルにキメ顔をする。
その顔を見て吹き出しそうになるのを我慢したサインは弓矢を取る。
サインと弥助は森へ入った。
サインはすぐに猪を見つける。
猪突猛進という言葉を信じ切ったサインは落とし穴を仕掛ける。
交易人から聞いた狩りの方法だ。落とし穴。
そして猪に矢を放つ。当然届かない。
サインは筋力がない。
矢でサインに気づいた猪は物凄い勢いでサインに迫ってくる。
猪は落とし穴の目の前まできた所で止まった。
は?猪突猛進じゃないのかよと一瞬笑う。
猪は右折して坂を登り上をとってきた。
サインは予想外の行動に慌てる。
猪が突進する。
サインは対峙している個体の小ささを確認して、槍を構え、逆に突撃した。
猪はサインが向かってくると一転して怯み出した。
サインは槍を突き刺す。
猪の正面に槍が刺さると
猪はあっという間に倒れた。
小さな猪だったが取れた。
集落に戻る。
弥助はいない。
やってやったと思った。
きっと何も取れていないだろう。
しかし数分後弥助は大きな茶色いものを持って戻ってきた。
大きな大きな猪だった。
あまりにも大きい。しかも2体。
遠くから弓で仕留めたという。
サインは負けた。
弥助はサインのとってきた猪を見ると吹き出す。
俺はこれくらい子供の頃に取れてたけどな。
そんな顔だった。
弥助はその場にいたハルに言う。
「俺の家に来いよ。光る宝石があるんだ。
よく分からんがどっか遠くで取れたらしい。
この特大猪も振る舞ってやるから。」
サインは不安で仕方なかった。
村の者たちに招かれ竪穴住居に入るハルの背中を見つめてる。
俺は負けたんだ。
ハルが夜になる前に竪穴住居から出てこなかったらそれはそういうことだ。
サインは絶望して地面を叩きつける。
夕方がやってくる。
サインは集落の門でずっと待っている。
夕日が沈んでいく。
声がした。
サインは子供の声じゃないかと疑う。
名前を呼ぶ声だ。ハルの声だ。
サインの身体は熱くなる。
ハルは戻ってきた。
ハルはサインの名前を呼びながら手を握る。
「帰るって言ったら光る宝石貰えなかったよ。
あれはなんで光るんだろう?」
少し照れくさそうに笑うハルにサインも照れくさそうに言う。
「多分金だよ。
西や北でよく採れるんだ。」
サインはそしてハルの手を握り返す。
ありがとう。
ハルはどうしたのと照れくさそうに微笑む。
「宝飾品もカッコよさもきっと弥助の方が僕より魅力的に見えただろう。
それでも僕の方に来てくれて。」
「宝石を見た時、サインに見せたいと思った。
サインの反応を考えると心が躍ったの。
二人でまたどんな時間を過ごせるかなって。」
サインは刹那に涙が出る。
「君に出逢うため僕は生まれてきたのかな。」
ハルは顔を赤くしながらサインに抱きついた。
帰ろう。
二人で森へ帰っていく。
二
秋が来る。冬になるとこの森では動物の数が減る。秋のうちに木の実を集めることが大切だ。
サインはハルと共に森に入り、木の実を集める。どんぐり、櫨の実、トチの実。
木をゆすっては拾う。
川の音がして、二人で向かう。
川は澄んでいる。奥には熊がいる。
熊も冬眠のために今は頑張りどころだ。
必死に魚を探してる。
熊は木の実もよく食べるから
木の実の争奪戦になる。
ハルが叫ぶ。
「大きい魚がいる!」
指をさしている方を見ると、物凄い大きい魚が泳いでいた。
海の魚かと思うほどであった。
大きな鮭だ。
「あれ、どうすれば獲れるかな。」
ハルがまっすぐ魚を見ながら言う。
サインは釣りをするのがいいと思った。
釣り竿というものを作ると良いと交易人が以前言っていた。
「釣り竿という道具を作ると獲りやすいよ。
今度二人でやってみよう。」
気づくと熊が近くまで来ていた。
サインはハルの肩を叩き、二人でそっと草むらへ向かった。
草の隙間から川の方を見る。
二人がさっきまでいたところに熊がいる。
熊は川を見つめる。
時の流れをただ感じるような、そんな秋の森の時間がそこにあった。
次の瞬間、クマが川に飛び込む。
サインはなんだか生を感じる。
大きな魚を咥えた熊が川から上がってくる。
さっきの鮭だ。
熊の真面目さと鮭の叫びに言葉が出ない。
その瞬間どんぐりが落ちる。
忘れていた。
僕らは今木の実を集めてるんだった。
落ちたどんぐりを拾うと森の奥へ向かった。
どんぐり。櫨の実。トチの実。
手一杯二人で集めると帰路に入る。
山並みは紅葉で真っ赤に染まっていた。
獣道は落ち葉で埋まっていた。
「紅葉はまるで命のようだね。
枯れ葉のように僕らはいつか朽ちていく。
僕は紅葉なのかもしれない。」
そうサインは言う。
「私たちは桜だよ。
サインは私にとって桜。
貴方を見ると心が晴れて、生まれてきて良かったと思うの。」
ハルは言う。
「そうかなぁ。ありがとう。
僕が桜みたいに輝いてるとは思えないけど。
ハルは名前の通り春っぽいよね。
桜みたいな。」
「私の名前は『春』からきてるからね。
サインも私にとって春だよ。
サインと過ごしてるこの時間、春だなと思う。」
秋だよと突っ込むが、ハルは「春なんだよ」と苦笑する。
変な雑談をしていると貯蔵穴に着いた。
木の実をドサっと落とす。
結構集まったねと横から聞こえる。
これくらいあれば冬も乗り越えられそうだ。
それから数日経って、
落ち葉はいつのまにかなくなっていた。
葉のない木をかき分けながら歩いていく。
その先には酷く痩せた狐が座っていた。
サインはその意味がわかった。
後退りして洞窟へ戻る。
一瞬身構えようとした狐は安心したようだった。
洞窟に戻るとハルが土器を取り出す。
朝食でも食べようか。
サインとハルは貯蔵穴から木の実を取り出すと土器に入れる。
そして火を起こし、煮ていく。
「そろそろ完成だよ。」 サインが言う。
「本当だ!よくタイミングわかるよね。」
ハルがサインの方を見る。
サインだけにサインしただけだよと
サインが言うと、ハルはクスクスと笑った。
なんだか幸せだなぁ。サインは空を見上げる。
寝そべりながらずっと二人で話していた。
昼になると酷い地鳴りが聞こえた。
なんだろう。不自然な不気味さを感じる。
鳥たちが騒めいている。
鹿も毛を逆らわせている。
次の瞬間、ゴーーーーーと鈍くて低い轟音が鳴り響いた。
サインが山の方を見ると大きな黒い雲がまるで海の波のように、物凄い速度で世界を攫っていた。雷が見える。雷の音が聞こえる。
噴火だ。 サインは叫んだつもりだったが、心の中だった。
ハルは呆然としている。
そんなハルを見てハッとした。
サインは叫ぶ。
「噴火だ。逃げよう。」
「どういうこと?」 ハルは言う。
サインはハルの手をとって走り出す。
「あれは山が爆発してるんだ。
火山はたまにそうなるらしい。
噴火すると灰色の粉が降ってきて世界を真っ黒に染めてしまう。
真っ赤な炎は瞬く間に森を燃やし、動物たちも焼かれる。
行商人が昔言ってたんだ。」
洞窟へ戻るとすかさず、籠を取り出す。
いくつかの石器と土器を入れる。
「ハルは木の実を籠に入れておいて。
道具類は僕が持っていくから。」
ハルはグッドポーズをすると走って
貯蔵穴へ向かう。
籠にいっぱい木の実を詰め込んだ。
奥から地面を踏む音が聞こえる。
ちょうどそのタイミングで洞窟から出てきたサインはハルに熊が向かってくるのを見つけた。
ハルは気づいていない。
サインは槍を持って熊の方へ向かっていく。
サインはハルと熊の間に入ると
熊に槍を突き刺した。熊はサインを吹き飛ばす。
しかし、当たりどころが悪かったらしく熊はそのまま倒れた。
「サイン!」ハルがサインのもとへ駆け寄る。
「サイン大丈夫?大丈夫?」
大丈夫だよと言いながら立ち上がると、ばら撒かれた道具を拾う。
「助けてくれたのね。いきなり突進してくるなんて熊はどうしたんだろう。」
「噴火で興奮してるんだ。
それに冬眠中で空腹だろう。
とにかくハルに怪我がなくてよかった。」
「準備はできた。とにかく急ごう。
黒煙が迫ってくる。」
サインはハルの手をとって大草原を走り出す。
鳥が激しく鳴いている。
大量の真っ黒の鳥が至る所で右往左往している。
走っていくと森から大量の動物が飛び出してきた。
猪が物凄い剣幕で走っていく。
その瞳は泣いているようにも見えた。
至るところから火の匂いがする。
進んで行ったその先は森だった。
ここを通るしかない。サインは唾を飲んだ。
「私は木の上を走って向かう方向を確認する。
任せて。」
ハルが木に登る。
木から木へと次々と飛び移る。
下を見るとたくさんの猿が叫びながら枝を走り回っている。
サインも草をかき分けながら走る。
バキバキと枝が折れる音があちこちから聞こえる。
パチパチと火の音が鳴り響く。
ハルは前方に開けた場所を発見した。
「あっちに開けた場所がある。来て!」
ハルが叫ぶ。
「OK!」
次の瞬間、サインは傾いていく木に気づいた。
ハルが乗っている木だ。
「ハル!!!!」
ハルが気づいたその刹那、木は大きく倒れた。
(ハル!!!!)
サインの全身が激しく動く。
ハルだけを見ながらまっすぐ走る。
木から投げ出されたハルをサインはキャッチした。
そしてそのまま走っていく。
こんな時なのにハルの暖かみを感じる。
その暖かみにサインは身震いして必死に走る。
「ハル、大丈夫か?」
ハルはありがとうと言うと降りる。
森の終端が見えてきた。
そこに鹿が次々と飛び出してきた。
100体ほどいるだろうか。絶え間なく飛び出してくる。
しかし、そうしている間にも炎が迫ってくる。
待ってるわけにはいかない。
「ハル!!!行こう!行くしかない!手を繋いで!」
サインとハルは手を繋いで鹿の群れを突破しようとした。
鹿を避けるのは非常に困難だ。
一体の鹿がハルにぶつかった。
思いきりの衝突だった。
ハルはサインから引き離され、倒れる。
さらに運が悪く真後ろにあった窪みに滑り落ちた。
黒煙がハルを覆う。
サインは何の躊躇いもなく、
鹿を蹴り飛ばして戻る。
黒煙の中に入るとハルの手を握り、
ハルを窪みから出す。
二人でまた鹿の群れに飛び入る。
そしてなんとか鹿の群れから抜け出し開けた空間に入る。
走りながらサインが一瞬振り返ると先ほどまでいた場所で煙を吸った鹿が2頭倒れていくのが見えた。
それから無我夢中で駆け抜けた。
ようやく、あたりが落ち着いてくると一息つく。
「助かったね。ありがとう。」
そう言うハルの目を見て安心したサインはそっと手を握った。
手の暖かさを感じる。
三
草木が風に揺れる。
静かな緑の中に少しずつささやかな声が聞こえてくる。
サインにはそれが人の声だとすぐわかった。
まだ小さい女の子の声だ。
そこには9歳くらいの子供がいた。
「お姉ちゃんたち何してるの?」
寝床を求め草むらを歩き回る2人は怪しかった。特にサインは、草の上でも寝れるんじゃないかと、至る所で寝転がっては起き上がり、
またしばらく経って寝転がるのを繰り返していた。
あまりにも怪しい。
サインは言い訳する。
「噴火があって逃げてきたんだ。
寝る場所を探してるところ。」
草に寝転がる変質者だろ。
子供がそんな目をしたのを刹那に感じる。
子供は無邪気に言う。
「さっき遠くの山が爆発して凄い煙が上がってたよ!」
「それなんだ、そこから逃げてきたところなんだ。」
「マジデ!!あんな遠くから凄いね」
マジデという言葉の意味は分からなかったが、
サインはそれよりも、子供がこんなところに一人でいることに疑問を持った。
「君はどこに住んでるの?」
落ち着きのないその子供は足を掻きながら言う。
「オ↑レ↓はお日様の方向にある村に住んでるよ」
変な発音にハルが笑う。
かわいいね!と屈みながら笑うハルを見て、
サインもまた暖かい気持ちになった。
「お姉さんの笑顔素敵だね。」
子供の言葉にサインまで笑顔になる。
サインの方に振り向いてその子は言う。
「君は別に。」
サインはとりあえず、村まで案内してもらうことにした。
子供は無邪気に、あたりにある草をやたらと引っ張りながら山道を進んでいく。
子供が通る道にしては結構険しいなと思った。
丘を登ると突如竪穴住居が見えた。
「あれか!」 サインはハルに言う。
ユキは誇らしそうな顔で喋る。
「アレだよ。オ↑レ↓のコロニーだ。」
発音記号がめんどくさいのでここからは矢印を省略するが、それは立派な集落だった。
竪穴住居だけじゃなく、
赤い屋根の変な建物もある。
集落へ向かおうとすると、男が現れた。
がっしりした感じのする割と色白な若者だった。
サインは少し警戒した。
「やあ、君は誰だい?」
とりあえず事情を話すのが適策であろう。
「サインと言います。
西の方で大きな噴火が起きて逃げてきました。少しの間泊めていただきたいのです。」
男は突然自信を持ったような様子であった。
「ほうほう、まあ、任せろ。
僕がいれば安心さ。僕はソウジ。
この村で生まれ育った住民さ。
ここのことならなんでも知ってる。
ついてきな。」
男はそう胸を叩く。
ハルは安心したような顔をした。
サインもハルも二人とも疲れている。
寝床の確保はなんとかなりそうだ。
「ねえ、この子の名前は?」
ハルがソウジに尋ねる。
「ああ…。…。 この子はユキだ!
すぐに集落を抜け出して遊びに行くから困るなぁ。
まあ、とりあえずこの村を案内するさ。」
村の入り口には大きな看板が立っている。
こんな大きな看板を立てるなんてそれなりの技術力がありそうだな。
サインは考察しながら歩いていく。
竪穴住居がたくさん並んでいる。
その中に一際大きな高床式の建物がある。
「ここは長老の家だ。何かとうるさいぜ。」
ソウジは笑顔なのかしかめっ面なのか分からない顔で言った。
ねずみ返しのついた大きなその建物には赤い染料で装飾まで施されていた。
柱の形や柵の見た目に技巧を感じる。
いかにも村一番の権威の滲み出た建築である。
ソウジはさらに奥へ連れて行ってくれた。
「こっちは広場だ。定期的に広場に集まって集会をしたりもするんだ。」
広場に入ると、たくさんの人で賑やかだった。
あちこちから屋台の煙が上がっている。
「普段はこんな感じで、屋台が集まってる。
この村の名物とも言える賑やかさだ。
僕は本当にこの雰囲気が好きなんだ。」
そんなソウジの案内についていく。
「おい!そこの若いの!焼き鳥はどうだ?
最高の焼き鳥だよ。」
屋台のおじいちゃんが身を乗り出してサインの肩を叩いた。
ハルがじゃあ2つお願いします!と言うと、
おじいちゃんは嬉しそうにしぶとい声で
OKと言った。
ワイルドな感じだ。
「ここの屋台は美味いよー!
食べてびっくりするなよ。」
ソウジの調子に乗った顔が心地いい。
屋台のおじいちゃんは火に手を突っ込んで鶏肉を焼いていく。
危なくないんですか?とサインが尋ねる。
「平気よ!!この歳になってくると、若いもんの笑顔が見れるならそれが一番の幸せじゃよ。」
真っ赤な笑顔で笑うおじいちゃんに癒されるのだった。
焼き鳥はあっという間に食べ終わり、一行はまた歩き出す。
「誰も使ってない少し小さい竪穴住居があるんだ。
行商人はそこに泊めることになってるから、
今晩はそこに泊まるといいよ。」
「助かります。」
「遠くから来て今夜は疲れてるだろうし、
もう案内しよう。そんな遠くないからついてきな。」
竪穴住居が立ち並ぶ路地を歩いているとその隅の暗い場所に何か影が見えた気がした。
気のせいか。
本当に小さな竪穴住居だったが、二人には十分なスペースだった。
「寝床まで用意してもらって本当にありがとう。」
サインがお礼を言うと、ソウジも帰って行った。
「私、洞窟以外で寝るのは久しぶり!!」
ハルが敷いてあった草の布団に飛び込む。
そんなハルの後ろ姿に見惚れていると、
ハルが振り向く。
サインもハルの方へ寄っていく。
しばらくゆったりしていると、子供の声がする。この村まで連れてきてくれた子供、ユキだ。
「お姉ちゃんたち、オレもここで寝るー。
いいでしょー。」
「パパママが心配するよ。」
サインがそう言うと、
「心配しないよー。パパとママは用事があって今夜は家に居ないんだ。
だからいいでしょお兄ちゃん。」
サインの足元に抱きついてぐずる。
ハルとサインは顔を見合わせる。
ハルがユキの手を握る。
「じゃあいいよ!!一緒に泊まろっか!」
「お姉ちゃん〜。ありがとう〜。」
ユキはしばらく住居の狭い空間を走り回ると、
壺を見つけた。
そしてなんと壺に入った。
ええ?とサインは驚く。
大丈夫かな?
サインが壺の中を見るとユキはもう寝ていた。
そこにハルが来て笑顔で言う。
「きっとここがいいんだよ。」
サインはへへと笑いながら寝転がった。
四
屋根に使われているススキの匂いがする。
朝が来てサインはハルを起こす。
ハルのおはよーを聴いて、サインはハルの手に触れる。自分の手と見比べながらそっとしている。
ハルはそれを見てぼんやりと笑う。
「知らない場所に来ても、サインはいつもみたいだね。」
風が吹く。屋根のススキの毛が、揺れているのを感じる。
「うーん。眠いなぁ。」
目をこすりながらサインは起き上がった。
サインが起き上がってしばらくすると、ユキも目覚めた。
あの元気なユキもさすがに朝は静かだ。
「おはようね。おはおは。」
「おはよう。オレ、お水飲む?」
ユキの真似をしてあの発音で「オレ」というサインを見て、ユキはドン引きみたいな顔をしている。
サインが水を入れた注口土器を渡すと、ユキはそれをごくごく飲む。
サインは俵に座ってそれをにんまり眺めている。
ハルはそんなサインの隣に座ってサインの肩に触れる。
風に吹かれて屋根のススキが少し揺れている。
朝食も食べ終わった。
そろそろ外に出てみようか。
3人で竪穴住居から出てみた。
眩しい陽の光に照らされて、外から見ると竪穴住居も輝いて見えた。
ユキは、眩しいぜと呟いて屈伸を始める。
とりあえず、広場でも行ってみようか。
そう歩き始めると、ユキは遊んでくると言ってどこかへ行ってしまった。
ソウジが元気すぎて困ってると言っていたのを思い出して、ハルと笑い合う。
朝日はそんなに強くない。
ちょうどいい快適な青空のもと、二人は竪穴住居と竪穴住居の間の道を通っていく。
家の周りは少し硬い土になっている。
竪穴住居の中にはどれも人がいるような感じがするが、外には誰もいない。
中から僅かに聞こえてくる音に、それぞれの家庭と日常が感ぜられる。
しばらくすると赤い屋根の
不思議な小屋を見つけた。
竪穴住居と掘立柱建築の僅かな隙間に隠れている、変な小屋だ。
なんだろうとサインが呟く。
二人で入ってみよう!とハルがサインの手をとって先へ進む。
看板のようなものがあり、何か書いてあるが到底読めるものではない。
扉の横にある木製の椅子には野生のカエルが乗っかっている。
人がこんなところに住んでるのは疑問である。
なぜ竪穴住居に住まずこんなところに小屋を構えているのか、サインには不思議で仕方なかった。
木製でボロボロの扉を開くと、そこには鏡が置いてある。酷く薄汚れて、かなり古そうな鏡だ。
サインは鏡に近寄って纏わりついた埃を指でそっと振り払う。
真っ赤な縁にはところどころ装飾がなされている。
変な文様で特に理解できるものではないが。
ただそれは確かに光を反射した。
「これは鏡と言うやつだ。」
「なんで分かるの!サインってやっぱり物知りだね!」
ハルの言葉に嬉しくなった次の瞬間、
真横にデカい赤い鳥がいることに気づいた。
「うおおおおおおおおおお」
サインも赤い鳥もお互いびっくりした。
失礼だが鳥の驚いた顔は滑稽だ。
「ば、化け物…。」
その赤い鳥は11歳くらいの子供と同じくらいの身長があり、とにかくデカくて小太りだ。
「ナハハ…、バケモノとは失敬な!!
ワタシのどこがバケモノナンダ!!!」
「しゃ、喋った!」
サインとハルは顔を見合わせて驚きまくる。
「シャベッタダケデ驚かれる気持ちがワカルカ?
マアイイ、オレはコノ村に住み着いてる鳥だ。
真実をイツモ追い求めてる。
オマエは誰だ?」
「僕はサイン。そして彼女はハルだ。
噴火から逃れて西の方からやってきた。
君はどうして喋れるの?」
トリが突然爆笑する。
「ナハハ!ナハハ!ワタシが喋れるのがそんなにおかしいか!」
「だって、見た目が鳥だもん。」
ユキの声だ。
振り向くといつのまにかユキが戻ってきていた。
「マア、マアナ!オレはタシカニトリだけど!
でもどうして喋るかなんてドウデモよくないか?」
サインは不思議と確かにと思った。
あとから振り返ると納得のいく点など一つもなかったが。
「まあ、いいや。あのさ、それ、鏡だよね。」
赤い鳥は感心したような様子だ。
「ホウ。ヨクワカルナ。この村の人間はこれが何か誰も理解しないぞ。」
そう言う赤い鳥の鋭い眼光は、彼が人間ではなく、鳥であることを改めて実感させる。
喋るというだけだ。そうなぜか納得させられた気がした。
サインは返す。
「昔、行商人から聞いたんだ。
それ、凄い貴重だろう?なんで持っているの?」
赤い鳥は慢心したような顔になった。
「ナハハ。貴重だとも。聞いて驚くなよ。
この鏡はな。真実を映すンダ。
真実を映す鏡ナンダ。」
「真実を映す?」
「ソウ!例えばオマエがワタシに今嘘をついたなら、この鏡をオマエの方に向ければすぐ分かる。」
「それは凄いね。なんでそんなものを用意したの?」
「真実が大事ダカラダロ?当たり前じゃないか。
世の中嘘ばかりだ。人はすぐに人を騙す。
影響力のある存在は情報を操作スル。
ワタシはそれを全部回避して、真実を見つけ出すのダヨ。
この素晴らしさがワカルカ?」
「具体的にはどんな風に使っているの?」
「村の人間の間でのオレの噂を調べたりシタ。
アイツラ、ずっとアノ赤い鳥が不気味だとか、そんなことばかり言ってタンダ。
ヒドイダロ?
デモきっとそれは嘘だ。それで鏡を向けたんだ。」
「そうしたらどうなった?」
「ビックリだよ。真実だと出たンダ。
でもね、オレは分かった。
きっと彼らの噂にはもとになる奴がいる。
影響力がある少数のニンゲンが嘘の情報を流して印象操作をしようとしてるんだ。
馬鹿なカレラたちが嘘を事実だと強く信じ込んでいるから、真実だと誤表示サレタに違いない。彼らは洗脳サレテイル。
今は酷い噂を流す発信源を探しているトコロだよ。」
「自分に都合のいいことだけを真実だと見なす。
それって本当に真実なの?」
「ナハハ…ナハ!ナハ!フザケルナ!オマエはオレを馬鹿にしてるのか!!」
「いや、馬鹿になんか全くしてないよ。
ただ君に心の踊るような喜びが来ることを願ってるだけ。」
「どうせソレもウソだろ!!」
そう赤い鳥が叫ぶと一瞬沈黙が襲う。
赤い鳥はサインたちの方に鏡を向けている。
…。
「本当にソウみたいだな。」
「小さい頃、僕こそ誰よりも
いろんな人に馬鹿にされ、噂を立てられ、孤立して歩んできたからね。君の気持ちは少し分かるんだ。」
「シンジツ…」
ハルが言う。
「私も。集落を追い出されて、サインに出逢うまでずっと独りだった。
鳥さんの気持ちはわかるよ。」
「コイツもシンジツ。」
「僕ら友達にならないか。
真実を追い求めるのもいいけど、
信じ合うことから始めてみないか。
君は優しいよ。僕には分かるよ。
だって、
そんなに悪口みたいな噂を立てられたのに、
彼ら自身には当たらないじゃないか。
ずっと別の敵を探してる。
きっと本当は君は、それで君自身を傷つけてる。優しいから。」
赤い鳥は少し照れたようである。
ユキが割り込んで言う。
「オレとも友達になろう。」
「シンジツ。
友達にはナロウ。
ナンカ照れるけどヨロシクナ。」
「トリも何か困ったことがあったら教えてね。
助け合おう。」
「オマエモナ。オレも頑張るカラ。」
サイン、ハル、ユキ、そして赤い鳥の4名でしばらく路地を歩いていく。
太陽の光が少しずつ強くなっていく。
奥に何かいるのが見えた。
「あれは何?」
ハルが聞く。
「あれはハトダヨ。
コノ村に住み着いてるんだ。」
人の身長ほどの大きさで、二足歩行をするハトが大量にいた。
歩いてそれを横切る。
「アイツガヤラカシタラシイ」
「ヤッパリソウイウヤツダッタンダナ」
「アイツモヤラカシタラシイゾ」
「アイツコノアイダアルキカタガオカシカッタゾ」「ナンダト、ハヤクチョウローナンテヤメテシマエ」
「アンナキョギョウデマワリカラキノミヲモラッテルノガナットクイカナイ」
「アノデカイイエハジマンカ?」「ナリキンダ」
ハトたちは平坦な声で大騒ぎしていて酷く不気味だった。
「どうしてあんなことを言ってるの?」
ハルが尋ねる。
「彼らは食べ物が足リナイカラ
揚げ足取りや誹謗中傷や噂話を食べて
生キテルンダ。見テロヨ。」
一羽のハトが飛んできた。
「ソクホウダ。ムラデエラソウニシテル、アイツガウワキシタラシイゾ」
ハトたちが一斉に振り向く。
その一羽のハトのもとにハトたちはゾロゾロと群がっていった。
「ホラナ。イッタダロ。」「ウワキ、サイテイダー」「ムラカラデテイケ。」
「ソウイウコトスルヤツダトオモッテタンダ。」「バケノカワガハガレタナ」
「人の不幸は彼らニトッテ蜜の味。
ヨク分かるだろ?」
あたりにはハトの糞が大量に落ちていた。
4名はまた歩き出す。
道の脇に柵がついていて、その柵の影が道にまで模様をつけている。
ユキは柵の影を踏まないようにジャンプしながら歩く。
けんけんぱ。
道端に生えている花もけんけんぱをやり出しそうなくらい鮮やかだ。
典型的な昼だ。
道の先に人影。
今度は人が何かを作っているのが見えた。
土をこねている女性。そしてその様子を見てなんか言ってるのはこの間の屋台のおじいちゃんだ。
「これは何を作ってるんですか?
土偶ですか?」
サインが尋ねる。
「土偶? サインはやっぱりなんでも知ってるね!」
サインの知識にハルが驚くのを見て、
サインはハッとした。
「はっはっは、お嬢ちゃん、土偶を知らないとはたまげたな。
そう、これは土偶だよ。
新しいのを作ってるんだ。」
トリが尋ねる。
「ナンデそんなものを作るんダイ?」
屋台のおじいちゃんは真っ赤な顔で笑う。
「喋る赤い鳥なんて面白いね。
実は娘が妊娠してね。孫が生まれるんだ。
無事に産まれますようにと祈ってるんだよ。」
「ナンデ祈るの?」
屋台のおじいちゃんは眉を上げて言う。
「命って素敵なんだよ。子供は宝なんだよ。
ワシもな、娘が生まれた時は泣いたよ。
一晩中泣いた。娘の小さい手に触れてな。
ふっくらした頬に触れてな。
感情が言葉を超える瞬間だった。
生まれた時に涙を流されて、
亡くなる時も涙を流されるような、
そんな幸せを祈るんだ。
生は美しいのじゃよ。」
サインはハルの手を思い出す。
ハルはホッと息を吐いて、土偶をそっと撫でる。
ユキは蚊に刺されたのか足を掻いている。
赤い鳥は変な顔をして感心していた。
広場に行くと大道芸人がショーをやっていた。
たくさんの人が集まっていて、笑いが起きるたびに唸るような音がした。
パフォーマンスで、子供を1人ステージに募った。
ユキが手を挙げると、たくさんの子供たちの中でなんと選ばれてステージに上がった。
大道芸人はキセルのような形をした笛を
ユキに渡す。
ユキは吹き方を教わってそれを吹いてみせた。
ヒューウゥー!
元気な風と言うといいだろうか。
明るい音が聞こえた。観客はみんな大拍手。
ユキは大道芸人から笛をもらって
笑顔で戻ってきた。
赤い鳥もにっこりしている。
それから今度はステージにお笑い芸人が登った。
かなり面白く、これまた群衆は大爆笑。
楽しんでいると、ノソノソと灰色の影がやってくるのが見えた。
ハトだ。
ハトたちはステージに来るとすぐに何かぶつぶつ言い始めた。
「ナニガオモシロイカワカラナイ」
「フツウニツマラン」「コドモムケカヨ」
「ホンモノジャナイ」「シロウト」
「本物じゃないって… 本物ってなんだろうね。
そんなもの、本当にあるのかね。」
サインはしかめっ面で言う。
群衆は迷惑そうにそれを見ているが、ハトたちは特に構わない。
「コイツ、ジュウネンマエ、コノムラノイドデカッテニミズヲノンデタラシイ」
「サイテイダー」「ドロボウ、ドロボウ」
ハトの妨害で、
やむを得ず芸人はステージを降りた。
「オ、アレハ副村長だぞ。サインたちは初めて見るんじゃないか?」
赤い鳥が指を指した方には65くらいのおじさんがいた。
演説をするのだろう。
するとハトがまたうるさくなった。
「アイツハホントウハコノムラノコジャナイ、トナリノムラカラノブガイシャダ」
「カオガチチオヤトニテナイ」
「セイフクシャハデテイケ」「ブガイシャハデテイケ」「キモチワルイファッションダナ」
「ヒドイカッコウ…」「タカソウナフクキヤガッテ」「クチガアヒルミタイデキモチワルイ」
「ハトたちが言ってるのは本当なのか?」
サインが尋ねると赤い鳥は首を強く横にする。
「じゃあ副村長が出てきただけでなんであんなに根拠のないことを言えるの?」
赤い鳥は呆れた顔で言う。
「カレラ、ハトはニンゲンと決して喋らない。
カレラハ、いつも同じハトの中にいるから、
あのデマはカレラノナカデハ常識なのサ。
ダカラどんどん過激にナッテイク。
カレラハ自分タチコソが
真実を知っていると疑わない。
勉強モ探究もシナイ、無気力で無知なヤツラノ集まりなのに、よく真実を知ってると思えるヨナ。」
少しずつ空が紅に染まっていく。
サインたちも帰路につく。
途中、あの屋台のおじいちゃんがハトの糞を掃除しているところを横切る。
「お疲れ様です。」
サインはお辞儀をして通過する。
「掃除までして、大変だね…」
ハルの言葉にサインは頷く。
赤い鳥とも別れ、サイン、ハル、ユキの3人で家へ戻る。
沈み始めた日の照れたような赤が3人の影を地面に作り出す。
砂利の混じった感じがする地面は歩くとジャリジャリ音がする。
ユキがハルに言う。
「オレのこの笛あげる!!」
ハルはびっくりする。
「いいの?どうして?」
ユキが答える。
「友達の証!!」
サインもハルも暖かな気持ちになった。
五
ある日目覚めるとユキの姿がなかった。
サインとハルは小さな竪穴住居を飛び出して、
ユキを探しにいく。
村中を歩き回っていると、人だかりができているのに気づいた。
槍を持った人間に囲まれて、
縄で捕まえられた人間が数人歩いている。
その中にユキがいた。
赤い鳥がサインの横に立つ。
「アレハ生け贄ダネ。噴火は神の怒りだから、生け贄を捧げることでその怒りを鎮めようとスルンダ。」
サインは怒る。
「おかしいじゃないか。
神が生け贄を望んでいるという根拠も、それで怒りが鎮むという根拠もどこにもない。
そもそもそんなことを望む神ってやつはなんて酷いやつなんだ。
しかも、なんでユキなんだ。」
「ナンデ、そんなこと言われてもオレが決めてるわけじゃナイカラワカラナイ。」
「トリ、君はこれでいいと思うのか?
助けなくてはならないだろう。」
「それはオレもそう思ウ。
でもドウスルコトモデキナインダ。
助けられるなら助けタイヨ。」
夕方、竪穴住居に戻ろうとすると、ソウジに遭遇した。
「この村での生活には慣れてきたかい?
小さい住居もいいけど、今晩は僕の家で過ごすのはどうかい?」
サインは断ろうとした。
しかし、そんなサインを見てハルは肩を叩いてこう言った。
「サイン、良いじゃん。
ソウジともっと仲良くなるチャンスだし、
ユキのことを助けるための手助けになるかもしれないよ!
ソウジは良い人だよ。」
そして2人はソウジについていくことにした。
普通くらいの大きさの竪穴住居だった。
中は暗い。
入っていくと、ソウジは黙って何も喋らない。
甲冑の音がして振り向くと、武装した人間が6人ほど構えていた。
兵士たちはサインとハルに飛びかかり二人を捕まえた。
突然のことでまともに抵抗できなかった。
「ソウジ!」
ハルがソウジの方を見ると、ソウジは目を逸らしてずっと地面を見ていた。
捕えられた二人は小さな監獄に入れられた。
監獄には窓があって月の光が少し入ってくる。
壁は酷くヒビが入っており、古くからある監獄なのが伝わってくる。
地面は一部分が薄暗く汚れている。
水を誰かが溢したのだろうか。
サインとハルは壁に寄りかかって座っていた。
檻の先で監視している看守が嘲笑う。
「あいつは人を疑わない馬鹿だ。」
「私のせいでこんなことになって…。
ごめんね。」
ハルがそう言う。
サインは叫ぶ。
「ハルは人を疑えない馬鹿なんかじゃない。
疑うことが求められるこんな汚い世界で、
それでも信じていたいと願う素敵な人なんだよ。」
ハルは涙を流して言う。
「サインまで監獄に捕まってしまって…。」
サインは咄嗟に返した。
「君がいるならどんな場所でも春なんだ。
君のためならどこへでも行こう。
地獄だろうと君がいるのなら素敵だよ。」
ハルはありがとうと言いながら、その涙目にほんのりと笑顔を見せた。
窓からはニホンオオカミの鳴き声が聞こえる。
鳥の羽の音がする。
赤い鳥が窓からサインたちを覗く。
「おい、オイ、助けてやりたくて来てやったぞ。
ドウスリャアイイ?」
サインは言う。
「この辺りでは銅がとれると行商人から聞いたことがある。
銅をとってきてくれ。」
サインは採掘に使う石器を赤い鳥に渡す。
「マカセロリ。すぐ戻ってくるぜ。」
赤い鳥は羽を広げ真っ黒の空へ飛び出した。
月の光に照らされてその赤い羽はキラキラとしている。
毛の一つ一つが揺れている。
ニホンオオカミが遠吠えをする暗い森を見下ろしながら飛んでいく。
風はまるで鳥を導くように吹いている。
ヤルシカネェな。
赤い鳥は洞窟を見つけると急降下して
その中へ飛んだまま入っていく。
速度がかなり出て風の音がヒューヒューする。
羽の周りを風が走っていくのを感じる。
体を右に左にと次々と傾けて、
ゴツゴツしてデコボコな岩肌を華麗に避けていく。
奥に採掘をしている人間がいた。
赤い鳥はそこに舞い降りるとこう尋ねる。
「オイ、オレは銅を急ぎで探している。
銅というのはどれだ?」
人間は答える。
「銅か。よく知っているな。銅という存在を知っている奴は滅多にいないぞ。
まあいい。あれだよ。」
そう言って人間が指差す。
赤い鳥は例の鏡を取り出してその人間を映す。
本当ミタイダナ。センキュー。お礼は言わないぜ。
人間は一瞬、(いや、礼くらい言えよ)という顔をしたが、赤い鳥はお構いなしに銅の方へ向かう。そして石器を使って銅を採掘するとすぐ再び空へ舞い上がった。
風に乗って瞬きもできないほどのスピードでまっすぐサインのもとへ戻る。
監獄に赤い鳥が舞い降りるとサインは窓の方へまた駆け寄り、銅を受け取る。
「アトハ頼んだぞ。」
サインは答える。
「うん。なんとかする。」
サインは銅を加工して銅器を作ってみせた。
青銅器が広がるのは弥生時代なので、これはかなり時代を先取りした技術力だ。
「赤い鳥は監獄の周りを飛び回って看守たちを混乱させてくれ。
その間に銅器を使って扉を破壊して脱獄する。
そして夜の暗闇を使って、ソウジと長老を捕まえよう。」
サインはハルに石剣と弓矢を渡す。
サインはかねてより作ってきた自作のボウガンも持っている。
「二人とも必ずマタ会おうナ。」
赤い鳥が手を差し伸べ、サインとハルは鳥の小さな手に握手する。
赤い鳥は飛び立つと、監獄をくるくる周り、低空飛行を始めた。
看守たちは目を丸くする。
「なんだあの赤い鳥、変なやつだな。
一体何をしてるんだ。」
赤い鳥は看守のうち一人に糞を浴びせた。
さらに他の看守に空からキックする。
看守たちは混乱した。
「あれはいつもシンジツシンジツ言ってる狂気の鳥じゃないか?」
「キョウキドリだ…!キョウキドリがいるぞ!」
「あいつは敵だ。やっつけろ。」
サインはその隙に銅器を使って扉を殴る。硬い銅に殴られ、やがて扉は壊れた。
サインとハルは監獄から飛び出した。
看守の一人がそれに気づく。
「やべぇぞ!あいつら逃げようとしてる!」
看守の一人がサインに飛び掛かる。
サインはボウガンを放ちそれが看守の足元に落ち、足が引っかかって看守は倒れ込む。
さらに横から看守が矢を射かけてくると、
ハルが弓矢で看守に応戦する。
サインはボウガンに矢をつけ、再び射る。
一発が看守の足の当たる。
この状況を見た看守の一人は掘立柱建築に登っていくと、そこにぶら下げてあった巨大な石の球をサインとハルのいるところを目掛けて落とした。
まるで隕石のように巨大な球がサインとハルの方へ落ちていく。
それに気づいたハルはサインの手を引っ張って逃げる。
球は二人のすぐ近くに落ち、サインとハルは吹き飛ばされる。
サインは屋台のおじいちゃんの家の近くに倒れていたが、喧騒を聞いたおじいちゃんが出てきた。
「そんなボロボロの姿になってどうしたんだい?
この騒ぎは?」
サインは答える。
「昨晩何もしていないのに突然捕まれられて。
どうか助けてほしいです。
しかもユキが生け贄にされると聞きました。」
「ユキが生け贄?!
なんてことだ。ワシがもう歳だからと寝ている間にそんなことが…。
長老をなんとかしないとならんぞ。
よし、若いもん、助けよう。」
屋台のおじいちゃんは焼き鳥を取り出すとそれを看守たちに投げて戦い出した。
赤い鳥は混乱する。
「オイオイオイ、焼き鳥がなんか飛んでくるぞ。
一応オレは鳥ナノニ。」
赤い鳥はクチバシで看守を突ついては飛んで逃げるというのを繰り返していた。
吹き飛ばされた衝撃で、ハルは倒れ込んでいた。
そこに看守が迫る。
「おお、お嬢ちゃん、こんなところにいたのかぁ…」
追い詰められたハルはあの笛を鳴らす。
笛の音が聞こえてサインは走り出す。
ハルが危ない。
赤い鳥は上空からそれに気づいた。
追い詰められるハル、走るサイン。
赤い鳥は急降下するとサインを体に乗っけて低空飛行でハルのほうへ羽ばたいた。
サインは赤い鳥から飛び降りる。
赤い鳥はハルに迫る看守に体当たりする。
看守はその体当たりで吹き飛ばされ、ちょうどそこにあった井戸へ落ちていった。
赤い鳥は地面に叩きつけれ、羽があたりに散らばった。
サインはハルの手を取る。
「大丈夫?」
「ありがとう。」
二人は起き上がると赤い鳥の方へ向かおうとする。
看守たちがそれを阻もうとしたが、屋台のおじいちゃんがドロップキックをして看守たちは飛んでいった。
赤い鳥もなんとか起き上がる。
「ヤリスギタゼ。」
そしてついに長老の家へ向かう。
長老の家の近くまで来ると、警備の兵士たちが矢を射かけてくる。
赤い鳥が鏡を取り出して月光を反射させると、
兵士たちはそこに神秘的なものを感じて怖気つく。
その隙を逃さず、サインはボウガンで、ハルは弓と剣で兵士たちを破っていく。
兵士の数の方が少なくなった時、ハトたちが突然現れた。
「チョウロー、ヤメロ」「チョウロー、ヤメロ」「チョウロー、ツブセ」
ハトたちが一斉に長老の家に侵入して行き、
長老は屋台のおじいちゃんの手によって捕まった。
「ユキはすでに連れて行かれているだろう?
話を聞くのは後だから、ワシが預かっておく。
ハトたちがいて長老の身も危ないからな。」
サインは助かりますと言うと、
次はソウジの家へいく。
「僕は長老に、あの二人を捕まえたら光る宝石をやると言われたから捕まえたんだ。
ほんの出来心だ。許してくれ!」
そう言うソウジを一旦捕らえて屋台のおじいちゃんに預けた。
赤い鳥はサインに尋ねる。
「これからどうする?」
サインは言う。
「ユキを助ける。絶対に。」
赤い鳥はそれを予期していたかのように答えた。
「ヨーシ、オレももちろん手伝うゼ!
トモダチを助ける!」
でもどこに助けに行けばいいかわからないなとハルが言うと、赤い鳥は俺に任せろと言って飛んでいった。
赤い鳥は生け贄を捧げる場所について、集落の住人から事情を聴取。
鏡を向けて正確に場所を特定した。
そしてサインとハルは赤い鳥を連れて、
ユキを助けに向かった。
すでに日が出ていた。
サインとハルは大地を駆け抜ける。
赤い鳥は並行して飛行する。
前に人の集団が見えた。
あれだ。
赤い鳥が尋ねる。
「サア、護衛のヤツラガいるけどドウスル?」
サインが指示を出す。
「赤い鳥は上から鏡で太陽を反射させて護衛を驚かせて。」
「マカセロ。」
「僕はボウガンでなんとか敵に降伏を促す。
ハルはユキたちを救出して。」
「まかせて!」
赤い鳥が羽ばたく。
赤い羽が何本か落ちた。
バタバタと飛んでいくと集団の前で空中停止する。
隠し持っていた鏡を取り出すと、自慢げにそれを向ける。
護衛たちは太陽を反射する鏡に大混乱だ。
「お日様が… お日様を操ってる?!」
「あの赤い鳥こそ神の使いに違いない!」
太陽の光で赤い鳥の顔はよく見えていなかった。
その隙を無駄にするわけもなかった。
サインがボウガンを護衛の足に次々と射かけた。
矢尻に石をつけていないため強力ではないが、矢のスピードは雷のような速さで、彼らを絶望に追い込むには十分なものだった。
矢が目の前を通り過ぎるのを見て彼らはあっさり降伏した。
彼らは神の力を持っている…。
サインは赤い鳥に叫ぶ。
「降りてこなくていいよー!」
赤い鳥は応える。
「ナンデー!」
サインが言う。
「お前神らしいからー!「」
赤い鳥は一瞬訳がわからなかったが、
鏡の神秘性に怖気付く人が多いのを思い出して、
集落へ飛んでいった。
ヘッヘッヘ、神トシテ帰るのは気分がイイな。
ハルが生け贄たちの縄を解いていく。
ユキは安心したのか涙を流し始めた。
「もう大丈夫だよ!私もサインもいるから!」
ハルがそう言ってその涙にそっと笑いかけると、
ユキもハルに抱きついた。
涙を見て安心したのはハルにとっても初めての事だった。
集落へ戻るとハトたちが一斉にこっちへ向かってきた。
「アイツ、キットチョウシニノッテイル」
「ナニモスゴクナイノニエラソウ」
「タオセ、タオセ、ウンガヨカッタダケノヤツヲタオセ」
ハトたちが襲いかかってきたのだ。
ハルが弓を射かける。
サインが叫ぶ。
「さっきまで味方だったのになんでなんだ。」
赤い鳥が彼らを蔑むような目で見る。
「カレラハ長老の行動が間違ってるから長老を追い込んだ訳ジャない。
噂で知った気になって学ぼうとしないカレラニ行動を評価する能力ナンテナイ。
ただ、揚げ足取りが餌なダケナンダ。
ダカラ、カレラはワレワレノコトモ狙う。」
「小鳥の頃カラ学び続ければ
知識を得ることがデキル。
知識トイウノハ物事を評価するチカラダ。
しかし、カレラハ小鳥の頃学ばないで遊んでバカリイタノニ、大人になってから突然知識もなしに物事を評価シタガルから厄介ナンダ。
知識トイウ核がないからデマでも気づかず拡散シテシマウンダ。カラダがデカいだけに厄介ダネ。」
サインはボウガンで次々とハトを撃っていく。
赤い鳥はハトをクチバシで突ついて攻撃した。
ハルも打製石斧を振り回し、ハトたちはやっと逃げていった。
ハルはユキを連れてあの小さい竪穴住居に戻った。
サインと赤い鳥は捕縛された長老と面会するために屋台のおじいちゃんの家へ向かう。
子供たちが鳥の糞を掃除している。
道の脇にはサザンカの花が咲いている。
六
サインは赤い鳥に尋ねる。
「ソウジが悪人だなんて全く予想できなかった。
善人に見えた。」
赤い鳥は言う。
「違うンダ。彼は善人ナンダヨ。
彼に限らナイ。
普段はミンナ善人ナンダ。
それがある時変わるから恐ろしいンダ。
ダカラシンジツが大事ナンダ。」
屋台のおじいちゃんは笑顔で出迎えてくれた。
「よお。どうだったんだ?」
サインが説明する。
「無事ユキや他の生け贄たちも助けてることができました。
本当にありがとうございます。」
「よかったよかった!安心するね。
てか、お兄ちゃん、脱獄して生け贄まで助けちゃうなんてイケてるねぇ。」
赤い鳥が尋ねる。
「チョウローはどこにいるんだ?」
「あー!鳥さん、昨晩は焼き鳥を投げてごめんなぁ!
長老ならそこでゆっくりしてるよ。
さっきまで酒を一緒に飲んでたんだ。」
サインが尋ねる。
「一緒にお酒を?」
「あーそうそう。どうしちゃったんだと思ったから話してみたら、昔とそんな変わらないで良いやつだったよ。
やったことはやったことだけど。」
サインと赤い鳥は顔を見合わせる。
奥の部屋に入っていくと白髪のお爺さんがいた。
「長老。なんでこんなことしたんですか。」
サインがまっすぐな目で尋ねる。
赤い鳥は長老に鏡を向ける。
「お前か…。
若者よ、すまんかったな。
この集落は木の実も大してないし、食料が少ない。集めてもどんどんハトに喰われてしまうから。
だからこの冬を乗り越えるために外部から来たお前たちの木の実を盗むしかないと思ったんだ。」
ソウジはそのことを知ってるの?
「ソウジは知らないよ。彼はまだ若い。
村の財政事情を話すには早すぎる。
だから宝石で釣ったのだよ。
まあ、それでも責任は指示したワシにあるから、
ソウジを責めないでやってくれ。」
ユキの涙を思い出したサインが叫ぶ。
「でも生け贄はどうなんだ!」
長老は一瞬黙った。
外で風が吹き荒れて竪穴住居に使われている木材同士が擦れてキーキーと音がする。
沈黙を破ったのは長老だった。
「噴火は神が怒った証だから、生け贄を捧げなければならないという風習があるのじゃ。
長老であるワシがこれを破って、集落に神による災難が訪れるのは防がないといけないと、
ワシは思った。
でも災難を防ぐために、命を奪うというのはやりすぎじゃった。やりすぎじゃった。」
頭をかきながら長老は続ける。
「若者よ。ユキの両親が生け贄の提案に反発してきたから、
ワシは秩序の維持のために監禁してしまった。
君たちが捕えられていた隣の部屋じゃ。
解放してやっといてくれ。」
サインは頷く。
「わかりました。最後に何かありますか。」
「一つだけ言うならば、ワシ自身は私利私欲のためにやったことなど一つもない。
ワシは村のため、秩序のため、村民たちの安寧のためにやったのじゃ。
それだけは、それだけは、若者、君に伝えたい。」
サインは長老にお辞儀して、屋台のおじいちゃんの家を出た。
捕まっていたユキの両親を助け、小さな竪穴住居に戻る。
「ハル、ただいま。」
ハルは笑顔でサインを出迎える。
「おかえり!」
ハルと遊んでいたのだろうか、なぜかブリッジをしているユキがいた。
そんなユキをみて両親が涙を流して跪いた。
ユキは両親に気づくと、走って駆け寄って両親に抱きついた。
お兄ちゃんとお姉ちゃんがオレと一緒にいてくれたんだ!
サインとハルはそれをにんまり見つめていた。
ハルがそっとサインの手を握ったので、サインもハルの手を握った。
ユキたちが帰っていくと、サインとハルは二人で壁に寄りかかって、座って話した。
「あの武器ナイスだったね!」
ハルが笑顔でグッドポーズをする。
「そう、あれはボウガンとでも名付けようか。
弓矢が届かないなら、自分でも遠くまで撃てる武器を作るしかないと思ったんだ。」
「それで作れちゃうのがサインの凄いところだよ!」
長老はどうだった?とハルが聞く。
「彼には彼なりの正義があったんだ。
僕の正義が彼の正義を傷つけていたのかもしれないな…。」
俯いてそう答えるサインの手を握って、ハルは笑顔で言った。
「でもサインのおかげでユキは助かったんだよ!
私もサインのおかげで助かった。
今日はこれでいいんだよ!」
竪穴住居の壁の隙間からは光が漏れている。
外では、白い雲がいつの間にか減って、鮮やかな青い空が広がっている。
サインが呟いた。
「これから僕らはどうしようか?」
「それはどういうこと?」
サインは答える。
「あの洞窟の方へ戻る?
この集落にとどまる?」
ハルは頬杖をついてゆっくり揺れている。
「サインと一緒にいろんな景色を見てみたいな!
ここにきたのは突然のことだったけど、
ここでサインのことをもっと知れたり、ユキや屋台のおじいちゃんや赤い鳥に出逢えた。
その先に何があろうと二人ならきっと大丈夫な気がするの!」
「じゃあどこかを目指すってこと?」
ハルは言う。
「いいえ!ただ二人で北の方のまだ見たことない場所を見に行こう?
目的は後からできるよ。目的は後から感じるよ。」
「いいね、それに北の方にはオオツノジカという幻の鹿がいたとかいないとか昔聞いたことがある。それも二人で見れるかも。
二人で目的地のない旅をしよう。」
ハルがサインに笑いかける。
「そう!
私は二人で過ごす目的のない時間が好きなの。」
サインとハルは集落を出ることに決めた。
長老は若い世代に代わり、この村も新たな時代を迎えようとしている。
サインとハルは赤い鳥に別れを告げる。
「サミシクナルナ。何かあれば呼んでクレ。
笛の音が聞こえれば必ず会いにイコウ。」
サインは言う。
「ありがとう。元気でいてね。」
赤い鳥が羽で手を振るのでハルも手を振りかえす。
屋台のおじいちゃんにも挨拶をする。
「そうかそうか。それは良いことだ。
この世界はずっとずっと広いからね。
いろんなものをみて
いろんなことを感じて来なさい。
俺も若い二人の幸運を祈ってるぜ!」
ユキの家にも行くが、ユキはちょうど寝てるところだった。
サインはユキに手紙を書いて、
ユキの両親に渡した。
「ユキがいつか大人になって苦しんでる時に、辛そうな時に、渡してください。」
「ユキへ
貴方に出逢ったのは巡り合わせのようなことでしたね。
貴方は陽気で周りを楽しませる力を持っています。これからも幸せを大切にしてください。
そして貴方はいつも元気いっぱいで、元気な子だと最初は思った。
でもそんな貴方も、生け贄から助けられた時、涙した。
しかし、それは素敵なことでした。
人は多面的なものです。元気な人だって、怖いことや寂しいことはある。
酷く落ち込む瞬間も辛い瞬間もあるでしょう。
でも、それを含めて貴方なんです。
それも含めて貴方の美しさなんです。
貴方が涙を流した時のことを、後日ハルは私に安心したと言いました。
貴方の涙は、貴方が僕らに心を開き、本当に信じてくれた証でもある。
貴方が生きようとした証でもある。
どんな感情でもどんな性格でもどんな時間でも、
変わらず貴方は貴方だと言い切れる。
貴方は美しいからその全てはいつまでも否定しないで。
ずっとずっと貴方の幸せを願っています。
サイン」
サインとハルはまた歩き出した。
集落から少し歩くとまた森だった。
ずっとずっと奥深くまで二人で入っていく。
そして数日経った。
外の世界も暖かくなってきた。
木にもどんどん柔らかな緑の若い葉が生い茂っていく。
木々の上の方からは鳥の声が
聞こえるようになった。
昨日は雨が降っていたのだった。
背の高い草にも水滴がついている。
その水滴が太陽の光で輝いて見えて綺麗だ。
シャキシャキした若い草をかき分けながら獣道を進んでいく。
その道にはいろんな花が咲いていて、綺麗な花を見つけるたびにハルはサインの肩を叩いて
ほら!あれ!と教えた。
綺麗だね!と顔を見合わせて笑い合う二人を
きっと花たちもほんわかした目で見ていただろう。
サインはそう感じていた。
身長くらい高い草をかき分けた先には大木が生えている。
大木の横から顔を出して見ると、そこには春が広がっていた。
綺麗で淡い緑から視線をずらすと優しい青空が
一面を包み込む。
それは一つの世界だった。
他のどんな季節も侵入できない春だった。