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呉視点三国志:陸遜の章⑤

222年(ねん):呉(ご)の黄武(こうぶ)元年(がんねん)

戦火(せんか)が燃え盛(もえさか)る西陵(さいりょう)の街(まち)に、一陣(いちじん)の風(かぜ)が吹(ふ)き抜(ぬ)けた。徐盛(じょせい)はその風(かぜ)を感(かん)じながら、険(けわ)しい表情(ひょうじょう)をしていた。目(め)の前(まえ)には、魏(ぎ)の文聘(ぶんぺい)が率(ひき)いる大軍(たいぐん)が迫(せま)っている。

「このままでは、西陵(さいりょう)が危(あぶ)ないです。どうしましょう、徐将軍(じょしょうぐん)?」

 部下(ぶか)の一人(ひとり)が不安(ふあん)そうに声(こえ)をかける。しかし、徐盛(じょせい)は落(お)ち着(つ)いた目(め)で風(かぜ)の音(おと)に耳(みみ)を傾(かたむ)けた。

「慌(あわ)てるな。俺(おれ)たちの力(ちから)を甘(あま)く見(み)るなよ」

 徐盛(じょせい)の声(こえ)には動揺(どうよう)はなく、冷静(れいせい)そのものだった。彼(かれ)はすでに戦(たたか)いの計画(けいかく)を立(た)てていた。

「将軍(しょうぐん)、敵(てき)は数(かず)が多(おお)いです。このまま戦(たたか)えば、こちらが不利(ふり)です…」

「それは気(き)にするな。敵(てき)の数(かず)じゃない、重要(じゅうよう)なのは“隙(すき)”だ」

 そう言(い)うと、徐盛(じょせい)は兵(へい)たちに準備(じゅんび)を命(めい)じ、迎(むか)え撃(う)つ態勢(たいせい)を整(ととの)えた。その目(め)は、これから起(お)こる戦(たたか)いの全(すべ)てを見通(みとお)しているかのようだった。

 数日後(すうじつご)、呉(ご)の兵(へい)たちは西陵(さいりょう)で魏軍(ぎぐん)と激(はげ)しくぶつかった。徐盛(じょせい)は先頭(せんとう)に立(た)ち、鼓(つづみ)を鳴(な)らして号令(ごうれい)をかけた。

「今(いま)だ!全軍(ぜんぐん)、前(まえ)へ進(すす)め!西陵(さいりょう)は絶対(ぜったい)に守(まも)り抜(ぬ)く!」

 その声(こえ)が響(ひび)くと同時(どうじ)に、呉軍(ごぐん)は一斉(いっせい)に突撃(とつげき)した。徐盛(じょせい)は剣(けん)を振(ふ)りかざし、まるで豹(ひょう)のように素早(すばや)く敵陣(てきじん)へ飛(と)び込(こ)んでいく。

 魏軍(ぎぐん)の兵士(へいし)たちはその速(はや)さに驚(おどろ)き、混乱(こんらん)し始(はじ)めた。徐盛(じょせい)はその隙(すき)を逃(のが)さず、

「ここだ!」

と叫(さけ)び、次々(つぎつぎ)と敵(てき)を倒(たお)していく。呉軍(ごぐん)の士気(しき)はぐっと高(たか)まった。

 だが、魏軍(ぎぐん)の反撃(はんげき)も激(はげ)しかった。文聘(ぶんぺい)は徐盛(じょせい)の強(つよ)さを認(みと)め、兵(へい)を増(ふ)やして攻撃(こうげき)を強(つよ)めた。しかし徐盛(じょせい)は冷静(れいせい)に敵(てき)の動(うご)きを読(よ)み、巧(たく)みに戦況(せんきょう)を操(あやつ)った。

「文聘(ぶんぺい)よ、焦(あせ)るな。呉(ご)はそう簡単(かんたん)に倒(たお)せる相手(あいて)ではない」

徐盛(じょせい)の言葉(ことば)は戦場(せんじょう)の混乱(こんらん)の中(なか)でも揺(ゆ)るがず、完璧(かんぺき)なタイミングで反撃(はんげき)を繰(く)り出(だ)す。やがて魏軍(ぎぐん)は押(お)され、後退(こうたい)を始(はじ)めた。

そしてついに、魏軍(ぎぐん)は完全(かんぜん)に撤退(てったい)した。徐盛(じょせい)は息(いき)を整(ととの)えながら戦場(せんじょう)を見渡(みわた)し、炎(ほのお)の中(なか)に安堵(あんど)の表情(ひょうじょう)を浮(う)かべた。

「勝(か)ったな、徐将軍(じょしょうぐん)!」

部下(ぶか)の兵(へい)が駆(か)け寄(よ)って声(こえ)をかけるが、徐盛(じょせい)は静(しず)かに頷(うなず)くだけだった。

「戦(たたか)いには冷静(れいせい)さが何(なに)よりも大切(たいせつ)だ。無駄(むだ)な力(ちから)を使(つか)わず、相手(あいて)の隙(すき)を見(み)つけて突(つ)くことが勝敗(しょうはい)を分(わ)ける」

 そう言(い)い残(のこ)し、再(ふたた)び戦場(せんじょう)を見渡(みわた)した。戦(たたか)いの終(お)わりを告(つ)げる太陽(たいよう)が、遠(とお)くの山(やま)に沈(しず)みかけていた。

 この後(のち)、魏(ぎ)の文聘(ぶんぺい)は呉軍(ごぐん)に敗(やぶ)れて退却(たいきゃく)を余儀無(よぎな)くされた。徐盛(じょせい)の冷静(れいせい)な指揮(しき)と巧(たく)みな戦術(せんじゅつ)が勝利(しょうり)をもたらした瞬間(しゅんかん)だった。



222年(ねん):呉(ご)の黄武(こうぶ)元年(がんねん)

 西陵(さいりょう)の空(そら)を切(き)るように、赤(あか)い呉(ご)の旗(はた)が風(かぜ)を受(う)けてはためいておりました。

 徐盛(じょせい)は傷(きず)ついた甲冑(かっちゅう)のまま、馬上(ばじょう)で高(たか)らかに声(こえ)を上(あ)げます。

「敵将(てきしょう)・文聘(ぶんぺい)、西陵(さいりょう)より撤退(てったい)いたしました! 我(わ)が軍(ぐん)の勝利(しょうり)です!」

 その背後(はいご)には、炎(ほのお)に包(つつ)まれた砦(とりで)から這(は)い出(で)た兵(へい)たちが歓声(かんせい)を上(あ)げます。徐盛(じょせい)は剣(つるぎ)を天(てん)に掲(かか)げ、かすかに微笑(ほほえ)みました。

「戦(いくさ)は終(お)わった……では、都(みやこ)へ戻(もど)るとしよう。陸遜(りくそん)殿(どの)にも、一言(ひとこと)礼(れい)を述(の)べねばなりませんな」

 建業(けんぎょう)の宮殿(きゅうでん)は、今(いま)や勝利(しょうり)の報(しら)せで沸(わ)き立(た)っておりました。

 庭先(にわさき)には華(はな)やかな絹(きぬ)の幕(まく)が張(は)られ、勝(か)ち戦(いくさ)を祝(いわ)う宴(うたげ)の用意(ようい)が進(すす)んでおります。そこへ、甲冑(かっちゅう)を解(と)いた徐盛(じょせい)が姿(すがた)を見(み)せました。

「おやおや、都督(ととく)は先(さき)に杯(さかずき)を傾(かたむ)けておられましたか?」

 声(こえ)をかけたのは、もちろん陸遜(りくそん)です。酒杯(しゅはい)を手(て)に、涼(すず)しげな顔(かお)で振(ふ)り返(かえ)りました。

「これは徐将軍(じょしょうぐん)、ご無事(ぶじ)で何(なに)より。西陵(さいりょう)の戦(いくさ)、お見事(みごと)でした」

「いえいえ、都督(ととく)の夷陵(いりょう)大勝(たいしょう)には遠(とお)く及(およ)びません。あの火攻(ひぜ)め、まさしく天才(てんさい)の所業(しょぎょう)!」

「では、あなたの矢(や)の雨(あめ)は地上(ちじょう)の雷鳴(らいめい)といったところでしょうか。私(わたくし)などは火付(ひつ)け役(やく)に過(す)ぎませんよ」

 互(たが)いに笑(わら)い合(あ)いながら、徐盛(じょせい)も杯(さかずき)を手(て)に取りました。

「それにしても、夷陵(いりょう)から西陵(さいりょう)まで……呉(ご)はこの一月(いちがつ)でずいぶん長(なが)い影(かげ)を作(つく)りましたな」

「その影(かげ)に光(ひかり)が差(さ)すかどうかは、これからの我(わ)らの在(あ)り方(かた)次第(しだい)です」

「……光(ひかり)を呼(よ)ぶには、まず盃(さかずき)を干(ほ)すことでしょう!」

 笑(わら)いながら、徐盛(じょせい)が酒(さけ)を一気(いっき)に飲(の)み干(ほ)しました。

「それにしても都督(ととく)、お顔(かお)の血色(けっしょく)がずいぶんよろしい。勝利(しょうり)がよほど嬉(うれ)しかったと見(み)えますな」

「勝(か)ってなお、気(き)を引(ひ)き締(し)めておりますよ。敵(てき)は常(つね)に油断(ゆだん)を狙(ねら)っておりますので」

「まったく、あなたは理知的(りちてき)すぎる。少(すこ)しは羽目(はめ)を外(はず)されてもよいのでは?」

「では、今宵(こよい)だけはその忠告(ちゅうこく)に従(したが)いましょう。酒(さけ)を、おかわり願(ねが)います」

 夜(よる)の帳(とばり)が下(お)り、勝者(しょうしゃ)たちの杯(さかずき)が次々(つぎつぎ)に満(み)たされていきます。

 西陵(さいりょう)を守(まも)り抜(ぬ)いた男(おとこ)と、夷陵(いりょう)で炎(ほのお)を操(あやつ)った男(おとこ)――その二人(ふたり)が、同(おな)じ酒(さけ)を酌(く)み交(か)わし、同(おな)じ空(そら)を仰(あお)いでおります。

 戦(いくさ)の疲(つか)れは深(ふか)くとも、心(こころ)には確(たし)かな誇(ほこ)りが宿(やど)っていました。



223年(ねん):黄武二年(こうぶ・にねん)

 この年、呉(ご)の東南(とうなん)に位置(いち)する濡須(じゅしゅ)の地(ち)に、魏(ぎ)の大軍(たいぐん)が押(お)し寄(よ)せてきました。魏の指揮官(しきかん)、曹丕(そうひ)は、魏の二代目皇帝(こうてい)であり、父である曹操(そうそう)の遺志(いし)を継ぎ、勢力拡大(せいりょくかくだい)に意欲(いよく)を燃(も)やしていました。

 一方、呉(ご)は三国時代(さんごくじだい)の一角(いっかく)を占(し)める勢力であり、東南の防衛(ぼうえい)を担(にな)う重要(じゅうよう)な将軍(しょうぐん)、朱然(しゅぜん)がいました。朱然は元は蜀(しょく)出身(しゅっしん)ながら呉に仕(つか)え、類稀(たぐいまれ)なる戦術眼(せんじゅつがん)と冷静(れいせい)な采配(さいはい)で知られています。彼の指揮のもと、濡須は堅牢(けんろう)な要塞(ようさい)として知られていました。

 この戦いの前(まえ)、呉と魏は長年(ながねん)にわたり領土(りょうど)を巡(めぐ)って争(あらそ)いを続(つづ)けていました。曹丕(そうひ)は、呉の勢力(せいりょく)を削(けず)るために一斉(いっせい)攻撃(こうげき)を仕掛(しか)け、濡須はその戦略(せんりゃく)上(じょう)重要な拠点(きょてん)だったのです。

 濡須の砦で、朱然(しゅぜん)は雨雲(あまぐも)が垂(た)れ込(こ)んだ空(そら)の下、静(しず)かに構(かま)えていました。兵卒(へいそつ)が駆(か)け寄(よ)り、緊急(きんきゅう)の報告(ほうこく)を伝(つた)えます。

「将軍(しょうぐん)! 魏軍(ぎぐん)が南(みなみ)の丘(おか)に砦(とりで)を築(きず)き始(はじ)めています!」

 朱然は動揺(どうよう)せず、地図(ちず)に目(め)を落(お)としました。

「連日(れんじつ)の小競(こぜ)り合(あ)いは陽動(ようどう)だな。狙(ねら)いは城門(じょうもん)の正面(しょうめん)に違(ちが)いない。第二陣(だいにじん)を西門(せいもん)の裏(うら)に移(うつ)し、矢倉(やぐら)からは火矢(ひや)で応(こた)えよ」

 魏軍の攻撃(こうげき)は昼夜(ちゅうや)を問(と)わず、波(なみ)のように押(お)し寄(よ)せてきました。重装歩兵(じゅうそうほへい)が城壁(じょうへき)をよじ登(のぼ)ろうとすれば、呉兵(ごへい)は火矢(ひや)を射(い)かけ、油(あぶら)入りの壺(つぼ)を投(な)げて防(ふせ)ぎました。

 ある夜(よる)、敵(てき)が霧(きり)を突(つ)いて攻(せ)めてきたとき、城内(じょうない)の砦(とりで)で火(ひ)が上(あ)がりました。混乱(こんらん)の中(なか)、朱然は冷静(れいせい)に叫(さけ)びます。

「落(お)ち着(つ)け! 火(ひ)は囮(おとり)だ! 敵(てき)は北門(ほくもん)を狙(ねら)っている!」

 副将(ふくしょう)が迅速(じんそく)に動(うご)き、朱然の手配(てはい)した伏兵(ふくへい)が北門の背後(はいご)で待(ま)ち伏(ぶ)せました。激(はげ)しい斬撃(ざんげき)と矢雨(やあめ)が敵を襲(おそ)い、呉兵は反撃(はんげき)に転(てん)じました。

「呉の地(ち)を踏(ふ)み荒(あ)らすな!」

 朱然の一喝(いっかつ)に続(つ)き、呉兵は敵を押(お)し返(かえ)し、魏軍は多(おお)くの死傷者(ししょうしゃ)を出(だ)しながら退却(たいきゃく)しました。

 この戦いの勝利(しょうり)は、呉にとって重要(じゅうよう)な転機(てんき)となりました。濡須を守(まも)り抜(ぬ)いたことで、呉の南東部(なんとうぶ)の防衛(ぼうえい)が安定(あんてい)し、魏の侵攻(しんこう)を一時的(いちじてき)に食(く)い止(と)めたのです。この勝利は呉の士気(しき)を大(おお)いに高(たか)め、内外(ないがい)に呉の強(つよ)さを示(しめ)しました。

 しかし、曹丕(そうひ)もまた、さらなる戦略(せんりゃく)を練(ね)り直(なお)し、呉と魏の緊張(きんちょう)は続(つづ)いていきました。この戦いは長い戦乱(せんらん)の一幕(ひとまく)に過(す)ぎず、両国(りょうこく)の攻防(こうぼう)は今後(こんご)も激(はげ)しく繰(く)り返(かえ)されることになったのです。



222年(ねん)から223年(ねん)(黄武(こうぶ)元年(がんねん)~二年(にねん))

――建業(けんぎょう)、呉(ご)の都(みやこ)――

 三国鼎立(さんごうていりつ)という時代(じだい)、魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉(ご)の三国(さんごく)が互(たが)いに勢力(せいりょく)を競(きそ)い合(あ)っていました。

 呉(ご)の君主(くんしゅ)、孫権(そんけん)は豊(ゆた)かな江南(こうなん)の土地(とち)を治(おさ)めていましたが、北(きた)からの強(つよ)い圧力(あつりょく)に常(つね)に気(き)を張(は)っていました。

 一方(いっぽう)、蜀(しょく)の諸葛亮(しょかつりょう)は、劉備(りゅうび)が亡(な)くなったあと、丞相(じょうしょう)として国(くに)の命運(めいうん)を背負(せお)い、魏(ぎ)との戦(たたか)いに備(そな)えていました。

 表面上(ひょうめんじょう)は仲良(なかよ)く同盟(どうめい)関係(かんけい)に見(み)えましたが、実際(じっさい)は互(たが)いに警戒(けいかい)し、巧(たく)みに駆(か)け引(ひ)きを続(つづ)けていたのです。

 そんな中(なか)、呉(ご)の都(みやこ)・建業(けんぎょう)では、剣(つるぎ)を交(ま)ぜる戦(たたか)いとは違(ちが)う、静(しず)かで息(いき)をのむ心理戦(しんりせん)が行(おこな)われていました。

 部屋(へや)には書類(しょるい)の山(やま)が積(つ)まれ、その中(なか)で陸遜(りくそん)は一字一句(いちじいっく)を慎重(しんちょう)に選(えら)びながら筆(ふで)を走(はし)らせていました。

 陸遜(りくそん)は名将(めいしょう)として知られるだけでなく、外交(がいこう)の才能(さいのう)も優(すぐ)れており、魏(ぎ)や蜀(しょく)との微妙(びみょう)な関係(かんけい)の中(なか)で呉(ご)の利益(りえき)を守(まも)る重要(じゅうよう)な役割(やくわり)を担(にな)っていました。

 そんなある日(ひ)、蜀(しょく)の諸葛亮(しょかつりょう)から返書(へんしょ)が届(とど)きました。彼(かれ)は劉備(りゅうび)亡(な)き後(のち)、丞相(じょうしょう)として国(くに)の行方(ゆくえ)を左右(さゆう)する重要人物(じゅうようじんぶつ)です。

 返書(へんしょ)は丁寧(ていねい)な言葉(ことば)で書(か)かれていましたが、その奥(おく)には互(たが)いの出方(でかた)を探(さぐ)る冷(ひ)ややかな刃(やいば)が隠(かく)されていました。

 陸遜(りくそん)はその文章(ぶんしょう)を何度(なんど)も読み返(よみかえ)し、感情(かんじょう)を表(あらわ)さずに慎重(しんちょう)に対応(たいおう)することを心(こころ)に誓(ちか)いました。

「ここで動揺(どうよう)してはいけない。礼儀(れいぎ)を尽(つ)くしながらも、相手(あいて)にこちらの強(つよ)さを伝(つた)えねば」

 彼(かれ)は「柔(じゅう)よく剛(ごう)を制(せい)す」、つまり柔軟(じゅうなん)な知恵(ちえ)で強(つよ)い力(ちから)に対抗(たいこう)することを信条(しんじょう)に、返書(へんしょ)をしたためました。

――しかし外交(がいこう)が緊張(きんちょう)を高(たか)める一方(いっぽう)、戦場(せんじょう)では激(はげ)しい戦(たたか)いが続(つづ)いていました。

 呉(ご)の将軍(しょうぐん)・朱然(しゅぜん)は、東南(とうなん)の濡須(じゅしゅ)という要衝(ようしょう)で、魏(ぎ)の大軍(たいぐん)と死闘(しとう)を繰(く)り広(ひろ)げていました。

 朱然(しゅぜん)は冷静沈着(れいせいちんちゃく)な武将(ぶしょう)で、敵(てき)の策略(さくりゃく)を見抜(みぬ)き、巧(たく)みに防御(ぼうぎょ)戦術(せんじゅつ)を展開(てんかい)していました。

 敵(てき)は正面突破(しょうめんとっぱ)を避(さ)け、陽動作戦(ようどうさくせん)で注意(ちゅうい)を引(ひ)きつけ、別(べつ)の場所(ばしょ)から攻撃(こうげき)を狙(ねら)っていましたが、朱然(しゅぜん)はそれを察知(さっち)し、伏兵(ふくへい)を配置(はいち)して迎(むか)え撃(う)ちました。

 濡須(じゅしゅ)の砦(とりで)は堅(かた)く守(まも)られ、魏(ぎ)の侵攻(しんこう)は一時的(いちじてき)に阻止(そし)されました。

――このように呉(ご)は、陸遜(りくそん)の冷静(れいせい)な外交(がいこう)と朱然(しゅぜん)の勇猛果敢(ゆうもうかかん)な戦(たたか)いという二つの力(ちから)で、激動(げきどう)の時代(じだい)を乗(の)り越(こ)えていたのです。

 政治(せいじ)の駆(か)け引(ひ)きと、血(ち)の戦(たたか)いが交錯(こうさく)し、呉(ご)の未来(みらい)はまさにここで決(き)まろうとしていました。



223年(ねん):黄武(こうぶ)二年(にねん)

 砦(とりで)の西楼(せいろう)に登(のぼ)れば、風(かぜ)が衣(ころも)をはためかせていました。黄武(こうぶ)二年(にねん)の春(はる)。陸遜(りくそん)は陣営(じんえい)の見回(みまわ)りを終(お)え、息(いき)を整(ととの)えていました。

そこへ、頑健(がんけん)な足音(あしおと)と共(とも)に現(あらわ)れたのは徐盛(じょせい)です。彼(かれ)は孫権(そんけん)の信頼(しんらい)厚(あつ)い歴戦(れきせん)の将(しょう)で、剛胆(ごうたん)にして用心深(ようじんぶか)く、弓馬(きゅうば)に巧(たく)みな男(おとこ)です。

「おい、陸兄(りくけい)。この砦(とりで)、なかなかの見晴(みは)らしですね。……だが、壁(かべ)の高さ(たかさ)がちと頼(たよ)りない」

徐盛(じょせい)は手(て)をかざして遠(とお)くを見(み)やり、にやりと笑(わら)いました。

「防備(ぼうび)の不備(ふび)などと洒落(しゃれ)を言(い)う余裕(よゆう)があるのは結構(けっこう)ですが、砦(とりで)の構造(こうぞう)をなめてはなりませんよ。実(じつ)のところ、攻(せ)め手(て)の目(め)を逸(そ)らすには、この程度(ていど)の“ほどほどさ”が効(き)くのです」

「ふむ、さすがは陸兄(りくけい)。策(さく)は塀(へい)の高さ(たかさ)だけではないと?」

「ええ。高(たか)ければよいというものではありません。攻(せ)め手(て)が“雲梯(うんてい)”を用(もち)いるようになれば、逆(ぎゃく)に登(のぼ)りやすくなりますから」

「雲梯(うんてい)、ですか。あの、長(なが)い梯子(はしご)のような攻城具(こうじょうぐ)ですな」

「その通(とお)りです。敵(てき)が接近(せっきん)して来(き)たら、城壁(じょうへき)に沿(そ)わせて兵(へい)を登(のぼ)らせる。火矢(かや)で焼(や)くのも一手(いって)ですが、雨天(うてん)ではそれも叶(かな)わない。よって、上(うえ)から“石車(せきしゃ)”で叩(たた)き落(お)とすのが常道(じょうどう)です」

「石車(せきしゃ)。懐(なつ)かしい。あれは子どもの頃(ころ)、弟(おとうと)どもと手作(てづく)りして遊(あそ)びましたよ」

「その記憶(きおく)があれば上々(じょうじょう)です。投石(とうせき)の角度(かくど)、重量(じゅうりょう)、距離(きょり)……あれを知(し)る者(もの)は、防衛戦(ぼうえいせん)で役(やく)に立(た)ちます。さらに“井闌(せいらん)”なども侮(あなど)れません」

「井闌(せいらん)? ああ、あの移動式(いどうしき)の櫓(やぐら)か。敵(てき)がそれに登(のぼ)って攻(せ)めてくると、なかなか厄介(やっかい)ですな」

「ええ。城壁(じょうへき)とほぼ同(おな)じ高さ(たかさ)まで持(も)ち上(あ)げて、橋(はし)を渡(わた)すようにして兵(へい)を送り込(おくりこ)んできます。これを破壊(はかい)するには、“鉤縄(こうじょう)”で引(ひ)き倒(たお)すか、火(ひ)を点(つ)けて崩(くず)すのが良策(りょうさく)です」

「聞(き)けば聞(き)くほど、攻(せ)め手(て)は知恵者(ちえしゃ)ばかり。籠城戦(ろうじょうせん)は骨(ほね)が折(お)れますな」

「だからこそ、事前(じぜん)の備(そな)えが物(もの)を言(い)います。砦(とりで)や城(しろ)は三重(さんじゅう)に築(きず)くのが理想(りそう)です。外壁(がいへき)、中壁(ちゅうへき)、内郭(ないかく)。内側(うちがわ)に行(い)くほど高(たか)く堅(かた)くする。もし外(そと)が破(やぶ)られても、次(つぎ)がある」

「まるで、蟹(かに)の甲羅(こうら)のような構造(こうぞう)ですな。だが、殻(から)を破(やぶ)って中(なか)に入(はい)られたら?」

「そのときは、“壕(ごう)”です。地面(じめん)を掘(ほ)って、城(しろ)の周囲(しゅうい)に深(ふか)い溝(みぞ)を作(つく)ります。敵(てき)の“衝車(しょうしゃ)”――いわゆる破城槌(はじょうづち)――の進軍(しんぐん)を止(と)められます」

「なるほど。“衝車(しょうしゃ)”で門(もん)を破(やぶ)られるのは、確(たし)かに痛(いた)い。音(おと)が恐(おそ)ろしいのですよ、あれ。城中(じょうちゅう)の兵(へい)の士気(しき)ががた落(お)ちしますから」

「ですから門(もん)の内側(うちがわ)には“逆梁(ぎゃくりょう)”を仕込みます。つまり、破(やぶ)られても倒(たお)れぬよう、門(もん)の背後(はいご)に横木(よこぎ)を渡(わた)すのです。地面(じめん)と横木(よこぎ)の隙間(すきま)に、土嚢(どのう)を詰(つ)めてもよい」

 陸遜(りくそん)は、左手(ひだりて)の指(ゆび)で風(かぜ)に舞(ま)う紙片(しへん)を押(お)さえながら、徐盛(じょせい)の目(め)を見据(みす)えました。

「戦(いくさ)とは、力(ちから)で決(き)まるものではありません。知(ち)と胆(きも)と、備(そな)えの差(さ)です。敵(てき)が何(なに)を仕掛(しか)けてくるかを読(よ)むことが、勝(か)ちを引(ひ)き寄(よ)せる鍵(かぎ)になります」

「うむ、納得(なっとく)。――だがな、陸兄(りくけい)。もしもこの砦(とりで)が陥(お)ちたとき、どうする?」

「……私(わたし)がいる限(かぎ)り、砦(とりで)は落(お)ちません」

「ふっ。言(い)ったな」

「言(い)いました」

ふたりは声(こえ)を合(あ)わせて笑(わら)いました。東風(こち)が、砦(とりで)の帆(ほ)をかすかに揺(ゆ)らしておりました。

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