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呉視点三国志:陸遜の章⑤

222ねん黄武こうぶ元年がんねん

戦火せんかが燃えもえさか西陵さいりょうまちに、一陣いちじんかぜけた。徐盛じょせいはそのかぜかんじながら、けわしい表情ひょうじょうをしていた。まえには、文聘ぶんぺいひきいる大軍たいぐんせまっている。

「このままでは、西陵さいりょうあぶないです。どうしましょう、徐将軍じょしょうぐん?」

 部下ぶか一人ひとり不安ふあんそうにこえをかける。しかし、徐盛じょせいいたかぜおとみみかたむけた。

あわてるな。おれたちのちからあまるなよ」

 徐盛じょせいこえには動揺どうようはなく、冷静れいせいそのものだった。かれはすでにたたかいの計画けいかくてていた。

将軍しょうぐんてきかずおおいです。このままたたかえば、こちらが不利ふりです…」

「それはにするな。てきかずじゃない、重要じゅうようなのは“すき”だ」

 そううと、徐盛じょせいへいたちに準備じゅんびめいじ、むか態勢たいせいととのえた。そのは、これからこるたたかいのすべてを見通みとおしているかのようだった。

 数日後すうじつごへいたちは西陵さいりょう魏軍ぎぐんはげしくぶつかった。徐盛じょせい先頭せんとうち、つづみらして号令ごうれいをかけた。

いまだ!全軍ぜんぐんまえすすめ!西陵さいりょう絶対ぜったいまもく!」

 そのこえひびくと同時どうじに、呉軍ごぐん一斉いっせい突撃とつげきした。徐盛じょせいけんりかざし、まるでひょうのように素早すばや敵陣てきじんんでいく。

 魏軍ぎぐん兵士へいしたちはそのはやさにおどろき、混乱こんらんはじめた。徐盛じょせいはそのすきのがさず、

「ここだ!」

さけび、次々(つぎつぎ)とてきたおしていく。呉軍ごぐん士気しきはぐっとたかまった。

 だが、魏軍ぎぐん反撃はんげきはげしかった。文聘ぶんぺい徐盛じょせいつよさをみとめ、へいやして攻撃こうげきつよめた。しかし徐盛じょせい冷静れいせいてきうごきをみ、たくみに戦況せんきょうあやつった。

文聘ぶんぺいよ、あせるな。はそう簡単かんたんたおせる相手あいてではない」

徐盛じょせい言葉ことば戦場せんじょう混乱こんらんなかでもるがず、完璧かんぺきなタイミングで反撃はんげきす。やがて魏軍ぎぐんされ、後退こうたいはじめた。

そしてついに、魏軍ぎぐん完全かんぜん撤退てったいした。徐盛じょせいいきととのえながら戦場せんじょう見渡みわたし、ほのおなか安堵あんど表情ひょうじょうかべた。

ったな、徐将軍じょしょうぐん!」

部下ぶかへいってこえをかけるが、徐盛じょせいしずかにうなずくだけだった。

たたかいには冷静れいせいさがなによりも大切たいせつだ。無駄むだちから使つかわず、相手あいてすきつけてくことが勝敗しょうはいける」

 そうのこし、ふたた戦場せんじょう見渡みわたした。たたかいのわりをげる太陽たいようが、とおくのやましずみかけていた。

 こののち文聘ぶんぺい呉軍ごぐんやぶれて退却たいきゃく余儀無よぎなくされた。徐盛じょせい冷静れいせい指揮しきたくみな戦術せんじゅつ勝利しょうりをもたらした瞬間しゅんかんだった。



222ねん黄武こうぶ元年がんねん

 西陵さいりょうそらるように、あかはたかぜけてはためいておりました。

 徐盛じょせいきずついた甲冑かっちゅうのまま、馬上ばじょうたからかにこえげます。

敵将てきしょう文聘ぶんぺい西陵さいりょうより撤退てったいいたしました! ぐん勝利しょうりです!」

 その背後はいごには、ほのおつつまれたとりでからへいたちが歓声かんせいげます。徐盛じょせいつるぎてんかかげ、かすかに微笑ほほえみました。

いくさわった……では、みやこもどるとしよう。陸遜りくそん殿どのにも、一言ひとことれいべねばなりませんな」

 建業けんぎょう宮殿きゅうでんは、いま勝利しょうりしらせでっておりました。

 庭先にわさきにははなやかなきぬまくられ、いくさいわうたげ用意よういすすんでおります。そこへ、甲冑かっちゅういた徐盛じょせい姿すがたせました。

「おやおや、都督ととくさきさかずきかたむけておられましたか?」

 こえをかけたのは、もちろん陸遜りくそんです。酒杯しゅはいに、すずしげなかおかえりました。

「これは徐将軍じょしょうぐん、ご無事ぶじなにより。西陵さいりょういくさ、お見事みごとでした」

「いえいえ、都督ととく夷陵いりょう大勝たいしょうにはとおおよびません。あの火攻ひぜめ、まさしく天才てんさい所業しょぎょう!」

「では、あなたのあめ地上ちじょう雷鳴らいめいといったところでしょうか。わたくしなどは火付ひつやくぎませんよ」

 たがいにわらいながら、徐盛じょせいさかずきに取りました。

「それにしても、夷陵いりょうから西陵さいりょうまで……はこの一月いちがつでずいぶんながかげつくりましたな」

「そのかげひかりすかどうかは、これからのらのかた次第しだいです」

「……ひかりぶには、まずさかずきすことでしょう!」

 わらいながら、徐盛じょせいさけ一気いっきしました。

「それにしても都督ととく、おかお血色けっしょくがずいぶんよろしい。勝利しょうりがよほどうれしかったとえますな」

ってなお、めておりますよ。てきつね油断ゆだんねらっておりますので」

「まったく、あなたは理知的りちてきすぎる。すこしは羽目はめはずされてもよいのでは?」

「では、今宵こよいだけはその忠告ちゅうこくしたがいましょう。さけを、おかわりねがいます」

 よるとばりり、勝者しょうしゃたちのさかずきが次々(つぎつぎ)にたされていきます。

 西陵さいりょうまもいたおとこと、夷陵いりょうほのおあやつったおとこ――その二人ふたりが、おなさけわし、おなそらあおいでおります。

 いくさつかれはふかくとも、こころにはたしかなほこりが宿やどっていました。



223ねん黄武二年こうぶ・にねん

 この年、東南とうなん位置いちする濡須じゅしゅに、大軍たいぐんせてきました。魏の指揮官しきかん曹丕そうひは、魏の二代目皇帝こうていであり、父である曹操そうそう遺志いしを継ぎ、勢力拡大せいりょくかくだい意欲いよくやしていました。

 一方、三国時代さんごくじだい一角いっかくめる勢力であり、東南の防衛ぼうえいにな重要じゅうよう将軍しょうぐん朱然しゅぜんがいました。朱然は元はしょく出身しゅっしんながら呉につかえ、類稀たぐいまれなる戦術眼せんじゅつがん冷静れいせい采配さいはいで知られています。彼の指揮のもと、濡須は堅牢けんろう要塞ようさいとして知られていました。

 この戦いのまえ、呉と魏は長年ながねんにわたり領土りょうどめぐってあらそいをつづけていました。曹丕そうひは、呉の勢力せいりょくけずるために一斉いっせい攻撃こうげき仕掛しかけ、濡須はその戦略せんりゃくじょう重要な拠点きょてんだったのです。

 濡須の砦で、朱然しゅぜん雨雲あまぐもんだそらの下、しずかにかまえていました。兵卒へいそつり、緊急きんきゅう報告ほうこくつたえます。

将軍しょうぐん! 魏軍ぎぐんみなみおかとりできずはじめています!」

 朱然は動揺どうようせず、地図ちずとしました。

連日れんじつ小競こぜいは陽動ようどうだな。ねらいは城門じょうもん正面しょうめんちがいない。第二陣だいにじん西門せいもんうらうつし、矢倉やぐらからは火矢ひやこたえよ」

 魏軍の攻撃こうげき昼夜ちゅうやわず、なみのようにせてきました。重装歩兵じゅうそうほへい城壁じょうへきをよじのぼろうとすれば、呉兵ごへい火矢ひやかけ、あぶら入りのつぼげてふせぎました。

 あるよるてききりいてめてきたとき、城内じょうないとりでがりました。混乱こんらんなか、朱然は冷静れいせいさけびます。

け! おとりだ! てき北門ほくもんねらっている!」

 副将ふくしょう迅速じんそくうごき、朱然の手配てはいした伏兵ふくへいが北門の背後はいごせました。はげしい斬撃ざんげき矢雨やあめが敵をおそい、呉兵は反撃はんげきてんじました。

「呉のらすな!」

 朱然の一喝いっかつき、呉兵は敵をかえし、魏軍はおおくの死傷者ししょうしゃしながら退却たいきゃくしました。

 この戦いの勝利しょうりは、呉にとって重要じゅうよう転機てんきとなりました。濡須をまもいたことで、呉の南東部なんとうぶ防衛ぼうえい安定あんていし、魏の侵攻しんこう一時的いちじてきめたのです。この勝利は呉の士気しきおおいにたかめ、内外ないがいに呉のつよさをしめしました。

 しかし、曹丕そうひもまた、さらなる戦略せんりゃくなおし、呉と魏の緊張きんちょうつづいていきました。この戦いは長い戦乱せんらん一幕ひとまくぎず、両国りょうこく攻防こうぼう今後こんごはげしくかえされることになったのです。



222ねんから223ねん黄武こうぶ元年がんねん二年にねん

――建業けんぎょうみやこ――

 三国鼎立さんごうていりつという時代じだいしょく三国さんごくたがいに勢力せいりょくきそっていました。

 君主くんしゅ孫権そんけんゆたかな江南こうなん土地とちおさめていましたが、きたからのつよ圧力あつりょくつねっていました。

 一方いっぽうしょく諸葛亮しょかつりょうは、劉備りゅうびくなったあと、丞相じょうしょうとしてくに命運めいうん背負せおい、とのたたかいにそなえていました。

 表面上ひょうめんじょう仲良なかよ同盟どうめい関係かんけいえましたが、実際じっさいたがいに警戒けいかいし、たくみにきをつづけていたのです。

 そんななかみやこ建業けんぎょうでは、つるぎぜるたたかいとはちがう、しずかでいきをのむ心理戦しんりせんおこなわれていました。

 部屋へやには書類しょるいやままれ、そのなか陸遜りくそん一字一句いちじいっく慎重しんちょうえらびながらふではしらせていました。

 陸遜りくそん名将めいしょうとして知られるだけでなく、外交がいこう才能さいのうすぐれており、しょくとの微妙びみょう関係かんけいなか利益りえきまも重要じゅうよう役割やくわりになっていました。

 そんなあるしょく諸葛亮しょかつりょうから返書へんしょとどきました。かれ劉備りゅうびのち丞相じょうしょうとしてくに行方ゆくえ左右さゆうする重要人物じゅうようじんぶつです。

 返書へんしょ丁寧ていねい言葉ことばかれていましたが、そのおくにはたがいの出方でかたさぐややかなやいばかくされていました。

 陸遜りくそんはその文章ぶんしょう何度なんども読みよみかえし、感情かんじょうあらわさずに慎重しんちょう対応たいおうすることをこころちかいました。

「ここで動揺どうようしてはいけない。礼儀れいぎくしながらも、相手あいてにこちらのつよさをつたえねば」

 かれは「じゅうよくごうせいす」、つまり柔軟じゅうなん知恵ちえつよちから対抗たいこうすることを信条しんじょうに、返書へんしょをしたためました。

――しかし外交がいこう緊張きんちょうたかめる一方いっぽう戦場せんじょうでははげしいたたかいがつづいていました。

 将軍しょうぐん朱然しゅぜんは、東南とうなん濡須じゅしゅという要衝ようしょうで、大軍たいぐん死闘しとうひろげていました。

 朱然しゅぜん冷静沈着れいせいちんちゃく武将ぶしょうで、てき策略さくりゃく見抜みぬき、たくみに防御ぼうぎょ戦術せんじゅつ展開てんかいしていました。

 てき正面突破しょうめんとっぱけ、陽動作戦ようどうさくせん注意ちゅういきつけ、べつ場所ばしょから攻撃こうげきねらっていましたが、朱然しゅぜんはそれを察知さっちし、伏兵ふくへい配置はいちしてむかちました。

 濡須じゅしゅとりでかたまもられ、侵攻しんこう一時的いちじてき阻止そしされました。

――このようには、陸遜りくそん冷静れいせい外交がいこう朱然しゅぜん勇猛果敢ゆうもうかかんたたかいという二つのちからで、激動げきどう時代じだいえていたのです。

 政治せいじきと、たたかいが交錯こうさくし、未来みらいはまさにここでまろうとしていました。



223ねん黄武こうぶ二年にねん

 とりで西楼せいろうのぼれば、かぜころもをはためかせていました。黄武こうぶ二年にねんはる陸遜りくそん陣営じんえい見回みまわりをえ、いきととのえていました。

そこへ、頑健がんけん足音あしおとともあらわれたのは徐盛じょせいです。かれ孫権そんけん信頼しんらいあつ歴戦れきせんしょうで、剛胆ごうたんにして用心深ようじんぶかく、弓馬きゅうばたくみなおとこです。

「おい、陸兄りくけい。このとりで、なかなかの見晴みはらしですね。……だが、かべの高さ(たかさ)がちとたよりない」

徐盛じょせいをかざしてとおくをやり、にやりとわらいました。

防備ぼうび不備ふびなどと洒落しゃれ余裕よゆうがあるのは結構けっこうですが、とりで構造こうぞうをなめてはなりませんよ。じつのところ、らすには、この程度ていどの“ほどほどさ”がくのです」

「ふむ、さすがは陸兄りくけいさくへいの高さ(たかさ)だけではないと?」

「ええ。たかければよいというものではありません。が“雲梯うんてい”をもちいるようになれば、ぎゃくのぼりやすくなりますから」

雲梯うんてい、ですか。あの、なが梯子はしごのような攻城具こうじょうぐですな」

「そのとおりです。てき接近せっきんしてたら、城壁じょうへき沿わせてへいのぼらせる。火矢かやくのも一手いってですが、雨天うてんではそれもかなわない。よって、うえから“石車せきしゃ”でたたとすのが常道じょうどうです」

石車せきしゃなつかしい。あれは子どものころおとうとどもと手作てづくりしてあそびましたよ」

「その記憶きおくがあれば上々(じょうじょう)です。投石とうせき角度かくど重量じゅうりょう距離きょり……あれをものは、防衛戦ぼうえいせんやくちます。さらに“井闌せいらん”などもあなどれません」

井闌せいらん? ああ、あの移動式いどうしきやぐらか。てきがそれにのぼってめてくると、なかなか厄介やっかいですな」

「ええ。城壁じょうへきとほぼおなじ高さ(たかさ)までげて、はしわたすようにしてへいを送りおくりこんできます。これを破壊はかいするには、“鉤縄こうじょう”でたおすか、けてくずすのが良策りょうさくです」

けばくほど、知恵者ちえしゃばかり。籠城戦ろうじょうせんほねれますな」

「だからこそ、事前じぜんそなえがものいます。とりでしろ三重さんじゅうきずくのが理想りそうです。外壁がいへき中壁ちゅうへき内郭ないかく内側うちがわくほどたかかたくする。もしそとやぶられても、つぎがある」

「まるで、かに甲羅こうらのような構造こうぞうですな。だが、からやぶってなかはいられたら?」

「そのときは、“ごう”です。地面じめんって、しろ周囲しゅういふかみぞつくります。てきの“衝車しょうしゃ”――いわゆる破城槌はじょうづち――の進軍しんぐんめられます」

「なるほど。“衝車しょうしゃ”でもんやぶられるのは、たしかにいたい。おとおそろしいのですよ、あれ。城中じょうちゅうへい士気しきががたちしますから」

「ですからもん内側うちがわには“逆梁ぎゃくりょう”を仕込みます。つまり、やぶられてもたおれぬよう、もん背後はいご横木よこぎわたすのです。地面じめん横木よこぎ隙間すきまに、土嚢どのうめてもよい」

 陸遜りくそんは、左手ひだりてゆびかぜ紙片しへんさえながら、徐盛じょせい見据みすえました。

いくさとは、ちからまるものではありません。きもと、そなえのです。てきなに仕掛しかけてくるかをむことが、ちをせるかぎになります」

「うむ、納得なっとく。――だがな、陸兄りくけい。もしもこのとりでちたとき、どうする?」

「……わたしがいるかぎり、とりでちません」

「ふっ。ったな」

いました」

ふたりはこえわせてわらいました。東風こちが、とりでをかすかにらしておりました。

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