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呉視点三国志:陸遜の章③

220年:黄初(こうしょ)元年

 曹丕(そうひ)という人物が、魏(ぎ)という国の皇帝(こうてい)になった、という知らせが呉(ご)にも届きました。魏と呉はもともと深いつながりがありましたが、最近ではだんだんと緊張(きんちょう)関係が生まれていました。

 特に、**孫権(そんけん)**という武将が治める呉にとっては、魏の動きは大きな関心ごとであり、「どう向き合うべきか」は、とても大切な問題でした。

 呉の都(みやこ)である**建業(けんぎょう)の宮殿(きゅうでん)**では、孫権が広い部屋の中で、静かに机に向かっていました。彼は冷たくも真剣な表情を浮かべ、目の前の文書をじっと見つめていました。

「魏が皇帝を名乗り始めたか……。**曹丕(そうひ)**が即位(そくい)したということは、これで天下の情勢(じょうせい)はもっとややこしくなる、ということなのだな」

 孫権は低い声で、そうつぶやきました。その言葉には、どこか**緊迫感(きんぱくかん)**がにじみ出ておりました。

 彼のすぐそばには、何人かの参謀(さんぼう)――つまり軍や政治の相談役たちが立っており、彼の言葉や態度に注目していました。皆、孫権の次の言葉を待っているようでした。

「魏との関係はどうなるのだ? それとも……我が呉にとってもっと恐(おそ)ろしいのは、蜀(しょく)との関係かもしれんな」

 孫権は続けてそう言いました。その顔には、さっきよりも少し険(けわ)しい表情が浮かんでいました。

 そのとき、**張昭(ちょうしょう)**という年長の参謀が口を開きました。

「我々が呉としてとるべき道は、魏からの圧力をさけつつ、表面上の平和を保つことでしょう。ただし、裏で怪(あや)しい動きがあったときは、すぐに対応する必要があります」

 張昭の言葉に、孫権はしばらく黙って考え込み、やがて静かに口を開きました。

「それでは、もし魏が攻撃をしかけてきた場合は、どうするのだ?」

 この問いに、今度は**徐盛(じょせい)**という将軍が、きっぱりと答えました。

「そのような時が来ましたら、私たちも全力で戦います。ただ、まずは慎重に、今後の動きをよく見ていくべきかと存じます」

 徐盛の落ち着いた発言に、孫権はうなずきながら再び考え込みました。そして再び、こんどは少し静かな声で語り出します。

「だが……蜀との関係も簡単ではない。**劉備(りゅうび)**がどのように動くかが、問題だな」

 蜀の**劉備(りゅうび)**は、以前は孫権と同盟を結び、共に戦った仲でした。しかし、時がたつにつれて、お互いの思惑(おもわく)のズレから、その関係は冷たくなっていったのです。

「劉備は、正義を大切にする男です。ただし、彼の進む道はあくまで『蜀のため』であって、他人のためではありません。もしまた何かがきっかけで対立すれば、我々も争いに巻きこまれることになるでしょう」

 徐盛がそう言うと、孫権はしばし黙ったまま考え込んでいましたが、やがて、きっぱりとした声で言いました。

「それでも、呉は呉として生きていくしかない。魏とはうまくつき合い、蜀との関係も何とか保ちつつ、この混(こ)んだ世の中を、我らは生き抜いていくのだ」

 その言葉を聞いた周囲の家臣(かしん)たちは、皆うなずきました。孫権のその言葉は、呉の未来を決めるための第一歩となるものでした。



220年(こうしょ)黄初(こうしょ)元年

 その数日後、孫権(そんけん)の決断は具体的な形となった。魏(ぎ)の皇帝(こうてい)即位(そくい)を受け、呉(ご)もまた曹丕(そうひ)からの忠誠(ちゅうせい)を示すべく、新たな官職(かんしょく)を任命(にんめい)された。

 その中に、諸葛瑾(しょかつきん)の名(な)があった。彼(かれ)は、孫権(そんけん)の信頼(しんらい)を一身(いっしん)に受けて、綏南将軍(すいなんしょうぐん)に任命(にんめい)され、さらに宛陵侯(えんりょうこう)にも封じられることとなった。

 諸葛瑾(しょかつきん)はその任命(にんめい)を受けて、呉(ご)の政治(せいじ)の一端(いったん)を担う(になう)重要(じゅうよう)な役割(やくわり)を果たすこととなる。彼(かれ)は、元々(もともと)は学問(がくもん)や文才(ぶんさい)に長けて(たけて)おり、呉(ご)の政治(せいじ)・軍事(ぐんじ)においても多くの実績(じっせき)を上げて(あげて)きた。孫権(そんけん)の信任(しんにん)を得て、長年(ながねん)にわたる賢明(けんめい)な助言(じょげん)を通じて(つうじて)呉(ご)を支えて(ささえて)きたが、その中でも特に注目(ちゅうもく)すべきは、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)との調整(ちょうせい)や、呉(ご)と魏(ぎ)との緊張(きんちょう)した関係(かんけい)を維持(いじ)しつつ、巧妙(こうみょう)に外交戦略(がいこうせんりゃく)を繰り広げた(くりひろげた)点(てん)である。

 また、諸葛瑾(しょかつきん)はその政治(せいじ)的(てき)な手腕(しゅわん)だけでなく、兄(あに)である諸葛亮(しょかつりょう)との深い絆(きずな)でも知られて(しられて)いた。二人(ふたり)は幼少期(ようしょうき)から共に学び(ともにまなび)、共に成長(せいちょう)した。諸葛瑾(しょかつきん)が呉(ご)に仕官(しかん)した後(あと)も、常に兄(あに)の助言(じょげん)を受け入れ(うけいれ)、彼(かれ)の影響(えいきょう)を強く(つよく)受けて(うけて)いた。そのため、諸葛瑾(しょかつきん)の姿勢(しせい)や決断(けつだん)の多く(おおく)には、諸葛亮(しょかつりょう)の影響(えいきょう)が色濃く(いろこく)残って(のこって)いた。

 しかし、諸葛瑾(しょかつきん)が呉(ご)のために尽力(じんりょく)している一方(いっぽう)、彼(かれ)の息子(むすこ)である諸葛恪(しょかつかく)は、若くして(わかくして)軍事的(ぐんじてき)な才能(さいのう)を発揮(はっき)し、呉(ご)における軍事(ぐんじ)の要(かなめ)としてその名(な)を知られるようになる。諸葛恪(しょかつかく)は、父(ちち)の指導(しどう)を受けて(うけて)成長(せいちょう)し、次第(しだい)に呉(ご)の軍事(ぐんじ)指導者(しどうしゃ)として台頭(たいとう)していく。

 その夜(よる)、諸葛瑾(しょかつきん)は孫権(そんけん)の前(まえ)で頭(あたま)を下げ(さげ)、こう述べた(のべた)。

「陛下(へいか)のご信頼(しんらい)、深く感謝(かんしゃ)申し上げます。私(わたし)、これからも呉(ご)のために全力(ぜんりょく)を尽くす所存(しょぞん)でございます」

 孫権(そんけん)は静かに(しずかに)頷き(うなずき)、目(め)を細めて(ほそめて)答える(こたえる)。

「お前(まえ)ならば、呉(ご)を守れる(まもれる)だろう。だが、蜀(しょく)との関係(かんけい)、そして魏(ぎ)の動向(どうこう)には十分(じゅうぶん)に注意(ちゅうい)を払え(はらえ)。これからは、お前(まえ)の知恵(ちえ)が必要(ひつよう)だ」

 諸葛瑾(しょかつきん)は、慎重(しんちょう)にその言葉(ことば)を胸(むね)に刻んだ(きざんだ)。

「承知(しょうち)いたしました。呉(ご)を支え(ささえ)、未来(みらい)を切り開く(きりひらく)ため、尽力(じんりょく)いたします」

 一方(いっぽう)で、諸葛瑾(しょかつきん)が呉(ご)のために尽力(じんりょく)している一方(いっぽう)、彼(かれ)の息子(むすこ)である諸葛恪(しょかつかく)は、魏(ぎ)との戦争(せんそう)を見据え(みすえ)た戦略(せんりゃく)や軍事作戦(ぐんじさくせん)に深く(ふかく)関与(かんよ)し、その動向(どうこう)が注目(ちゅうもく)されていた。諸葛恪(しょかつかく)は、若くして(わかくして)その軍事(ぐんじ)的(てき)素養(そよう)を証明(しょうめい)し、父(ちち)に負けず(まけず)劣らず(おとらず)呉(ご)のために戦って(たたかって)いくことを誓った(ちかった)。孫権(そんけん)は諸葛恪(しょかつかく)の進言(しんげん)を重視(じゅうし)し、彼(かれ)の若いながらも確かな(たしかな)判断力(はんだんりょく)を信じ(しんじ)、重責(じゅうせき)を担わせる(になわせる)こととなる。



221年から222年:章武(しょうぶ)元年から2年

 呉(ご)の宮殿(きゅうでん)に、蜀(しょく)の大軍(たいぐん)が進軍(しんぐん)してくるという知らせが届(とど)いたのは、真夏(まなつ)の蝉(せみ)が鳴(な)き始(はじ)めるころでございました。

 その報告(ほうこく)に、孫権(そんけん)殿(どの)は静(しず)かに頷(うなず)かれ、すでに腹(はら)を決(き)めておられるご様子(ようす)でございました。劉備(りゅうび)殿(どの)が動(うご)く――それはつまり、呉(ご)にとって避(さ)けては通(とお)れぬ一大事(いちだいじ)にございます。

 とはいえ、すぐさま剣(けん)を取(と)るのではなく、まず孫権(そんけん)殿(どの)は和解(わかい)の使者(ししゃ)を出(だ)されました。

「戦(たたか)わずに済(す)むなら、それに越(こ)したことはない」

 そう仰(おお)せになり、劉備(りゅうび)殿(どの)に対(たい)して、平和的(へいわてき)な解決(かいけつ)を求(もと)められたのでございます。しかし、その返答(へんとう)はあまりに冷(つめ)たうございました。

「孫権(そんけん)よ。我(われ)が義弟(ぎてい)の仇(あだ)を、討(う)たねばならぬ。罪(つみ)は重(おも)い。贖(あがな)う術(すべ)などない」

 劉備(りゅうび)殿(どの)のお言葉(ことば)は、まるで呉(ご)の未来(みらい)を断(た)ち切(き)る刃(やいば)のようでございました。

 孫権(そんけん)殿(どの)は深(ふか)く息(いき)を吐(は)かれ、軍議(ぐんぎ)の席(せき)にて、諸将(しょしょう)を前(まえ)に宣言(せんげん)なされました。

「――陸遜(りくそん)、お前(まえ)にこの戦(いくさ)を託(たく)す」

 そのお声(こえ)は、決意(けつい)に満(み)ち、けれど重(おも)く静(しず)かでございました。若(わか)き将軍(しょうぐん)・陸遜(りくそん)殿(どの)は、わずかに眉(まゆ)を寄(よ)せながらも、すぐさま頭(こうべ)を垂(た)れます。

「お引(ひ)き受(う)けいたします。ただし、私(わたくし)の策(さく)は正面(しょうめん)からの戦(たたか)いではございません。持久戦(じきゅうせん)に持(も)ち込(こ)み、蜀軍(しょくぐん)を消耗(しょうもう)させます」

「持久戦(じきゅうせん)……それで勝(か)てるのか?」

 諸将(しょしょう)がざわめく中(なか)、陸遜(りくそん)殿(どの)は一歩(いっぽ)も引(ひ)かず、淡々(たんたん)と答(こた)えられました。

「はい。敵(てき)は勢(いきお)いこそありますが、長期戦(ちょうきせん)となれば我(われ)らが有利(ゆうり)です。しかも、この地形(ちけい)――呉(ご)の山河(さんが)は我(われ)らの味方(みかた)。彼(かれ)らの足元(あしもと)をすくうことができます」

 しばし考(かんが)え込(こ)まれた孫権(そんけん)殿(どの)は、やがて静(しず)かに頷(うなず)かれました。

「――よい。お前(まえ)の策(さく)に賭(か)けよう。朱然(しゅぜん)、潘璋(はんしょう)、お前(まえ)たちも陸遜(りくそん)に従(したが)え」

 こうして、呉(ご)の諸将(しょしょう)は動(うご)き始(はじ)め、夷陵(いりょう)にて大戦(たいせん)の幕(まく)が上(あ)がるのでございます。



◯222年

『夷陵(いりょう)、開戦前夜(かいせんぜんや)』

 蜀(しょく)の大軍(たいぐん)が夷陵(いりょう)に迫(せま)ったころ、陸遜(りくそん)殿(どの)はすでに準備(じゅんび)を終(お)えておられました。朱然(しゅぜん)殿(どの)と潘璋(はんしょう)殿(どの)を先鋒(せんぽう)とし、丘陵(きゅうりょう)の地(ち)に巧(たく)みに陣(じん)を張(は)っておられたのです。

「陸遜(りくそん)殿(どの)、蜀軍(しょくぐん)、丘(おか)の南側(みなみがわ)から攻(せ)めかけてきます! 速度(そくど)が予想(よそう)以上(いじょう)です!」

 駆(か)けつけた朱然(しゅぜん)殿(どの)の報告(ほうこく)に、陸遜(りくそん)殿(どの)は少(すこ)しも動(どう)じることなく、静(しず)かに応(こた)えられました。

「焦(あせ)ることはありません。彼(かれ)らの勢(いきお)いに乗(の)せられてはなりません。我々(われわれ)は粘(ねば)り強(づよ)く、しっかり守(まも)りを固(かた)めて、時(とき)を待(ま)ちましょう」

 朱然(しゅぜん)殿(どの)は一歩(いっぽ)下(さ)がってから、ふと振(ふ)り返(かえ)って尋(たず)ねました。

「陸遜(りくそん)殿(どの)、もし我(われ)らの陣(じん)が崩(くず)された場合(ばあい)は?」

「退路(たいろ)を確保(かくほ)しつつ、冷静(れいせい)に再配置(さいはいち)を行(おこな)います。撤退(てったい)は許(ゆる)しませんが、無理(むり)に突(つ)っ込(こ)む必要(ひつよう)もありません。敵(てき)が疲(つか)れた時(とき)、それが我(われ)らの好機(こうき)です」

「承知(しょうち)いたしました」

 そして、戦(いくさ)の火蓋(ひぶた)が切(き)って落(お)とされます。蜀軍(しょくぐん)は怒涛(どとう)の勢(いきお)いで攻(せ)め寄(よ)せ、戦場(せんじょう)はまさしく火(ひ)が吹(ふ)くような騒然(そうぜん)たる有様(ありさま)と化(か)しました。

『火中(かちゅう)の戦(たたか)い』

「――守(まも)れ! この城(しろ)は渡(わた)させるな!」

 朱然(しゅぜん)殿(どの)の怒声(どせい)が戦場(せんじょう)を貫(つらぬ)きます。潘璋(はんしょう)殿(どの)の兵(へい)もまた、後方(こうほう)から堅(かた)く支(ささ)え、蜀軍(しょくぐん)の矢面(やおもて)に立(た)ち続(つづ)けておられました。

「まだだ、まだいける! 耐(た)えろ、皆(みな)!」

 その叫(さけ)びが響(ひび)く中(なか)、陸遜(りくそん)殿(どの)は遠(とお)く離(はな)れた丘(おか)の上(うえ)から、じっと戦場(せんじょう)を見下(みお)ろしておられました。そして、敵軍(てきぐん)の乱(みだ)れを見逃(みのが)さず、静(しず)かに命(めい)じられました。

「今(いま)だ。全軍(ぜんぐん)、反転(はんてん)して包囲(ほうい)に移(うつ)れ!」

 その瞬間(しゅんかん)、呉軍(ごぐん)は一斉(いっせい)に動(うご)き出(だ)しました。鬨(とき)の声(こえ)とともに反撃(はんげき)が始(はじ)まり、勢(いきお)いを失(うしな)った蜀軍(しょくぐん)は、次第(しだい)に混乱(こんらん)の色(いろ)を濃(こ)くしていきます。

「退(しりぞ)け、退(しりぞ)けーっ! 後退(こうたい)せよ!」

 蜀(しょく)の指揮官(しきかん)の声(こえ)が響(ひび)いたとき、すでに戦(いくさ)の天秤(てんびん)は傾(かたむ)いておりました。火(ひ)に包(つつ)まれた山野(さんや)の中(なか)で、陸遜(りくそん)殿(どの)の冷静(れいせい)な采配(さいはい)が、勝利(しょうり)の道(みち)を切(き)り開(ひら)いていたのです。



221年から222年:章武(しょうぶ)元年から2年

 雨の音が、しとしとと軍営(ぐんえい)の天幕(てんまく)を叩(たた)いておりました。濡(ぬ)れた草の匂(にお)いに混(ま)じって、干(ほ)した麦(むぎ)の残(のこ)り香(が)がかすかに鼻(はな)をくすぐります。朱然(しゅぜん)は帳中(ちょうちゅう)に腰(こし)を下(お)ろし、火鉢(ひばち)に手(て)をかざしました。

「おい、陸兄(りくけい)。これ、何(なん)の粥(かゆ)です? なんだか、豆(まめ)とも麦(むぎ)ともつかぬ妙(みょう)な食感(しょっかん)でして」

 朱然(しゅぜん)は匙(さじ)をくるくると弄(もてあそ)びながら、目(め)を細(ほそ)めて問(と)います。帳中(ちょうちゅう)には、陸遜(りくそん)が静(しず)かに腰(こし)を下(お)ろしておりました。

「それは“糗(きゅう)”です」

「……なんですと?」

「穀物(こくもつ)を炒(い)って乾(かわ)かし、粉(こな)にして、塩(しお)と混(ま)ぜるのです。戦(いくさ)が長引(ながび)くと、こういう保存食(ほぞんしょく)がありがたいのですよ。水(みず)に溶(と)けば粥(かゆ)になりますし、そのままでも腹(はら)を満(み)たせます」

 陸遜(りくそん)は、やや得意気(とくいげ)な笑(え)みを浮(う)かべております。彼(かれ)は若(わか)き大都督(だいととく)。文弱(ぶんじゃく)と侮(あなど)られた知将(ちしょう)にして、いまこの呉(ご)の兵(へい)を率(ひき)いて劉備(りゅうび)に立(た)ち向(む)かう大任(たいいん)を担(にな)っておりました。

「いやあ……うまいとは言(い)いませんが、不思議(ふしぎ)と腹(はら)に落(お)ち着(つ)きますな。おおかた兵糧(ひょうろう)の尽(つ)きた籠城戦(ろうじょうせん)でも、これが命綱(いのちづな)ですか」

「まさしく」

 陸遜(りくそん)は椀(わん)を指(ゆび)で弾(はじ)き、音(おと)を確(たし)かめるようにして言(い)いました。

「野戦(やせん)と籠城戦(ろうじょうせん)では、必要(ひつよう)となる食糧(しょくりょう)の種類(しゅるい)も違(ちが)います。籠城(ろうじょう)のときは、備蓄(びちく)が命(いのち)。干(ほ)し米(ごめ)、乾麺(かんめん)、糗(きゅう)、干(ほ)し肉(にく)など、水分(すいぶん)を断(た)って長期保存(ちょうきほぞん)できるものを用意(ようい)します」

「干(ほ)し肉(にく)……ああ、あのしょっぱくて固(かた)いやつ。歯(は)が折(お)れそうでしたな」

「それが命(いのち)の味(あじ)です。輸送(ゆそう)は、基本(きほん)は車(くるま)か船(ふね)。舟(ふな)を伴(ともな)って水路(すいろ)を押(お)さえれば、補給線(ほきゅうせん)は強固(きょうこ)になります。が、今回はそれを狙(ねら)われた」

 陸遜(りくそん)の声(こえ)が少(すこ)しだけ低(ひく)くなりました。

「劉備(りゅうび)は水路(すいろ)を避(さ)け、陸路(りくろ)で進軍(しんぐん)してきました。まこと、兵糧戦(ひょうろうせん)を読(よ)んでのこと。もし我(われ)らが長江(ちょうこう)を伝(つた)って補給(ほきゅう)していたら、途中(とちゅう)で断(た)たれておりましたでしょう」

「なるほど、計算(けいさん)の上(うえ)ですか。が、こちとらも黙(だま)ってはおりませんよ」

「もちろん」

 陸遜(りくそん)は唇(くちびる)の端(はし)をわずかに上(あ)げました。

「我(われ)ら呉軍(ごぐん)は、補給線(ほきゅうせん)をいくつにも分(わ)け、主力部隊(しゅりょくぶたい)とは別(べつ)に糧道(りょうどう)を築(きず)きました。場合(ばあい)によっては、敵中(てきちゅう)に潜(ひそ)ませた郷人(ごうじん)を使(つか)って、草(くさ)や木(き)の根(ね)、皮(かわ)など地元(じもと)の食材(しょくざい)で食糧(しょくりょう)を補(おぎな)うのです」

「草(くさ)や木(き)の根(ね)と皮(かわ)! それ、食(く)えるのですか?」

「食(く)わねば死(し)にます。飢(う)えた兵(へい)にとっては、土(つち)も粥(かゆ)に見(み)える」

「なるほど……命(いのち)の味(あじ)は、薄味(うすあじ)ですな」

「それでも、戦(いくさ)は終(お)わりません」

 風(かぜ)がふっと帳(とばり)の隙間(すきま)から吹(ふ)き抜(ぬ)け、二人(ふたり)の袂(たもと)を揺(ゆ)らしました。

「朱然(しゅぜん)。長(なが)い戦(たたか)いになります。兵糧(ひょうろう)を制(せい)す者(もの)が、戦(いくさ)を制(せい)する。勝負(しょうぶ)は、胃袋(いぶくろ)の中(なか)から始(はじ)まっているのです」

「……心得(こころえ)ました。兵糧係(ひょうろうがかり)の隊長(たいちょう)にも、明朝(みょうちょう)もう一度(いちど)、念(ねん)を押(お)しておきましょう」

「ええ、お願いします」

 外(そと)では、雨(あめ)が小止(こや)みになり、蝉(せみ)がひときわ強(つよ)く鳴(な)き始(はじ)めました。いずれ来(き)たる決戦(けっせん)の日(ひ)。その日(ひ)のため、粥(かゆ)一椀(いちわん)にさえ、命(いのち)の計(はか)りごとが張(は)り巡(めぐ)らされていたのです。

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