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呉視点三国志:陸遜の章①

■198年〜200年ごろ(建安三年〜建安五年)

 春(はる)の午後(ごご)、呉郡(ごぐん)呉県(ごけん)――陸家(りくけ)の屋敷(やしき)では、白(しろ)い塀(へい)に木漏(こも)れ日(び)がやさしく差(さ)し込(こ)んでいた。

 書斎(しょさい)で筆(ふで)を止(と)めた青年(せいねん)・陸遜(りくそん)は、ひとつ大(おお)きく息(いき)を吐(は)いた。

「……伯言(はくげん)兄上(あにうえ)。学府(がくふ)から、またお手紙(てがみ)が届(とど)いていますよ」

 廊下(ろうか)から顔(かお)を出(だ)したのは、いとこの陸績(りくせき)。まだ少年(しょうねん)だが、利発(りはつ)さを感(かん)じさせる穏(おだ)やかな笑(え)みを浮(う)かべていた。

「ありがとう。そこに置(お)いてくれ」

 陸遜(りくそん)はおだやかに応(こた)えたが、手(て)に持(も)った筆先(ふでさき)がわずかに揺(ゆ)れていた。

 手紙(てがみ)の差出人(さしだしにん)には、はっきりとこう書(か)かれていた――孫権(そんけん)。

 その名前(なまえ)は、かつて自分(じぶん)の祖父(そふ)・陸康(りくこう)を滅(ほろ)ぼした一族(いちぞく)の名(な)だった。

――建安二年(けんあんにねん)(西暦一九七年(せいれきいちきゅうななねん))。

祖父(そふ)の陸康(りくこう)は、呉郡太守(ごぐんたいしゅ)として地元(じもと)を治(おさ)めていたが、

勢力(せいりょく)を拡大(かくだい)していた孫策(そんさく)と対立(たいりつ)し、敗(やぶ)れて命(いのち)を落(お)とした。

「兄上(あにうえ)……悩(なや)んでおられるのですか?」

「……いや。これも時(とき)の流(なが)れというものだよ」

ぽつりと漏(も)らした陸遜(りくそん)の声(こえ)に、陸績(りくせき)は不思議(ふしぎ)そうに首(くび)をかしげた。

「敵(てき)だった家(いえ)に仕(つか)えるつもりなんですか?」

「敵(てき)ではなくなるときが来(く)るのだ。孫策(そんさく)殿(どの)はもう亡(な)くなっている。今(いま)、国(くに)を率(ひき)いているのはその弟(おとうと)の孫権(そんけん)殿(どの)。私怨(しえん)を抱(いだ)えて生(い)きる気(き)はないよ。私(わたし)の望(のぞ)みは、義(ぎ)をもって世(よ)の中(なか)を正(ただ)すことだ」

 若(わか)き陸遜(りくそん)の表情(ひょうじょう)には、すでに一人前(いちにんまえ)の武人(ぶじん)としての風格(ふうかく)が見(み)え始(はじ)めていた。

 やがて彼(かれ)は正式(せいしき)に孫権(そんけん)に仕(つか)えることとなる。最初(さいしょ)に任(まか)されたのは、兵糧(ひょうろう)――つまり軍(ぐん)の食料管理(しょくりょうかんり)という、目立(めだ)たないがとても重要(じゅうよう)な役目(やくめ)だった。

「米(こめ)が足(た)りないのなら、倉庫(そうこ)を調(しら)べ直(なお)して、流通(りゅうつう)の仕組(しく)みを見直(みなお)す必要(ひつよう)があります」

「言(い)うのは簡単(かんたん)だが、誰(だれ)も本気(ほんき)で動(うご)こうとはしない」

「では、私(わたし)が動(うご)かしてみせます」

 陸遜(りくそん)は自(みずか)ら現場(げんば)へ足(あし)を運(はこ)び、民(たみ)の声(こえ)を聞(き)き、倉庫(そうこ)を検分(けんぶん)し、制度(せいど)をひとつずつ正(ただ)していった。声高(こわだか)に自分(じぶん)を売(う)り込(こ)むのではなく、実直(じっちょく)な行動(こうどう)によって信頼(しんらい)を勝(か)ち取(と)っていく――それが彼(かれ)のやり方(かた)だった。

 ある夜(よる)、孫権(そんけん)は臣下(しんか)の名簿(めいぼ)をめくりながら、静(しず)かに言(い)った。

「……陸家(りくけ)は名門(めいもん)だ。だが伯言(はくげん)は、それに驕(おご)ることもない。よき人物(じんぶつ)だ」

 そして、やがて陸家(りくけ)に、思(おも)いもよらぬ縁談(えんだん)の話(はなし)が舞(ま)い込(こ)む。

「孫策(そんさく)殿(どの)の娘(むすめ)を、陸遜(りくそん)に嫁(とつ)がせたいとのことです」

「……孫策(そんさく)の、娘(むすめ)?」

驚(おどろ)いたように声(こえ)を上(あ)げた陸績(りくせき)が、兄(あに)を見(み)る。

「兄上(あにうえ)……それって、敵(てき)だった家(いえ)の娘(むすめ)では……?」

「もう違(ちが)うさ」

陸遜(りくそん)はゆっくりと首(くび)を振(ふ)った。

「孫策(そんさく)殿(どの)の死(し)から十年以上(じゅうねんいじょう)が過(す)ぎた。世(よ)の中(なか)も、人(ひと)も変(か)わっていく。孫家(そんけ)と陸家(りくけ)が手(て)を取(と)り合(あ)うときが来(き)たのだ」

「……でも、本当(ほんとう)に許(ゆる)せるんですか? 祖父様(おじいさま)を討(う)った家(いえ)ですよ?」

「許(ゆる)すとか許(ゆる)さないではない。祖父(そふ)は義(ぎ)を貫(つらぬ)いて命(いのち)を捨(す)てた。それは立派(りっぱ)なことだ。だが、私(わたし)はこの時代(じだい)の義(ぎ)に従(したが)って生(い)きる。民(たみ)のため、国(くに)のために、過去(かこ)の因縁(いんねん)を超(こ)えていかねばならない」

それは、儒者(じゅしゃ)としても、武将(ぶしょう)としても、そして家(いえ)を継(つ)ぐ者(もの)としても、深(ふか)い覚悟(かくご)のこもった言葉(ことば)だった。

こうして陸遜(りくそん)は孫策(そんさく)の娘(むすめ)を妻(つま)に迎(むか)えることになった。

単(たん)なる政略結婚(せいりゃくけっこん)ではなく、孫権(そんけん)からの厚(あつ)い信頼(しんらい)と誠意(せいい)の証(あかし)だった。

それは、かつて敵(てき)同士(どうし)だった二(ふた)つの家(いえ)が、本当(ほんとう)の意味(いみ)で和解(わかい)した証(あかし)でもあった。

「兄上(あにうえ)。もし祖父様(おじいさま)が、天(てん)から私(わたし)たちを見(み)ておられたら……どう思(おも)われますか?」

「きっと、微笑(ほほえ)んでおられるだろう。――民(たみ)が苦(くる)しまない道(みち)を、私(わたし)たちは選(えら)んだのだからな」

風(かぜ)に揺(ゆ)れる庭(にわ)の紅梅(こうばい)が、静(しず)かにうなずくように咲(さ)いていた。

後(のち)に、陸遜(りくそん)の息子(むすこ)である陸抗(りくこう)も、孫権(そんけん)の娘(むすめ)を妻(つま)に迎(むか)えることになる。

時代(じだい)を越(こ)えて結(むす)ばれていく、陸家(りくけ)と孫家(そんけ)。

それは復讐(ふくしゅう)ではなく、義(ぎ)と信頼(しんらい)によってつながれた、本当(ほんとう)の絆(きずな)だった。



210年代後半から220年代初頭:建安(けんあん)末年から、三国時代・呉(ご)の黄武(こうぶ)年間初頭頃

 建安(けんあん)末年(まつねん)から、三国(さんごく)時代(じだい)・呉(ご)の黄武(こうぶ)年間(ねんかん)初頭(しょとう)――

 丹陽(たんよう)の山中(さんちゅう)に、またも狼煙(のろし)が上(あ)がりました。山越族(さんえつぞく)の反乱(はんらん)です。

 会稽(かいけい)、鄱陽(はよう)、丹陽(たんよう)――三(みっ)つの州(しゅう)にまたがるこの騒(さわ)がしは、呉(ご)の安定(あんてい)を根底(こんてい)から揺(ゆ)るがしかねませんでした。

 軍議(ぐんぎ)の席(せき)は、重苦(おもくる)しい沈黙(ちんもく)に包(つつ)まれていました。将(しょう)たちの顔(かお)は険(けわ)しく、兵士(へいし)たちの囁(ささや)きも絶(た)えません。

 その中(なか)で、ただ一人(ひとり)。

 陸遜(りくそん)は静(しず)かに茶(ちゃ)を啜(すす)っていました。

 「伯言(はくげん)、お前(まえ)、聞(き)いておるのか?」

 隣(となり)で肘(ひじ)を突(つ)いてきたのは、呂範(りょはん)でした。孫策(そんさく)の代(だい)から仕(つか)える古参(こさん)で、どこか兄貴分(あにきぶん)の風情(ふぜい)を漂(ただよ)わせる男(おとこ)です。

 「ええ、耳(みみ)には届(とど)いております。ただ、口(くち)を開(ひら)くほどの混迷(こんめい)でもありませんので」

 「おぬしはいつもそれだな。敵(てき)は山(やま)にこもって地(ち)の利(り)を得(え)ておるぞ? 攻(せ)めあぐねて当然(とうぜん)だろう」

 「簡単(かんたん)なことです」

 陸遜(りくそん)は椀(わん)をそっと卓(たく)に置(お)きました。

 「山(やま)に上(のぼ)らなければ良(よ)いのです」

 「……へ?」

 呂範(りょはん)が間(ま)の抜(ぬ)けた声(こえ)を出(だ)すのも無理(むり)はありませんでした。

 その時(とき)、孫権(そんけん)が声(こえ)を発(はっ)します。

 「陸遜(りくそん)、意見(いけん)があるなら申(もう)せ」

 「は」

 陸遜(りくそん)は一礼(いちれい)し、ゆっくりと立(た)ち上(あ)がります。

 「敵(てき)は散(ち)り散(ぢ)りになり、しかも深(ふか)い山(やま)に潜(ひそ)んでおります。下手(へた)に攻(せ)めれば、泥沼(どろぬま)に引(ひ)きずり込(こ)まれましょう。ならば――」

 「ならば?」

 「彼(かれ)らの腹(はら)と心(こころ)を、押(お)さえます」

 一同(いちどう)、どよめきました。

 「兵糧攻(ひょうろうぜ)め、か?」

 誰(だれ)かが問(と)いかけます。

 「いえ。民(たみ)の心(こころ)を攻(せ)めるのです」

 陸遜(りくそん)の瞳(ひとみ)は静(しず)かに澄(す)んでいました。

 策(さく)はこうです。まず、山(やま)のふもとの村々(むらむら)に小隊(しょうたい)を分(わ)けて配置(はいち)し、交易路(こうえきろ)をすべて遮断(しゃだん)します。次(つぎ)に、投降(とうこう)した者(もの)には米(こめ)と畑(はたけ)、そして家族(かぞく)の保護(ほご)を約束(やくそく)するのです。

 「力(ちから)ではなく、誠(まこと)をもって敵(てき)を懐柔(かいじゅう)します」

 それが陸遜(りくそん)の方針(ほうしん)でした。

 数日後(すうじつご)――。

 「伯言様(はくげんさま)! 第一(だいいち)の集落(しゅうらく)が投降(とうこう)してきました!」

 副将(ふくしょう)が駆(か)け込(こ)んできます。

 「それは良(よ)かった。次(つぎ)の村(むら)へ向(む)かいましょう」

 「よろしいのですか? 一戦(いっせん)も交(まじ)えず……」

 「一戦(いっせん)せずに済(す)むなら、それに越(こ)したことはありません」

 陸遜(りくそん)は穏(おだ)やかに微笑(ほほえ)みました。

 しかし、すべての山越族(さんえつぞく)が話(はな)しの通(つう)じる相手(あいて)とは限(かぎ)りませんでした。

 ある夜(よる)、闇(やみ)に紛(まぎ)れて火矢(ひや)が飛(と)び交(か)います。

 「敵襲(てきしゅう)です! 陣(じん)に火(ひ)が――!」

 「……彼(かれ)らも、血気盛(けっきざか)んなようですね」

 陸遜(りくそん)は袍(ほう)をはためかせて立(た)ち上(あ)がります。

 「川沿(かわぞ)いまで誘導(ゆうどう)しましょう。火(ひ)には水(みず)です。流(なが)れに乗(の)せて敵(てき)を散(ち)らし、包囲(ほうい)して叩(たた)きます。伏兵(ふくへい)はすでに配置(はいち)してあります」

 「配置(はいち)して……あるのですか!?」

 副将(ふくしょう)の声(こえ)は裏返(うらがえ)ります。

 「この地(ち)の道筋(みちすじ)など、民(たみ)に聞(き)けばすぐに分(わ)かります」

 号令(ごうれい)と共(とも)に、兵(へい)が一斉(いっせい)に動(うご)きました。

 山道(さんどう)を駆(か)け、谷(たに)を下(くだ)り、川(かわ)を渡(わた)ります。濡(ぬ)れた足(あし)で跳(は)ね上(あ)がり、獣道(けものみち)を走(はし)り抜(ぬ)けて敵(てき)の背後(はいご)を突(つ)きました。

 斬!

 突!

 剣(けん)が火花(ひばな)を散(ち)らし、矢(や)が宙(ちゅう)を裂(さ)きます。

 「伏兵(ふくへい)だと!? なぜ我(われ)らの裏(うら)を――!」

 「道(みち)は、生(い)きる者(もの)が知(し)っております」

 陸遜(りくそん)の声(こえ)が、雨(あめ)のように静(しず)かに、敵(てき)の心(こころ)を貫(つらぬ)きました。

 こうして反乱(はんらん)は鎮圧(ちんあつ)されました。

 その後(のち)、陸遜(りくそん)は各地(かくち)の村(むら)を巡(めぐ)り、傷(きず)ついた民(たみ)に手(て)を差(さ)し伸(の)べていきます。

 「今日(きょう)からお前(まえ)たちは呉(ご)の民(たみ)です。戸籍(こせき)に名(な)を記(しる)し、家(いえ)と田畑(たはた)を与(あた)えましょう」

 「……わ、我(われ)らを殺(ころ)さぬのか?」

 「殺(ころ)して何(なに)になりましょう。共(とも)に耕(たがや)し、共(とも)に生(い)きていけば、それで良(よ)いのです」

 このとき戸籍(こせき)に編入(へんにゅう)された山越(さんえつ)の民(たみ)は、数千人(すうせんにん)に及(およ)びました。

 その中(なか)で、壮丁(そうてい)の者(もの)たちは志願兵(しがんへい)となり、やがて数万(すうまん)の兵力(へいりょく)へと成長(せいちょう)していきました。

 「伯言様(はくげんさま)……その……兵(へい)が多(おお)すぎて、飯(めし)が足(た)りませぬ……」

 副将(ふくしょう)が額(ひたい)を押(お)さえながら呟(つぶや)きます。

 「ならば君(きみ)が、二人分(ふたりぶん)働(はたら)けばよろしい」

 「えぇ……妙(みょう)に納得(なっとく)してしまいました……」

 「そういう者(もの)を、良(よ)き将(しょう)と申(もう)します」

 陸遜(りくそん)は、軽(かろ)やかに笑(わら)いました。

 刃(やいば)ではなく、理(ことわり)で制(せい)す。

 血(ち)ではなく、義(ぎ)で導(みちび)く。

 静(しず)かなるその戦(たたか)いは、確(たし)かに呉(ご)の地(ち)に根(ね)を張(は)り、未来(みらい)へと続(つづ)いていきます。



219年:建安(けんあん)二十四年

 関羽(かんう)は樊城(はんじょう)を包囲(ほうい)し、魏(ぎ)の将軍・曹仁(そうじん)を四面楚歌(しめんそか)に追い込んでいました。漢中王(かんちゅうおう)としての威厳(いげん)は、荊州(けいしゅう)をも呑み込み、魏(ぎ)はまさに風前(ふうぜん)の灯火(ともしび)のような状況でした。

 「これが義(ぎ)の大軍(たいぐん)だ!魏(ぎ)など、あと一押しで倒せるぞ!」

 「北へ進軍(しんぐん)する日も、もうすぐだな!」

 関羽(かんう)の軍(ぐん)の兵(へい)たちは勝利(しょうり)を確信(かくしん)し、戦勝(せんしょう)の喜びを胸(むね)に抱(だ)いていました。

 一方、呉(ご)の陣営(じんえい)では、幕舎(ばくしゃ)の中(なか)で、若(わか)き軍師(ぐんし)が静かに考えていました。名は陸遜(りくそん)、字(あざな)は伯言(はくげん)。彼(かれ)は、名将(めいしょう)陸績(りくせき)の甥(おい)であり、若(わか)くして文(ぶん)と武(ぶ)に優れた才人(さいじん)でした。朝議(ちょうぎ)にも参加し、老将(ろうしょう)たちにも一目(いちもく)置かれる存在でした。

 「伯言(はくげん)、本当にこれでうまくいくのか?」

 呂蒙(りょもう)が布団(ふとん)の中から顔(かお)をのぞかせ、心配(しんぱい)そうに聞(き)きました。呂蒙(りょもう)は孫権(そんけん)に仕える猛将(もうしょう)であり、近年(きんねん)は病(やまい)のため、寝(ね)込んでいました。

 「うまくいきます。ただし、今のあなたの顔(かお)のままなら、ですが」

 「この顔(かお)で三日(みっか)も粥(かゆ)か……。もう、夢(ゆめ)の中にまで米粒(こめつぶ)が出(で)てきそうだ」

 「胃(い)がすり減(へ)っても、戦略(せんりゃく)は鋭(するど)いですから」

 呂蒙(りょもう)は病(やまい)に伏(ふ)していたとされていますが、実際(じっさい)はその体調(たいちょう)を理由(りゆう)に、陸遜(りくそん)が代わりに軍(ぐん)の指揮(しき)を執(と)っていたのです。呉(ご)は関羽(かんう)が魏(ぎ)に気を取(と)られている隙(すき)を突(つ)いて荊州(けいしゅう)を取り戻す計画(けいかく)を立てていたのです。

 「関羽(かんう)将軍(しょうぐん)は、こちらの動き(うごき)に気づいていないはずです。だからこそ、じっとしているのが最(もっと)も効果的(こうかてき)な戦法(せんぽう)です」

 「動かずして勝(か)てる戦法(せんぽう)があるものか?」

 布団(ふとん)の中から呂蒙(りょもう)の声(こえ)が響(ひび)きました。彼(かれ)は少し(すこし)笑(わら)いながら言いました。

 「敵(てき)が動(うご)くまで、我(われ)は石(いし)のように動かないべきです。石(いし)は動かなくても、最終的(さいしゅうてき)には山(やま)を崩すことができます」

 その夜(よる)、冷(つめ)たい東風(こち)が陣営(じんえい)を吹(ふ)き抜け、月(つき)の光(ひかり)が静かに川面(かわも)を照らしていました。呉(ご)の兵(へい)たちは静かに舟(ふね)を出し、夜の闇(やみ)に紛(まぎ)れて動き(うご)き始めました。

 「今(いま)です。風(かぜ)が呼んでいます」

 陸遜(りくそん)の冷静(れいせい)な声(こえ)に従(したが)い、呉(ご)の兵(へい)たちは無音(むおん)で移動(いどう)を続けました。兵(へい)たちは川(かわ)を渡り、陸(りく)を越(こ)え、関羽(かんう)の背後(はいご)へと忍(しの)び寄りました。

 突(とつ)! 斬(ざん)! 矢(や)が飛(と)び、剣(けん)が火花(ひばな)を散(ち)らしました。

 「敵襲(てきしゅう)っ!? 南(みなみ)から――まさか、呉(ご)が!?」

 「関将軍(かんしょうぐん)! 荊州(けいしゅう)が奪(うば)われました!」

 「何(なに)!? 呂蒙(りょもう)は病(やまい)で動けないはず……」

 「申し訳(もうしわけ)ありません。“病(やまい)”だったのは、真実(しんじつ)ではありません」

 陸遜(りくそん)の軍(ぐん)は、計画通(けいかくどお)りに次々(つぎつぎ)と敵(てき)の拠点(きょてん)を制圧(せいあつ)しました。敵(てき)も民(たみ)も混乱(こんらん)している間(あいだ)もなく、次々(つぎつぎ)と押し寄せました。

 「追撃(ついげき)はしなくてよい。まずは城(しろ)の整理(せいり)を行(おこな)おう」

 陸遜(りくそん)は民(たみ)に米(こめ)や塩(しお)を与え、略奪(りゃくだつ)を禁止(きんし)しました。捕(と)らえた敵兵(てきへい)も斬(き)らず、その家族(かぞく)を探し出し、保護(ほご)しました。

 「ここに残(のこ)る者(もの)は呉(ご)の民(たみ)です。彼ら(かれら)に土地(とち)を与え、耕作(こうさく)を許可(きょか)します」

 民(たみ)は驚(おどろ)き、涙(なみだ)を流(なが)しました。

 「なぜ、私たちを殺(ころ)さないのです?」

 「刃(やいば)で征(せい)しても、ただ憎しみ(にくしみ)を残すだけです。信頼(しんらい)で結(むす)べば、長(なが)い年月(ねんげつ)の基盤(きばん)となります」

 こうして、戦(たたか)わずして民心(みんしん)を得(え)た陸遜(りくそん)の軍(ぐん)は、数(かず)千(せん)の兵(へい)を持つに匹敵(ひってき)しました。

 戦後(せんご)、孫権(そんけん)は静かに杯(さかずき)を掲げました。

 「若(わか)い者(もの)の中で最(もっと)も恐(おそ)ろしいのは誰(だれ)かと聞かれれば――」

 「答(こた)えは、ただ一人(ひとり)だ。陸伯言(りくはくげん)。その才(さい)は霜(しも)の刃(やいば)のように鋭(するど)く、その心(こころ)は炉火(ろか)のように温かい」

 呂蒙(りょもう)は布団(ふとん)から顔(かお)を出し、笑(わら)いながら言いました。

 「まったく……最後(さいご)には、粥(かゆ)の恨(うら)みを晴(は)らすつもりだったが、今では文句(もんく)も言(い)えないな」

 「それでは、今夜(こんや)は粥(かゆ)ではなく、一杯(いっぱい)どうですか?」

 「おお……胃(い)に悪(わる)いものが許(ゆる)される夜(よる)が来たか!」

 こうして、陸遜(りくそん)は若(わか)い将軍(しょうぐん)から、呉(ご)の柱(ちゅうせき)となる名将(めいしょう)へと成長(せいちょう)しました。その目(め)はすでに、遠(とお)い中原(ちゅうげん)を見据(みす)えていました。



219年:建安(けんあん)二十四年

 夜の風は、いつも過去の記憶を運んでくる。火を見つめるたびに、耳の奥で懐かしい声が響いてくるのだ。

 私は陸遜(りくそん)、字(あざな)は伯言(はくげん)です。呉(ご)の柱石(ちゅうせき)となることを目指し、軍を率いていますが、元々は剣よりも筆を好む家に生まれました。

 我が家・陸氏(りくし)は、江東(こうとう)の名家であり、代々文(ぶん)をもって世に名を馳せた一門です。地は呉郡(ごぐん)にあり、江南(こうなん)の文化と礼(れい)を大切にする風土の中で育ちました。

 祖父・陸褒(りくほう)は高潔(こうけつ)な人物で、礼を極め、清貧(せいひん)を貫きました。官職(かんしょく)には就かず、後進(こうしん)の育成に尽力しました。幼い私が筆を取るたび、祖父はこう言いました。「人の上に立つ者こそ、言葉に品(ひん)を持て」と。

 父・陸駿(りくしゅん)もまた、静けさ(せいひつ)を尊び、州郡(しゅうぐん)の政治(せいじ)を正すために尽力した人物でした。孫権(そんけん)殿とは若い頃から親交(しんこう)があり、何度かの騒乱(そうらん)では、文をもって軍を動かす諫言(かんげん)を行い、呉侯(ごこう)の耳に届き、信頼(しんらい)を得ました。

 そして、忘れてはならないのが叔父・陸績(りくせき)です。彼は神童(しんどう)と呼ばれ、六歳で孫策(そんさく)殿の前で経文(けいぶん)を論じ、十三歳で父の葬儀(そうぎ)を一人で務めたその姿に、江南(こうなん)の賢者(けんじゃ)たちも感服(かんぷく)しました。彼は礼節(れいせつ)を重んじると同時に、策略(さくりゃく)にも長け、後には交州(こうしゅう)の太守(たいしゅ)として南方(なんぽう)の乱を鎮めました。

 陸家(りくけ)は、力(ちから)で国を動かす家ではありません。言葉で風を導き、筆で刃(やいば)を封じる――これが我が家の伝統(でんとう)です。

 「武門(ぶもん)の家に生まれた者が、なぜ兵(へい)を率いるのか?」と笑われたこともありますが、それは逆(ぎゃく)ではないかと思います。武力(ぶりょく)だけでは民(たみ)を導けません。法(ほう)を知り、義(ぎ)を重んじ、時には筆を取って敵(てき)を説くこと――それこそが、真に国(くに)を治(おさ)める者の道(みち)だと信じています。

 我が一族(いちぞく)が孫呉(そんご)の政(まつりごと)に関わったのは、決して偶然(ぐうぜん)ではありません。孫家(そんけ)と陸家は、文(ぶん)と武(ぶ)という二輪(にりん)のように密接(みっせつ)に結びついています。孫堅(そんけん)殿の志(こころざし)に共鳴(きょうめい)し、孫策(そんさく)殿の覇業(はぎょう)に心を通わせ、孫権(そんけん)殿の政(まつりごと)を支えるために、筆を惜しまず、言葉を尽くしてきました。

 しかし――今、私は筆を剣(けん)に持ち替えています。静かな道(みち)の先に、必ず戦(いくさ)の時(とき)が訪れることを何度も見てきたからです。

 兵を率いている間も、私の目(め)は常に筆の先(さき)を追っています。策(さく)とは、戦の火(ひ)を最小限(さいしょうげん)に抑(おさ)えるための技術(ぎじゅつ)です。言葉で敵を止(と)めることこそ、私の本望(ほんもう)です。

 だからこそ、私は――

 筆と剣、両方(りょうほう)を持ち、静かに嵐(あらし)を越える者であるのです。

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