第2話 横取り
突然女子高生になってしまった現状は受け入れがたかったけれど、美子さんが作ってくれたかつ丼はとてもおいしくて、ほんの数分で食べ終えてしまった。
美子さんは、こちらの食いっぷりのよさを最初から予想していたかのようなタイミングでおかわりを用意してくれた。
どうやらこれはいつものことらしく「相変わらずよく食べるわね」と言っていた。
幸いなことに、この身体の持ち主は、きちんと前日に準備を整えてから眠るタイプの人間のようで、机の所の椅子の上に乗っていたスポーツバックの中に、ユニフォームも宿泊道具も揃えて入れられていた。
自分が知っている、黄泉平坂108の渡田部美保留は、しっかり者タイプのアイドルだったし、バラエティ番組の大食い企画でも活躍していた。
それにしても、この母親はおかしい。
いくら外見が一緒だと言っても、中身は全然違うし、距離感がわからないから、よそよそしい敬語で話しているのに、まったく気に止めている様子がみられないのだ。
かつ丼の食いっぷりと同じ、いつものことといった感じだ。
いったい渡田部美保留は、家族の前で普段どういうふうに振るまっていたのだろうか。
そういえば、自分が黄泉平坂108で推していた七峰七海は、クソ真面目なタイプのアイドルだと思っていたのに、世間を騒がさせたアイドル売春事件の親玉で、黄泉平坂108を黄泉の国に落としてしまった。
結局のところ、その人がどんな人間かなんてアイドルという一面をみただけでは分からないものなのだろう。
さて、準備はできていたが、集合場所の学校にはどうやって行こう。
目的地はもちろん、そもそも自分が現在いる家の場所すらわからない。
朝食を食べているときに、美子さんに学校の場所がわからないから連れて行ってほしいとお願いしてみたが、「忙しいから無理、それくらい自分で調べなさい、スマホがあるでしょ」と、突き放されてしまった。
かつ丼をおかわり分まで作ってくれるわりに、厳しい人だと思った。
部屋に戻り、枕もとに置いてあったスマホを手に取る。
確かにスマホがあれば調べられそうだけれど、機械音痴な自分のことだ、調べる終わる頃には、集合時間がとうに過ぎていそうだ。
ていうか、セキリティのせいで使えないかもしれない。。
そう思いながら、スマホを起動させたら、暗証番号ではなく指紋認証で無事ロックを解除することができた。
とりえず自分の位置情報を確認しようと思ったタイミングで、電話がかかってきた。
画面には木田村李子という名前が表示されていた。
もちろん知らない人物の名前だ。
通話をオンにする。このへんの簡単な操作はわかるレベルの機械音痴である。
「おっはよー、美保留。いま美保留の家の前に着いたから」
と、一方的にしゃべって電話はすぐに切れてしまった。
まったく、電話をかけた相手の声を一声くらい聞いてから切ってほしいものだ。
スマホを持ったままの状態で、窓を開け、玄関の方を見下ろすと、自分と同じ制服を着た女の子が笑顔でこちらに手を振っていた。
大きなスポーツバックも提げてきているし、どうやら同じ部活の友達あたりが美保留と一緒に学校に行こうとしているようだ。
木田村李子は、ソフトボールの副キャプテンで、美保留とは仲の良い友達のようだった。
集合場所の学校に到着すまでの道中、明らかに自分が知っていなくてはおかしいことをいろいろ聞いてしまったが。李子はこちらをまったく不審に思う様子もなく親切に答えてくれた。
異物として警戒されるよりは、いまの自分にとって都合がよいのだけれど、なんだろう、逆に拍子抜けというか、気持ち悪い。
それで、つい口が滑って。
「あの、さんざんこっちから変な質問をいろいろしたあとに聞くのもなんですけど、私のことどこかおかしいって思わないんですか?」
と、墓穴を掘るような質問をしてしまった。
質問した瞬間、ヤバいと思ったけれど、一方の李子は大爆笑。
「確かにおかしいけれど。いつものことじゃない」
「いつものことって、どういうことですか?」
「ふふっ、テスト前とか、大会の直前とか、そうじゃないときもあったけど、記憶を失ったり、別の人格が目覚めたり、宇宙人に身体をのっとられたりして、ふざけるの」
渡田部美保留、おそろしくやばいヤツですやん。
だから、美子さんも、おかしいと思っていなかったんだ……。
「昨日だって。明日、私、中身が別の人に入れ替わっているかもしれないから、迎えに来ていろいろ説明してあげてねって言ってたじゃん」
「さてさて、今日の美保留は誰なのかしら?」
と、李子は満面の笑みでこちらに顔を近づけて質問してきた。
嘘をつく必要もなさそうな質問だから。
「故障に泣いた元プロ野球選手もどきの中年ニート」
と、正直に答える。
「おお。それなら高校の部活のソフトボールくらいなら問題なさそうな設定だね」
設定ではないんだけれど……。
「昨日、緊張してあんまり眠られなかったんだけど、美保留と話したらリラックスできちゃった。ありがとう」
李子は、集合場所に到着するまで上機嫌だった。
あきれたことに、部活の顧問の先生もチームメイトたちも、こちらが何をしゃべってもおかしく思われることはなかった。
まわりの人間にとって、渡邉美保留はおかしいのが当たり前。
記憶喪失のふりやら、宇宙人に身体がのっとられたふりをするキャラクターなのだ。
ここまで、まわりに馴染んでもらえるならアイドル時代、目立つために武器にしてもよかったろうに。さすがに、恥ずかしくなったのだろうか。
まあ、こちらからしたら他人の精神が身体にのりうつっても、周囲がいつものことだと思ってすませてくれるのは、非常に都合がよいが……。
おかげで、宿で下着のつけ方をはじめ、女性が知っていなければおかしいことも気軽に教えてもらうことができた。
とはいえ、まあ自分がソフトボールをまったくできなかったとしたら、ここまで気軽にいれなかったと思う。
高校最後の大会で、その競技のルールがわからなくなったキャプテンとか笑えないにもほどがある。
幸い、高校このころ、野球部のキャプテンをやっていたし、ソフトボールも野球の練習の一環としてやったことがあった。
練習でも試合でも、まわりから褒めてもらえたりしたので、普段の渡田部美保留と比べて動きが悪いということはなかったと思う。
むしろ、サイクル安打をしてしまったので、活躍しすぎたかもしれない。
しかし、残念なことにトーナメントの初戦で敗退してしまった。
戦った相手の高校はすごい強豪校らしく、結局、大会はその高校が優勝するんだけれど、結構いい試合をすることができた。
身体に何の故障もない、運動神経に恵まれた身体でソフトボールをするのは、こんなわけのわからない状況でも楽しかった。
けど、試合の後、チームメイトたちがみんな悔しくて泣いているのに、自分だけ泣くことができず、ひどく場違いな感じで後味が悪かった。
そして、さらに後味が悪かったのは、帰り道で李子に試合後に泣いていなかったことをすごく褒められたことだ。
「今日の美保留は、すごかったよ」
「何がですか?」
「だって泣かないんだもん」
泣かないのではなく、思い入れがなく、泣けないのだけだったんだけど。
「普段の美保留はさ、超負けず嫌いで、悔しいときは我慢しないで泣くタイプなのにさ。今日は、泣かないで、みんなのよかったとことかを、丁寧に言ってたじゃん」
たしかに、泣けないかわりに何か言わなければ、その場にいづらくて、チームメイトのプレイのよかったことをいくつか話した。
「どんだけ、大人になったんだよって思ったよ。私がいつも美保留が泣くのをやめさせる係なのに、私が逆にたくさん泣いちゃった」
どうやら、ここにきていつもの美保留と違う行動をとってしまったようだけれど、結果的によかったらしい。
「今日の美保留は今までで一番頼りがいのあるキャプテンだったよ」
と、李子は嬉しそうに言うと、こちらの腕を両手で抱きしめるように抱え込んできた。
まるで、恋人の距離感だった。
恥ずかしくて。
「正直、そんなこと言われたって、自分がこの身体にのりうつったのは、昨日のことだからよくわからない」
と言うと。
李子はこちらの顔を見上げて。
「美保留はさ、実はすっごく臆病で、自分に自信がないくせにさ、まわりが雰囲気悪くなりそうなときとか、いつもそうやってふざけて、みんなを笑わせるんだもん。自分だって追い込まれてるくせにさ、しかも、演技の徹底ぶりもすごいし」
そういって、いたずらっぽく笑ったあと、あらためて「ありがとう」と、感謝の言葉を口にした。
李子は、そのあとも渡田部家の家の前で別れるまで、それはそれは自分が本当の渡田部美保留だったら、気恥ずかしくてたまらなくなりそうなことを延々と言ってきた。
その間中、誰かの居場所を横取りしてしまった罪悪感が襲ってきて、辛かった。