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第1話 見知らぬ部屋で

 目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。

 ほんの少し前、そう、誰かと正面から思い切りぶつかって目を閉じる前。

 自分は、雨の中、傘もさざずに公共職業安定所を目指し歩いていた。

 それがいま、ずぶ濡れの道の上でなく、温かいベッドの上で横になっている。

 大方ぶつかった拍子に気を失って、記憶がいあいまいになっているのだろう。

 ぶつかってきた相手は、走っていたと思う。

 ここは、病院だろうか。

 オレンジ色のカーテンの間から差し込んでくる光がまぶしい。

 ベッドの正面の丸い壁掛け時計が、午前5時を示していた。

 家族と激しい言い合いをして、外に飛び出したのが、たぶん午後10時頃だったと思う。

 午後の10時に職安に向かうだなんて、頭がどうかしている。

 午前の5時に向かうにしても、どうかしているのに。

 まったく、自分も家族もどうかしている。

 どうかしているけれど、どうかしてしまったのは、妹の言う通り、全部自分のせいだ。

 自分の勝手な夢に巻き込んで、家族をボロボロにしてしまった。

 せめて、ボロボロになるのが自分だけですめばよかったのに……。

 幸い、家を飛び出したときより、頭は落ち着いているようだ。

 それに、意識を失うほどの衝撃でぶつかったわりに、体のどこも痛くない。

 むしろ、ぶつかる前よりも調子がいい感じがする。

 試しに、肩やひざを軽く動かしてみる。

 驚いたことに、長年|患ってきた身体の痛みがない。

 これなら、また野球ができるかもしれない。

 いやいや、できたとしても、もう野球なんてやっている場合じゃない。

 いままで、野球でさんざん家族に迷惑をかけてきたぶんの償いをしなければならない。

 まずは、とっとと定職に就くんだ。


 とりあえず、現状確認をするため、ベッドから抜け出すことにした。

 どうやらこの部屋は、病室ではなく学校に通う年頃の女の子の部屋だ。

 壁に掛けてある女子用の制服、机の上のファンシーな文具に、棚の上のぬいぐるみ。

 どれもオッサンとは縁のないものばかりでうめ尽くされている。

 思春期の女の子の部屋で介抱されるオッサンとかいろいろな意味でヤバいだろ……。

 まあ、自分からここにきたわけではないだろうし、いいのか。

 そう自分を無理やり落ち着かせたのだけど、直後さらなる混乱に襲われた。

 視線の先にあった大きな姿見をみたら。慣れ親しんだ自分が映っていなかったのだ。

 「えっ!?」

 思わず声が漏れた。

 姿に身に映っている自分の姿も見覚えがない、パジャマ姿の女の子。

 いや、どこかで見た覚えはあるような気もしなくはない。

 部屋の主であろうか、自分とぶつかった人だろうか。

 慌てて、あたりを見渡すが、自分以外には誰もいない。  

 もう一度、姿見に映ったパジャマ姿の女の子と目を合わせる。

 試しに手を上げたり下げすると、女の子もこちらに合わせて手を上げ下げした。

 これは、あれだ、姿見の向こうの女の子がこちらの真似をしているに違いない。。

 単純な動作なら簡単にマネできるだろうから、複雑な動きを試そう。

 投球フォームの確認動作なら、まあ、マネできないだろう。

 そう思い、投球動作をしたら、姿見の向こうの女の子は、こちらがやろうと思った投球動作を完璧に再現してみせた。

 そこで、ようやく情報処理が追いつき、驚きのあまり大きな声で 「きゃー!!」と、叫び、ドスンと尻もちをついた。

 もちろん、姿見の向こうの女の子も尻もちをついている。

 きゃーってなんだよ。完璧に女の声ですやん。

 てか、結構お尻が痛い。

 夢なら絶対覚めているレベルの痛さ。

 にしても、オッサンがある日突然、ティーンの女の子になるとか、ありえんだろ。

 とりあえず、ほっぺをつねってみたが、きちんとつねったぶんの痛みがあった。

 でも、痛いだけで夢から覚める気配はない。

 そりゃあ、尻もちの痛みで起きないのだから、ほっぺをちょっとひっぱったくらいで起きるわけもないか。

 なんか、混乱から落ち着ける要素がいまのところひとつもない。

 もしかしたら、気を失っているうちに女装させられたのかもしれないと思い、肩のところまで伸びた髪をひっぱってみたが、痛いだけで、カツラが外れてくることはなかった。

 そして、おそるおそるパジャマの上から膨らんだ胸部を触ってみると、あきらかに筋肉とは違う弾力が感じられた。

 いや、これは、パットとか詰め物の弾力に違いないと思い、シャツの下に手を突っ込んだら、ブラジャーが装着されており、その下にあったはずの長年にわたり鍛え上げてきた大胸筋はすっかり姿を変えていた。

 いくら野球をやめなければならないような怪我をして入院したとはいえ、1か月の安静でこんな巨大マシュマロにになってたまるか……。

 はあ、これは夢だ、夢に決まっているんだ。

 とにかく目覚めるしかないんだ。

 いくら逃げたいような現実があったといえ、こんなのあんまりだ。

 きっと、さっきはほっぺたをつねる力が足りなかったんだ。

 そう思って、一生懸命になってほっぺたをつねっていると、部屋に見知らぬ中年女性が入ってきた。


 「はあ~」

 中年女性は、呆れた言わんばかりにため息をこぼした。

 「あんたってば、またこんな朝っぱらか大きな悲鳴なんかあげちゃって…」

 「なに、今度は異世界から転移してきたの?それとも、記憶喪失?}

突飛な質問に答えられるずにいると、中年女性は「まあどっちでもいいか」と言って 質問の答えを聞き出すことをそうそうにあきらめ、「私は、渡田部美子。あんたの母親」と、自己紹介をした。

 言われてみれば、顔のつくりが似ている。

 ていうか、なんで自分の娘に自己紹介するの?

 「そんで、あんたは私の娘の、渡田部美保留」

 いやいや、自分の名前は七地有敏。そんで母親の名前は七地早織だ。

 わたたべみほるって誰だよって、あっ! 

 「渡田部美保留!」

 合点がいくと思うと同時に、大声を出してしまった。

 美子さんは、大声に動じずに「そう、あんたは渡田部美保留」と言って、うなずいた。

 渡田部美保留は、大人数女性アイドルグループの人気メンバー。自分が推していた七峰七海の親友ポジションのアイドルだ。

 どおりで、見覚えのある顔だと思ったわけだ。

 でも、自分が知っている渡田部美保留は、当にアイドルを卒業している。

 さらに言えば、ずいぶん前に、高校だって卒業しているはずだ。

 「あの、渡田部美保留って、黄泉平坂108の渡田部美保留ですか?」

 「よもつひらさかわんおーえいと?」

 「ああ、そういえば、アイドルグループのオーディションに応募したんだっけ」

 「まったく、まだ応募しただけなのに、気が早すぎるわよ」

 「…つまりは、まだアイドルでもないってことですか?」

 美子さんは、またため息をつくと。

 「そうね、そうだったわね。こういうときは、きちんと説明しないと自分のことが分かんないもんね」と言って、さらにまたため息をついた。

 「あなたは、私立うなぎ登り高等学校に通う高校3年生。部活はソフトボール部に所属していて、キャプテンをやっていて、今日は高校最後の大会の日。それで昨日の夜『絶対優勝したいから、明日の朝はかつ丼を作ってね』って言って、寝たのよ」

 「ああ、そうそう、大学に進学するよりアイドルになりたいって言って、この間急にオーディションをに応募したばかりだから、アイドルじゃないわ」

 美子さんは、正しいこと言っている。

 渡田部美保留がソフトをやっていたことも、アイドルになるため進学を考えなかったこも、黄泉平坂ファンの間では有名な話だ。

 つまり、自分は高校3年生のアイドルになる前の渡田部美保留になってしまったということになるのだろうか。

 「どう、気がすんだ」

 説明終了と言わんばかりに、美子さんはこちらに確認をとってきた

 「は、はあ~」

 こちらは情報処理も感情処理も追いつかず、煮え切らない返事をすることしかできなかった。

 すると美子さんは、大きな声で「もっとしゃきっとしない。そんなんじゃ優勝できないよ」と喝を入れてきた。

 美子さんの気迫に、思わず「はい」と威勢のいい運動部の返事をしてしまった。

 美子さんは、こちらの返事に納得したようにうなずくと。

 「じゃあ、いまからかつ丼作ってあげるから、忘れ物のないようにきちんと準備しておきなさい」

 と言い残して、中身の変わった自分を娘を残して部屋から出て行った。

 果たして、自分はいったいどうなってしまったのだろう。

 とっ、とりあえず、壁にかかっている制服を着なきゃいけないんだよな。


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