自滅願望
〈春が先冬と比したる愚か者 涙次〉
【ⅰ】
吉田雅虎には万引き癖があつた。しょつちゆう万引きを、スーパーやコンビニでしてゐたが、一度も捕まつた事がなかつた。
【魔】の囁きは、まだか? 雅虎は【魔】と云ふ「業界用語」を、よく知悉してゐた。尠なくとも、本人はさう思つてゐた。
そればかりか、彼はカンテラについても、事細かに調べ上げてゐた。カンテラに斬られ、この世をおさらばしたい- さう、彼には困り物の、自滅願望があつたのである。
万引き程度ぢや、【魔】は僕を、勧誘してくないのだらうな... さう思つた矢先、ぼんつ、と音がして、彼の自宅の部屋に、ベルゼブブ(魔界の「蠅將軍」)が現れたのには、驚きを隠せぬ雅虎。しかし、渡りに船と、「ベルゼブブ將軍ですね? だうすれば僕は魔界に墜ちられるのでせう?」と訊ねてみたのだ。
ベルゼブブは「さうだな... 少女拐帯でもしてみるといゝ」雅「誘拐ですか? そ、それは」しどろもどろ。自分の勇氣のなさを呪つた。
【ⅱ】
とか云ふ彼は、またも手に癖の付いた万引きを、コンビニでしてしまつた。
と、その模様を、ぢつと見てゐる、目があつた。由香梨である。「あんちやん、お菓子なんかくれ。口止め料だよ」雅虎は吃驚した。然し...「た、確かこのコ、カンテラ・ファミリーの末つ子」
こゝで、ベルゼブブの囁きが、天啓の如く彼の耳に届いた。「その子を、攫ふのだ!」「お、お兄さんの部屋に來て、ゲームでもしないか?」由香梨は明らかに彼を揶揄つてゐたのである。お菓子は、事務所に戻れば、悦美ねえちやんが美味しいおやつを用意してくれてゐる。ゲームだつて、事務所で出來る。
「兄ちやん、この人があたしを誘拐しやうとしてるよ!」杵塚「なにい?」
や、ヤバい。杵塚だ。カンテラ事務所の居候...。雅虎は駆け足で、その場から逃げ失せた。
【ⅲ】
だうにか逃げ延びた雅虎。だが、彼は自分を責めた。あの儘あのコを連れ去つてゐたなら、自分は晴れて、カンテラの剣の錆となれた筈。その度胸が、僕には足りないのだ。
ベルゼブブ「失敗か。それぢや、お次は毒物混入、と行つてみやう。何、本当に毒を用意せんでも、脅迫狀だけで、事足りる」もはや自分が【魔】の手先になつてゐる事に気付かず、然も彼はだうやら魔界に足を踏み入れた様子。
「なに、誘拐だあ!?」じろさんは激してゐる。「何処のどいつだ、ウチのもんに手を出すとは、度胸が坐つてゐるのやら、阿呆なのやら」カンテラは、外殻の中で、忍び笑ひ。「由香梨に手を出したなんて、そいつはたゞの莫迦だよ。じろさん、まあ本氣にしないで」じ「それもさうだが...兎に角、当分由香梨は、杵と共同で行動する事。分かつたな?」由香梨「はあい!」
【ⅳ】
取り敢へずSNSで、「某月某日、スーパー何某の菓子売り場は、毒物混入された菓子で、占拠される。魔界の者より」と流してみた雅虎。その文面を見たベルゼブブは、然し怒りを露はにした。最後の一言が余計なんだよ!、と彼は云ふ。これぢや眠れるカンテラを呼び醒ましたやうなものだ。
それつきり、ベルゼブブは雅虎に囁きかける事はなかつた。
「ち! やつちまつた。ベルゼブブにも見捨てられたか...」案の定、スーパー側は、魔界の脅迫と見て、カンテラ事務所に相談してきた。
「ま、謝礼さへ頂けるなら、大船に乘つたつもりで」カンテラ、出馬である。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈魔道など惑ふ勿れよ若者に日射し似合ふは自明なりけり 平手みき〉
【ⅴ】
店の万引きGメンに混ざつて、じろさんも店内の監視を始めた。それと同時に、テオ、得意のパスワード破りで、例の脅迫コメントの主を突き止めた。
「吉田雅虎。この男、畸妙な自滅願望の吐露を、SNSで繰り返してゐます」カンテラ「自滅願望?」テオ「さう- 例へばカンテラ兄貴に斬られたい、とか」カ「氣色惡い奴だな」
雅虎は、あらう事か脅迫狀の現場であるスーパーで、万引きに及んだ。じろさんの鋭い目が光る。
店外に出やうとする雅虎を、「お客さん、ちよつと」
【ⅵ】
此井先生! もはや雅虎は、カンテラに斬られる事を確信してゐた。-しかし、彼は...、警察に引き渡された。け、警察~!!??
【ⅶ】
カンテラ「そんな奴、斬れるか。刀の刃が穢れるわ。一生懸命生きてる者しか、俺は斬らん」
結局、脅迫+万引きで、刑事犯となつた雅虎。「ぼ、僕にたりない物つて...」じろさん「正常なおツム、ぢやないの? まあムショ(病院かも知れんが)でその事、ぢつくり考へな、坊や」
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈椿事ある春先だよと得心す 涙次〉
お仕舞ひ。