「きみと結婚だなんて、無理だ」と言われた令嬢の幸せな婚約
王立学園にある一室、王族から招待された高位貴族の子女のみが立ち入ることを許されたサロンで、今、わたしは婚約者である第二王子、エミリオ・ダルモンとテーブルを挟んで向かい合っていた。わたしたちはお互いに、厳しい表情をしている。
「きみとの婚約なんて、僕は望んでいなかった! きみと結婚だなんて、無理だ!」
「……それで、あの、ララ・ロラン嬢と親しくされていたのですか? 確かに彼女は、わたしとは違い、穏やかで愛らしく、魅力的な女性です。ですが、エミリオ殿下が望んでいなくとも、婚約者はこのわたし、フレイ・ダルモンです。これは国王陛下と国王軍総司令官による決定、つまり、わたしたちの父による決定です。わたしたちの力で、感情で、どうすることもできません」
国王軍総司令官であるダルモン公爵の娘、それがわたし、フレイ・ダルモンだ。父は国王の弟であり、つまりわたしたちは従姉弟である。現在わたしは十八歳になり、十六歳になったエミリオは王立学園の高等部に進級してきたばかりだ。エミリオの進級に合わせて、わたしたちの婚約が結ばれた。
わたしたち二人は、ダルモン家らしい濃い金色の髪と碧眼をしていて、わたしは癖のないストレートヘアだが、エミリオの髪は緩やかにカールしている。わたしはよく冷たい印象だと言われるが、エミリオは王妃に似ていて、華やかな美貌をしている。だがエミリオは二歳年下のため、わたしが普段見慣れた同級生に比べて、随分幼く見える。
「だいたい、悪趣味だとは思わないのか? きみのことは、本当の姉のように思っていたのに! 姉と結婚するだなんて、無理に決まってる!」
泣きそうな声で言ってエミリオは、円形テーブルに顔を伏せてしまった。
わたしは、エミリオの柔らかそうな金色の髪を眺めながら、はあ、と大きなため息をついた。
「とにかく、ララ・ロラン嬢と、必要以上に親しくされるのはお控えください。エミリオ殿下にとって、学友以上の存在であると邪推されれば、ララ・ロラン嬢の将来にとっても、良くないでしょう」
「……別に、特別親しくしているというわけじゃない。彼女は同級生で、選択する授業が同じになることが多いだけ」
不満げな声で、相変わらず伏せたままのエミリオ。
すると、わたしたち二人から少し離れたサロンの窓辺で、ことのなりゆきを見守っていたリュカ・ラクロワが口を開いた。
「フレイは、エミリオ殿下をどう思っているんだ?」
リュカはわたしの同級生であり、宰相であるラクロワ侯爵の長男だ。黒い髪とサファイアのような瞳をした、端正な顔立ちの男性で、落ち着き払った彼と比べると、エミリオが余計に子どもに見えてしまう。
気安くわたしの名前を呼ぶリュカもまた、幼馴染の一人だった。わたしたちは子どもの頃からずっと一緒だった。だが血縁関係がないせいか、リュカとは、エミリオとわたしのように近すぎる関係ではない。
「どうもなにも、婚約者よ。たとえ、エミリオ殿下がわたしを嫌いでもね」
「……嫌いだなんて、言ってない」
うつ伏せのエミリオが、小さな声で抵抗する。
「きみは強くて、厳しくて……。それから、正しい」
「それは、ありがとうございます」
「それにきみは、いつも僕を守ってくれた。僕にとっては、大切な姉なんだ……」
ぐすぐすとすすり泣く音が漏れてきた。
わたしはもう一度深いため息をつく。この幼いエミリオを心配して、わたしに婚約者になれと仰せになったのが国王である伯父なのだ。近くにいて、見守り、発破をかけろと。
エミリオの内心を代弁するように、リュカが言った。
「ようするにエミリオ殿下は、フレイを女性として見ることができないと言っている」
「そうね。健全な心理かもね」
「もう一度聞くが、フレイは、エミリオ殿下をどう思っているんだ?」
「……大切な人よ」
「異性として?」
わたしは、リュカの方に顔を向けて、非難するような視線を向けた。
「姉として慕ってくれている弟のような存在を、異性として見ると思う?」
「つまり、二人の意見は一致しているのに、王命だからきみは従うつもりだと?」
「そうよ。それが国のためになるのなら。仕方がないわ。国王陛下も、父上も、政略結婚よ」
わたしは思わずテーブルに片肘をつき、リュカから視線を逸らして遠くを見つめた。窓ガラスの向こうは、きれいな晴天が広がっている。
「あなたのご両親は違うわね。珍しく恋愛結婚だと有名よ。リュカ、あなたもそうなるといいわね。エミリオ殿下とわたしの間には、子どもは望めないでしょうから、将来はあなたの子どもを可愛がろうかしら……」
最後の方はほぼひとりごとのように呟いていたら、リュカがテーブルの近くに寄ってきて、制服の胸元から一通の封書を出した。
「俺がそうなるために、エミリオ殿下、これを」
「……?」
エミリオがゆるゆると顔をあげた。顔を上げる前にそっと涙をぬぐったのか、目元が赤くなってはいたが、濡れてはいなかった。
封書は、テーブルの上に置かれ、リュカのきれいな指で、すっとエミリオの前に差し出される。
「……何? 手紙?」
「エミリオ殿下に、決闘の申し込みを」
「……は?」
「何ですって?」
ぽかんとしたエミリオの代わりに、血相を変えてわたしは立ち上がった。
「何を言っているの? リュカ」
「決闘を申し込みます。エミリオ殿下、あなたに」
「え、と……。リュカと僕が? 何のために?」
「フレイ・ダルモンを手に入れるために」
「…………」
「…………」
エミリオとわたしは揃って沈黙した。
固まってしまったわたしたちを見て、リュカは少しだけほほえむ。普段は感情表現の乏しい彼が珍しく見せる笑みは、破壊力が抜群だと、多くの女性たちがささやきあっているのをわたしは知っている。
「それでは、仲介人の選定が終わりましたら、ご連絡をお待ちしております」
そう言って颯爽と去ってしまったリュカを、わたしたちは呆然と見つめていた。
◇ ◇ ◇
決闘は、この国の貴族に認められた権利だ。個人間の争いを解決する方法として、あるいは名誉を守るための手段として、仲介人を立てて行われる。
貴族であるリュカはその権利を持っている。問題は、相手が第二王子であるエミリオだということだ。通常は、王族が相手の決闘で、仲介人を務めてくれる人間などいない。当然、その場合は決闘が成立しない。誰だって、王族との争いに巻き込まれるのはたまらない。そもそも、王族に決闘を申し込む人間だって、そうはいない。
だがこの決闘は成立した。エミリオが持っていた封書を目ざとく見つけ、仲介人をかってでたのは、エミリオの剣術指南役である、オスカー・ダルモン、つまりわたしの兄だった。
オスカーは実に楽しそうに、この決闘のルールを整理し、戸惑うわたしやエミリオにはお構いなしに、手際良く決闘の段取りを整えた。
そしてオスカーが指定した決闘の日、オスカーはダルモン公爵家の訓練場にエミリオとリュカを呼び出し、双方にサーベルを渡した。
「エミリオ殿下、心して闘いなさいませ。結果次第では、私は責任をとってエミリオ殿下の指南役を辞さねばなりません」
この決闘までの数日間、ずっと顔色が悪かったエミリオが、ますます顔を青くした。
「さて、リュカ・ラクロワ。きみが勝てば、我が妹、フレイ・ダルモンはエミリオ殿下の婚約者の座を辞することとなる。このことは国王陛下、また父であるダルモン公爵にも報告済みである。結果には、私が責任を持とう。だが負ければ、二度とフレイに近づくことは許さない。いいな」
「承知しております」
「では、はじめ!」
オスカーの声は低く、力強く響いた。
リュカがサーベルを軽く振ると、金属が陽光に反射して鋭い輝きを放つ。彼の顔には、闘う覚悟が満ちていた。
オロオロとしていたエミリオも最後は覚悟を決めたのか、ぎゅっと唇を噛んで厳しい表情になると、素早く踏み込み、一撃目を放った。その刃はリュカの肩を狙っていたが、リュカは冷静にそれをかわし、素早く反撃をする。
リュカのサーベルの刃が鋭く空気を裂く音を立てながら、エミリオの腹部を狙っていった。しかし、エミリオはそれをぎりぎりで避け、再度間合いを取る。
「エミリオ殿下、随分成長なされた。リュカ、危ないぞ」
二人を見守るオスカーの声には、わずかな感嘆がこもっていた。
リュカはその言葉に答えることなく、ひと息ついて再び構えると、すぐにエミリオに向かって鋭く踏み込んだ。
二人の間には、まるで舞踏のようなリズムが生まれ、サーベルが交錯するたびに、金属がぶつかる激しい音が響く。互いに一歩も譲らず、攻防が繰り広げられていた。
エミリオが地面から素早く振りあげたサーベルが、リュカの顔を狙った。
リュカの頬に赤い線が入る。身をかわしながらリュカは、エミリオの胸、心臓目掛けて素早くサーベルを突き出した。刃はエミリオを貫く直前で、ぴたりと止まった。
エミリオが口を噛み締めながら、構えを解いた。
肩で息をする二人に、オスカーが満足そうな笑顔で両手を打ち合わせた。
「終わりにしましょう。リュカのきれいな顔に傷がついた、なかなか良い。エミリオ殿下、良くやりました」
オスカーは二人からサーベルを受け取ると、エミリオを支えるようにして、連れて行く。
「エミリオ殿下とフレイの婚約は、すぐに解消されるでしょう。正式な書類は後日。さあ、行きましょう。少し休んだら、忘れないうちに復習をいたしましょう」
否と言わせないオスカーの力強さに、エミリオは顔をしかめながらも、しぶしぶとしたがっていた。
◇ ◇ ◇
公爵家のバラ園にあるガゼボに移動して、わたしはリュカの頬に入った傷に、薬を塗っていた。
「痕にならなければいいけど……」
眉間に皺を寄せてまじまじと傷を見ていると、リュカが薬を塗り終わったわたしをじっと見つめてきた。
「心配はありがたいけれど、他に言うことは?」
わたしは驚いて、リュカの瞳をまともに見てしまう。深い青い瞳はきれいで、でもどこか不安げに揺れていた。
「俺はきみを手に入れた。でも、俺は婚約者という形じゃなくて、きみの心が欲しいんだ。きみは、俺をどう思っている?」
「……リュカ、わたしのことを、好きだったの?」
幼馴染として、仲は良かったと思う。だけど異性としての好意を持たれていたとは、正直、気がついていなかった。
わたしのその内心の驚きを、リュカは分かったようだった。
「今まで、まったくそうだと感じていなかった?」
「……幼馴染として、大切にしてくれているとは思ってたわ」
「俺は、きみをただの幼馴染だなんて思ったことはないよ。フレイ」
リュカは困ったような、いや少し泣き出しそうな表情をしながらも、はっきりと言った。
「ずっと好きだ。はじめて会ったときから、ずっと」
「リュカ……」
リュカとはじめて会ったのは、確か六歳の頃だ。ラクロワ侯爵の長男として、将来はエミリオの側近となるよう期待された彼は、ガーデンパーティでエミリオとわたしに引きあわされたのだ。
「はじめて会った時、国王陛下や王妃陛下の前で、俺はとにかく緊張していて、何も話せなくて固まってしまった。皆から心底不思議そうに見られていて、それが恥ずかしくて、余計に何も話せなくなった。でもきみが、俺の手を引いてその場を離れてくれて、一緒にシャボン玉をしようって言ってくれた」
「そんなこと、あった……?」
「あったよ。それでも何も言えなかった俺に、きみは吹いてみてって言ってくれて。言葉を出す代わりに、きみの言う通りに吹いたら、一緒にきみの後についてきていたエミリオ殿下がすごく喜んでくれた。きみが俺を見てにっこり笑ったから、それで俺も、笑うことができた」
青空に舞い上がっていくシャボン玉に、まだ四歳のエミリオがきゃっきゃっと喜んで、それでわたしたちも嬉しくなって笑った。そんな光景が、思い出された。
「フレイ、きみがエミリオ殿下の婚約者になると父から聞かされた時からずっと、どうしたらその決定を変えることができるのかと考えていた。とても諦めきれなかった。もしもきみとエミリオ殿下が思いあっているのなら、諦めるしかないことは分かっていたけれど。でも、そうじゃなかったから、こういう手段をとったんだ。オスカー様には、事前に相談していた」
「お兄さまは、知っていたのね。どうりで……」
「フレイ、答えて。きみは俺を、どう思っている? 俺はきみの、心が欲しい。俺にきみの心を、くれる?」
リュカは不安そうな瞳でわたしをのぞき込んできた。
わたしは胸が、きゅっと苦しくなるのを感じた。その気持ちから目を逸らさずに、わたしは目を伏せながら慎重に言葉を選んだ。
「……自分でも驚いているんだけど」
「うん」
「エミリオ殿下との婚約が決まったとき、やっぱりそうなるのねって、わたしはただ冷静にその事実を理解して、受け入れたの。でも今は」
わたしは視線をあげた。真剣なまなざしが交差する。
「苦しいくらい、胸がドキドキしているの。リュカ、あなたが好きだって言ってくれて、わたし、すごく嬉しいんだわ。だからリュカ、あなたが望むなら、わたしの心をあげる」
その瞬間、わたしはリュカの胸の中にいた。ぎゅうっと抱きしめられる。リュカのまとう香水の匂い。清々しく爽やかなのに、ふんわりと甘い香りもした。この甘い香りは、きっとわたしだけのものだ。
「フレイ、好きだ。ずっと、きみだけだ」
それから彼は腕の力を抜いて、わたしを解放すると、わたしの頬に手をあて、愛おしそうに撫でた後、そっとそこに唇を寄せた。
わたしの心臓はうるさいくらいにドキドキしている。頬から離れたリュカの唇が、わたしの耳元で囁いた。
「幼馴染は、もう終わりだ」
◇ ◇ ◇
エミリオとわたしの婚約解消と、それからリュカとの婚約は、すぐに公にされた。オスカーが味方をしてくれ、話をつけてくれていたおかげなのか、大きな混乱はなかった。
エミリオの新しい婚約者候補として、ララ・ロランや、隣国から留学してくる王女の名前があがっているそうだ。できれば、義務だけで結ばれるのではなく、エミリオを大切にしてくれる婚約者が見つかって欲しいと思う。
わたしたちの関係は相変わらずで、エミリオはやはりわたしを姉として慕ってくれていて、ときどきわたしのところへ泣きごとを言いにきては、リュカにぞんざいに扱われている。
(THE END)
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