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冬の香りにほだされて

作者: 綿珈 秋


 明日世界が終わるなら、なんて、ありふれた希望を夢みる私には、将来どうするの、と言われるのが相当な苦痛だ。

 夕暮れに溶ける冬の香りが懐かしくさびしいと感じるようになったのはいつからだろう。風にそよぐ木洩れ陽も、あるいはその躍る影も、艶やかな毛並みの黒猫と白猫がじゃれあうように追いかけっこしていたことも、ぜんぶ白昼夢だったのかもしれない。冷蔵庫のうなる音が、モノであふれているのにどこか空っぽな部屋に響く。

 わかってはいるんだ。こんな生活をずっと続けていられないことも、今の私がどうしようもなく無力で孤独だということも。

 ただ、そのちいさな綻びを許してほしかった。ゆっくりと命を削っていく毎日。独り身を積み重ねてきた歳月。ふと見れば、みたらし団子を貫いていた竹串がゴミ袋に穴を空けていた。遣る瀬ない。けれどここには私しかいないから、誰に怒られることも、愛想を尽かされることも、失望されることもない。ここは狭くても私の居場所で、私の城だ。郷に入っては郷に従え、ここでは私が法なのだ。

 取手のついた小さな鍋をコンロにのせる。水と調味料と具材を入れて火にかける。音楽をかけて洗濯物をたたむ。ちょっとだけ丸みをおびたお腹をみて気まぐれに腹筋をして、ついでに腕立て伏せもやってみる。そうしたら糸くずや髪の毛が目についてコロコロする。掃除してもすぐにまた落ちている。うどんは煮込みすぎて、焼きうどんになってしまった。

 タオルを机に敷いてから鍋のまま食べる。たまに料理をしても耐熱ボウルにまとめてドンだ。毎回そのままチンして食べる。いちいち皿に取りわけたりしない。一人暮らしをしていると、文化が欠落していく。

 また部屋から一歩も出ずに休日が終わった。誰とも喋らない、メッセージすら来ない。SNSと動画で時間が溶けて、ダメだと思って本を開くとすぐに寝落ちして、よどんだ空気に苦しくなって窓を開け、外を眺めていただけだった。


 無理くり布団から這いだして、とりあえずなにも考えずに電気ケトルのスイッチを入れる。お湯だけで顔を洗い、さて今日は紅茶にするかコーヒーにするかとぼんやりする。贅沢な悩みだ。

 (ひな)びた故郷の、雨上がりに満ちる匂いを思いだして、くちびるが震えそうになる。それを静かに忘れて、日常をつなぐための勤めに向かう。外の世界はどこもかしこも心細い。身だしなみは最低限でいい。誰もが私を他人として見るだけだ。私は誰かを特別になんて思わない。小さな後悔ばかりをこねて増やしてぽろぽろとこぼしている。それも全部ぜんぶ過去になる。取るに足らない事実だけがいつまでもわだかまりになる。

 悔しくてもなにも言い返せなかった者たちよ、夜は明け、雨は上がる! あぁ、けれど、この曇天はいつまで、どこまで広がっているのだろう。喉元すぎれば熱さを忘れる、なんて。熱さは消えても、火傷は残るのに。

 どう(つくろ)ったって、必死な嘘ほど真実を語り、すべては一枚の紙のように表裏は一体、どうせ顔を使い分けるほどの中身も器用さもない。

 健康でも文化的でもない最低な生活。そのなかで癒しを見つけて騙し騙し歩いてきた。月明かりはどこだろう。けれどほら、たまに良いものが見られる。星座にはとんと疎くてわからないけれど、オリオン座だけは見つけて嬉しい気持ちになる。まぁ、それも長くは続かないけれど。

 日の出とともに夜がかすんでゆく。ひとりで生きるには、世界はさみしすぎる。


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