62. 悲鳴の正体
悲鳴は女性のものだったが、サリタニアともプリメーラともちがう声に聞こえた。エドアルドとオーウェンもいるから皆無事だとは思うけれど不安で胸が落ち着かない。ほんの少しの距離なのに、駆け足で向かっているはずなのに何だか宿の入り口までが長く感じられた。
「カティアさん、私の後ろをついてきてください」
入り口横の角まで戻ってくるとクライスが足を止めて振り返り小声で言った。私を引いてくれていた手は一度離れて腰のポーチにそえられ、戦闘に備えられている。こくりと頷き、私も何があっても言われた通り動けるように心の準備をした。
「す、すみません!悪意はないんです!」
入り口の方に回りこもうとしたその時、怯えた男性の声が聞こえてきた。
「あれ、今の声…」
「…カティアさん、知った声ですか?」
「たぶん…」
緊張を少し緩めて、でも油断はせずに入り口のすぐ側へと近づき宿の中をそっと見ると、剣を構えたオーウェンに、サリタニアとプリメーラを後ろに庇う形で立つエドアルドが見えた。剣を突きつけられているのは後ろ姿からすると女性のようで、両手を挙げて固まっている。その少し後ろにいる男性が今叫んだ人だろう。そして予想通り、その後ろ姿はよく知ったものだった。
「…キース?」
声をかけるとキースはばっとこちらを振り返った。目には涙が溜まり、ひどく情けない顔をしている。こちらから見えるのは後ろ姿だけだが、剣を向けられているのはきっとレティーツィアだろう。お嫁さんがこの状況ではこんな表情になるのも仕方がない。
「カ、カティアぁ…」
どうにかしてくれという顔をして私の名前をキースが呼ぶと、エドアルドとオーウェンもこちらに顔を向けた。
「カティアさん、知り合いか?」
「はい、昨晩お話した、みなさんが留守中に泊まってくれた幼馴染とそのお嫁さんです」
そう告げると、2人とも少しだけ力を抜いてくれたようだった。
「まったく、何故あのような悲鳴をあげたのですか貴女は。あぁエディにオーウェン、彼女は無害ですから剣を納めてもらって大丈夫です」
「クライスさん…?」
クライスはキースを通り越してレティーツィアの元へスタスタと歩きながらオーウェンの剣に向けて手のひらを向けて剣を納めさせた。
「た、隊長!?なんでここに…っいたぁ!」
そしてオーウェンに向けた手をそのままレティーツィアの頭へと移動させて彼女の頭に垂直に下ろした。
「お、女の子の頭に何を…」
「これくらいしないと覚えないから間違った事をしたらこうしろと言ったのは貴女ですよ」
「そ、そうでした…」
隊長、という言葉で思い出した。彼らが城での出会いを話してくれた時に出てきた、綺麗な顔をした鬼の形相の隊長さん。その時は綺麗な顔という特徴にまさかね、と思ったがクライスの事だったようだ。
「いきなり人に向かって悲鳴をあげれば異常者かと警戒されます。最悪斬られても文句言えませんよ?」
「うう…すみません、だって、こんな所に憧れのプリメーラ様がいらっしゃるだなんて思いもしなかったから…」
どうやら先程のものは黄色い悲鳴だったらしい。
「なぁクライス、説明してもらっても良いか?」
プリメーラの名前が出てきては黙っていられないというように、エドアルドが少し困ったような顔で一歩前に出て言った。
「彼女は半分部下のようなものです。城のキッチンメイドですがある時知り合いになりまして。顔が広く基本的に好印象を持たれる性格でしたので末端に情報を流す時に力を借りています。落ち着きはないですが悪い事を考えられる人ではないので安心してください」
「…お前の情報を持って悪巧みに使わないんだったらそりゃ安心だな」
「プリメーラのくだりについては私もよくわかりませんが…」
「プリメーラ様はその女神様のようなお姿に知性と気品溢れる振る舞い、そして女性最年少で文官試験に合格されるという輝かしい功績をお持ちなのにまったく奢らずにストイックに仕事をこなされているという…全てにおいて貴族女性の憧れなんです!プリメーラ様とお近付きになりたいとみんな思ってはおりますがプリメーラ様はお茶会は開かれず、お会いできるのは城で仕事で関わるか夜会でお近付きになるかで私のような男爵家の娘にはそんな機会はとてもとても…はっ…よく見れば貴方様はプリメーラ様の旦那様のエドアルド様!?そんな、おしどり夫婦をこんな間近で見れるなんて…」
レティーツィアはキラキラとした目で片手を空に掲げて熱く語り続けた。こんなにプリメーラの事が好きなら、突然目の前に本人が現れたら悲鳴をあげても仕方なかったかもしれない。
「あらあら、そんな風に熱く語られてしまっては恥ずかしいですわ」
次々とプリメーラを称える言葉を吐き出していたレティーツィアがピタリと止まった。
「はじめまして、で合ってますかしら。わたくし、プリメーラ・ウォル・サフィーアと申します。以後お見知りおきを」
エドアルドの後ろから前に出てプリメーラはお辞儀をしながら自己紹介をした。何度か見てはいるがその姿は変わらずとても綺麗で、レティーツィアじゃなくても見惚れてしまう。
「はっ…はじめまして!レティーツィア・アン・ロックウェルと申します。ロックウェル男爵家の5番目の娘です」
「ふふ、クライスにお仕事を任されるだなんて優秀な方なのですね」「そ、そんな事…いえ、プリメーラ様にお褒めいただき光栄です!」
レティーツィアもプリメーラ本人との会話は緊張するらしく、先程までの勢いはなくなったようだ。
「なぁ、カティア…」
キースが私にだけ聞こえるようにぽそりと呟いた。
「置いてけぼりなのは俺だけ?」
「ううん、大丈夫、私もあまりついていけてない」
クライスとレティーツィアが城での知り合いで、貴族組で色々とあるようだというのはわかったのでキースよりはついていけているのかもしれないけれど、それでもこの後どう動いたら良いのかまったくわからない。
「カティアさん」
「は、はい!」
キースと並んで立ち尽くしているとクライスが振り返り手招きをしてきた。一番何もわかっていないキースを置いていくのも可哀想なので彼の腕を引いてクライスの元へと行くと、少しだけ不服そうな顔をされた。何だろう、とクライスの視線を追うとキースを引っ張る私の腕に辿り着いて、もしかして、と手を離す。
「ごめんなさい…?」
「いえ、こちらこそすみません。狭量でした」
キースにくっついた状態が嫌なのかなと思いながらも、違ったらちょっと恥ずかしいなと思って疑問の形で謝ってしまったが、合っていたようだ。
「…と、それでですね、今のこのそれぞれにわかっている事がバラバラな状況は良くないかと思いますので、情報の摺合せをしたいのですが」
「わかりました、宿の仕事の方は大丈夫ですから、食後のお茶でも淹れてここで話しましょう」
「助かります」
皆には先に席についていてもらうよう告げキッチンへと向かいながら、あの混乱した状況で今更だけれどゲイルの姿がない事に気付いた。森にでも出ているのかしら。
「カティア、私も手伝います」
「ターニャ、ありがとうございます。お願いします」
小走りに寄ってきたサリタニアは私の返答にほっとした顔になった。きっと初対面だけれど今までのような仮初めの理由は使えない貴族相手に何をどこまでどう話したら良いのかわからず、何も口に出せない状態で私達以上に居心地の悪い思いをしていたのだろう。しかもおそらくレティーツィアはサリタニアの正体に気付いていない。話し合いの中でクライスが導いてくれるだろうけれど、それまではあの中には居づらいだろう。
「…お、終わったか?」
「ゲイル!?」
キッチンに入るとゲイルが朝食の片付けの続きをしていた。
「何でここにいるの?」
「ここにいる時に悲鳴が聞こえたから、エディさんとオーウェンさんがいるなら俺はここで自分の身を守ってた方が良いだろうって」
「それはそうかもしれないけど…キースの声聞こえなかった?」
「聞こえた。でもその後クライスさんの声も聞こえたから後は大丈夫かなって。なんか面倒そうだったし…」
「…その判断正しいかも…とりあえずみんなで話し合いする事になったから、お茶淹れるの手伝ってほしい」
「了解。…その話し合い俺も出るのか?」
「お、置いてかないでよ…」
ゲイルはものすごく嫌そうな顔をしながら仕方ねぇな、と呟いてポットを火にかけた。




