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54. サリタニアの決意(サリタニアside)

「寝床はこの小屋を使ってください」


 食事を終え、マウリさんの案内で村の入り口とは反対の方に建てられた小屋へと案内されました。ミゲルさんの村とは違い、来客者のみで泊まれるようになっているようです。


「ありがとうございます。我々だけで使ってしまって良いのですか?アルフさん達も今晩泊まられるのですよね」

「彼らはアルフさんと仲の良い家に泊まる予定ですので、どうぞ皆さんでゆっくりお過ごしください。何か困った事があれば一番近い家をお訪ねください」


 アルフさん達のおかげで信頼していただけたようで、マウリさんはわたくし達に見張りをつける事もなく小屋を預けてくださいました。


「アルフさんとロディ君に感謝しなくてはな。クライス、俺は周りを見てくるから後は頼んだぞ」

「あぁ。さぁターニャ、中へどうぞ」


 先に小屋へと入ったクライスから許可が出たので中へと入ります。小屋の中には簡素なキッチンとテーブルにベッドが4台あり、旅人が一晩過ごすには十分な用意がされていました。


「警戒もしながら、旅人に気持ちよく過ごしてもらえるよう準備もしてあるのですね」

「この場所が入り口から遠いのも何かあった時に村人が逃げられるようにしているのでしょうが、その何かがなかった時はここは上座になりますからね。よく考えられています」

「力がなくても守る事は出来るのですね…」


 わたくしはまだ発言権のない王族です。お父様はわたくしの発言を受け止めてはくださいますが、官吏や貴族達を頷かせるには力がまったくないのです。そんなわたくしでも、この村の人々のように何かを守る事が出来るのでしょうか。


「悩まずとも、貴女なら出来ますよ」


 わたくしが思っている事をお見通しのクライスは整えられたベッドを確認しながら振り返りそう言ってくれました。


「さぁ、ここまで疲れたでしょう。今夜は早くお休みください」

「ありがとう、貴方達もきちんと休んでくださいね」

「はい、お気遣い痛み入ります」


 馬での旅路だったので足にマメが出来るというような事はありませんでしたが、昨晩は夜営でしたし、体は思っていた以上に疲れていたようです。わたくしはベッドに横になると見回りから戻るエディを待つことなく眠りに落ちてゆきました。


 窓から入る陽の光と、さわさわとした朝独特の気配に目を覚ますとクライスとエディがテーブルに朝食の支度をしてくれていました。


「おはようございます。よく眠れたようですね」

「おはよう…ごめんなさい、寝坊してしまいましたか?」

「いいえ、早いくらいですよ」


 クライスはそう言いながら、カティアが持たせてくれた茶葉を使ってお茶を淹れてくれました。どうやらここの村は朝が早いらしく、近所のおばさまが早々に朝食を持ってきてくれたそうです。


「早いうちから働いて、夜は早めに夕食をとり酒を飲むというのがこの村の習慣だそうですよ。なかなか良いですね」

「気になるのでしたらエディもお酒を飲んで良いですよ?」

「お気遣いありがたいですが、それは出来かねますね」


 エディでしたら仕事に差し支えないように飲む事が出来そうですが、お酒というものはそんなにも気をつけなければならない相手なのですね。


「ターニャ、実は私も社交的な形でしかエドアルドが酒を飲んだ姿を見たことがないんですよ」


 こそこそと耳打ちしながらもエディに聞こえるようにクライスが言います。


「おい」

「ですので、私はエドアルドが酔った姿はとても人には見せられず、両親やプリメーラから止められているのでは?と勘ぐっております」

「おいクライス」

「暴れる…はさすがに噂になりそうですから無いとして、ひたすら絡むようになるか、泣き崩れるか…はたまたものすごく甘えん坊になるか…」

「やめろクライス」


 あら、エディのお顔が少し赤いですね。もしかして最後が正解だったりするのでしょうか。


「エディ、大丈夫ですよ。プリメーラならきっとどんな貴方でも受け止めてくれますから」

「ターニャ…そうじゃない…」

「はは、昨晩のお返しだ」

「昨晩?」


 わたくしは熟睡しておりましたので気づきませんでしたが、クライスの話によると昨晩見回りから帰ってきたエディはクライスに先に休むよう勧め、それだけではなく今晩は交代をしなくても良いと言ったそうなのです。そういうわけにはいかないだろうと、少しだけ喧嘩をしたのだとか。今の会話を聞く限り、幼馴染の軽い言い合いみたいなものでしょうけれど。


「夜営もしたし、慣れない森の中を馬での移動だったろう?疲れていると思ったたんだ」

「そりゃ疲れはしてましたが、そこでエディに体力を心配されるのは男の矜持が許しません」

「何だよ、以前は筋力体力なんてなくても俺は頭脳派だから気にしてない、みたいな感じだったじゃないか…」

「……もしかしてカティアですか?」

「うん?カティアさん?」

「エディは力持ちですからカティアの事も他の女性と同じく自分より弱い存在として思えるでしょうが、カティアは結構力持ちなのですよ」

「あぁ…」

「エディ、何だその目は」

「いや、俺のオトウトがかわいいなーと思って」


 笑顔を浮かべぽん、と肩を叩いたエディの手をクライスは嫌そうな顔で払い、さぁ朝食を食べますよ、と話を逸らせてしまいました。昨晩のお返し、と言っていましたのに結局自分に返ってきてしまうだなんてクライスらしくないですが、このようなクライスを引き出してしまうカティアはやっぱりすごいですね。


「ふふ、今すごくカティアに会いたいです」

「この村での隣国との出入りを確かめたら調査終了です。あと少し、頑張りましょう」

「あぁ、もうそろそろカティアさんの料理も恋しくなってきたしな」


 朝食を終え、小屋を出ると村の人々は既に皆それぞれに働いていました。朝の柔らかい日差しの中畑で水を撒いているおじさまや、家畜の世話をする男性に幼い子供を集めて面倒を見ている少女、昼の為か夜の為か食事の下拵えに収穫した大量の野菜の皮を剥いているおばさま…みんな笑顔で楽しそうにしています。


「ここも良い村ですね」


 笑顔で働けるというのはなかなか難しい事です。城でも働いている者達の労働環境は気をつけるよう上の者に命じてはいますが、なかなか目が届かない部分もありますし、どうしても忙しくて余裕がなくなってしまう事もあります。わたくしの側近の労働時間を改善しなければと、この旅で認識もいたしましたし…。


「おはようございます、みなさん」

「ロディさん、おはようございます」


 村を周っていると、大きなリュックを背負ったロディさんが声をかけてくれました。荷物を持っているという事は今日旅立たれるのでしょうか。ですが周りを見てもアルフさんの姿が見えません。


「アルフさんはご一緒ではないのですか?」

「はい、師匠は隣国へ入る手続きをしています。少し煩雑なので先に行って書類を書いておくから、私は貴方方に挨拶をしてこいと言われまして」


 まぁ、なんて幸運なんでしょう。わたくし達が本日の目的にしていた隣国への手続き方法がこの目で見られそうです。


「気にかけてくださってありがとうございます。私もアルフさんへご挨拶したいので、よろしければその手続きれているところへご案内いただけませんか?」

「もちろん、師匠も喜びます」


 ロディさんの案内で村の中を進んで行く間にもたくさんの方が声をかけてくださいました。みなさん気さくで真面目で優しくて、旅立った時には不安でいっぱいだったわたくしの心に、今は一つの陰りもありません。城にいたままでしたらこの地で生きている人々の事なんて何一つ知り得なかったのだと思うと、ここに来て良かったとお父様に感謝すると同時に、このままお互いに距離をとったままではいけないと進言しなければと気を引き締めます。


「ここです、この建物がこの村でのいわゆる関所というやつですね」


 案内された建物は村の人々が住んでいる家の半分程の大きさの建物で、扉を開けると4人がけのテーブルセットが一つと小さなカウンターと書類棚があるだけの質素な部屋になっていました。テーブルではマウリさんとアルフさんが座って書類を記入しています。


「おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」

「はい、とても過ごしやすいおうちでした。ありがとうございました」

「それはよかった」


 にこやかな笑みを浮かべてマウリさんが席を立とうとしましたので慌てて止めます。


「どうぞ、作業を続けてください。アルフさんに挨拶をしに来ただけですので…」

「…ではお言葉に甘えて……」

「すみません、お邪魔でなければ後学の為に見学をしても良いでしょうか?」


 書類に戻ろうとしたマウリさんにクライスが尋ねると、マウリさんもアルフさんも快く受け入れてくださいました。椅子を勧められたので、書くことがあるロディさんと見学のクライスが座り、わたくしはエディと数歩離れた所からみなさんの様子を見ることにします。書類の内容は見えませんが、クライスに任せておけば大丈夫でしょう。


「だいぶ量がありますね」

「本来は国を行き来する目的によって省ける書類もあったはずなんですが…昨晩もお話しました通り、自業自得ではありますが国と切り離されてしまってからその具合がわからなくなってしまいました。それでも国境の村という矜持はありますから、他の村や街に迷惑をかけないように全ての書類に記入してもらっています」

「この作業は面倒だが、そのおかげでこのルートを通る商人はそこまで多くない。人数や持ち込む品が多ければその分書類も増えるから、スコットんとこみたいな商団はここから抜けるのを嫌がるしな。だから俺みたいな個人の商人にとってはこの書類の山があっても美味しいんだよ」


 昨今は関所での手続きには手形を発行するなどして手間を少なくするようにしています。元々この辺りは村々が点在している他は山と入り組んだ川に森が広がっていて、今よりも更に人の行き来が少なかった為、国境に面しているからとこの村に形だけの手続き用の建物を建てたのでしょう。そして村の人々は国との繋がりを絶った後悔と共に、贖罪の念を込めてひたすらに自分達が知り得る限りの国のルールを守ってきたのでしょう。


「マウリさん!シェニが産気づいた!」


 バタンと勢いよく扉が開いて村のおじさまが入ってきました。その声にマウリさんもガタリと席を立ちます。


「アルフさんみなさんすみません!」

「あぁ、構わない行ってくれ」


 ばたばたとマウリさん達が外へと出てゆき、わたくし達は書類を記入し続けるアルフさんを見ることしか出来なくてどうしたら良いかとエディやクライスと顔を合わせていると、ロディさんがこちらに気づいてわたくしに椅子を勧めてくださいました。


「まだ俺達に出来る事はない。長丁場なら夜も明けるだろうしな。俺達は村人達の邪魔にならないようにしているのが一番だ」

「そうですよ。僕も歳の離れた妹が生まれる時はオロオロしてるだけなら邪魔だと部屋を追い出されてしまった事があります。こういう時は経験豊富な方々に任せるのが一番です」

「そうなのですね」


 お二人のアドバイス通りに静かに書類を観察する事にいたしましょう。椅子を勧められた事で内容も見えるようになりましたが、改めて記入内容を見ていると不要と思われる項目がたくさんありました。ちらりとクライスの方を見ると、クライスも同じ事を思っているのか難しい顔をしていました。


 しばらく経つと、コンコンと扉を叩く音が聞こえ、男性が入ってきました。


「すみません、一段落ついたら書類を持って村長の家へ来ていただけますか?」

「構わないよ、お産は順調なのかい?」

「今のところ問題ないようですが、出産時は産婆と家族以外は村の者全員で集まる習慣なので…」

「村長も家から出られないんだな?」

「その通りです、申し訳ない」

「いいや、気にせんでくれ。そういう事なら出発はお産が終わってからにするよ。なぁロディ」

「はい!お祝いにお酒を振る舞わせていただきますよ」


 男性の案内で村長の家へと行くと、そこには聞いていた通りたくさんの人達が集まっていました。手を組んで祈っている人、マウリさんに指示を出されて忙しなく動き回っている人、家から持ってきたのか藁の編み物を進めている人、みなさんばらばらなようですが、揃ってそわそわと落ち着きがなさそうにしています。


「あぁ、アルフさんすみません!」


 こちらに気づいたマウリさんが申し訳なさそうな顔をしてアルフさんに頭を下げました。


「気にせんでくれ。出発はお産が終わった翌日にする事にしたよ。急ぐ旅でもないし、手伝える事があったら言ってくれ」

「ありがとうございます。では新しい村の宝が無事生まれて来る事を祈っていてください」


 村の宝と聞いて、胸が熱くなってきます。子供が生まれる事は身分に関わらずおめでたい事ですが、貴族は血族の中でのお祝い事の色が強いです。血の繋がりがなくても、村の人達はみんなで家族のような存在なのですね。


 側にいたおじさまに村でのお祈りの仕方を教わってお母さんと生まれて来る赤ちゃんの無事を祈っていると、みなさんのそわそわとした気持ちまで伝わってきてしまいました。わたくしが生まれる時も、お父様達はこのような気持ちだったのでしょうか。


 日も暮れる頃、ばたんと勢いよく扉が開かれて、無事の出産を告げられました。だんだんと落ち着きの無さが増してきていた村の人達はみな顔を明るくして外へと出てゆきます。わたくし達も後ろについて行くと、遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。力強く泣くその声に、胸がより熱いもので満たされてゆきます。こんなに嬉しく、温かい気持ちにさせてくれる泣き声があるだなんて。わたくしは経験した事のない感情に包まれて、滲んでゆく視界の中、この村の人々の笑顔をひとつも見逃したくはないと必死に堪えながら、どうしてもこの気持ちを声に出して言わなければと口を開きました。


「クライス、エディ。私は…わたくしは、この人達を、守りたい」


 喜びに包まれる村の人々の歓声に掻き消されてしまいそうなわたくしの声を二人は聞き取ってくれたようで、わたくしの背中には二人の手が優しく置かれました。


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