50. 騒動の翌朝
「おはよう、ゲイル」
「はよ…」
朝食の支度をしているとゲイルが眠そうな顔をしてキッチンに入ってきた。
「どうしたの?眠れなかった?」
「んー…何か昨日は色々ありすぎて目が冴えてた」
「あはは、そうだね。ここ数日で貴族の知り合いも一気に増えたしねぇ」
「貴族なんて一生会わないと思って暮らしてたんだけどな」
私もそう思って生きてきた。でもクライスに始まり、サリタニアにエドアルド、レティーツィアにプリメーラ、オーウェンと沢山の貴族の人達と知り合ってしまった。最初は萎縮してしまってなかなかうまくいかなかった事もあったけれど、慣れとは恐ろしいもので、プリメーラと挨拶する時はだいぶ冷静でいられた。レティーツィアとキースの話を聞けた事も大きかったかもしれない。
「お前が動こうとし始めたからかもな」
「?」
朝食作りを手伝おうと手を洗うゲイルにそう言われたが、いまいちわからなくて横顔を見ながら首を傾げる。
「こら刃物持ちながら余所見すんな」
「あ、ごめん」
畑仕事の道具は一歩間違えると大怪我をするものもあるらしく、道具の扱い方には厳しい。
「お前、スコットさんの話聞いてから外に目を向け始めただろ?」
「うん」
「そういう時って周りも自然と動いていくらしい」
「って“じいちゃんが言ってた”?」
「そう」
「ならそういうものなんだろうね」
じいちゃんが言ってた、はゲイルの口癖のようなものである。先回りされてバツの悪そうな顔になったゲイルにくすくすと笑っていると、ゲイルは誤魔化すように朝食の支度にとりかかった。
「これ盛り付ければいいのか?」
「うん、プリメーラさんにはこっちのリゾットを持っていくから、他は部屋の人数分のサンドイッチをこのバスケットに入れてくれる?」
「りょーかい」
「あ、ゲイルはサンドイッチとリゾットどっち食べる?」
「リゾット食ったことないからそっちかな」
「わかった。じゃあ水分吸っちゃうから、今日は朝食を配り終えたら私たちもここで食べちゃおっか」
キッチンで立ちながらの食事にはなるが美味しく食べれた方が良いだろう。2人で手分けして朝食を各部屋へと持ってゆき、最後に私がリゾットを2人分トレーに入れてプリメーラの部屋の扉をノックした。
「おはようございます、朝食をお持ちしました」
カチャリと扉が開いてオーウェンが出迎えてくれた。プリメーラの具合はどうだろうかと彼の肩越しに覗くと、身支度を整えたプリメーラが椅子から立ち上がるところだった。
「おはようございます、カティアさん」
「お加減はいかがですか?」
「もうすっかり良くなりましたわ。あのジャムのおかげかしら、なんだかいつもより早く良くなった気がいたします」
美味しいからという理由だけで採っていたけれど、もしかして何か薬効でもあるのだろうか。
「それは良かったです。でもあまり無理はなさらないでくださいね。朝食も食べられる分だけお召し上がりください」
「まぁ、とても美味しそうですね。ありがとう」
「他に必要な事があればいつでもお声がけくださいね」
部屋を後にしてキッチンで朝食を食べ終わると次はチェックアウトだ。部屋の鍵を返してもらい宿帳にサインをもらう。宿泊してくれた事に感謝し、旅が無事であるようにと祈りを込めて挨拶をして背中を見送る。笑顔で旅立ってくれたら接客は成功だったと自分を褒める事にしている。昨夜は色々とあったがみんな笑顔でいてくれた。
「あの…」
常連客を入り口まで見送り宿の中に戻ると、昨日喧嘩をしていた2人とその仲間の商人達が1階へと降りてきていた。
「昨夜は本当に申し訳ありませんでした。お詫びに良かったら我々の商品を受け取ってもらえませんか」
2人から差し出された箱を開けると、中にはそれぞれお皿と花瓶に使えそうな陶器の入れ物が入っていた。お客様を取られたなどと言っていたので2人とも陶器類を扱った商人なのだろう。
「ありがとうございます。どちらも素敵ですね。ありがたく使わせていただきます」
素敵だという感想は本音だ。きっと数ある商品の中から宿に合うものを選んでくれたのだろう。2人とも私が受け取ると安心したのか、少し表情を和らげた。ぎこちなくはあるが笑って旅立ってくれたので私も少し安心する。
見送りが終わりさて掃除に取り掛かろうと箒を手にしたところでプリメーラとオーウェンが部屋から出て来た。
「朝食ありがとうございました。旦那様が作る味に似ていてとても美味しかったですわ」
「お口に合いましたでしょうか。以前エディさんに作っていただいた事があったのでその時の味を思い出して作ったのですが、寄せられていたようで良かった…で、す」
にこにことしていたプリメーラの表情に少しずつ不安色が濃くなってゆくのを見て、またしても言い方を間違えたと気づいた。夫が自分以外の女性と同じ場所で暮らしていて、料理まで振る舞ったと聞いたら嫌でも変な想像だってしてしまうだろう。
「あ、あの、皆さんがこちらにいらしたばかりの時に私が高熱を出してしまって、料理が出来るのがエディさんしかいらっしゃらず、エディさんもミルクリゾットだけ作れるという状況でして…それに、ミルクリゾットは奥様の為に作れるようになったととても優しいお顔で言っていたので…」
「あら、ふふ、ごめんなさい。駄目ね、表情に出てしまっていたかしら」
綺麗な顔で困り笑いをしながらそう言うプリメーラに心が痛む。それに後ろに控えているオーウェンが昨日と同じく無表情なのに昨日よりも怖い。
「あの、エディさんはとても優しくて頼りにさせていただいてますが、兄や父に対する気持ちと同じというか、兄も父も私にはいないのですけれど、それに、私が想っている人は他にいますので…」
何を言っているんだろうと自分でも思いながらも何とかプリメーラの誤解を解きたくて必死に言い訳をしていると、いつの間にか後ろにいたゲイルがコツンと頭を小突いてきた。
「落ち着け」
「う…」
「あの、大丈夫っす。俺から見てもエディさんに対してはそういう感じじゃ全然ないので」
ゲイルは宿の手伝いはしてくれても積極的にお客様に関わろうとはしなかったのに、余程私が取り乱しているように見えたのだろう。助太刀ありがとう、と心の中で感謝しながらゲイルの言葉を肯定するように大きく首を縦に振ると、プリメーラも安心してくれたのか表情を和らげ口元に手を添えてふふ、と笑った。
「ゲイルさんがそう仰るのであれば安心できますわね。勘違いしてごめんなさい。カティアさんが辛い時に旦那様が力になって差し上げることが出来てわたくしも誇りに思いますわ」
昨夜の事もあってかゲイルへの信用が高くて良かった。それにしても、夫の行動をこんな風に褒められるってすごく素敵だ。
「こちらこそ考えなしの発言をしてしまい申し訳ありません…あの、少ししかお話を聞いたことはないですが、エディさんも奥様の事を本当に大事に想われていると感じました」
熱を出した翌日にリゾットを出してくれた時のエドアルドの顔を思い出しながらそう伝えると、プリメーラは一度きょとんとした表情をした後に頬を微かに染めて花のような笑顔を咲かせた。こんなに綺麗で素敵な人に想われているエドアルドは幸せだろうな。
「ふふ、カティアさんのような方がいらっしゃって、旦那様はここで快適に過ごされていたようですね」
「そうだと良いのですが…」
「なぁカティア、ここは俺に任せて茶でも飲みながら話してきたらどうだ?プリメーラさん、昨日お前と話したいって言ってただろ」
ゲイルが私の手から箒を取り上げながらそう言うと、私が答えるより早くプリメーラが首を横に振った。
「あぁ、お仕事の邪魔をしてしまってごめんなさい。ゲイルさん、お気遣いありがとうございます。ですがそれではわたくしが旦那様に申し訳が立ちませんわ」
「お嬢様、では彼らには通常通り仕事を進めてもらって、我々は見学させていただくのはいかがでしょうか。旦那様の生活が垣間見えるかもしれません」
ここまで静かに後ろに控えていたオーウェンが口を開いた。
「あ、それは良いかもしれません。仕事を見ていただきながら敷地内と周りのご説明をします。その方がオーウェンさんも護衛しやすいですよね?」
エドアルドもよく見回っていたし、と提案するとオーウェンは驚いたように小さく表情を動かし、更にほんの少しだけ口角を上げた。
「お気遣い感謝します」
先程までの無機質な受け答えではない言い方に、エドアルドのように気さくに会話出来るという感じではないが、オーウェンも少しは気を許してくれたのだろうと感じた。
「もちろん、エディさんのお話もしますよ」
その言葉にプリメーラは嬉しそうに手を胸の前で揃えて笑顔を綻ばせた。




