49. 客の正体
「おつかれ」
一騒動あった夕食を終えたお客様が各部屋へと戻り、片付けをしながらゲイルが言った。
「大変だったけどみんな楽しく食事を終えられたようで良かった。改めてゲイルもありがとね」
「俺は何もしてないって。流石だなって思って見てただけだ」
お皿を洗いながらそう言うゲイルからは別に悲観しているとか謙遜しているとかそういう雰囲気は感じない。ただ事実として言っているその様に、私も正直な気持ちを話したくなる。
「流石だなんて、そんな事ない。私が自信をもって対応出来たなって思えるのは最後のお料理のところだけ。きっとクライスさんやターニャなら最初の段階で綺麗に収められてたんだと思うし」
結局2人とも反省してくれたし、お互いに冷静でなかった事から起きた喧嘩だったのかもしれない。でももしかしたら本当にどちらかが正しくない事をしていたのかもしれない。それは私には判断できないから、先程のように感情面の話をする事しかできない。
「あの人達なら確かにうまくやれそうだけど、でもここはカティアの宿だろ。だったらカティアが良いと思った収め方で良いんじゃないか?」
「…宿の事なら、うん、そうだね」
「…?何か歯切れ悪くないか」
今サリタニア達が国境の村に行っている理由を思い出さずにはいられない。今回は喧嘩で済んだ。でももしここで起きたことがもっと大事だったら、喧嘩ではなくてどちらかがはっきりとした悪意を持っていたとしたら、ゲイルと私しかいなかったらと考えると胸がひやりとしてくる。サリタニアが言っていた、知識もなく頼る人がいないという事はこういうことなのだろう。
「…ねぇゲイル。この辺りに領主様がいたとしたら、どう思う?」
「なんだよいきなり」
「……」
「…うーん、どうだろな。そうなってみないとわかんないけど」
そこまで言って言葉を切り、皿を洗っている手を一度止めて遠くを見るように少しだけ顔を上に向けた。
「領主様がいたら、もしかしたら父さんと母さんは死ななかったかもしれないな、とは思う」
「ゲイル…」
「よくわかんないけど、多分薬とかいっぱい知ってるんだろうし、医者に診てもらえたかもしれないだろ」
「そう、だね…」
村で流行病があった事は私は後から知らされた。村が大変だったのもあるし、祖母と私にうつしてはいけないと気も遣ってくれたのだろう。しばらく顔を見せなかったゲイルに、最近はお天気が良いから畑が忙しいんだろうなんて呑気に思っていた私がミゲルに話を聞いたのは、優しくしてくれたゲイル達の両親が亡くなって埋葬も済んでしばらくしてからの事だった。
「抵抗とかはない?」
「なんで?」
「この辺りはずっと村のみんなで自治してきたでしょう?今更上に人が立つって、どうなのかなって」
「上に立つ人によるな。偉そうなやつだったら嫌だし、クライスさんみたいな人だったら頼りになるだろ」
「そっか」
後でサリタニア達に教えてあげよう。村で生まれて育ったゲイルの言葉はきっと役に立つはずだ。ところでゲイルってばものすごくクライスさんを信頼してるのね。
「すまない、少々よろしいか」
キッチンの外から声がかかり会話と片付けの手を止めて出て行くとオーウェンが立っていた。いつもの無表情ではなく、少しだけ困った顔をしている。
「どうされました?」
「連れが熱を出したので果実水をもらえればと」
「それは大変です…お水では駄目ですか?今果実水の仕込みをしていなくて」
「…医者から貰っている薬の味がひどいらしく、果実水でなければお茶でもいい、味を誤魔化せるものをお願いしたい」
薬の味がひどいというなら苦いのだろう。それならお茶だと余計にひどくなりそうだ。何か薬の味を誤魔化せるもの…そうだ。
「ではすぐにお持ちしますから、先にお部屋に戻っていてください」
キッチンに戻りまずはポットに果物を入れて果実水を作っておく。続いて急いで水瓶に水を入れて、棚からエカの実のジャムを手に取りゲイルに片付けを任せて2階へと上がった。
「失礼します、飲み物をお持ちしました」
扉をノックするとオーウェンが顔を出した。招き入れてもらい中へと入ると、女性がフードを外して上半身を壁に預けてベッドに座っていた。女性は銀糸のようなまっすぐで綺麗な髪をしていて、ゆるりとした夜着は外套と同様に上等な生地で作られたものだった。先程ちらりと見えた澄んだ水の様な瞳は熱の所為か赤みを帯びている。
「お熱が出たと伺いました。大丈夫ですか?」
「ええ、面倒かけてごめんなさい。お薬をいただいてますから飲めば安心なんですよ。ただ、お恥ずかしながら少しだけ苦手な味なのです。他の方には秘密にしてくださいませね」
辛いだろうににこりと笑ってそう言う姿はすごく綺麗で、同姓の私が見てもドキリとした。
「さあ、薬を飲みましょう。…これは?」
オーウェンが私の持つトレーを受け取りジャム瓶を見ながら訊いてきた。
「お薬の苦味が強いかと思いましたので、お茶だと余計に苦くなると思ったんです。ですのでこのジャムを水に入れて混ぜて飲むか、お薬を飲んだ後に口直しとして食べていただければと思いまして」
「まぁ、お気遣いいただいて感謝いたしますわ」
「いえ、こちらこそ先程はありがとうございました」
そういえばきちんとお礼を言えていなかったと思い改めて伝えると、水とジャムの毒見をし終えたオーウェンがこちらを振り返り無表情で気にするな、と言った。
「愛想がなくてごめんなさいね。悪気はないんですのよ」
「はい、承知しております」
「あら、ふふ、良かったわねオーウェン」
薬を渡してくるオーウェンにそう笑いかけるも無表情を貫いている。でも私は先程この人が困った顔をしていたのを知っている。私を助けてくれた事も含めて、決して心がない人ではない事はわかっているのだ。
「そうだ、明日の朝食はどうされますか?お熱のある時に食べやすいものがあるのでしたら作りますが…」
「でしたら、ミルクリゾットをお願い出来るかしら?」
ミルクリゾットという言葉にあれ、と思う。普段から薬を繰り返し飲んでいると思われる言動からよく熱を出しているのだとわかる。上等な生地の外套や夜着に貴族らしい話し方。そして熱を出した時に食べたいというミルクリゾット。
「…あの、エドアルドさんって、知って…っ」
もしかしてと思いエドアルドの名前を出した瞬間、オーウェンが腰の剣を抜いてこちらに向けてきた。これは言ってはいけない事を言ってしまったのだろうか。喧嘩の時も迂闊だったと反省したのに全然学んでいない事に落ち込む。
「オーウェン、おやめなさい」
「ですが、エドアルド様の姿はないのにあの方の名前を知っているのです。この者が何かをしたのかもしれません」
エドアルドがこの宿にいるという事を知っている。やっぱりこの人達は…。
「おいカティア、お客さん大丈夫かっ…てうわっ」
様子を見に来たゲイルが剣を構えるオーウェンにびっくりして後ずさった。
「えぇ…?なんだよなんでこんな事になってんだ?」
「ええと…多分、勘違いされて、る?」
「…お前はなんでそんなに冷静なんだよ」
魔獣が出てきた時に比べたらあまり恐怖は感じなかった。多分、女性の方が勘違いをしていないように見えるからだろう。
「ねえ、あなたはエドアルド様の事を知っているの?」
「はい。少し前までここで暮らしていましたから」
そう言うと女性の顔が曇った。あ、しまった言葉の選択を間違えた。私が予想している通りならこれでは不安にさせてしまう。
「宿のお手伝いをしていただいていたんです。それで、気になる事があるようでしたので今は3人で国境の村に行っています」
「3人…」
2人は目を合わせて頷いた。まだこの人達の正体がはっきりしていないのでサリタニアの名前は出してはいけないと思ったが、3人というのが誰をさしているのか分かってくれたようだ。
「そう、そうだったのですね。さぁオーウェン、剣を納めなさい」
「信じるのですか?」
「昼間花壇を見たでしょう?あの方が趣味を伸び伸びと行えていたのです。この宿に悪人がいるはずがありません」
そう言って女性は立ち上がり、剣を納めたオーウェンが急いで女性の肩にストールをかけた。
「あっ無理しないでください」
「これくらい大丈夫ですわ」
女性は私の方まで歩いてくると、夜着の裾を摘んでとても綺麗なお辞儀をした。
「わたくし、エドアルドの妻のプリメーラと申します。こちらはわたくしの護衛のオーウェンですわ。夫がお世話になっております」
予想が当たっていたようだ。私が熱で倒れた時にエドアルドが作ってくれたミルクリゾットは、奥様が熱を出しやすくてせがまれて作れるようになったと話していた。
「カティアと申します、こちらはゲイルです。宿の主人をしています」
「よろしくお願いしますね、カティアさん」
「エディさん…っええと、身分を隠す為にこのような呼び方をさせていただいていて…」
先程宿で暮らしていると言ってしまった時の顔はきっと大切な夫が知らない女性と一緒に暮らしていると思ったからだろう。事実一緒に暮らしてはいるのだが、あまり近さを感じさせる発言はまた勘違いをさせて悲しませてしまうと思った。
「よろしいですわ、いつも通りにお話なさって?」
だがプリメーラは状況がわかれば懐が深いようで、気にしていないという顔をしてくれた。エドアルドが大切にしている奥様なのだ、きっととても優しい人なのだと思う。
「…ありがとうございます、エディさん達は長くてもあと5日程で戻る予定です。それまでどうぞこのお部屋でお休みください」
「ありがとう、そうさせてもらいますね。あの…よろしければここにいる時の旦那様のお話を聞かせてもらいたいのですが…」
少しだけ恥ずかしそうに頬に両手を添えながら言うプリメーラは私から見てもドキリとしてしまうほどに魅力的だった。こんな人にこんなに想われたら大切にするしかないと思う。
「はい、もちろんです」
「本当?絶対に絶対ですわよ?約束ですわよ?」
「はい!」
プリメーラは女神様がいたらこんな姿かと思うくらいの美しさの中に、可愛らしい一面も持っているようだ。嬉しそうに笑顔をほころばせる姿に私も思わず気合の入った返事をしてしまう。
「お嬢様、そろそろ…」
「そ、そうね…」
プリメーラを気遣うようにオーウェンが手を差し出してベッドに連れていく。薬は飲んだがそんなにすぐに効くものでもないのだろう。プリメーラもベッドに腰掛けると気が抜けたのか少ししんどそうな顔になる。
「長居してすみません、私は1階のカウンター奥の部屋にいますから、夜中でも何かありましたら声をかけてくださいね」
「感謝する。それと先程はすまなかった」
「いいえ、オーウェンさんはお仕事をされただけですから気にしないでください」
「…あなたは変わった人だな」
褒められたのか貶されたのかどちらだろうか。まぁどちらでもいいか、と挨拶を交わして部屋を後にし1階へと降りるとゲイルが眉間に皺を寄せていた。
「なぁ、俺もエディさんに剣を向けられた時同じような事言ったんだけど、俺も変わってるのか?」
大真面目にそう言うゲイルに、私は宿泊部屋に聞こえないよう笑い声を抑えるのに苦労した。




