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47-1. 村の人々1(サリタニアside)

 翌朝起きると、足の痛みはだいぶ軽くなっていました。エディにお薬と包帯を変えてもらって昨晩お食事をしたスペースへ行くと、既にミゲルさんとカイルさんがいらっしゃいました。


「おや、足を痛めてしまったのですか?」

「お恥ずかしながらマメが潰れてしまいまして。でも昨晩お薬を塗って休んだら痛みは軽くなりました」


 わたくしの足の包帯にいち早く気付いたミゲルさんが心配そうにこちらを見ています。カイルさんは昨晩と同じ様にクッションを用意してくれながらこちらをぱっと振り返ります。


「なら今日も泊まっていきなよ!」

「出来ればお願いしたいと思っていたところです」

「やった!」


 クライスの言葉に、こちらの勝手ですのにカイルさんは嬉しそうに喜んでくださいました。クッションを置き終えると今度はキッチンから朝食を運んでくださいます。ゲイルさんもでしたが、カイルさんも働き者ですね。


「朝飯はじいちゃんと俺が作ったんだよ」

「まぁ、朝早くからありがとうございます。いただきます」


 運ばれた朝食はリゾットに似たものでした。口に入れると、程よい塩味と香ばしい香りが広がります。パンのようなものが上に乗っていたのでそれを食べると、スープを吸ったそれはじわっと柔らかく溶けてゆきました。朝のまだ覚めきっていない身体に優しく染みてゆきますね。


「今日は部屋でゆっくりされますかな?」

「いえ、折角ですから村を見て回りたいと思っています」

「なら俺が案内するよ!いいだろ?じいちゃん」

「畑の水やりだけは忘れるんじゃないぞ」


 お仕事があるのによろしいのでしょうかと思いましたが、カイルさんのご厚意を無碍にするのも良くないですね。ミゲルさんもカイルさんに注意しながらも笑顔でいらっしゃるのでここはお言葉に甘えましょう。


「じゃあ朝飯食べたらここで少し休んでてよ。水やり終えたら声かけるから」

「はい。よろしくお願いしますね」


 そう言うとカイルさんは朝食をかきこんで颯爽と外に出てゆきました。


「はぁ、落ち着きがなくて申し訳ない。うちは女手がないのでなかなか客人を招待する事が叶いませんで、久々の事でカイルも張り切っているのです」

「こちらはありがたい限りです。ゲイル君もでしたが、カイル君もとても親切で良い子ですね」


 エディの言葉にミゲルさんは目尻に皺を作って嬉しそうに微笑みます。


「そう言っていただけると助かります」


 そういえば、お二人もご両親がいらっしゃらないのですね。カティアからもご両親の話は出ませんが、流行病でもあったのでしょうか。リゾットを食べ進めながら、もしそうであれば、領主のいないこの土地の方々はどのように対処されたのでしょうと考えます。お医者様は各村にいらっしゃるのでしょうか。


「ところで、今更ですがこの村は何と言うのですか?」


 クライスの声に思考の海に潜っていた意識をそちらに向けます。わたくしも気になっておりました。カティアからもミゲルさん達からも村の名前を一度も聞いていないような気がいたします。


「この村…といいますか、ここら一帯の村には名前はございません」

「名前が、ない?」

「ええ、この辺りの歴史はご存知ですかな?」

「はい。数十年前まで隣国との領地の取り合いに巻き込まれていたと」

「ええ、その通りです。元々この村にも名前はあったのですが、属する国が変わる度に名前を変えられたのです。言葉も少しずつ違いますからね。ですが住んでいる者からするとそのうちに面倒になりましてな。もう村の名前ではなく、知り合いの名前を出して誰それの村、と呼んでいくようになったのです」


 そんなところにも影響があったのですね。お父様は50年先まで領土を取り合わない事を隣国と約束していますが、実際にこうして問題点を住民の方々から聞くと、それではとても短いと感じます。


「あぁ、なるほど。だからカティアさんはゲイルさんの村としか言わなかったのですね」

「我々はもう慣れてしまいましたが、やはり外の人には不便になりますかな」

「慣れないと言うだけで不便とまでは思いませんでしたが、村の名前に何か門外不出の秘密でもあるのかと」

「ははは、面白い事を考えなさる」


 クライスは何か思うところがあるのでしょうか、わたくしも気をつけて見ていなければならないのでしょうかと顔を覗き見ましたが、ミゲルさんのお返事に楽しそうに笑っているのでどうやら雑談のようですね。


 お食事も終え、出されたお茶を飲みながら明日の道程をミゲルさんに確認していると、扉が勢いよく開いてカイルさんが帰ってきました。


「じいちゃん、水やり終わったよ!」

「もう少し静かに開けなさい。扉が壊れる」


 そう怒られてカイルさんはミゲルさんに頭をごつんとされていました。微笑ましい状況に思わず笑ってしまうと、カイルさんは少しだけ照れた顔をしてわたくし達を外へと案内してくれます。


「まずは昨夜のお夕飯のお礼を伝えに行っても良いでしょうか」

「わかった。じゃあまずはマリィおばさんのとこだな。一番張り切ってたから」


 案内されたお家の扉を叩くと、昨日先頭でお料理を持ってきてくださったおばさまが出迎えてくれました。是非お茶を飲んで行ってほしいと言われ、4人でお邪魔する事にします。


「昨夜は美味しいお料理をありがとうございました」

「いいんだよ、それより何が美味しかった?」

「全部美味しかったのですが、私はお野菜とお豆が沢山入ったスープがお気に入りでした」

「嬉しいねぇ、あたしが作ったスープじゃないか。お兄さん達は?」


 クライスが豆のペーストがお気に入りと答えると、どうやらそれはおばさまのライバルの方の料理だったようで悔しいお顔をされていました。


「はぁ…今回こそはあたしが勝つつもりだったんだけどねぇ」

「それはすみません、スープも美味しかったですよ」

「ははっありがとね!かっこいいお兄さんにそう言われると照れるねぇ!」


 おばさまはそう言いながらクライスの背中をばしんと叩きました。痛くはなさそうですが、あのクライスが初対面の方に驚いた顔を見せて勢いに押されています。大変珍しい光景です。


 一通りお礼を伝え終わると、カイルさんが立ち上がり次のお家へと向かう事になりました。


「あ、カイル。ついでにアイラに伝言頼まれてくれるかい?畑にいるから、家の方手伝っておくれって」

「わかった」


カイルさんについて行くと、背の高い農作物の畑に着きました。アイラ、とカイルさんが呼びかけるとひょこりとわたくしより少し背の高い少女が顔を出してきました。


「…あら」

『!』


 短い髪に焼けた肌をした少女は、男性のようにズボンを履いておりました。城でも馬に乗ったりする方や庭師などは女性でもズボンを履いておりますが、目の前に出て来た少女はズボンをくるくると巻き上げて太ももの中間くらいまでよく焼けた足を出しています。城では膝より上を人に見せる事はない為びっくりしてしまいましたが、カイルさんは何事もなくお話されているのでここでは普通の事なのでしょう。目のやり場に困っているクライスとエディは少し気の毒ですが仕方ありませんね。


「あ、あなたたちゲイル兄ちゃんのお客さんでしょ!」


 アイラさんはわたくし達に気付くと指をさしてこちらに駆け寄ってきました。人を指さすというのもきっとここでは何も咎められない所作なのでしょう。


「はじめまして、ターニャと申します」

「あたしはアイラ。よろしくね!はぁ…ほんとお兄さん達かっこいー…うちに泊まって欲しかったなぁ!」


 アイラさんのあけすけな言い方に2人は更に戸惑っているようです。その様子が少しおかしくてくすくすと笑っていると、今度はアイラさんがわたくしの方をじっと見てきました。


「ターニャちゃんもお嬢様みたい。街の人はみんなこんな風なの?やだな、何か恥ずかしくなってきちゃった」


 先程までの元気いっぱいな様子から変わって、服に着いた土をはたいたり髪を手で梳かしたりする姿はとても可愛らしく思えます。


「ふふ、アイラさんのそのお洋服もよく焼けた肌も、働き者の証ではないですか。恥ずかしくなんてありません、とても魅力的です」


 そう伝えるとアイラさんはぱっと顔を上げて、少し照れたようにはにかみました。


「へへ、そうかなぁ?ありがと」


 女性同士の貴族社会では本心でもそうでなくても謙遜が常ですので、こうして心からの褒め言葉を素直に喜んでもらえるのは嬉しいものですね。


「じゃああたし母さんの手伝いに家に戻るから、じゃあね!」


 そう言って元気よく手を振ったアイラさんを見送り、次のお家へと向かいます。カイルさんの案内で昨日お料理を作ってくださった方々のお家へと伺う度にお茶に誘われましたが、さすがにお腹がお茶でいっぱいになってしまいますので丁重にお断りすると、お茶の代わりにとお野菜やお茶菓子をお土産に沢山いただいてしまいました。クライスとエディはお買い物中の従者の様に両手に抱える形になっています。更に途中で会ったおじい様が採れたての野菜を持たせてくれようとしてこれ以上は持てないと伝えると、籠を貸してくださると仰ってカイルさんと近くの物置の方に行ってしまいました。


「なかなか進まないな…」

 

 ぽそりとエディが呟きました。確かに普段の視察でしたらこのように寄り道をしたり途中で話しかけられたりすることなどありませんね。


「でも皆さんの生活の一部になれたようで楽しいです」

「足は平気か?」

「はい、歩くのもゆっくりですから大丈夫です」

「ならいい」


 そう言ってエディは少し離れたところで村の人達と話しているカイルさんを優しい目で見ました。わたくしの足を心配してくれただけで、エディもこの村の空気を気に入っているようですね。


「でも不思議だな。カティアさんの宿からこの村までそこまで距離はないのにこうも文化や習慣が違うとは」

「そう、ですね…」


 わたくしも気になっておりました。お食事の文化に始まり、お作法や服装の常識など、昨夜から事あるごとに感じている違いをカティアの宿ではほとんど感じなかったのです。城を出る時に侍女達に心配されていた事を忘れる程、わたくしは今までと同じように暮らしていられたのです。


「所作もカティアさんはどちらかと言うと貴族に近いというか、少し学べば登城も出来るくらいだしな」

「ええ、お酒や指輪などの慣習はこの辺りの知識ではありますが、カティアは村の人達よりもわたくし達に近いように思えます」


 そう言いながら、昨夜見た夢を思い出しました。綺麗なドレスを身にまとってはいましたが、そこにいるのはわたくしが知っているカティアそのものでした。所作を矯正する事なく、お作法を変える事なく庭園でお茶をするカティアはまさに貴族のご令嬢そのものだったのです。


「カティアさんのお祖母様がそのように教育されたのでしょうね。宿には様々な人が訪れますから、きちんとした作法を学んでいないと接客業として成り立たないのでしょう」

「ああそうか。商人達も気さくではあったが、商売中は俺達も普通に話せていたもんな。あの人達も色んな立場の人を相手にするから、接客業に作法の勉強は必須か…」


 そう、なのでしょうか。クライスもエディも気付いてはいないようですが、貴族の女性には女性にしかわからないお作法というものもあるのです。人に手を差し出す時は指の先まで神経をやり美しく見せる事や、立った時の顎の角度、笑う時の手の添え方など、決して男性には言わない細やかな指導を子供の頃から叩き込まれます。カティアの手はアイラさんと同じく働き者の手ですが、手入れをきちんとしているのか荒れている様子もなく、所作も含めて指先まで綺麗です。これも接客業に必要な事なのでしょうか。


「おまたせ!」


 考えの答えを出せずに思考の海に潜ってしまいそうになったところでカイルさんが戻ってきました。いけませんね、今は村を見ることに集中しましょう。籠にお土産を入れ、クライスとエディが背負う姿に少しだけ笑ってしまいクライスに睨まれつつ次の場所を目指します。


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