44. 家族と貴族と平民
キースとレティーツィアに部屋を案内して1階へ戻ってくると、ゲイルがキッチンから出て来た。
「カティア、皿の片付けしといたぞ」
「あ、ありがとう」
「それと、花壇が終わったら宿の仕事も手伝うからな。宿泊部屋は使ってるけど、今回は客として来たんじゃなくてクライスさん達の代わりだし」
ゲイルは本当に働き者だなと思うと同時に、昨日話した事も思い出して思わずゲイルの顔を見つめてしまっていた。
「ん?…なんだよ」
「えっ?いや、ゲイルは働き者だなぁって思っただけ」
正直に答えたのにゲイルはこちらをじっと睨んでいる。
「ゲイルもそのうちキースみたいにお嫁さんをもらうんだろうナー、こんな働き者のゲイルのお嫁さんはきっと幸せだろうナー、とか思ったんだろ」
「うぅ…ごめん、思いました」
「ついでにそれを想像して淋しくなってると」
「ほんとごめん、昨日も言ったけどほんと私って我儘だ…」
きっと昨日出した答えを受け入れた事はお互いに後悔していない。どちらかが納得せずに無理をしていれば今日1日してきた会話なんて出来ないと思う。でも、だからこそゲイルも私も、私達が結婚するという選択は今後決してしないだろう。後悔はしていないけど、ゲイルのお嫁さんになる人が少しだけ羨ましいな、なんて思ってしまう。なんて自分勝手なんだろうと両手で顔を覆った。
「あのなぁ、俺だって少しも悔しくないって言ったら嘘になるぞ?」
「…そうなの?」
「そりゃ家族を取られたら悔しいだろ」
言われて、おばあちゃんに私以外の孫がいたらと想像したら少し淋しかった。これと同じ?
「じゃあ試しにクライスさんが誰かと結婚したとこ想像してみろ」
「クライスさんが…」
きっと素敵なドレスが似合う品のある貴族のご令嬢と結婚するのだろう。そう想像すると、胸がきゅうと苦しくなって頭がもやもやとしてきた。悲しいのか、苦しいのか、怒りたいのか泣きたいのかはっきりわからない気持ちが胸を押しつぶしてくる。
「眉間に皺寄ってるぞ」
「う…」
ゲイルはにやにや笑いながら私の眉間をぴんと軽く弾いた。
「それ、その違いちゃんと覚えておけよ。今の俺にはない気持ちだから」
「…うん」
改めて、クライスへの気持ちがゲイルへのものとは違う事がよく分かった。それにしても想像だけでこんなに苦しいなんて、自分の気持ちなのにどうしてこんなにも思い通りにいかないのだろうと暗い気持ちに引きずられかけたが、これからお祝いの準備をしなければならないのにこんな気持ちではいけないとパシンと両手で頬を叩いて気合いを入れた。
「よし、じゃあ摘んできてくれたお花からやっつけちゃおう。ゲイルは花壇の方が終わったらキッチンに来てね。ケーキ作るから!力が必要だからよろしくね」
「あぁ、まかせろ」
先程拭き上げた花瓶にゲイルが摘んできてくれた花を活けていく。さすがゲイル、花壇に植える花と花瓶用の花で摘み方を分けていた。以前クライスと摘んだ時と違って群生していない所から摘んできたので、花瓶用は根っこを残してきたらしい。これなら土も片付けなくて良いし、長さを切りそろえるだけなのであっという間に終わらせる事が出来た。
キッチンに入りケーキの仕度とご馳走の下拵えを始める。メインディッシュは村の人達からのお土産にまだ新鮮なお肉が入っていたから、それを今からトロトロに煮込んでシチューにする予定だ。短いパスタも作ってサラダにして、あとピクルスや野菜を一口大にして味付けしたものをクラッカーに可愛く盛り付けて出そう。デザートはゲイルが手伝ってくれるというのでふわふわのケーキにする。
「カティア、花壇終わったぞ」
シチューの下拵えをしているとゲイルがキッチンに入ってきた。
「わ、随分早かったね。待ってね、今お肉煮込むところまでやっちゃうから」
フライパンで表面を軽く焼いたお肉を鍋に入れてゲイルが来る前に炒めていた野菜と束ねた香草を入れ、ソースを水で伸ばして火にかけた。あとはじっくりと火を入れていくだけだ。次はケーキだ。卵を白身と黄身で分けて、白身の方の器を泡だて器と一緒にゲイルに渡した。
「これを、ひたすら混ぜてほしいの。混ぜていくとふわふわになって角が立つから、そこまでお願い」
これがふわふわのケーキの肝なのだが、力と根気がいるので私はあまりやりたくない。ケーキだけなら良いけれど、他の料理をするのに腕がしんどくなるのだ。
「これ、結構、きついな…」
最初は軽快に泡だて器を動かしていたゲイルだったが、私が他の生地を作り進めているとそんな呟きが聞こえてきた。
「ゲイルでもやっぱりキツい?」
「腕だけに力を入れなきゃいけないからキツい」
「キースのお祝いだからがんばって!」
泡立てのしんどさは知っているので応援すると、ゲイルがぷっと笑った。
「え、私なんか変なこと言った?」
「いや、お前家族になったとたん遠慮なく色々頼んでくるようになったなって」
「そ、そうかな…ごめん」
「いや、喜ばしい事だよ」
そう笑いながらゲイルはカシャカシャと小気味良い音を立てて泡立て続けてくれている。きちんと向き合って考えるようになってから今までを思い返して、遠慮する事でゲイルを相当傷つけていた事に気付いた。それに反省したのもあるが、確かに昨日からゲイルには甘えやすくなっている気がする。笑ってくれているのでゲイルの言う通り良い事なのだろう。自分の選択が認められた気がして嬉しくなった。
もう一つの生地が出来上がる頃にはゲイルの方も良い感じに仕上がっていた。2つの生地を合わせて型に入れオーブンに入れる。鍋の様子を見ながら、次の料理へと移り着々と準備を進めていくと、入り口の方から声をかけられた。お客様のようだ。受付をしながら、今晩お祝いの料理を出すので一緒に祝ってもらえないかとお願いすると快く引き受けてくれた。その後も数組のお客様が来たが、みんな同じように嬉しそうに了承してくれた。ゲイルが手伝ってくれたおかげで日が沈みかける頃には料理の準備も万端になった。
「キース、レティーツィアさん、お食事の準備が出来ました」
夕食の時間が来て、2人の部屋の扉をノックした。返事が聞こえたので私は駆け足で1階へと降りる。他の宿泊客にも少し前に声をかけて全員揃っている。カチャリと扉が開く音と同時に、みんなで拍手を送った。
「うわ、なになに?!」
キースが驚いた顔をしている。後から出て来たレティーツィアは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに嬉しそうな顔になった。
「キース、レティーツィアさん、おめでとう!」
1階へと降りてくる2人に声をかけ真ん中のテーブルに案内した。
「え、カティアってば他のお客さんも巻き込んだの?」
「巻き込まれたんじゃねぇよ、誘ってもらったんだ」
私の代わりに常連のお客様が答えると、みんなもうんうんと頷いてくれた。
「ありがとうございます、嬉しいです!」
レティーツィアが満面の笑みを浮かべてくれた。それだけでこちらも嬉しくなる。2人がテーブルにつき拍手が一旦止んだところでちょっと良いお酒で乾杯をし最初のお料理を出した。最初はクラッカーに色々な一口サイズの料理を乗せたものだ。
「おお、すごい豪華」
「かわいい!」
好評なようで良かった。少し女性向けかと思いはしたが、他のお客様も珍しいようで喜んでくれている。次はパスタサラダとシチューを同時に出す為キッチンへと一度引っ込む。シチューに付けるパンを焼きながらサラダを盛り付けているとゲイルが顔だけキッチンに出しながら手招きをしてきた。
「どうしたの?」
「レティーツィアさんが呼んでる。一緒に食事をしたいらしい」
「え…」
いつもは時間もメニューもバラバラなので私は料理と給仕に付きっきりになっている為お客様と一緒に食事をした事はない。今晩は全員同じメニューだから一度料理を出してしまえば一緒に食事はとれる…けれど。
「カティア、他のお客さんの許可はとったよ」
「えっ」
「顧客の希望に迅速に応えるのが商人の基本だからね」
キッチンから顔だけ出すと、レティーツィアも他のお客様もにこにことしながらこちらを見ている。これは断れる雰囲気ではない。
「じゃあお言葉に甘えようかな」
「あ、俺の昔の恥ずかしい話しはしないでね」
「えーどうしようかなぁ」
「頼むよー」
少しいじわるな返しをしてもキースはにこにことしている。本当に幸せそうだ。シチューの給仕まで終わらせてゲイルと席につくと、料理の感想に続いて彼女が作るものでキースの好きな料理、キースの優しかったところ、これから村に行くのが楽しみな事、村で暮らしている時のキースがどんな風だったかの質問等など、次から次へと幸せそうな表情をしたレティーツィアの口から楽しい話が紡がれた。
「…と、私ばっかり話してしまってごめんなさい」
「いいえ、こちらも幸せな気持ちになれてとても楽しいです」
「カティアさんは想い人はいらっしゃらないんですか?」
「えっ?!」
予想していなかったので思わず大きな声を上げてしまった。どうやら他のテーブルの人達には聞こえていないようだがキースはニヤリといじわるな笑みを浮かべた。さっきの仕返しをするつもりだろうか。カトラリーを一度置いてずいっと乗り出してきた。
「なになにカティア、その反応は」
「わ、私に話が飛んでくるなんて思ってなかったからびっくりしただけだよ」
「そうかなぁそれにしては顔が赤いけどなぁ。ゲイルは知らないの?」
「知っててもキースには言わない」
「なんだよー相変わらずカティア第一のゲイル君なんだもんなーいいなーいっつも俺は仲間外れなんだもんなー」
「キース、お前酔ってるだろ」
唇を突き出して拗ねたキースの背中をレティーツィアはくすくすと笑いながら軽く叩いた。
「キースってばカティアさん達に会えて本当に嬉しいんだね。いつもはこんなに酔わないのに」
「そうなんですか?」
「はい、お酒は好きなんですけど、味わって飲むのが好きなので酔う事はないんです。今日はずっとお二人の話を聞かされてたんですよ、ちょっと嫉妬しちゃうくらいにそれはもう楽しそうに」
そうだったんだ。しばらく会ってなかったし、私は特に村で育ったわけではないからキースがそんな風に思ってくれていたなんて嬉しくて、じわりと心が温かくなった。
「名ばかりとはいえ私も貴族だから、キースの周りの人達に受け入れられるか不安だったんです。貴族なんてやめておけって言われる覚悟もしてました。でも、キースにとって大切なお二人にこうして祝ってもらえて安心しました。とっても嬉しいです!」
満面の笑みでそういうレティーツィアに周りの人達がわっと歓声をあげた。みんな聞いていたのね。
「レティーツィアちゃん、俺は応援するからな!」
「いけ好かない貴族もいるけどレティーツィアちゃんは良い貴族だ!」
みんなお酒も入ってテンションが高く、その後もキースとレティーツィアを囲んでお酒を酌み交わしていた。私もしばらくその様子を楽しく見て、ケーキを出すタイミングを見計らってキッチンへと一度引っ込んだ。ゲイルもキースに引き留められていたが私に続いてキッチンへと入ってくる。
「みんなといていいのに」
「いや、ちょっと騒がしすぎて疲れたから休憩」
げんなりとした顔のゲイルにくすくすと笑いながらふわふわのケーキを潰さないように優しく切り分ける。
「なんか、すごいよね。あの2人を見てると貴族も平民もないんだなって思えてきちゃった」
「…俺からしたらカティアとクライスさん達だって同じようなもんだぞ」
「それは…私もすごいことしてるなって思う…これでも最初はすごい葛藤があったんだからね?」
それはもう大変だったんだからと主張すると同情を含めた顔で笑い返された。
「…よしっ切り分け終わり」
「あれがそうなるんだから菓子作りってほんとすごいな」
「クライスさんは研究みたいで面白いって言ってたよ」
「あの人は貴族とかそういうの以前に人と違うところにいる気がする…」
「はは…」
それもそうかも、と思いながらケーキをテーブルに持っていくと、更に歓声をあげてみんな喜んで食べてくれた。頑張って泡立ててくれたゲイルも満足そうに笑っていた。やっぱり私の料理で喜んでもらえるのはとても嬉しい。最初は二人を引き留める為だったけれど、こんなに喜んでもらえるのならまた企画したくなってしまった。まずはみんなが帰ってきたら、おかえりの気持ちを込めてごちそうとケーキを作ろう。
大盛り上がりをした1階をゲイルと一緒に片付けて、満足感でぐっすりと眠る事が出来た翌朝、宿泊していた商人達からもお祝いの品を贈られ膨らんだ鞄を背負ったキースとレティーツィアが部屋を出て来た。
「ほんとにありがとな。カティア」
「お料理も美味しかったし、本当に本当に嬉しかったです!また帰りも会いに寄っても良いかしら?」
「もちろんです、お待ちしてますね」
そう返すとレティーツィアは心から嬉しそうに笑って出発して行った。
「村に着いたらまた目一杯お祝いされるだろうね」
「ここより大騒ぎになるぞきっと」
ゲイルと笑いながら、小さくなってゆく二人の背中に、良い旅路であるようにと祈った。




