38. クライスと指輪(サリタニアside)
「それでは行ってまいりますね!」
「はい、どうか道中ご無事で。無理はしないでくださいね」
昨日泊まったお客様のチェックアウトまではいつも通りに済ませて、わたくし達は宿を出発しました。お掃除などまだ終わっていませんが、旅はなるべく早い時間に出て日の高いうちに動いた方が良いとカティアに急かされてしまいました。そうですね、出来るだけ安全に動いて無事にカティアの元に帰りましょう。
わたくし達を見送るカティアの姿が見えなくなるまで何度も振り返りながら道を進み、とうとう見えなくなったところでさて、としっかり前を向き背中のリュックを背負い直します。エディとクライスはわたくしに荷物を持たせるかどうか迷っておりましたが、わたくしが持ちたいですと伝えると、動きやすいようにこのリュックをカティアが貸してくれたのです。中にはカティアが作ってくれたお弁当に昨夜渡してくれた薬草入りの巾着が入っています。もう少し持っても大丈夫ですよと言いましたがそれは受け入れられませんでした。
「さて、カティアさんの姿が見えなくなったところで改めての確認だが…クライス」
わたくしの後ろを歩くエディがわたくしの斜め前を歩くクライスに話しかけます。城ではいつもこのような立ち位置で歩いていましたので、そこまで時間は経っていないのに何だか懐かしい気持ちになりますね。
「昨夜のあれは、俺達はどうとったら良いんだ?」
「ええ!わたくしもとっても気になっておりました!」
エディの言う昨夜のあれとは、クライスがカティアに指輪を渡した事です。男性が女性に指輪を贈るというのはやはり特別な事ですし、その、クライスは魔力が、と言っておりましたが、左手の薬指は心に一番近い指と言われており、その指に指輪を贈る事はその心を私の元に縛らせてくださいと男性から女性にプロポーズをしたという証になります。
「クライスが魔力の安定を図る指輪と言っていたのでわたくし一生懸命に堪えておりましたが、あれはクライスからのプロポーズという意味でよろしいのかしら?!」
「どうとってもらっても構いませんが、平民に指輪を贈るという慣習はありませんのでカティアさんはどうとも思っていらっしゃいませんよ」
こちらを見ずにそう答えながらクライスはずんずんと先に進んでゆきます。あら、少しペースが速いですね。
「じゃあ俺の良いようにとるぞ?酒の時はまだここに来たばっかりだったし、まさか陛下の命があるなんて知らなかったから驚いて反対したが、今はもう違うからな。俺はお前とカティアさんが近くあれば良いと思ってる」
「…好きにすればいい」
だいぶぶっきらぼうな返答の仕方ですが否定はしないようです。わたくしはどうしてもクライスの表情が見たくなって、はしたないとは思いつつも少し小走りになってクライスの真横からそのお顔を覗き込みました。
「…!姫様、移動中は前に出ては何があるかわかりませんのでお下がりを」
クライスは手の甲を口元に当てて必死で隠そうとしていますが、その顔は耳まで真っ赤でまったく意味がありません。わたくしに覗き込まれて一度足を止めた事でエディもその顔をみてびっくりしています。
「お前…そんなんでよく昨夜冷静にやり遂げられたな…」
「ああいう場の方が冷静でいられるものなんだよ」
なんという事でしょう、あぁなんという事でしょう!クライスはカティアに想いを寄せているようです。それもプロポーズをする程に!貴族の慣習のようで残念ながらカティアには伝わっていないようですが、カティアもクライスといるのは落ち着くようですし、もしかしなくても2人は想い合っているのかもしれません!
「姫様、そのお顔はやめていただけませんか…」
わたくしも嬉しくて頬が紅潮しているのが自分でもわかるくらいで、げんなりとした顔でクライスにお願いされてしまいました。
「私の気持ちはともかく、魔力を安定させる指輪というのは本当です。気休め程度ではありますがね。それに、カティアさんに貴族の方の意味を教えるつもりもありません」
「つまりカティアさんが何も知らないのを良い事に自分の想いをぶつけただけ、と。そして後になって気恥ずかしさでいっぱいになっていると。健気だなお前」
どしっと鈍い音を立ててクライスがエディのお腹のあたりに握り拳をぶつけました。エディは手のひらで受け止めたようでクライスはチッと舌打ちをしています。
「失礼しました、姫様。もう切り替えますのでこの話は終わりにさせてください」
「まだ最初の村まで時間がありますから無理に切り替えなくても良いのですよ?」
もう少し恋心に揺れるクライスを見ていたいというのは決して好奇心からではなく上司としての責務なのです。クライスは仕事柄女性にも厳しく嫌厭される事も少なくありませんでしたから、将来どのご令嬢からも振り向いてもらえないのではと本当に心配していたのですから。
「いいえ、道中姫様の安全に気を配るのも側近の務めですから。このままですと姫様の集中力も欠けたままのようですし」
あら、痛いところを突かれてしまいました。そこまで言うとクライスは先程のように先導して歩き始めました。クライスから距離が開かないようにわたくしとエディも付いていきます。
「…ふふ、女性にとっては憧れのシチュエーションですが、男性側は大変なのですね。エディもプリメーラにプロポーズする時あのようになったのかしら」
「はは…私は妻からのプロポーズでしたからね…」
苦笑しながら言うエディにクライスがとても嫌そうな顔をして振り返りました。そういえば昔クライスはプリメーラが少し苦手と言っていましたね。それにしても、女性からプロポーズするだなんて、プリメーラはなんて勇気があるのでしょう。わたくしもいつかプロポーズをしたいと思える男性に出会えるのでしょうかと、すこしわくわくとした気持ちでまだ先の長い道を歩み始めました。




