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36-2. 旅立ちの決意(サリタニアside)

「では夜番に行ってきますね、おやすみなさい」


 本日夜番のカティアは小屋で夕食をとった後、そう言って宿へと戻って行きました。わたくしだけが夜番をしないのは少しだけ申し訳ない気持ちがあるのですが、わたくしが夜に宿へ行くとエディも夜じゅう休めないので仕方がないと割りきります。


 さて、カティアがいない間にわたくしは2人に話さなければいけないことがあります。先日スコットさんの商団でお買い物をした時からずっと考えていたことです。


「クライス、エディ、少しお話をしたいのですが」


 テーブルで何やら書き物を始めようとしているクライスと、短剣の整備をしようとしていたエディはわたくしの顔を見て表情を引き締め椅子から立ち上がり姿勢を正しました。


「わたくし、国境の村まで行きたいと思っております」

「そうですね、それがよろしいかと思います」


 スコットさんや他の商人の方のお話を聞いてからというもの、国境の村が隣国に対してどのような対応をしているのかがとても気になっているのです。関所を兼ねている街であればそれなりの制度や対応する役人がおりますが、話を聞く限りそのような雰囲気を感じられませんでした。


「私も気になっておりました。話を聞く限りではこの辺りの村々はあまりにも無防備に感じます。今はまだ隣国との関係が良好ですからそれほど大きな問題は起こらないかもしれませんが、姫様がカティアさんにお話されたように悪意に目をつけられれば面倒な事になるかもしれません」


 クライスはそう言い、エディと目を合わせ2人とも頷きました。


「もちろん私もお供いたします。護りはお任せください」

「ありがとう、わたくしもエディにはついてきてもらうつもりですので道中の心配はしていません。ただ…」


 わたくしは言葉を一瞬切り、クライスの方を見て姿勢を一度正し直して続けます。


「クライス、あなたはここに残りますか?」


 そう言われる事は予想していなかったようで、びっくりした顔で目を大きく開いてわたくしを見ています。本当にここに来てからクライスは感情が素直に表情に出るようになりましたね。本人は気付いていないのでしょうけれど。


「国政に関わってくる事ですから、もちろんクライスにも一緒に来て、側近としてわたくしの補佐をして、先生として助言をしてほしいと思っています。ですが、あなたはお父様からの秘密の勅命もあるのでしょう?内容を知らないわたくしではどちらを優先すべきか判断できません。それに…その…」


 上の者が迷いを見せる言い方は良くないとクライスに教えられていますが、王族であるわたくしのすべき事とターニャとしての気持ちが切り離せずにいる事は自分でもわかっているので、きちんと伝えられる言葉を探してしまいます。


「カティアを、一人にはしたくないのです」


 あぁ駄目ですね、これでは何も伝わりません。ただのわたくしの欲を吐き出しただけになってしまいます。きちんと理由を伝えなければとまた言葉を探して前で揃えた手をぎゅうと握っていると、ふ、とクライスが優しい笑みを浮かべました。


「そうですね、カティアさんに自覚があるかどうかはわかりませんが、人一倍寂しがりですからね」

「そう、そうなのです。カティアがしっかりしている事も自立した女性である事もわかっています。でもこの間のように堰をきったように泣いた事もありましたし、トマスさんと話していた時にわたくしに国境の村へ行ってきたら良いと言ったカティアの目がすごく悲しそうで…」

「あぁ、やはりあの時カティアさんは泣いていらっしゃったんですね」

「あ…」


 あぁ、あの時クライスはおりませんでしたね。カティアごめんなさい。


「まぁ今は姫様ではなくターニャの気持ちをお話されておりますからね、失言も目溢しいたしましょう。ついでに聞きなかった事にもいたします」

「ありがとう…ごめんなさい」


 発言に対してはクライスに厳しく教えられてきておりましたのに、わたくしもここに来て気が緩んでしまっているのかもしれません。今後気をつけなければいけませんね。一度目を閉じ反省をし改めてクライスを見ると、何かを考えているようで指を顎に添えて難しい顔をしています。


「…そう、ですね、私もお供させていただいた方がよろしいかと思います。姫様の仰る通り、今後の国の動き方に深く関わって来る事ですから、姫様の観察眼は信頼しておりますが現状の確認をする目は多い方が良いでしょう。道程もそれなりにあるでしょうからお守りする身もエドアルドだけでは少しばかり負担が大きいです」


 そうですね、宿のようにある程度の安全の保証があればエディも体を休める事ができますが、きっと道中昼夜問わず気を張っている事になってしまいます。


「陛下の命については数日の不在であれば問題はございません。カティアさんについては…」


 クライスはそこで言葉を切って視線を横に向けて黙ってしまいました。何かを迷っているようです。少しばかりの沈黙の後、ふる、と首を一度振ってからこちらを見てきました。


「少し考えさせてください。あと、姫様からカティアさんの気持ちを吐き出していただくようお話してくださいませんか」

「気持ちを?」

「悲しそうな瞳をされていたのでしょう?それを自覚して吐き出してもらえば、こちらもカティアさんを安心させる言葉を贈れますから」


 数日は不在にする事は避けられませんが、忘れずカティアの事を想っていると伝える事で少しでも安心させる事が出来るかもしれません。わたくしも、お父様とお母様が公務で城を離れる時は抱きしめてもらいながらそう言われて安心したのを思い出しました。


「わかりました、任せてくださいませ!」

「よろしくお願いいたします。では旅程について詰めましょうか。御前を失礼して着席させていただきます」


 そう言ってクライスは先程書き物を始めようと用意していた紙を前に置きペンを片手に予定を立て始めました。わたくし達はまず向かう先ですべき事や時間を話し合い、それに対して必要なものや日程を計算してゆきます。必要な事をこなしながらなるべく早く帰ってくる事、それが3人の共通の気持ちでした。


 翌日、チェックアウトと掃除を終え朝食をとった後、お話があるとカティアに伝えると、その瞳は一瞬不安に揺らぎましたが固く作られた表情に隠されてしまいました。国境の村へ行く事を伝えると、にこりと笑っていってらっしゃいと返されました。


「ターニャのお仕事の一環に入るのかわかりませんが、よろしければ途中でゲイルのいる村も見てきてください。みなさん良い人達ばかりなので歓迎してくれると思います」

「えぇ、ゲイルさんの村は旅程に入っています」

「もう旅程が決まっているんですね。いつから行かれる予定ですか?」

「2日後には出発しようと思っていますよ」

「わかりました。では当日は気合をいれてお弁当を作りますから、楽しみにしていてくださいね!」


 詳細を伝えていくごとにカティアの顔はにこにことしてゆき、声色も高くなっています。そんなに気を遣わなくてもよいのですよ。


「カティア」

「はい」


 わたくしはターニャではなくサリタニアとしての顔をしてカティアを見ます。このように王族としての態度でお話するのは最初に挨拶をした時以来ですね。本当はカティアにはずっとターニャとして接してゆきたいと思っていますが、それではきっとカティアはわたくしに気持ちを隠そうとしてしまうでしょうから、仕方ありません。


「わたくし達がここを離れる事に対してのカティアの気持ちを教えてください」

「え…」


 出来るだけ威圧的にならないように、でも断れないように告げると、カティアは笑顔を半分残したまま言葉に詰まってしまいました。


「わたくしは仕事とはいえカティアを一人にしてしまう事が悲しいのです。だから、せめてカティアの気持ちを知りたい」


 お父様とお母様に言われて嬉しかった事を思い出しながらゆっくりと言葉を紡ぎます。


「そんな、悲しいだなんて、思っていただけるなんてそれだけで光栄です」


 隠れていた不安の色が瞳に姿を現し始めました。


「不安なら、出来るだけそれを取り除けるようにします。淋しければ、帰ってくるまで少しでも気を紛らわせられるよう今出来ることをしますよ」


 初めて会った時と同じくカティアの手を取りぎゅっと握ると、カティアは不安色に揺らぐ視線を彷徨わせて何かを迷いながら俯き、ぽそりと小さい声が聞こえてきました。


「…ますか?」

「カティア?」


 うまく聞き取れず聞き返すと、カティアは俯いた顔はそのままに、少しだけ大きくした声を聞かせてくれました。


「あの…その、またここに帰ってきてくださいますか?」


 何ということでしょう、まさかカティアはわたくし達がこのまま城に帰ると思っていたのでしょうか。


「村を視察に行かれて、それが大変な事ですぐに対処しなければいけない事だったとしても、いきなりお別れになるのは…その、嫌です。いつかお城に戻られる事は覚悟していますが、せめてお別れの時はきちんと…」


 そこまで聞いてわたくしはいても立ってもいられず、カティに抱きついて精一杯の力で抱きしめました。


「…ターニャ?」

「戻ってきます!絶対に戻ってきます!私だってカティアと離れるのは嫌なんですから!まだまだ城には戻りません!」


 わたくしだって、全てを捨てても許される立場ならばここの宿でカティアと暮らしたい。権力を振りかざせるならば、カティアが望むのなら、カティアを城に連れてゆきたいのです。


「…ターニャ?そんな、泣かないでください…」

「え?」


 カティアに言われて自分の頬に手を添えると濡れていました。これでは癇癪を起こした子供のようです。カティアはびっくりしながらもポケットからハンカチを出してわたくしの涙を優しく拭ってくれました。その事にまた胸から愛おしさが募ってきて涙が溢れそうになります。


(あぁ…淋しかったのは、不安だったのはわたくしの方だったのですね)


 笑顔で見送られるのではなく、行かないでと引き留めてほしかったのです。見送る立場では、ましてやカティアからわたくしにそんな事を言えないのはわかっていた事ですのに、これでは本当に子供ですね。


「カティアさん、そのように思っていただけてこちらこそ光栄です。その気持ちにお応えして、早めに戻ってきますのでご安心ください」


 後ろに控えていた2人もいつもカティアに接している距離に戻り、カティアに声をかけました。わたくしももうターニャに戻りましょう。2人と話すカティアの顔を見ると先程までの不安は拭われたようで穏やかな表情をしていました。良かった、と私もまだ湿っている目を細めました。


「姫様もすっきりしたようですね。これで心置きなく出発出来ますでしょうか」


 クライスにはお見通しだったのですね。本当によく出来る側近です。カティアの不安を取り除く方法もきっと他にも用意しているのでしょう。


「えぇ、西側に住む人々にはカティアも含まれています。カティアがこれからも安心して暮らせるよう、お仕事もきちんとしなくてはなりませんからね」


 いつまでも子供でいてはいけません。カティアの前以外では、きちんと王族のサリタニアとしてお役目を全うしなくては。わたくしは改めて心に強く誓いました。


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