35. トマスの再訪
「こんにちは」
繁忙期もピークを過ぎたと思われる頃、お昼過ぎにひょこりと顔を出したのは雨季前にギリギリ森を抜けていった魔石商人のトマスだった。
「まぁ、トマスさん!ご無沙汰しております」
入口近くにいたサリタニアが嬉しそうに出迎えた。サリタニアにとって初めてのお客様だったから印象深いのだろう。
「ターニャさん、もう立派な店員さんですね。エプロンもとてもお似合いです」
「ありがとうございます!」
トマスに褒められて嬉しそうにしているサリタニアをかわいいなぁと思いながら私も帳簿をつけていた手を止め受付カウンターから外に出ていく。
「お久しぶりです、トマスさん。お元気そうで何よりです」
「カティアさんもご無沙汰してます。あの、今日は部屋は空いてますか?」
「えぇ。大丈夫ですよ。お泊りいただけて嬉しいです」
まだミゲルの村へは間に合う時間だからどうだろうと思ったが泊まっていってくれるようだ。今度こそ魔石を見せてもらえるだろうか。
「いや良かったです、行く先々で商売仲間にここの宿をお勧めしていたので、泊まれなかったらどうしようかと少し心配でした」
「それはありがとうございます。お陰様で雨季明けは連日満室でしたがここ数日はピークも過ぎてだいぶ落ち着いてきています」
なるほど、いつもより多いとは思っていたがトマスが宣伝してくれたらしい。今日も例年通りなら2、3組くらいだが宣伝効果でもう少し多いかもしれない。
「あの、トマスさん、この辺りを通る商人の方はいつもこんなに多いのですか?それとも、宿の為にルートを変更してくださったのでしょうか」
宿帳に記入し終えたトマスを部屋に案内しながらサリタニアが尋ねた。
「大きなルート変更はあまりないと思いますよ。商売の流れがありますからね、まだルートを確立していない新人か、私のように新規顧客の話があれば別ですが、特に雨季明けは常連客が待ってますから大抵の商人はいつものルートで動くはずです」
その通りで、ここに来るお客様は大抵が顔馴染みであるのだが、おそらくトマスの宣伝のおかげでいつもはここを素通りして先の村々へ向かっていた人達が泊まってくれたのだろう、今年は見慣れない顔のお客様が多かった。
「そうですか」
「何か気になる事でも?」
「いえ、私はこの辺りの事をあまり知らないのですが、思ったより人の流れが多いなと思ったので…。大きい街道もこの先にはないですし不便でしょう?」
サリタニアは部屋の扉を開けてどうぞと勧めながらこてりと首を傾げた。トマス相手に1階で待つのも失礼かと思い付いてきたが、話をしながらも案内はもう完璧である。トマスは案内にお礼を言いながら重そうな背中の荷を下ろしてふう、と一息吐いてにこりとサリタニアの方を向く。
「10年くらい前まではこの辺りも今よりずっと寂れていましたよ。ですが、何というかここの宿もですが、この先の村々の居心地が良いんですよね。我々のような外の商人も快く受け入れてくれますし、外の商品にも抵抗がないようで興味深く見てくれます。商人は横の繋がりが強いですから、口コミでそれが広まって往来が多くなったんだと思いますよ」
外のものに抵抗がないというのは、クライスが話してくれた歴史の事があるからだろうか。
「そうですか。それは素晴らしい事ですね。ふふ、私も村の人達に会ってみたいです」
「行ってみたら良いじゃないですか。カイル君の村なんて半日程で行けますし、そこから馬も貸してくれますから国境の村までは2日程で行けますよ」
「へぇ、馬の貸し出しなんてしてるんですね」
「ええ、まぁ私は乗れないので国境越えにもう少しかかりますがね」
ゲイルやカイルが馬に乗っているのは見るが、貸し出しをしているというのは初耳だ。きっと村に来る人の事を考えて始めたんだろうな。私も何度か行ったことがあるが、村の人達は親切で優しい人ばかりだ。
「ターニャも今度行ってみたら良いと思いますよ」
そもそもここに来た理由が西側に住む人達の話を聞くというものなのだから、行きたいというなら私が止める理由はない。国境の村までとなると少し距離はあるがエドアルドが一緒ならきっと問題ないだろう。
「そう、ですね。考えてみます」
にこりとそう答えるが、何やら乗り気ではないようだ。何か思うところがあるのだろうか。
「あぁそうだ、皆さんにお土産があるのですが、夕食後ならお兄さん達も揃っていますか?」
トマスはにこにことしながらぽん、と肩にかけていた鞄を軽く叩いた。ありがたいことにお土産を持ってきてくれる常連さんは多く、厚意は素直に受け取ることにしている。
「わぁ、嬉しいです!そうですね、あと少しで二人とも屋内に戻ってくるかと思いますが、戻って来たらお声がけしますか?」
「いえいえ、あまりお仕事の邪魔はしたくありませんから。では夕食後少しお時間をください」
「お気遣いありがとうございます、では夕食までごゆっくりおすごしくださいね」
部屋を後にして1階へと戻ると小屋の屋根の修繕をしていてくれたエドアルドが戻って来ていた。サリタニアは先程一瞬だけ見せた思い悩むような表情は既になく、お土産に心躍らせているようだ。私も、魔石商人であるというトマスのお土産とは何だろうかと期待に胸を膨らませてわくわくとしている。
「あ、エディさん。今トマスさんがいらっしゃいました。後でお土産をくださるそうですよ」
「トマス…あぁ、魔石商人だとかいう人だったか」
「えぇ。楽しみですね!」
「はは、カティアさんは本当に魔石が好きだなぁ」
エドアルドに笑われた事でそんなに浮かれていただろうかと反省し、気を取り直して夕飯の仕込みを始めようとキッチンへと入ると薪が少なくなっていた。
「すみません、裏に薪を取りに行ってくるので宿の方はお任せして良いですか」
「俺が行こうか?」
「いえ、ちょっと小屋に用事もあるので行ってきます」
トマスが来た時に雨避けのネックレスを咄嗟に外してポケットに入れていたのだ。魔石に詳しいトマスならこれがただのネックレスではないとわかってしまうかもしれない。ポケットに入れたまま仕事をしてなくしてしまうのは嫌なので部屋に置いておきたいのだ。
宿を出ると、ちょうどクライスが森から帰ってくるところだった。何か調べたい事があるらしく、最近は空き時間に森に出向く事が多い。クライスにもトマスが来たことを伝え、薪を運ぶのを手伝ってくれると言うので一緒にまずは小屋へと向かう。
「カティアさん、ネックレスを外したんですね」
「はい、トマスさんは詳しいかなと思って念の為に」
「そうですね。お気づきになられて良かったです」
私がネックレスを付けているかどうかに気づくだなんて流石の観察力である。少し待っててほしいと告げて自室に入りネックレスを大事にしまい外に出ると、私の首元を見ながら小さくクライスが微笑んだ。
「何だか違和感があるくらいには馴染みましたねあのネックレス」
「本当ですか?ふふ、嬉しいです」
「こちらこそ、お気に召していただいて嬉しいですよ」
薪を取り二人で宿に戻るとお客様が受付をしていた。夕方にはもう数組来るだろうから今日の夕食もそれなりに忙しそうだ。仕込みにも気合いが入る。そうだ、前にトマスが気に入っていた果実のドレッシングも作っておこう。
その後更に2組のお客様が宿泊する事になり、繁忙期程ではないが本日の夕食もそれなりに賑わいを見せた。夕食後、約束通りトマスはお土産を持ってきてくれて、私達はキッチンの片付けを後回しにしてテーブルに集まった。
「以前、魔石はマニアックな宝飾品として使われていた話をしたかと思いますが、これからくるであろう魔石ブームに乗って知り合いが魔石を使った宝石商を始める事になりまして」
そう言いながらテーブルに広げられたのは、ネックレス等のアクセサリーや軸に小さな魔石が埋め込まれたペンなどの文房具だった。中には細かく砕いて付けているのだろうか、全体がキラキラとしているものもあった。
「わぁ、綺麗ですね」
「魔石とは言ってますが、実験などでほとんどエネルギーを使い果たした効力のないものを使っているらしく研究院のお墨付きで安心して普段使い出来るようですよ。ただ、効力が現れるように加工された後の石だから綺麗だし、普通の宝飾品と違ってよく見ると光が揺らめいて見えるでしょう?」
差し出されたブローチを言われた通りよくよく見てみると、芯の方がランプの光の様に仄かに揺らめいている。不思議な光に吸い込まれそうだ。
「宣伝をするように、といくつか譲ってくれたので気に入るものがあれば皆さんに貰ってほしいと思ったんです」
「良いんですか?高価なものではないんでしょうか」
「先程も言ったとおり、役目を終えた石ですからそこまでではないんですよ。今のところはね。人気が出たら価値が上がるかもしれませんが、今は気軽に受け取ってくださったら嬉しいです」
そういう事なら、と念の為クライスの方をちらりと見ると小さく頷いてくれた。役目を終えた石とはいえ魔石なので、スコットの時のように何かしら問題があったりしないだろうかと思ったが受け取っても良いようだ。
「じゃあお言葉に甘えて…ターニャはどれが良いですか?」
「そうですね…これは髪留めでしょうか?」
サリタニアは広げられた品々の中から、魔石を中心にして結ばれたリボンを手に取った。淡いオレンジ色の丸い魔石を結び目にして、薄いピンク色をした細めのリボンが結ばれている。サリタニアのふわふわの髪の毛によく似合いそうだ。
「よければ付けてみてください」
トマスのお言葉に甘えて、私は髪留めをサリタニアの髪につけてポケットに入れていた小さな鏡を差し出した。ちなみに、今日の髪型はサイドから編み込んで耳の後ろあたりから2つ結びにしており、その右側に髪留めをつけた。正面からは少し見難いが、横から見るとやはりふわふわの髪の毛に良いアクセントを出していてとてもかわいい。元の金色の髪にも似合いそうだ。
「とってもかわいいですよ」
にこにことしながら言った私の方を見たサリタニアは嬉しそうに笑い、これが良いです、とトマスに返事をした。トマスは一度髪留めを引き取り、綺麗な色をした箱に入れてラッピングしてくれた。
「クライスさん達はどうしますか?」
「ここはレディーファーストでしょう、カティアさん、お先にどうぞ」
宿でクライス達が過ごすようになってから時折顔を出すレディーファーストを受けてしまった。どうにも慣れず、くすぐったくて落ち着かないが、彼らもこれに関しては譲るつもりはないようなので大人しく従う事にする。
「じゃあ…これにします」
私は細かい魔石が散りばめられているのか、全体が淡い光できらきらとしている栞を手に取った。
「アクセサリーじゃなくて良いんですか?」
「ええ、これが気に入りました。不思議な生地ですね」
「これは粉状にした魔石を混ぜて織った布地を使っているそうですよ。ですが、栞はおまけみたいなものでして、そうですね…このネックレスなんかカティアさんにお似合いだと思うのですが、よければ併せていかがでしょう?」
そう言いながらトマスが選んでくれたのは紫色の芯が淡く光る石のネックレスだった。光の加減でチカチカと光って、まるで星が石の中にあるようだ。
「そんな、2つなんて申し訳ないですし、この栞がすごく気に入ったのでこれをいただければ十分嬉しいです。ネックレスをつけて行く場所もないですしね」
「そうですか…」
石自体はとても魅力的だが、ネックレスはもうこれ以上にない程のお気に入りがあるのだ。お洒落な街の人なら行く場所や気分でアクセサリーを変えるのかもしれないが、私は気に入ったものをずっとつけていたい。
トマスの厚意を丁寧にお断りしてクライス達にバトンタッチすると、クライスは深い青色の魔石がついたペーパーウェイトを、エドアルドは燃えるような赤い色をした魔石のついたタイピンを選んだ。
「本当に素敵なものをいただいてありがとうございます」
「いえいえ、この前親切にしていただいたお礼になれば嬉しいです」
部屋に戻るトマスを見届け、片付けをするべくキッチンへと入るとクライスが良かったんですか?と尋ねてきた。
「何がですか?」
「ネックレスです。他の魔石と比べても面白い輝き方をしていましたから、てっきり気に入られるかと」
確かにまだ星が残った明け方の空を閉じ込めたようで綺麗だった。クライスのネックレスがなかったら気に入っていたかもしれない。
「雨避けの魔石の所為で選ばれなかったのでしたら…」
「いいえ!」
気遣ってくれたであろうクライスの言葉がなんだか悲しくて思わず強く否定してしまった。
「身につけるものはお気に入りが良い、それだけです」
「…そう、ですか」
私が強く出た事にびっくりしたのか目をいつもより大きく開いて答えるクライスの瞳を見て、先程の魔石のようだと気付いた。そうか、紫はクライスの色なのか。とたんに、先日紫色のストールを選んだ事が気恥ずかしく思えてきた。
「そう、です…」
「でしたら、あの魔石が効力をなくした時は次を作りますから、どのような意匠が良いか考えておいてくださいね」
トマスのネックレスと同じようにキラキラと輝きを増した瞳でそう言われ、言葉が出て来ず小さくはい、とだけ返すと、サリタニアが腰に抱きついてきた。
「良かったですね!カティアの身につけるアクセサリーは全てクライスが作ってくれるそうですよ」
「え、クライスさんそんな事言ってませんし私も催促してないですよね?!」
貴族ルールで知らず知らずのうちに催促してしまっていたりしたのだろうかと焦る。
「カティアさんには催促されてませんが、なかなか面白そうですね。良ければ研究に付き合うつもりで受け取っていただければ嬉しく思います」
あ、これは断れない流れである。
「研究に付き合うのは大歓迎ですが、次からはきちんとお支払いしますから!…私で払えるかわかりませんが」
そう精一杯の返しをすると、3人に笑われてしまった。




