34. 国のやるべき事
「カティア、さっきは本当にごめんなさい。折角の楽しいお買い物の時間でしたのに」
スコット達を見送り宿の中に戻るとサリタニアがしょんぼりとした顔で改めて謝ってきた。
「いえ、気にしないでください。それより何か気になる事があったんですか?買わない方が良かったでしょうか」
クライスは大丈夫と言ってくれたがやはり気になる。
「少しだけ…あ、スコットさんの仰っていた事に間違いはありません。彼の仕事に問題はありませんが、今後少し心配ではあります」
「私が聞いても良い事ですか?」
今後問題が出てくる可能性があるというのなら聞いておきたい。スコットの力になれるかもしれない。
「もちろんです。ですが、少し込み入った話になりますから、お掃除を終えて朝食を取りながらお話しましょう」
「わかりました」
サリタニアの言う通り掃除を終えるべく雑巾を手に2階へと上がる。チェックアウトが集中した時に先に掃除を始めてくれていたので数部屋は終わっているが、それでもまだ残っているので気合いを入れる。階段を登っていると、朝食に出したバスケットを両手に抱えたエドアルドが降りてきた。
「どの部屋も完食だったぞ」
にかりと笑って抱えていたバスケットのうちのひとつをこちらに向けてくれたので覗き込むと、付け合わせのピクルスも綺麗に食べてくれていた。
「皆さんお口にあったようで良かったです」
「カティアさんの料理が口に合わない人なんていないんじゃないか?」
そう言いながらキッチンへと向かうエドアルドが背中を向けたとたん、思わず頬が緩んでしまった。やはり料理を褒められるのは嬉しい。嬉しさを糧に無意識にいつも以上に掃除に力が入ったのか、予定より早く掃除を終える事が出来た。
掃除を終えてみんなで小屋へと戻り朝食の準備もし終え席につくと、クライスがさて、と話を切り出した。
「姫様からカティアさんへのご説明を仰せつかりました。今から話をしても?」
「はい、是非お願いします」
サラダをフォークで刺しながら言うクライスに座りながらだがお辞儀をしてお願いした。
「私からもお話しますが、主な説明役はクライスの方がカティアもわかりやすいと思いましたので、お願いしますね」
「お褒めに預かり光栄です。まず、姫様からもお聞きになられたかと思いますが、スコットさんの商売については特に問題ありませんので先にお伝えしておきますね」
「はい」
サリタニアからも言われたが、クライスからも改めて言われた事で心から安心した。あんなに商売に真摯なスコットが知らず知らずのうちにやってはいけない事をしてしまっていたら私も悲しい。
「今回懸念点にあがりましたウィルダ国の編み物ですが、ライセンスを持った職人が作ったものはこちらもライセンスを持っている特定の商人のみ販売が許されています。質が良いのはもちろんですが、そもそも出回る数が少ないのでかなり高額になります」
「私が買ったものは正式なものではなかったんですよね」
「はい。ウィルダ側も、編み方を学んだけれど資格を取った職人ではない、という人がライセンス外で編む事は許されているようです。商人側のライセンスでも確か正式な編み物以外の扱いについては特に言及していなかったはずです。あくまで正式なものについては、限られた商人のみ取り扱う、という事に限っているようですね。カティアさんが購入されたのはそういったものになりますのでご安心ください」
クライスはソーセージにフォークを刺しながら改めてスコットの言っていた事を詳しく説明してくれ安心させてくれた。
「ただ気になったのが、カティアのストールを編んだのが国境の村に嫁いだ方、というところです。彼女が編んだものを商人に売るという事も問題はありません…ですが、もし悪意のある商人がこの話を知れば、悪用される可能性が出て来ます。ウィルダの編み物は貴族の中でも人気の品ですが、やはり希少なものですのでなかなか手が出せない方もいます。知識をあまり持たず、見栄の為に入手したいと考える方は良いターゲットになるでしょう」
「正式なものではないのに貴族の方が欲しがるのですか?」
「カティアさん、悪意のある商人と姫様は仰ったでしょう。いるんですよ、安く買ったものを高価なものとして偽って貴族などに売る悪徳商人が。購入する側が商売や法律に詳しくなければ、ウィルダの編み物を売るのにライセンスが必要という事までは知らないですからね」
「な、なるほど」
ぶちり、とパンをちぎりながらそう言うクライスは苦虫を噛み潰したような表情をしている。悪徳商人の所為で過去に嫌な思いでもしたのだろうか。
「取り締ってはいますが、残念ながらそういう人はなかなかゼロにはなりません。そして、一番の問題は、そういうトラブルが起きた時に、この辺りの村では頼る相手がいない事なのです」
「頼る相手、ですか?」
ナイフで一口大に切り分けたソーセージを口に入れたサリタニアはこくん、と頷きそのままクライスの方を見る。それを受けたクライスはエカの実のジャムをパンに塗りながらこちらを見た。
「私の魔石術研究の発表が陛下に委ねられているというのは覚えていらっしゃいますか?」
「はい。職人さんや関わる商品を扱っている商人さんの仕事を奪う事になるから、という話でしたよね」
「その通りです。我々はそのように生産や流通など国民の生活に関わる事柄についてコントロールや、法律などを使って監視をしています。ただそれは国民の活動を縛る為ではなく、守る為のものなんですよ」
「守る…」
ぱくりとパンを口に入れたクライスは先程とは逆にサリタニアを見た。二人の間で説明をする役割が決まっていたりするのだろうか。クライスの意図を理解したのか、今度はサリタニアが水を一口飲んでこちらを見て話し始めた。
「例えば、偽って売られた編み物が紛い物と発覚した時に、国境の村の女性が購入者や商人に訴えられる可能性があります。商人は罪を認めず嘘を貫き通すでしょうから。また、悪意がどこにも存在しなかったとしても、低価格で購入できるウィルダの編み物があると話が広がれば、正式な編み物の価値が下がって苦情がくるかもしれません。それはウィルダ側の認識の甘さではあるのですけどね。そういった時に、何が許された事で何が禁止されている事かわからない村民では対処が難しく、非難されるだけになる事でしょう。法に詳しく地位も発言力もある領主がいれば、相談先になる事も盾になる事も、正しく悪意を排除する事も出来ます。ですが…」
「…この辺りに領主様はいないですね」
「そう、だから気になって横から口を挟んでしまいました」
「ちなみに、最後に姫様から言われて購入したものはそのような懸念点があるものばかりです。姫様、良く見ておいででしたね」
「ふふ、高価な物の流れはトラブルになりやすいと昔クライスに叩き込まれましたからね」
サリタニアは買い物を楽しんでいたわけではなく、端からチェックしていたのだそう。クライスも自分の買い物を楽しみながらもきっと気付いていたのだろう。エドアルドは…そういえば先程から静かだなとそちらの方を見ると、食事に専念しているようだ。護衛が仕事だから、こういう話には参加しないんだろうか。
「あの、今更ですが聞いても良いですか?」
「はい、なんでしょう」
「なぜこの辺りには領主様がいらっしゃらないんでしょうか」
この辺りは貴族の領土というわけではなく、国の管轄だという話は昔誰かに聞いた。けれど、城から距離があるため実際はこの辺りにある村々での自治領のようになっている。でも、城から遠いなら、余計になぜ領主の館が置かれなかったのだろうか。
「それにはこの辺りの歴史からお話しなければいけないのですが…」
クライスの話によると、この辺りがファレスの領土になったのは先代の王様の時代らしい。それまでは隣国のウィルダと取り合いになっており、短い間隔で属する国が変わっていた。その為この辺りを統治する貴族が定着せず、村々で自治していくしかない状況が続き、それが自然と定着していったという。先代の時代から両国間の関係は良くなっていき、今の王様同士も仲が良い為、陛下が即位した頃に先50年はこの辺りの国民の生活安定の為に領土を取り合うのは禁止とする条約も結んだらしい。
「そのような歴史があり、この辺りの住民は被害者とも言える状況から国もなかなか踏み込む事が出来ませんでした。実際先代の時代に干渉を強く断られたという情報も残っていましたし、そのような歴史を自ら経験していない世代の人が増えていてもいきなり領主を置いては住民の皆様も納得いかないでしょう」
「だからターニャが派遣されたんですか?」
「陛下ははっきりとは仰いませんでしたが、それも大きいでしょうね。城に戻った時に領主を置くべきかどうかを尋ねられる可能性は高いと思います」
私は住民の立場ではあるけれど、そんな歴史を聞いたのは初めてだった。こうして貴族側の考えを聞いているからかもしれないが領主を置かれてもきっと抵抗なく受け入れられる気がする。だがミゲルあたりはどうだろうかと考える。それに、私は宿という狭い世界しか知らないけれど、村では歴史が伝えられていてみんな私とは違う感覚でいるかもしれない。
「カティア、難しい顔をしないでくださいな」
ふふ、と笑いながらサリタニアがナプキンで口を拭きこちらを見ている。
「そうですよ。これは姫様の課題ですので、カティアさんが悩む必要はありません。それより、食事が一向に進んでいない様子ですが」
「え…?」
言われて周りを見ると、話に参加していなかったエドアルドはもちろんの事、クライスもサリタニアですら食事を終えていた。あれ、二人とも結構話していた気がするんだけど…。
「話に集中してしまったのですね、カティアがよければこのお話はこれでおしまいですから、ゆっくり食べてくださいな」
「す、すみません…」
きっと二人とも難しい話をしながらの食事なんて日常茶飯事なのだろう。話を理解しようとするのでいっぱいになってしまった事に恥ずかしくなりながら急いで朝食に手を付け始める。
この宿もだけれど、森も村も、これから変わっていくのだろうかなどと考えながら、いつもより少し大きめにちぎったパンを口に入れた。




