31. 繁忙期の宿
考えなければいけない事が沢山ある、あるのだが。雨季が明け、隣国から来る人、隣国へ帰る人、森の先の村へ商売に行く人の往来が活発になり、宿はありがたくも大盛況で連日対応にてんやわんやしている。例年、宿で一晩明かさなくても先の村に間に合うようであれば宿を素通りしていく人達もいるのだが、今年はそういう人が少ないように感じる。何故だろう、サリタニアが可愛くてうちの宿が有名になってしまったのだろうか。
「カティア、オムレツ2つ追加です!」
高い位置で2つに結んだ柔らかそうな髪を揺らしながらサリタニアがキッチンに入ってきた。ピンク色のエプロンとの相性もとても良く、見る度に我ながら良い仕事をしたものだと笑顔になってしまう。
夕食時の忙しさはまるで戦場だが、サリタニアとクライスがオーダーと配膳を、エドアルドがキッチンを手伝いながら配膳もしてくれるので何とかなっている。3人がいるからとメニューに焼き物や卵料理などの作り置きが出来ないものを増やしたのだが、もう少し調整した方が良いかもしれない。
「カティアさん、サラダとスープの盛り付け終わったぞ。出して良いか?」
「お願いします!ターニャ、オムレツ了解です!」
「カティアさん、新規のお客様がいらしてますがいかがしますか?」
「え!?部屋空いてましたっけ!?」
「部屋は空いていないですね。新規の方は男性お一人で、数人部屋に同じく男性一人で宿泊されている方はおりますが…」
相部屋ならいけるという事ですね。いきなりノーと言わずに可能性を示してくれるクライスの有能さに心から感謝しながらフライパンの上でオムレツをくるりと返す。
「このオムレツを作り終わったら私が行きます。それまで果実水をお出しして休んでもらってください」
2つ分のオムレツを作り終わり、ついでに配膳もしながら食堂代わりにしている1階のフロアに出ると、顔見知りの商人が何人かいた。
「おっカティアちゃん!やっとキッチンから出て来たね!」
「新人さんも優秀だけど、やっぱりカティアちゃんの顔を見ないと雨季明けって感じがしないんだよなぁ」
「ありがとうございます。私も今年もスコットさん達の顔を見れて嬉しいです。あ、お帰りになる前に商品を見せてくださいね。お酒はほどほどに!」
日用品を扱っているスコットの商団とはだいぶ付き合いも長く話もしやすいが、人数が多いので相部屋はお願い出来ない。またあとで、と約束をしてフロアを見回し、目的の人物を見つけた。
「アルフさん」
「ん?やぁカティアさん。今日の夕飯も変わらず美味しかったよ」
「ありがとうございます」
アルフは農具や工具等の品を扱っていて、体格が良く腕も立つらしいが性格は穏やかで面倒見の良い人だ。新規のお客様がどんな人かわからないが、実際に対応したクライスが相部屋を提案してくるくらいだし、アルフならお互い心配ないだろう。
「大変申し訳ないのですが、本日部屋が満室なのですが今新規のお客様がいらっしゃいまして。こんな時間ですしお断りするのも心配なので、もし差し支えなければ相部屋をお願い出来ればと思いまして…」
「どちらさんだい?」
ちょうど食事を終えたアルフを新規のお客様の方へ案内する。果実水を美味しそうに飲んでいた彼はこちらに気付いて立ち上がった。
「はじめまして、ロディと申します。酒類を扱う個人商人です。この度はこちらの宿の状況を知らずご迷惑をおかけしまして…」
「カティアさん、相部屋で良いですよ」
「えっ良いんですか!?」
アルフの返答に声を上げたのはロディだった。背の高いロディは謝りながら丸めていた背中を驚いて伸ばしてアルフを見た。背筋を伸ばすと体格の良いアルフより少しだけ高い。見下ろす形になってしまった事に気づき再び背中を丸める。
「きちんと挨拶出来る商人に悪い奴はいないだろう。ほら、気にしないから背筋を伸ばせ」
アルフはトントン、とロディの背中を叩いて姿勢を正させた。
「お前さんその様子だとまだ駆け出しだな?ついでに商売のコツを教えてやろう」
「はい!ありがとうございます!」
良かった、これで今夜は安心だろう。魔獣も出るようになったから宿泊を断るのだけは避けたかった。
「アルフさん、ありがとうございます。後ほど衝立をお部屋にお持ちします。あと、少しですがお二人の宿泊費も安くさせていただきますね」
「それは助かるな、こちらこそありがとう」
「いえ、私は結構です。私が悪いのですから…」
「ロディ、ご厚意は受け取っておけ。そしてそれを別の形で返すのが商人というものだ」
「…!はい!」
ロディの素直さはサリタニアに似たものがあるななどと思っていると、配膳中のクライスと目が合い、「お見事です」と口の動きで言われた。宿の仕事を褒められる事に慣れておらず、胸がくすぐったくも嬉しさでいっぱいになった。
「カティアちゃん!1杯だけでいいからお酌してー!」
スコットの商団から声がかかり仕方ないですね、と言いながらテーブルへ移動する。この人達は陽気になるだけだから害はないが、若干酔いが回ってきているようだ。
「えっこの宿お酌してくれるんですか!?じゃあターニャちゃんに…」
「ターニャのお酌が欲しい方はお兄さんのエディさんの許可をとってくださいねー!」
酔いの回った商人の勢いに腰が引けていたサリタニアが小さくビクッとしたのを見逃さず、防波堤を張った。これで大丈夫だろう。サリタニアのお酌を希望した商人は近寄ってきた笑顔のエドアルドに居心地悪そうにお酌をされていた。その姿を見てフロアで食事をしている全員がどっと笑った。
食事時間が終わり洗い物をしていると、洗い終わった皿を拭き取ってくれているクライスから改めてお見事でした、と声をかけられた。
「ふふ、さっきも言われましたよ?」
「ロディさんの件だけではなく、客の扱いがお見事だと思いましたので」
「そうですか?」
「そして、カティアさんとこの宿は愛されているな、と思いました」
改めて言われると照れるが嬉しい。ありがとうございます、と笑顔で返す。
「カティアさんも、生き生きとしていましたね」
「そうですか?」
生き生きとしていたかどうかは自分ではわからないが、雨季明けにはいつも以上に宿の仕事が好きだなとは思う。
「…そう、かもしれませんね。他を知らない身で言うのもどうかとは思いますが、天職だと感じてはいます。私はここでお客様を待つことしか出来ないですが、変わらず皆さんが顔を見せてくれて、立ち寄った場所や商売の事を報告してくれて、私の料理で笑顔になってくれるのがたまらなく幸せだなって思うんです」
こうして空になった皿を洗いながら、先程まで騒がしかったフロアを思い出して心が温かくなる。
「カティア、テーブルの片付け終わりましたよ」
「ありがとうございます。あ、エディさん、お願いしたい事が…」
「うん?」
フロアの片付けをしていてくれたサリタニアとエドアルドがキッチンへと入ってきた。残りの皿洗いをサリタニアに任せ、衝立を夜番の仮眠部屋から出してエドアルドにアルフの部屋に持っていって欲しい旨を伝える。エドアルドは快諾してくれ、さっそく運んでくれた。重いのでとても助かるなと感謝しながら、私は私のやるべき事を進める。
「クライスさん」
皿洗いを終えキッチンから出て来たクライスに声をかける。
「今日の夜番、クライスさんの番でしたけど私がやりますね。人数が多いので、朝食の仕込みをしたいんです」
「でしたら、仕込みが終わり次第小屋にお戻りになられては?夜番はそのまま私がしますので。今夜は皆さん気分が良かったのでしょう、だいぶ多くお酒を飲まれていたようですから、男の私が夜番をした方が何かと安心でしょうから」
確かにみんな良く飲んでいた。スコット達は言うまでもなく、陽気な酔っ払い達に酒商人だというロディが目をつけられ、その場で商品の品評会と購入会が始まっていた。部屋に戻る頃にはみんな少なからず酔っていて、気分良さそうに鼻歌まじりで階段を登っていた人々は部屋のドアが閉まってしばらくするとパタリと静かになった。
「ひどく酔った方は皆さん寝てしまったようですし、今までも問題ありませんでしたから大丈夫ですよ」
元々祖母と私でまわしていた仕事だ。ありがたくも問題も危険な事もあったことがない。安心してくださいとにこりと返すと、クライスは眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。何となくわかってきた。心配、してくれているんだろうな。
「…心配していただいてありがとうございます。でも、今日は譲っていただけませんか?満室の日の夜番、好きなんです」
雨季にはシンとしていた宿が人の気配でいっぱいになって、ここが必要とされているというのを感じる。それを感じる事で、私はここで宿屋を開いて待っていても良いのだと安心出来るのだ。
「…そう言われると強くは言えないですね。ではまたこれを預けておきます」
そう言いながら腰のポーチから取り出した小さな石を渡された。熱が出た時に借りた、強く握ると音が出る魔石だ。
「何かあれば躊躇わずに使ってください」
「わかりました、ありがとうございます」
クライスの優しさを素直に受け取って大事にポケットに入れると、それで少し安心してくれたのかクライスの表情も呆れ顔ながらも柔らかくなった。
衝立を運んでくれたエドアルドも戻り、私達も小屋で夕食をとってしまおうと受付に置く一時不在を告げるメッセージボードを置いていると、キッチンからひょこりとサリタニアが顔を出した。
「今日は皆さん疲れたでしょうから、リラックス出来るようハーブティーをを淹れようと思うのです。良いかしら?」
「嬉しいです。ぜひお願いします」




