28. 池のほとり
ゲイルと話せて良かった。ゲイルの優しさに寄りかかりきりで、情けない姿も見せてしまったけれど、それでも良かったと思えるのは、私なりのゲイルに対しての甘えなのかもしれないと気付いた。嫌な顔を一つせずにそれを受け入れてくれた事に心から感謝をしつつ、これからの事に逃げずに向き合おうと、心に刻み込んだ。
ゲイルが帰路に着き、宿泊部屋の片付けをしているとクライスから声がかかった。
「カティアさん、雨季前に花瓶を片付けてしまったかと思いますが、いかがいたしますか」
「今日中に摘みに行く予定です。池のほとりに綺麗な花が群生しているので…」
「他に今日中にやらなければならない事は?」
「昨日のうちに雨季明けの仕事は終えられたので特にないです」
「では池までお供いたしましょう」
にこりと綺麗に微笑んだクライスに、そういえば初めてここで見た笑顔に、街のお嬢さん方なら数人は落とせそうだとか、私の趣味ではないとか思った事を思い出した。クライスの顔を好きになったわけでもないし、当時はクライスがどういう人かなんて知らなかったからそう思ったわけだが、今思うと大変失礼な話だ。あの頃の気持ちに戻りたいかとふと考え、そうは思えない事に安堵と落胆の感情が同時に浮かんでくる。こちらもいつまでも隠し続けられる保障はないのだから、なるべく早く気持ちに決着をつけさせないといけない。
今日はまだお客様は来ないとは思うが、念の為受付の仕方と宿帳の使い方をサリタニアとエドアルドに伝えて出かける準備をする。
「では姫様、行ってまいります」
「クライス、きちんとカティアを守るのですよ」
「心得ております」
そんな会話をしている主従にこれで良いのだろうかとエドアルドを見ると、彼も同調するように頷いている。魔獣の追い払い方も教えてもらったし、そんなに大事のようにしてもらわなくても大丈夫だと思うのだが、サリタニアのあの顔はそれを言っても聞いてもらえないものだと分かるようにもなっていた。
「クライスで戦力に不安があるなら俺がお供しようか」
そう言いつつも魔獣の方の不安ではなく、気まずさとかそういう方に気を遣って提案してくれたのだろう。だが楽な方に逃げるわけにはいかない。サリタニアの課題が終わるまでは一緒に過ごしていくのだから。
「大丈夫です。ありがとうございます」
真意はありがたく受け取りました、と笑顔で返す。一瞬だけエドアルドは心配そうな顔をして、そうか、と答えた。
二人に見送られて宿を出発する。道はすっかり乾いて歩きやすくなっているが、池までは少しだけ距離があるのでそう伝えると、森の散歩が楽しみだと返された。
「筋力は自信がありませんが、仕事柄体力はそれなりにありますのでご安心ください」
「お城のお仕事も大変なんですね」
「大変と言いますか、私の仕事は各部署との連絡や調整が多いので城内を歩く時間が多いんですよね」
「部下の方などに任せたりはしないんですか?」
「簡単な報告くらいなら人に任せる事もありますが…報告先でゴネられる予感がする時は私が行った方が早いので」
「なるほど、クライスさんに反論出来る方はいないんですね。納得です」
「そうですね、カティアさんくらいですかね」
そう言いながら、ニヤリと片側の口角を上げて覗き込まれた。こんな笑い方をするのは初めて見た気がしてドキリとする。
「…反論なんてしましたっけ?」
「反論ではないですが、お願い事は何度か。私は城内ではケチで話が通らない事で有名なんですが、カティアさんのお願いだと断り難くて」
口元はニヤリとしたまま、瞳が子供のようにいたずらっぽく揺れている。これは揶揄われているんだろう。
「魔石術の事を仰っているなら、クライスさんが私に見せてくださったのが発端ですから、私の所為ではないですよ」
「そう言われると私も困りますね」
「あと、魔石術が素敵なのがいけないのでやっぱり私の所為じゃありません」
にこりと笑って返すと、クライスは目を見開いた。
「…本当に、私が反論出来ない事を仰るのはカティアさんくらいですよ」
クライスは大きく開いた目を一度閉じてふうと一息吐き、今度は嬉しそうに微笑んだ。その顔に胸のあたりがきゅうと苦しくなってくる。それを顔に出さないように、くすくすと笑って誤魔化した。
「ところでカティアさん、昨日は色々とあってあまり話せませんでしたが、体調など不安はありませんか?」
「魔力の事ですか?」
「はい。理由もわからないですし、魔力があっても私のようにそれを顕現出来ない場合は実感もないでしょうから、不安がないかと思いまして」
そう言われて、改めて自分の体を見下ろす。確かに実感はまったくない。体の中の魔力の存在がどういうものかもわからない。だが体調などの不調もまったく感じない。
「そうですね…体調の変化もないですから、今のところ不安はありません。クライスさん達がお城に帰ってしまって一人になったら、何があるかわからなくてちょっと怖いなとは思います」
「この問題を放棄してカティアさん一人を残して帰るつもりはありませんよ」
クライスはひどく優しい声でそう返してくれた。
「なら安心です」
心からそう思ったのでそう返すと、クライスは難しい顔をしていた。
「クライスさん?」
「あ、いえ…。その、私達が来た事によって色々とカティアさん自身や周りに変化があったでしょう?なのにそこまで信頼を置かれるというのも申し訳ないというか…」
「クライスさん達がわざとこうしているんですか?」
「いえ…結果論ですが…」
「なら、クライスさん達の所為じゃないですよ」
熱が出た事も、私に魔力が宿ったかもしれない事も、魔獣が宿の周りに出るようになった事も、クライス達がそう仕向けたのでなければ誰の所為でもない。むしろ助けてもらっているのだ。
「…そう、ですね…ではカティアさんが今後決して不安に思う事のないように全力で原因を究明しますね」
そう言ったクライスの目は真っ直ぐと前を見ていて、横顔からは感情を伺い知る事は出来なかった。
一瞬話しかけづらい空気を纏ったクライスだったが、ふと目にした鳥が珍しかったようで、鳥について話しているうちにいつもの空気に戻っていった。研究者としての性質なのか、クライスは魔石以外の事でも自分の知らないものについて強く興味を持つ事が多いようで、森に生えている植物や動物の話をすると、私の拙い説明でも楽しそうに聞いてくれた。
「着きました、ここです」
「これは見事ですね」
池のほとりに着くと、鮮やかな黄色をした大きめの花弁をもった花と小さな青色の花が一面に咲いていた。この2種類だけで見栄えがするので、いつも雨季明けはここで摘んでいる。
「青色の花を少し多めに、このバスケットにいっぱいになるくらい摘みましょう」
実の時とは違って片腕にかけられる程度の大きさのバスケットを持ってきているので、そんなに時間はかからないだろう。
「ひとつのバスケットだけで良いのですか?こちらは?」
もう一つ、同じくらいの大きさのバスケットをクライスが持ってくれている。
「そちらは後のお楽しみです」
なるべく群生しているところから丁寧に摘み取っていく。土の栄養が残った花に行き渡るように、摘む時は根っこから抜いていく。これは昔ゲイルに教わった土いじりの鉄則だ。
「ゲイル君には一度土いじりについてじっくり伺ってみたいものです」
抜いた根っこ付きの花を摘んでまじまじと見つめながらそう呟いたクライスに、今朝の疑問を思い出した。
「そういえば、いつゲイルと仲良くなったんですか?」
「夜番をしている時ですね。お茶をしながら色々とお話させていただきました」
「クライスさんとゲイルだとお話は合うんですか?」
お城勤めで研究者気質なクライスと、村育ちで力仕事が得意なゲイルとでは共通の話題もなかなかないだろう。クライスは話し上手だから、ゲイルに話を合わせてくれたのだろうか。
「ゲイル君の知っている村の話を聞いたり、私の知っている街の話をしたり、あとそれから昨日の薬草の話など楽しい時間を過ごさせていただきましたよ。我々は意外と好みも合うようで」
「そうなんですね」
ゲイルはあまり雑談をするのが得意な方ではないと思っていたが、そうでもないようだ。まだまだ知らない一面があるらしい。
「ふふ、意外ですが、二人が仲良くなれたなら嬉しいです」
「ゲイル君に新しい友人が出来たからですか?」
「いえ、私の好きな人達が仲良くなったからで…」
ハッと気付いて口元を手で隠したが、そこまで口にしてしまってからではもう遅い。クライスは花を摘む手を止めてびっくりした顔をしている。
「いや、あの、お友達的な好きというか…すみません、どちらにせよクライスさんに失礼ですね…」
「いいえ、友人と思ってくださって嬉しいです」
クライスは嫌な顔をする事もなく、驚いた顔から微笑みへと移した。
「失礼ではありませんか?その、貴族の方に友人だなんて…」
「カティアさんのその貴族論、相変わらずですねぇ。文化や習慣などの違いはありますが、こちらとしては職種が多少異なるくらいにしか思っておりませんが」
「それは貴族の方だから言える事だと思います…」
私が目を伏せてそう言うと、クライスはうーん、と摘んだ花を指先でくるくる回しながら何かを考えるように空を見上げた。
「逆に、その余所余所しさが失礼と感じます、と言えばお友達認定していただけるでしょうか?」
「え…と…」
サリタニア達が来た初日に同じような流れで失敗した事実がある。だがお友達というのはそれ以上に個人的な話というか、一歩入り込んだ所にある話な気がするのだ。これをどう伝えたら良いか分からず一人であたふたしていると、クライスが吹き出した。
「ふ…あははっ…すみません、冗談です。失礼だなんて微塵も思っていませんよ」
「…揶揄われたんでしょうか?」
「カティアさんに距離を置かれた気がして少し寂しかったもので」
距離を置かれたと言われて少し反省する。私の中ではその距離は元から変わらずあるものだが、20日程一緒に過ごしていく中で言葉や態度での距離は近くなっていたと思う。だからこそ改めて口にした事で余計に距離を感じさせてしまったのだろう。
「…すみません。でも、寂しいと言っていただけて嬉しいです」
これは本当だ。自分でも矛盾しているとは思うが彼らからの好意的な言葉はいつも嬉しく思っている。
「ではお友達に?」
「…少し、考えさせてください」
先延ばしにしたところで何も解決しない事はわかっているが、お友達以前に私の中で整理しなくてはいけない感情があるのだ。ちょっと待ってほしい。
「良いですよ、あぁでも、カティアさんとはお友達というより家族の方がしっくりとする気がしますね」
「……4人で寝食を共にしていますもんね」
本当に、感情を掻き乱すような発言はやめていただきたい。




