27-2. ゲイルとカティア2(ゲイルside)
久々に風呂に入って、やっぱり慣れないなと思いながら夜着に着替えた。エリザさんはここに来る前は街に住んでいたのだろうか、俺達にはない習慣がたくさんあった。風呂もその一つだ。村では風呂には入らない。そんなに寒くなることがないからかもしれないが、みんな水浴びや、お湯を使うとしても桶に入れて足をつけたりそのお湯で体を拭いたりするくらいだった。だからいつ来ても綺麗な髪と良い匂いのするカティアは、こんな森に住んでいながら、見たことはないがお貴族様の様に感じる事もあった。
風呂の小屋を出て宿へと戻る道で、カティア達が住んでいる小屋の窓から明かりが漏れているのが目に入った。今日の宿の夜番はクライスさんらしいからカティアはあそこにいるのだろう。負担をかけてしまった事に、ゆっくりと休んでほしいと願いながら同時に、何も悩まずに眠ってしまったら悔しいとも思ってしまう。
宿に戻るとクライスさんがカウンターにいた。軽く頭を下げて通り過ぎようとするとにこりと笑ってごゆっくり、と声をかけてきた。ものすごい勝手な話だがクライスさんのその笑顔が癇に障って足を止める。
「あの…」
「なんでしょう?」
クライスさんは何か書き物をしていたのか持っていたペンを置いて立ち上がった。この人もやっぱり街の人だからなのかいちいち動きが綺麗で、それがまた今の俺には苛々と感じさせる。
「カティアに、ネックレスを渡したのはクライスさんか?」
「…ええ、こちらでお世話になるお礼に」
「その、俺は村の事しか知らないんだけど、街ではお礼に宝石を渡すのは普通なのか?」
「お礼の理由にもよりますが、どちらかと言えば菓子折りやハンカチなどが普通ですかね」
「じゃあ…何でカティアに…いや、その、カティアの事…どう…」
この先は聞きたいけど訊いちゃいけない気がして言葉が続かない。
「自分の命などよりも大切な女性だと思っていますよ」
俺の葛藤などお構い無しにきっぱりはっきりとクライスさんは言った。その言葉に逸らしていた視線をクライスさんの方に戻すと、今までの客向けの笑みは全くなく、ひどく真面目な顔をしていて圧倒されてしまいそうだった。
「どうしてそこまで…。だって、この間会ったばっかじゃないのか?」
好きだなんだ言うのならわかる。でもこの人は自分の命よりもカティアが大事だと言う。何がそこまで思わせるんだ。
「出会ってからの期間なんて関係ないと思いますが…私はね、昔カティアさんに救われたんです」
「救われた?」
「カティアさんも自覚はないでしょうし詳細は言えませんが。だから私はカティアさんのこれからの人生を、私のすべてをかけて幸せなものにしたいと思っています」
「カティアを…街に連れていくつもり?」
穏やかな笑みを浮かべながら言うクライスさんに、なんとなくそんな気がした。
「最終的にはカティアさんの意思次第ですが、彼女の不安や懸念…全てを排す準備が出来たらこちらに来ていただけないか伺うつもりです」
勝ち負けとかいう話じゃないのはわかってるけど、この人にはどうやっても勝てない気がして、何も言えなくなってしまった。だからじいちゃんは相当がんばらなきゃならないと言ったのか。
「…と、すみません。ゲイルさんに圧をかけるつもりはなかったんです。ただ、貴方の気持ちは痛いほど伝わってきてますから、私も少し焦りが出てしまいました」
そう言ってクライスさんは苦笑した。その顔に俺も強張っていた体が少しだけ楽になった。
「…クライスさんでも焦るんだな。ていうかやっぱりバレバレなんだな…」
「逆にカティアさんが何故気付かないのかが不思議です。ゲイルさんには…」
「ゲイルでいいよ」
「では…ゲイル君には本当に気を許しているようですから。君と喧嘩をした事で心配になる程落ち込んでいましたし。君の気持ちがカティアさんに伝わればきっとそれを受け入れるのでしょうと、焦りました」
カティアは俺と喧嘩をしたと説明したのか。それにしてもこの人は無意識に傷を抉ってくるな。仕返しではないが、俺も馬鹿正直に敵に塩を送ることもないだろうと「どうだろうな」とだけ返しておく。それに対して俺が返答に困っていると思ったのか、クライスさんも更に困り笑いを深めた。
「…はは、私達は何を話しているんでしょうね」
元はと言えば俺の苛々をぶつけた形でスタートした会話なのに気を遣わせてしまった。だがクライスさんには申し訳ないが、俺は話した事で不思議とすっきりした気持ちになっていた。
「でも、クライスさんの気持ちが知れて良かった。俺も焦ってたんだ。あんた達が家族みたいに仲良さそうだったから」
そこは正直に話すと、クライスさんは驚いたような顔をした。気付いてなかったのか。
「これでアイコだな」
カティアが俺に気を許していると言われて嬉しかった。改めて、そこは大事にしたいと思ったんだ。それに気付けたから、お礼に教えてやった。
「もっと牽制されるのかと思っていました」
「他は知らないけどな。俺は人を牽制するよりも自分がどうするかって方が大事だと思うし、それに、明日カティアが仲悪い俺達を見たら絶対嫌な気持ちになるだろ」
「ゲイル君も、大概カティアさん優先な人ですね」
「そうかな…うん、そうかも」
クライスさんみたいに命よりも、なんてスケールが大きすぎて言えないけど、俺は俺の気持ちよりもカティアが大事なんだとはっきり言える。カティアを一番に守るのは俺でありたいけど、その為にカティアの心を傷付けるとしたら自分を許せない。
「カティアさんという人はゲイル君の存在があってこそなんでしょうね」
「俺がカティアの影響を受けてるだけだよ」
「そういうところ、そっくりですよ」
思ってもみなかった事を言われて驚いたが、クライスさんの顔は穏やかに笑っていて、冗談を言っているようには見えなかった。
「そっか…ありがとう」
お似合いだとかそういう言葉をかけられるよりもなんだか嬉しかった。俺がクライスさんに感謝の気持ちを言葉と笑顔で返すと、クライスさんも笑みを強めて返してくれた。
湯冷めしてしまっただろうと、クライスさんはお茶を淹れてくれた。喉も渇いていたのでありがたくいただきながら街や村の話題などで取り留めのない話をする。俺は社交的ではないし、今は敢えてお互いにカティアの話は避けているが、それでも会話は弾んだし楽しかった。ポット一杯分のお茶を飲み終わって、この時間を持てたことを感謝しながら部屋に戻る。今日は眠れないだろうと思っていたが、体も温まったからか眠気が顔を出してきた。
(明日、帰る時に必ずカティアと話をしよう。このまま帰ったらカティアが困り続けるだけだ)
そう決心しながら眠りについた。
翌日目を覚ますと、既に1階で話し声がしていた。身支度…といっても着替えて手櫛で髪を押さえつけるだけだが、それらを整えて部屋を出るとちょうどターニャさんが朝食を持ってきてくれたところだった。
「おはようございます!朝食をお持ちしました」
そうだ、ここの宿では朝食は部屋で食べるんだった。1階ではガタガタと物音がしているので掃除でもしているんだろう。邪魔をしちゃ悪いなと思って大人しくバスケットを受け取って部屋に戻った。
バスケットの中にはサンドイッチが2つ入っていた。ひとつは昨日採ったエカの実のジャム、もうひとつはチーズと燻製肉が入っていて、ソースはミネストローネの味がした。煮詰めてサンドイッチに使ってくれたのだろうか。昨日はほとんど味わえずに終えてしまったから嬉しい。今度は一口一口大事に食べた。
食べ終えて荷物を持って1階へ降りると、みんなに朝の挨拶をされた。昨夜と違ってカティアもキッチンから出てきていて、ぎこちない笑みを浮かべながらも小さい声でおはようと言ってくれた。
「おはよう。クライスさん、ゆうべはありがとう」
「いえ、私も楽しいひと時を過ごせて光栄でした」
クライスさんと挨拶を交わしながらカティアの方を盗み見ると、驚いたような複雑そうな顔をしていた。
「カティア、ちょっといいか?」
「あ、うん…」
複雑そうな顔をしたまま、外に出ようとする俺についてくる。宿の外に出て、扉を閉めた。あの人達に聞かれると後々カティアが気まずく思うかもしれない。
「昨日は混乱させてごめんな。忘れてほしくはないけどそんなに悩まないでほしい」
「ゲイル…」
複雑そうな顔が一気に不安に塗り替えられて、泣きそうな顔になった。一晩中そんな顔をさせてたのだろうか。ごめんな。
「でもさ、お前が困った時に頼れる相手ではいたいんだ。遠慮される方がしんどい。それだけは俺の我儘を許してくれよな」
「そんなの…そんなの今までだって頼りにしてたよ…甘えるのは苦手だけど、村にゲイルがいるって思ってたから、宿に一人になっても怖くなかったんだよ…」
カティアはくしゃっと顔を歪ませて両手で覆った。泣かせてしまった事に罪悪感を覚えながらも、泣くほど俺の事を考えてくれていたのかと少し嬉しくもある。昨日からマイナスとプラスの感情が行ったり来たりして俺自身もどうしたら良いのかわからないから、確実な事だけを伝える。
「カティア、俺もこんな年だからさ、あと1年だけ挑戦させてくれ。1年後にその時のカティアの気持ちを聞きたい。それでまだカティアが俺以外の方を向いていたら、俺もちゃんと自分の道を先に進むよ」
両手を顔から離してまっすぐに俺を見てきた。驚きなのか不安なのか安堵なのか、濡れそぼっている目からはいまいち感情が掴めなかったから、ぽんとカティアの頭に手を置く。
「そういう事だから、負担になりすぎない程度で良いから、ちゃんと考えてほしい」
そう言うと、袖口で涙を拭いて改めてこちらをまっすぐな瞳で見つめてきた。
「…うん、ちゃんと考える。お嫁さんとかそういうのはまだ決められないけど、ゲイルが大事な人だっていうのは本当だから。……甘えてごめんね、それと、ありがとう」
「はは、ちゃんと甘えられるじゃん」
くしゃっと頭を軽く撫でてやるとカティアはえへへ、と子供の頃のように笑ってくれた。ちゃんと笑顔を見ることが出来て良かったと思えることが嬉しい。
「…あのね」
カティアは何かを迷っているような素振りを見せながらエプロンのポケットを気にしている。何だろうと首を傾げていると、ポケットの中から白い封筒が出て来た。
「ゲイルときちんと話せるかわからなかったから、伝えたい事手紙に書いたんだけど…」
「うん、ありがとう。貰ってもいいか?」
手渡された手紙を村に着いたら読むと伝えて丁寧に胸ポケットに入れた。2人で宿の中に戻ると、3人が心配そうな顔を向けてきていた。クライスさんも、カティアの出て行く時の表情を見ていたからだろうか、俺が何かを言うんじゃないかという不安よりは心配の方が勝っていたらしい。
「仲直り出来たのですか?」
ターニャさんが聞いてくる。そうだった、喧嘩をしたという事になっていたんだった。
「はい、お騒がせしてすみませんでした」
「では、これを渡さなくては。ゲイルさんはもうお食事は終えてしまいましたが、仲直りをした後のお食事はより美味しく感じるものなのでしょう?村に帰ったら食べていただかないと」
そう言って大きめのキャニスターをカティアに渡した。何だろうと見ていると、それはそのまま俺に差し出された。
「昨日のミネストローネをソースにしたの。その、昨日一人でご飯食べさせちゃったから、良かったらミゲルさんとカイルと食べて欲しいなって」
「今朝のサンドイッチのやつか。あれも美味かったよ、ありがとな」
「あとこれ、エカの実のジャム。いつもより多めにいれてあるから」
「あぁ、カイルもこれで静かになるよ」
「……次は、また一緒に食べようね」
「そうだな、みんなで一緒に食べよう」
みんなで、といったのが嬉しかったのか、カティアは嬉しそうにまた子供の頃のような少し照れた笑顔を見せてくれた。これでいい。そう心から思った。
「じゃあ、帰るな。繁忙期がんばれよ」
「うん、道中気を付けてね」
「そうだ、昨日髪型変えてただろ。あっちの方が良いと思う」
きっちりと編んだ髪型もカティアらしいとは思うが、昨日昼食前に結び直してきた一つ結びも年相応で可愛いと思った。それを伝えるとカティアは紅い顔になって驚いて何も言い返して来なかった。
「じゃあまたな!」
4人に見送られて宿を後にする。村に帰ったらカイルの奴に何て報告をするべきか考えながら、すっかり乾いた森の道を足取り軽く進んでいった。




