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27. ゲイルとカティア(ゲイルside)

 カティアは昔から村の女子達とは違っていた。初めて会ったのはじいちゃんに連れられてエリザさんの宿に遊びに行った時だった。その頃は弟のカイルが生まれたばかりで、母さんの負担を少しでも減らす為にじいちゃんがよく村の外に連れて行ってくれていた。


「こんにちは!」


 エリザさんに連れられて宿から出て来たカティアは、人見知りをする事もなくにっこりと笑って俺を迎え入れてくれた。カティアは初めて会った時から歩き方や立ち方が綺麗だった。食事をしていても村の人達とは違って品があって、エリザさんもそうだったから、宿で接客をするというのはこうまでしなければならないのだなとは思ったが、そんな風にカティアとの出会いは印象的だった。


 同い年だった俺達はすぐに打ち解けた。じいちゃんもそれを見て俺をしょっちゅう宿に連れて行ってくれたし、時々カティアを預かって村に連れて行ったりもした。


「なんだこれうま!」


 ある日宿で出してもらったジャムがめちゃくちゃうまかった。幼かった俺は遠慮する事もなく思う存分に食べてしまいエリザさんに叱られた。一瓶丸々開けてしまえば当たり前だ。


「ゲイル、ミゲルには言っておくから、雨が止んだらすぐにここに来なさい。一瓶食べちゃった代わりにカティアと一緒にこのジャムの実を拾ってくるのよ」

「わ、わかった!ごめんなさい!」


 あの頃の雨季は今よりも短かった気がする。その雨季を終えて宿に行くと、籠を背負ったカティアが待っていた。


「ゲイル!来てくれてありがとう!さ、行こ!」


着いたばかりの俺の手を引っ張って駆けていくカティアに付いて行くと、目の前に金色の木が現れた。


「すご…」

「綺麗だよね、いつも雨上がりに実がいっぱいなるんだ。これを持って帰るとおばあちゃんが美味しいジャムを作ってくれるんだよ」


 そう言って金色の木の前で笑ったカティアは木に負けないくらい眩しくて綺麗で、俺は釘付けになってしばらく言葉を発せられなかった。


「……思えばあの時からだったよなぁ」


 カティアに気持ちを告げて宿の部屋に逃げた俺はベッドに腰掛けて頭を抱えながら昔の事を思い出していた。あの日の思い出を大事にしすぎてあの場所は村の誰にも教えていない。我ながら女々しいとも思う。


 カイルに宿の事を聞いて雨季の間に色々と考えていた。今まではカティアにとってのこの宿がどういう存在かというのをわかっているから何も言わなかった。いや、たぶんそれを言い訳にして動かなかっただけだ。カティアとの仲は良かったが、カティアから俺と同じような感情は感じられなかった。言ったら困らせるか、断られるか、どちらにせよ今までの関係ではいられなくなるとわかっていたのだ。


 雨季が明けたら宿の様子を見に行こう、今のままじゃ駄目なのは明らかだから、今まで通りの関係を保てなくても良い、せめて他所にいかないように、願わくば、俺を意識してもらえるように気持ちを伝えようと決心して来たが、驚いた。


(あんな風に腹から笑うカティアは初めてだった…)


 あの3人が来てからそんなに日は経っていないはずなのに、そこには俺が入れない空気が出来上がっていた。焦げた臭いの原因を確認しにキッチンに入っていったカティアを追って一度は俺も宿に入ったが、その空気に尻込みしてつい外にでてしまった。


 髪を直すといって離れたカティアが戻ってきた時には首元にネックレスを付けていて、そんなもの今まで興味を持った事なかったじゃないかと嫌な気持ちでいっぱいになった自分に嫌気が差した。興味がなかったわけじゃない、機会がなかっただけだ。エディさんは結婚してると言っていたからおそらくターニャさんか、あまり考えたくないがクライスさんが贈ったのだろう。俺は今までカティアに贈り物をした事なんてなかった。そう気付いた時にはもう後悔してもどうしようもないのだ。


 カティアはよく俺を頼り甲斐があるとか、優しいとか褒め言葉で称してくれるが、それはカティアではない「他の誰か」の為にあるように言われる。いつも二言目には「村にとって」だ。俺はカティアにとって村という括りの中にいる幼馴染でしかないのだ。ターニャさんが結婚の話を出した時だって、どうせ村の誰かと俺が結婚する可能性しか考えなかったんだろう。頼り甲斐があると言いながら俺には出来るだけ頼らないようにするクセに、あの3人には簡単に頼み事をするのも気に食わなかった。


 宿に来てから常に焦燥と後悔の中にいた俺は、カティアの言い訳めいた謝罪にもう我慢が出来なくなってしまったのだ。


(あんな土まみれで言うつもりはなかった)


 今晩泊まるのだから、静かな夜に、今までどう思っていたのかも含めて、もっとちゃんと伝えるつもりだった。それがこんな言い逃げみたいな事をしてしまった。


「……カティア絶対困ってるよなぁ…」


 ベッドに上体を投げ出して天井を見つめながらため息を吐いた。気持ちを告げたら少しはすっきりするのかと思ったが、頭も心も後悔に満たされている。こんなの自分を押し付けただけだ。もっと大事にしてやりたいのに、全くうまくいかない事に情けなくて泣きたくなる。


----------------


 コンコンと、扉を叩く音で目が覚めた。ぐるぐると考えながらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「お食事のお時間ですが、いかがですか?」


 ターニャさんの声でもう夕食時なのを知る。俺はだいぶ寝てしまっていたらしい。カティアはどうしただろうか。


「今行くよ」


 1階に降りて行くと、カティアの姿はなかった。キッチンで料理をしているのだろうが、出てくるつもりもないのかもしれない。


「どうぞ」


 テーブルに近づくと、クライスさんが椅子をひいてくれた。いや何か違うだろ。着けているお揃いであろうエプロンの素朴さも相まって違和感しかない。


「そういうの、この宿ではいらないと思う」

「え?」

「カティアに言われたから。客目線で見ろって。ここの宿は庶民的な雰囲気だし、初対面の客同士で酒を勧め合ったりして勝手に盛り上がるようなところだから、そういう風にきちんとすると客は嫌がると思う」

「ふむ、なるほど…」

「クライスさんの宿でどうするかは好きにしたら良いと思うけど、ここにいる間は気を付けて」

「はい、ご指摘ありがとうございます」


 最初は驚いていたが、嫌な顔ひとつせず一歩引いたクライスさんに安心して席につくとターニャさんがメニューを持ってきてくれた。


「こちらが本日のメニューになります」

「ありがとう。じゃあミネストローネと軽く焼いたパンを頼むよ」

「かしこまりました…それだけで良いのですか?」

「今日はミネストローネがメインだからね。足りなかったらおかわりをもらうよ。あと、客の注文に感想は言わない方がいい。何をどれだけ食べたいかなんて人それぞれ違うから」


 ターニャさんははっとした顔になって、わかりました、と注文メモの下の方におそらく今俺が指摘した事を書いた。小走りでキッチンの方へと行く姿を目で追うが、カティアの姿は見えなかった。


「ところでエディさん」


 壁際で立っているエディさんを呼ぶと、こちらに寄ってきてくれた。


「今日は俺一人で手持ち無沙汰だからだと思うんだけど、何もする事がない時はエディさんはキッチンにいた方が良いと思う…」

「…理由を訊いても良いか?」

「何か、エディさんが立ってると圧があるというか、見張られてるような気分になるんだよ…話せば気さくな人ってわかるんだけど、初対面の人に怖がられた経験とかない…?」


 思い当たることがあったのだろう。眉間に皺を寄せてわかった、と少し肩を落としてキッチンへと下がっていった。急にキッチンへと入ってきたエディさんにカティアが何かを言っている声がする。何を言っているかはわからないが、声色がいつもより弱い気がする。


 出されたミネストローネはいつもと同じ味で美味かった。エリザさんの得意料理で、小さい頃は宿に来る度に作ってもらっていたのだが、いつも着ている服にスープをこぼして、染みになる前にと宿で洗ってもらっていた。同じものを食べているカティアは食べ方が綺麗だったからまったく汚してなくて、じいちゃんにカティアを見習えとよく怒られたものだ。


「ほんと、変わらずに美味いな」


 味は変わらないのに、状況だけは変わってしまった。昔はカティアと横並びで食べていたのに、今は姿すら見えない。俺は何故かこのミネストローネと同じように、この宿とカティアもずっと変わらないものだと思い込んでしまっていた。そんな事あり得ないのに、宿の事しか頭にないカティアの様子を時々見に行くこの関係が、いつまでも続くものだと思っていたんだ。


(何も言わなければ、夕食も一緒に食べられたのかもな…)


 客として見てくれと言われたから給仕はされるかもしれないが、食事自体は一緒にとれたかもしれない。一人で食べる食事というのは何とも味気ないものになるものだ。


「ごちそうさま、美味かったよ」


 ぐるぐると考えながら食べていたらいつの間にか皿が空になっていた。美味かったのは確かだが、食事に集中できない状態でおかわりをする気になれなかったのでおしまいにした。


「お風呂を使われる際には受付カウンターに鍵がありますので、落ち着かれましたらどうぞ」

「ありがとう。部屋を出たついでに入ってきてしまおうかな」


 ターニャさんに鍵を借りて着替えを取るために2階へと上がった。結局カティアは一度もキッチンから出て来なかった。


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