26. 一人じゃないキッチン
「ターニャ、ジャムを作り始めますが一緒にやりますか?」
キッチンから顔を出してサリタニアがいるのを確認し声をかける。どうやらクライスと一緒にエカの枝を調べていたようだ。
「良いのですか?」
心配そうな顔をしてこちらへ駆け寄ってくる。ミネストローネを作っている間もこちらを気にかけてくれていたのだろう。
「もちろんです。少し力仕事になりますが」
「ふふ、ここに来て少しずつ重いものも持てるようになっているのです。お任せくださいな」
お姫様に筋力をつけさせてしまって良いのだろうかと思いながらも、嬉しそうに笑うサリタニアに張り詰めていた心が解れていく気がした。
「差し支えなければ、私もお手伝いして良いでしょうか」
クライスも遠慮がちに声をかけてきた。一瞬ドキリと胸が跳ねたが大丈夫、顔には出ていないはずだ。もちろんです、と二人をキッチンへ招き入れる。エドアルドは外の見回りに出ているらしい。この場に事情を知っている人がいない事に静かにほっとして、にこりと二人を振り返り籠を指差した。
「まず、洗っておいたこの実を全部鍋に入れて煮ていきます」
「まぁ、全部ですか…3つも籠がありますよ?」
「煮ていくうちにかさがどんどん減っていくので、この鍋に入りきるはずです」
「減ってしまうのですか?こんなにたくさんあるのに残念ですね…」
しょんぼりするサリタニアには申し訳ないが葉物と果実は火にかけると驚くほど減ってしまうのだ。そういえばゲイルも昔しょんぼりしてたっけ。
「火にかけると様相が変わってしまうというのは…やはり料理と研究は似通っているところがありますね」
クライスも籠と鍋を見比べながら頷いている。そういえば魔石術の説明を初めて聞いたときにそんな事を言っていた気がする。純粋な気持ちで話せていた少し前を思い出し、ちくりと疼いた胸の痛みに気付かないフリをして、もしかして私も料理と同じように魔術や魔石術が使えるようになったりするのだろうかなどと考えて気をそらす。
鍋を火にかけ少しずつ実と砂糖を入れていく。水分を多く含んだエカの実はどんどんと溶けるように崩れていき、焦がさないようにヘラでかき混ぜていく。これがなかなか力仕事なのだが、3人で交代しているので今年はずいぶんと楽だ。
「はい、これで全部入りました。あとはずっと混ぜながら火をかけて水分を飛ばしていくだけです」
「作業としては単純なのですね」
「そうですね、でも油断して焦がしてしまったら全てが終わります。砂糖を大量に入れているので焦げやすくもあります」
「それは…肝に銘じます…」
焦げというトラウマがクライスの中に蘇ったようだ。
「ふふ、クライスがこんなに自信をなくしているのも珍しいですね」「それはそうです。あんな失敗をすれば慎重にもなります」
クライスの顔とサリタニアのクスクスという笑い声で私も思わずふふ、と笑みが零れた。それを見逃さなかったサリタニアがこちらを見てにこりと笑う。
「良かった、少し表情が和らぎましたね」
「…すみません、心配をおかけしてしまって」
「良いのですよ、私も喧嘩のきっかけを作ってしまいましたから」
「そんな事…」
「大丈夫ですよ、カティア」
サリタニアは持っていたヘラをクライスに託して私の手を握った。
「ジャムと違って人と人との関係は形が変わってしまってもまた元のように戻りますから。それに、仲直りの後のお食事は美味しいのですよね?ジャムを美味しく召し上がっていただけるよう、二人が仲直り出来るように願いを込めながら私も作りますからね」
「ターニャ…」
喧嘩ではないのだが、そうあってほしいと私も願いながら目を閉じサリタニアの手を握り返す。
「ありがとうございます。少し勇気が出ました」
「お手伝い出来ることがあれば何でも言ってくださいね」
ひたすらに鍋をかき混ぜながら火を入れてゆき、ここまでくれば後は弱火でたまに手を入れるだけ、というところまで煮たところでもうそろそろ夕食を出す時間になったが、まだ顔を合わせる勇気が出なくてゲイルの対応を三人にお願いして私はキッチンに籠る事にした。せめて美味しいものを食べてもらおうと味の確認は最後まで怠らない。昼間の事がなければ、昔話でもしながらみんなでミネストローネを囲んで食事が出来たのだろうか。あ、でもサリタニア達の動きを見てもらいたいから、給仕だけはお客様と同じようにしたかもしれない。
「カティア、オーダーです。ミネストローネと焼いたパンをお願いしますね」
「わかりました、ではこちらのカトラリーをお願いします」
パンを軽く焼いた後、ミネストローネの最後の味見をして問題ない事を確認し皿によそる。どうかゲイルが美味しく食事を出来ますように。サリタニアに給仕をお願いすると、入れ替わりにエドアルドが入ってきた。
「何かありましたか?」
「いや、ゲイル君に注意されてな…。やる事なく立っているだけだと圧を感じるらしくて、キッチンに入っていろと言われた」
苦笑いのエドアルドはキッチンに入ってもどこにいようかときょろきょろしている。
「エディさんは背も高いですからね。今日はゲイルだけですが、お客様が増えれば逆に立っているだけというのが難しくなりますから安心してください」
「そうだな、忙しい方がありがたい」
「…ゲイルはちゃんとお願いしたとおり見てくれているんですね」
「あぁ、本当に良い青年だと思う」
事情を知っているエドアルドは私を気遣う表情を見せながらもそう言った。
「ありがとうございます。自慢の幼馴染が褒められて私も嬉しいです」
「…そうか」
にこりと笑みを交わして私はジャムを煮ている鍋の方へ向かう。エドアルドは壁にもたれかかり、優しい目で私を見守ってくれていた。エドアルドが気付いてくれて良かったと心から思う。一人で抱えていたら、今キッチンに立っていられなかったかもしれない。
しばらくすると、ゲイルが食事を終えたとクライスが教えに来てくれた。おかわりはしなかったらしい。やはり食事をする気にはなれなかったのだろうか。鍋にたくさん余っているミネストローネを見ながら、申し訳なさと寂しさが込み上がってくる。
「美味しかった、とは言ってくれてましたよ」
私の様子を見てクライスがそう教えてくれた。気を遣わせてしまった。
「そうですか…なら良かったです。余ったスープはみんなで夕食に食べましょう」
「カティア、スープは明日は食べていただけないのですか?」
クライスから少し遅れてキッチンに入ってきたサリタニアが鍋と私を交互に見ながら訊いてきた。
「そうですね…具材もぐずぐずになってしまいますし…あ…煮詰めてソースにすればサンドイッチに使えるかもしれません」
「素敵ですね!そうしましょう?ゲイルさんもきっと夜にお腹が空いて、スープをたくさん食べなかった事を後悔するでしょうから」
サリタニアは私の手をとってぎゅうと握りながらそう言った。明るいサリタニアの笑顔のおかげて暗くなってしまった気持ちが少し軽くなる気がする。落ち込んだ時に一人じゃないってすごいなと思う。
「では鍋を小屋に運びましょうか。ゲイルさんはこれからお風呂を使うそうですから、その間に我々も食事をしてしまいましょう」
ジャムも良い感じに煮詰まったのであとは放置して冷やせば出来上がりだ。宿のキッチンでやらなくてはならない事は終わったので私も引き上げる準備をする。鍋を持ってくれたクライスの後を追ってキッチンを出る。ふとカウンターを見ると、ご用のある方は裏手の小屋までお声がけください、と用意周到に綺麗な字でメモが置いてあった。これでこれからも小屋で食事が出来そうだ。
「そうだ、本日の夜番は私にお任せください」
「え、まだ仕事内容もお伝えしてないですし、今日は私がやりますよ?」
「仕事内容は食事の際にでもご教示ください。ゲイルさんが相手なら練習にもってこいじゃないですか。流石の私も、夜間すぐにカティアさんに相談出来ない状況で初めて夜番をするのは緊張しますからね」
「クライスさんでも緊張する事あるんですね…」
「ここに来てからは緊張し通しですよ。カティアさんの大切な宿に失礼があってはいけないですからね。…先程は盛大にやらかしましたが」
「…ふふ、まだ気にしてるんですか」
黒焦げのお肉を思い出してお腹のあたりがくすぐったくなってくる。まだ落ち込んでいるのかとクライスの方を見ると、予想とは反してひどく優しい目でこちらを見ていた。月明かりに後ろから照らされて逆光で暗くなっているはずなのに、紫色の瞳が綺麗で目が離せなくなる。
「どうしました?」
「あ、いいえっ…。クライスさんがまだ落ち込んでるのかなと思ったら顔はそうでもなかったようなので」
「それは失礼。顔には出ないタイプなので」
「じゃあやっぱりまだ落ち込んでるんですか」
「…そうですねぇ。色々と面白くない状況だなとは思っていますよ」
「そんな事言われてもお肉も困りますよ…」
「…はは、それもそうですね」
小屋で軽く鍋を温め直して食事を済ますと、クライスは宿に戻っていった。宿の夜番は特にやらなければならない事はないのだが、何かお客様が困った時に対応が必要となるので、クライスで判断できなければいつでも起こしに来て欲しいと伝える。ちなみに、小屋の方の夜の警護がエドアルド一人になってしまうので、やはり宿の方は私がやった方が良いのではないかと言ったのだが、クライスもエドアルドも浅い眠りで休息を取りながら警護をする訓練はしているから問題ないと却下されてしまった。結局、これからも宿の夜番はサリタニアを除く三人で交代していく事に決まった。
私は時間が出来た事をクライスに感謝しながら、小屋の自室で便箋を見つめ正しい言葉を選んで綴っていく。綺麗な文章にならなくても良い。私の気持ちを正しく伝えられる言葉を選ぶ。ゲイルの気持ちを今すぐに受け取る事は出来ないけれど、ゲイルを一番大切な幼馴染として想っている、取り繕わない、今の正直な気持ち。これでゲイルが傷つかないとは限らない。自己満足かもしれない。でも、それでも嘘や誤魔化した言葉よりは良いはずだ。
「明日、ゲイルが帰る時にジャムと一緒に渡そう」
正直まだゲイルと顔を合わすのは怖いが、揺らがないように口に出して手紙に封をした。




