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8 不測の事態

(アルフレッド殿下⁉)


 あまりに思いがけない相手に、アレクシアは心の中でぎょっと声を上げた。

 髪と瞳の色が小枝のような茶色になっているが、顔立ちはどう見ても婚約者であるアルフレッドだった。今回の時間ではまだほとんど交流がないものの、前回の時間を含めれば十年近く交流してきた人間だ。多少若返っていようと見間違えるはずがない。恐らく、変装用の魔法を使っているのだろう。


(王族がなんでこんなところに。しかもお一人で⁉)


 誰かいないかとアルフレッドの後ろの森をよく見るが、護衛も従者も一人も見当たらない。


(前々から奔放な方だと思っていたけれど、まさか子どもの頃からこんな無謀なことをされていたの⁉)


 王家には今、三人の王子がいる。上二人の王子が非常に優秀であり、年が離れてから生まれた第三王子であるアルフレッド殿下は、あまり大きな期待や重責をかけられることもなかった。

 比較的自由を許された王子は、王族でありながら奔放に育った。そして、自分の王族としての在り方にあまり関心がなかったように思う。だからこそ、アレクシアとの婚約が成立してしまったわけだが。


(ここは王都じゃないから、いくらなんでも絶対護衛がいるはず。今一緒にいないってことは撒いてきたか、影が付いてるかね。でも、これは不味いわ。このままじゃクレヴァリー家が王族を傷つけてしまう)


 護衛も小綺麗過ぎる少年の登場に戸惑っているが、相手が王子であるとまでは分からないはずだ。


「少年、そこで止まりなさい」


 護衛の静止の声に、王子の顔がムッとなる。しかし、フィリアの姿を見ると、すぐに目を見開いて頬を染めた。


(ああ、不味い)


 反射的にアレクシアはそう思った。岸にいるアレクシアにも、アルフレッドの変貌がよく分かったのだ。同時に、女神の愚痴を思い出して足を踏み出す。


『ヒロインだから当然の仕様って言えばそうなんだけど、この乙ゲーかなりゲームバランス可笑しくて厄介なのよね。あんたも気を付けなさいよ』


 不機嫌そうな顔で愚痴のように忠告されたそれは、フィリアの体質ともいえるものだった。女神はそれを《ヒロイン補正》と呼んでいた。

 フィリアの愛らしさはときに人を狂わせる。

 クレヴァリー家の者たちは、使用人や護衛を含めて全員がフィリアの幼い頃から慣れているためか可笑しな行動をするものおらず、まだ表面化していないが、アレクシアは前回の時間で何度か目にしたことがあった。


 学園の男子生徒の中に、フィリアに見惚れ、酔ったように理性の箍が緩んだ状態で近づいてくる者が幾人もいたのだ。遠くから見惚れる程度はよくあることで、フィリアと会話する中で段々と彼女に傾倒していき、行き過ぎた好意を向ける者も多かった。やがてアルフレッド殿下や上位貴族たちに囲まれるようになったことでいったんの落ち着きを見せたが、その囲っている貴族たちからの執着は相当なものだったろう。


 《ヒロイン補正》とは、この世界の主人公たるフィリアに与えられた神の加護であり、並みはずれた容姿と人に愛される性格から、過剰な好意を向けられやすくなるのだという。


(好意って言葉で片付けられるものでもなかったけれど)


 最終的に暴走した人間によって殺害されたアレクシアは思う。あれは愛憎だ。

 女神が言うには、特に攻略対象となる男性に強く作用するものらしい。

 つまり、女神曰く攻略対象であるアルフレッドには、ひと際強く作用する。


「天使だ……」


 眼前では、夢見るような目をした少年が、熱に浮かされたようにフィリアに見惚れている。うっとりとした瞳を向けられ、フィリアの頬が引きつった。


「待って!」


 フィリアの側についたアレクシアは、鞘ごと剣を抜こうとしていた護衛兵に声をかけておしとどめた。


「しかし……」


 警戒し、視線を外さず難色を示す護衛に申し訳なく思いながらもそっと囁く。


「こちらはやんごとなき身分のお方です。何かあればクレヴァリー家に責が」

「っ⁉」


 息を呑む護衛を下がらせると、怯えを滲ませた顔のフィリアを守るように前にでた。靴ごと川に踏み入ったせいで足元が気持ち悪い。


(さて、なんて言うべきかしら)


 正面で相対しても、アルフレッドの視線はフィリアに固定されている。


(一目惚れした人間ってああいう感じかしらね。あれ、一応私の婚約者なんだけど)


 誰かの恋する瞬間を見てしまった気がして、アレクシアはなんとも言えない居心地の悪さを感じ、しかし、すぐに気を引き締めるように首を振った。


「アルフ……、いえ、アル様」


 アレクシアは念のため、アルフレッドの名前を避けた。


「お久しぶりでございます。ノーリッシュ侯爵家が長女、アレクシア・セシル・ノーリッシュです。このような姿で失礼いたします」


 アレクシアはあえてこの場で丁寧なカテーシーをした。水にぬれた靴と裾では様にならなかっただろうが、小川の中という場違いさに、アルフレッドに我に返って欲しかったのだ。

 アレクシアの挨拶に、フィリアも何か察したのだろう、背後で息を呑む音が聞こえた。


「ノーリッシュ? ……お前がアレクシアか」

「はい。お顔を合わせるのは我が家での茶会以来ですわね。覚えていてくださって嬉しいですわ」


 婚約者の名前くらいは覚えていたのか、アレクシアの挨拶に初めてアルフレッドがフィリアから視線を外した。

 途端、浮かされた瞳の熱は霧散する。


「ふん、わざわざこんなところまで僕についてきたのか。家のためとはいえ、ご苦労なことだな」

「そんなまさか、偶然ですわ」


 誰がおまえなんかわざわざ追いかけるか、と言ってやりたい気持ちをこらえて笑みを浮かべる。


「アル様こそ何故こちらに? 見たところお一人のようですが、お付きの方はどうされたのですか?」

「なに?」


 アレクシアの言葉に後ろを振り返り、初めて誰もいないことに気がついたようだ。驚き固まっているアルフレッドに深いため息が出そうだった。


(故意に撒いたというより、歩き回ってはぐれたのね。見失った方にも落ち度はあるけれど、今まで気づかなかった殿下も殿下だわ)


 しかし困った。流石に迷子と分かった王族を置いては帰れない。


(フィリアだけでも先に帰らせるしかないかしら)


 片づけをしていた侍女たちも既に異変に気付いたのか、小川の岸ではらはらとこちらを窺っている。アレクシアは左手を背に回すと、後ろ手にフィリアに岸へ向かうよう指示した。すぐにくみ取ってくれた護衛と侍女が、戸惑うフィリアをやや強引に岸にあがらせる。


「っ、おい、待て!」


 しかし、目ざとく気づいたアルフレッドが鋭い静止を投げる。

 突然あがった大声に、フィリアの肩が跳ねた。


「す、すまない。驚かせるつもりはなかったんだ。君が行ってしまうと思ってつい」


 未だに身を強張らせるフィリアを置き去りに、焦ったようにアルフレッドは言葉を重ねていく。その瞳はまたフィリアを見つめ、熱に浮かされていた。


「こんな場所で出会ったのもきっと運命だ。君の名前を教えてくれないか」


 高揚したアルフレッドが、フィリアに見惚れながら花に誘われる蝶のようにふらりと近づいてくる。靴が濡れるのも構わずに、小川に足を踏み入れた。


「アル様、お待ちください。彼女はクレヴァリー家の御令嬢です。それ以上強引に近づいては、彼女が怯えてしまいます」


 アレクシアは、二人の間に立ちふさがるように手を広げる。しかし、フィリアとの仲を邪魔されたことが気に食わないのか、アルフレッドは鋭い目でアレクシアを睨みつけてきた。


「うるさいっ、邪魔をするな!」


 アルフレッドの怒鳴り声とともに、アレクシアは突き飛ばされた。

 ばしゃんっと音を立てて水しぶきが飛んだ。水嵩の低い小川だが、尻餅をつけばそれなりに全身が濡れる。咄嗟に着いた手のひらは川底の小石で擦りむいたらしくじわりと痛みがにじんだ。


(痛い)


 まさか突き飛ばされるとは思わなかったため、驚きに呆けてしまった。


「あ……」


 のろのろと顔を上げると、流石に我に返ったのか、アルフレッドが驚いた表情で突っ立っていた。衝動的なものだったのだろう。自分で突き飛ばしておきながら、どうなるかは分かっていなかったらしい。


「ご、ごめ……」


 途端、おろおろとしながらもどうにかしようと手を差し伸べてくる子どもっぽい姿に、アレクシアはため息をつきながら手を伸ばした。立ち上がるためその手を取ろうと上を見上げ、そして、それは見えた。


 どがんっ


 派手な水しぶきと大きな音がして、小川の岸から岸へ、森に向けて子どもの頭ほどある岩が吹っ飛んでいった。岩は森の木にあたり、木の中ほどまでヒビを入れてとまった。一拍置いて、巻き上げられた水が軽い雨となって降り注ぐ。


「は……」


 突如自身の三メトル横を飛んでいった岩に、アルフレッドは硬直した。大きく目を見開いてみた正面では、泣きそうな顔で足を振りぬいたフィリアと、青ざめた顔の護衛と侍女がいる。

 水しぶきのせいで辺り一帯ずぶぬれだったが、アルフレッドはふらふらと斜め後ろを振り向くと、煙を立ててめり込んでいる岩を見て腰を抜かしたように尻もちをついた。


「な、な、な」

「あ、あっち行って! アレクシアたちを虐めないで!」

「フィリア……」


 声を震わせながら精一杯威嚇するフィリアの体から陽炎のように魔力が立ち昇っている。感情の昂りから魔力の制御が上手くいっていないのだ。

 魔力のうねりが髪に伝わり、ふわふわとしているはずの金糸の髪がまるで蛇のようにうねり威嚇している。フィリアが一歩踏み出すと、足場となっている岸の大岩にびしりとヒビが入った。

 それが引き金となったのか、アルフレッドは口を震わせると、不意に正気に返ったように這いつくばりながら後ろに身を翻した。


「うわああああああああ」


 唖然とするアレクシアたちを尻目に、叫び声をあげながらアルフレッドは転げるように逃げ出した。


「…………はっ、だめよ!」


 呆然と見送ってしまってから、アレクシアは我に返って声をあげた。

 治安が良い地域とはいえ、王子をこのまま一人で行かせては危ない。アレクシアの声に同じく我に返った護衛が二人、慌てて追いかけていく。


「お嬢様⁉」


 次いで侍女の声に慌ててアレクシアはフィリアの元へかけつけた。

いっぱいいっぱいだったのだろう、魔力が解けると同時にふらりと傾いだ体に、一同は大慌てで屋敷へ引き返すこととなった。

 かくして、フィリアの初めてのピクニックは、残念なことに盛大な傷跡を残して終了した。


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王子、トラウマを植えられるww
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