4 クレヴァリー領へ
巻き戻りを受け入れてから数日。アレクシアは内面は成人済みだが周囲から子どもとして扱われる毎日に苦戦しつつも、少しずつ日常を取り戻しつつあった。
そんな折、父から呼び出しがあった。
「クレヴァリー領へ、ですか?」
「そうだ。辺境伯からの依頼でな。夏の間、お前にはクレヴァリー領でフィリア嬢のお相手として過ごして欲しい」
父からの話に、アレクシアは待っていたわ! と内心の意気込みを抑えながら顔を作った。これは前回もあった話なのだ。
「クレヴァリー家の末の娘であるフィリア嬢は、非常に内気な性格らしくてな。最近では滅多に屋敷から外に出なくなってしまったらしい。クレヴァリー領は国境を守る要であり、要塞でもあるため周囲に同年代の令嬢があまりいないのだ。だから、フィリア嬢の遊び相手を探していたらしい、隣の領である我がノーリッシュ家にも話しが来たのだ」
本来、侯爵家であるノーリッシュ家にそんな依頼がくることはあまりない。しかし、クレヴァリー家は遠縁であり国境を守る辺境伯家であることに加え、家の立て直しに奮闘している父にとっては、辺境伯家に恩を売れるこの機会は逃せないものだったのだ。
「お前にとっても良い友人となれるだろう。行ってくれるな」
それは問いかけではなく決定事項だった。
だが、これはアレクシアにとっても待ちに待った絶好の機会である。
「もちろん、よろこんで」
微笑みながら即答したアレクシアに父は少し虚をつかれたようだったが、それで困るわけもなく、日程と出発の準備は侍従に任せてあると言って話しは終わった。代替わりしたばかりで、先代の尻ぬぐいやら引継ぎやらで父は多忙なのだ。
『待ちに待ったヒロインちゃんとご対面ね。どんな子かしら』
クレヴァリー領へ向かう準備をしていると、ベッドの上でごろごろと転がっているウサギが言った。すっかり自室に居ついたウサギは、最近ではベッドの上で寝たり、アレクシアのお菓子を摘まんだりと怠惰に過ごしている。ただのぬいぐるみだったはずが、何故お菓子を食べられるのかは甚だ疑問だが、本人に聞いても女神だからで、終わってしまった。
「巻き戻す前から私達を見てたんでしょう。知ってるんじゃないの?」
『見てたんじゃなくて、私がヒロインちゃんだったの。乙女ゲームはヒロイン視点が基本なんだもの』
女神が良く使うこのヒロインという言葉は、物語でいう女性主人公のことらしい。つまり、この世界の主役はフィリア嬢ということだ。女神はこの世界でフィリア嬢になることで、世界の主役として過ごしていたのだろう。
「つまり、前回のフィリアさんは貴方だったってこと?」
『そうよ。アレクシアちゃんとはあまり絡めなかったわね。貴方、結構大人しいんだもの。もっと強引に悪役ムーブして欲しかったわ』
また勝手なことを言う女神に口の端を引きつらせた。
(ということは、前回の私の死因の発端はあんたか)
言ってやりたいことはたくさんあったが、ひとまずはそれよりも気になることがあった。
「貴方がフィリアさんだったっていうなら、今の彼女はなんなの?」
『んー、抜け殻かしら? 体は残ってるから、今回はそこにフィリア本人の自我が芽生えてると思うわ』
つまり、今回会う彼女は前回とは別人であり、どんな人間かは分からないのだ。
『でも、私もゲームに沿った行動してたし、環境は変わらないから原作と大きく逸脱する人間にはならないと思うわよ』
「そうかしら」
『別人になってても、それはそれで面白そうだし』
適当なことを言ってくれる女神は、小さく欠伸をするところりと昼寝を始めた。どこまでも自由な神だ。
必要な道具や手配は前もって父が侍従に指示していたため、あっという間に終わった。
幼い弟と妹に羨ましがられながら、母に見送られてクレヴァリー領へ向かう。
『クレヴァリー領はマルゴって果物が特産で美味しいのよね。とっても甘くてとろとろなのよ』
楽しみだわーっと上機嫌で笑うウサギに、冷や汗を流しながらアレクシアはしぃっと肩にかけたポシェットに顔を近づけた。
うさぎのぬいぐるみが勝手に動いていたらおかしいので、クレヴァリー領までもっていくために小さなウサギ用ポシェットを作ってもらったのだ。馬車には侍女も同乗するから絶対に動くなと言ったのに、全く気にせず動こうとするので、その度にアレクシアはポシェットを抱きしめて隠す羽目になった。
おかげですっかりぬいぐるみ好きとして侍女たちに微笑ましい顔を向けられるようになってしまい、むず痒くてしょうがない。
隣の領地であるためそう遠くないはずが、着く頃にはすっかりぐったりしてしまった。
「お嬢様、見えてきましたよ」
リーンの声に窓の外を見ると、クレヴァリー領都の城壁が見えた。
クレヴァリー領は、ノーリッシュ領のさらに南に位置し、国境にあるフォッサーデル山脈を挟んで隣の国に面している。
護衛と侍女を伴いクレヴァリー領に着いたアレクシアは、無骨な要塞のような城壁の内側にありながら、お伽噺に出てくるような花畑に囲まれた邸宅に通された。
「えっと……」
「フィリア、失礼ですよ。こちらにいらっしゃい」
邸宅の門の周囲は隙間なく警護が付いていたが、門の内側は少ない使用人で穏やかな時間が流れていた。
邸宅の正面で出迎えてくれたのは、クレヴァリー辺境伯夫人とその娘。
金色のふわふわとした髪に大きな緑色の瞳。のちに辺境伯家の妖精姫と呼ばれるようになる幼いフィリアは、母親の後ろに隠れながらやってきた。母の後ろに隠れながらそっとこちらを窺う幼い姿は大変可愛らしく、見る者の庇護欲をそそる。
「初めまして、アレクシア・セシル・ノーリッシュと申します。今日からお世話になります。よろしくお願いします」
「ようこそおいでくださいました。クレヴァリー家一同、心より歓迎いたします」
アレクシアは精一杯怖がらせないように微笑んで挨拶した。
歓迎の意を示してくれた夫人とは違いフィリアは一向に近寄って来なかったが、アレクシアは野良猫が懐くのを待つように、十歳の少女らしからぬ辛抱強さで待った。やがて恐る恐る母の影から出てきたフィリアは、アレクシアが突然動き出さないかと怯えながらもそっと可愛らしい礼を返した。
「フィリア・アーデル・クレヴァリーです」
「アレクシア様、大変申し訳ありません。この子は同年代の方にあまり出会えなかったせいか、人との付き合いに慣れていないのです」
「クレヴァリー辺境伯夫人。大丈夫です」
フィリアを心配そうに見ながらも、夫人はアレクシアに対して申し訳なさそうに謝罪する。だが、彼女らの態度が仕方がないことだとアレクシアは知っていたため、夫人を困らせないように笑顔で答えた。
「少しずつお話していきましょう、フィリア様」
「……うん」
落ち着いたアレクシアの言葉に、フィリアも少しだけほっとした顔で頷いた。