3 仕方がないので方針を決めた
心配するリーンを宥めて下がらせた後、アレクシアは枕元からウサギを引っ張りだした。
「どういうことよ! もう婚約しちゃってるじゃない!」
『みたいね~……あはは』
「あはは、じゃないわよ。八年も巻き戻せるなら、なんでもうちょっと前にしなかったのよ。せめてあと一か月でも前だったら回避の可能性残ってたのに!」
恨めし気に罵るアレクシアに、ウサギは頬を膨らませてそっぽを向いた。
『細かく選べないって言ったでしょ。好きでこうしたわけじゃないわよ』
「もう一回巻き戻せばいいじゃない!」
『あのねぇ、巻き戻しってそんないつでも好きに出来るものじゃないのよ』
子どもに言い聞かせるようなウサギの言葉に、アレクシアは思わず舌打ちしたい気分だった。
「自称女神なのに使えないわね」
『言ってくれるわね~。ま、今の私はただの可愛いうさぎのぬいぐるみ。せいぜいこうやって動くくらいが精一杯よ』
くるくると自分の周囲を回るウサギは、ポーズをとりながら笑う。
『神様っていわばゲームマスターなのよ。なんでもできちゃうの。ゲームするなら縛りがないと楽しくないじゃない』
なんとなく意味は分かるが、それは今アレクシアの助けにはならないし、大分腹がたった。
(王族との婚約を何の瑕疵もなくすぐ解消なんてお父様が許さないし、そもそも王家との婚約を十歳の小娘ごときが物申すなんて出来ない。もう婚約しちゃってるってのが致命的だわ)
アレクシアは額に手を当てて虚脱感に耐えた。
(この自称女神のことだって、言ってることの半分も理解できなかったし、味方かどうかもさだかじゃない。結局のところ、自分で頑張るしかないんだわ)
あの悲惨な夜会も、理不尽な死も、自分で回避するしかない。
(未来を変えて、断罪を回避して、絶対に生き残ってやる!)
決意を新たに意気込んだアレクシアは、未来を変えるためにどうすれば生き残れるのか考えた。
まず、アレクシアが学園で断罪の標的にされないためには、原因であるフィリアと対立しないことが必須である。前回も実際は対立していたわけではないが、複数の噂と人間関係から対外的には敵対している図が出来上がってしまっていた。外から見て対立していれば、フィリアが害されたときに真っ先に疑われるのはアレクシアだ。
(まずは親密とはいかなくても、フィリア嬢と友好関係を築くことが大事ね)
幸いなことに、ノーリッシュ家とクレヴァリー家は遠縁にあたる。前回でも白熱していく周囲を他所に、フィリア自身はアレクシアにさほど負の感情を持っていないようだった。周囲の異様な変化に戸惑い、怯えているようにも見えた。
(学園に入学する前に会って、お友達になれてたら一番いいわ)
フィリアと友人であれば、変な噂がたっても双方から否定しやすい。
(意地でもフィリア嬢と仲良くなって、さっさとアルフレッド王子とくっつけて解消してもらいましょう。私が協力的に橋渡しすれば、どの超えた敵意は向けられないんじゃないかしら)
その代わり、貴族令嬢としてのアレクシアの価値は駄々下がりするだろうが、死ぬよりはましだ。
『いっそのこと、王子様の心をがっちりつかみにいったら? 人生二週目なら、まだ子供の王子様の気持ちくらい上手く転がせるんじゃなあい?』
今後の方針を考えるアレクシアに対して、女神が言った。その悪女のような台詞に、アレクシアは言葉に詰まると逃げるように視線を逸らした。
「それは、ちょっと」
確かに、今から頑張れば以前よりもアルフレッドと良い関係を築けるかもしれない。しかし、学園で向けられた数多の言葉と冷たい視線、アレクシアの尊厳を貶める行為の数々に、アレクシアの心はとっくに折れてしまった。
今更アルフレッドと笑い合う未来を想像することは、なかなかに難しい。
想像しただけでぞわりと立った鳥肌に、アレクシアは大きなため息をついた。ウサギにも伝わったらしい、勝手に頷きながら納得していた。
『ま、自分を一度でも裏切った男って無理よね。私だったら百回は殺してから捨ててるわ』
明るい声で話すウサギの目はマジだった。
「女神にも伴侶っているの?」
アレクシアの問いに、女神は目を泳がせた。
『そ、そこは神それぞれね。生涯を誓い合った神同士もいれば、遊んでる奴もいるわ。相手がいるくせに遊ぶ馬鹿もいるから、そういうときは修羅場になるわよ』
やけに実感の籠った声音に、経験者かと納得してしまった。
「神様も結構俗物なのね」
『やあね、神ほど暇を持て余してる存在なんてないわよ。みんな退屈してて刺激が欲しくてしょうがないの。こんなゲームで遊んじゃうくらいはね』
ぬいぐるみの姿で肩をすくめるという器用な真似をしながら、ウサギは語った。
「この世は神の暇つぶしってわけ?」
『文字通りよ。でも、ゲームが終わった後も世界を消したりしないし、この世界の生命の生存に口出ししない。良心的でしょ』
「協力しないと殺すみたいなこと言わなかったかしら」
『それくらいは神罰の域よ。人類絶滅とかしないんだから十分良心的でしょ』
規模が間違ってる。神と人の感覚の違いに戦慄し、アレクシアは頬を引きつらせた。
『でも安心して、今の私には神罰を与えるような力はないから』
「貴方の言うゲームが終わるまでは、でしょ」
全然安心できないわよ、とアレクシアは内心で毒づいた。