エピローグ 〜 女神の悦び
「ハリエット様はお嫁に行く事に決まったんだって?」
「ああ。なんでも北部の立派なご領主様だそうだよ」
「北部のセイクリッド侯爵様といったら、ずいぶんお若い頃から賢者様になったという方じゃないかね?」
「便利な魔法や魔道具を、いくつも開発してくだすったそうだよ」
「ありがたいねえ」
「でもいいのかね、ハリエット様は貴族といってもお母様は平民だし、なによりデルッセン様は爵位などお持ちではないだろうに」
「いやあんたそれがね、ハリエット様はなんでも珍しい魔力の持ち主で、治癒魔法が使えておまけに習わなくても魔法が使えるお方なんだそうだ」
「そりゃあ家柄なんか関係なしに欲しがる貴族様は多そうだねえ」
「まったくだよ」
「お相手の侯爵様は、デルッセン様と奥様が事故に遭われたのを助けてくだすったんだそうだ」
「ありがたい事だねえ」
「ご長男のニールズ様はあまりいい方ではなかったからね」
「まったく、まったく。なんでもハリエット様にむごい扱いをなさったそうじゃないか」
「半分とはいえ血の繋がった妹にひどい話だよ」
「あの方は廃嫡になったんだそうだよ。他にもなんかしたらしくて、首都の兵士に捕まって連れて行かれたんだと」
「いい気味だよ」
「ほんとさね。そうそう、ハリエット様をお救いくだすったのが、お相手の侯爵様なんだそうだ」
「物語みたいな話だねえ」
「そのうち祭りで劇にでもなるんじゃないかねえ」
「楽しみだ、ああ楽しみだねえ」
女神はそんな会話を神殿前の広場で、噴水のへりに腰掛けながら聞いていた。
アースは、女神がこの世界を良くしようと他の世界から招いた魂だ。
だが彼はあまりにも平和で優しい時代に生きていたため、どんなに虐げられても、どんなに辛く苦しい思いをしても、絶対に人に復讐しようとはしなかった。
それは素晴らしいことだ。
傲慢で人の命をなんとも思わない、自分の快・不快だけが全ての基準の魂など、害が多すぎて期待する気にもなれない。
なんとか彼にこの世界に生きる気になってほしくて色々試したが、彼は何度も何度も自分が不幸になって静かに死んでいく道を選び続けたのだ。
そんな彼が初めて怒りを覚え、この世界と関わる事を選んだのは、1人の哀れな娘のためだった。
言葉を交わす事さえなかった相手。
その相手を救うと己の心に誓った、忘れ去ってもいいような、口にされる事もなかった約束。
それが全てに無気力でただ死にたがっていた魂を動かした。
女神は機嫌良く微笑むと空へと飛び上がった。
太陽が輝く、風の気持ちいい良い季節だ。
2人の結婚式にはこの風でたくさんの花を降らせてやろう。
アースはきっと、この世界をより良い方向へ導いてくれる。
そう確信して、女神は天へと昇っていった。
あなたのために。
あなたのために、きれいな世界を。
あなたのために、あなただけのために、悲しい、優しいあなたのために、柔らかな心地よい世界を。
あなたに優しい、清らかな世界を。
全ての悪を滅ぼして、この手を真っ赤に血に染めて。
あなたが笑っていられる世界を。
そんな世界を用意して、あなたを迎えに行く。
それは、言葉にできなかったあの日の約束。
猫の約束。
〜了〜