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最初のひとつ

 男は目を覚ました。


 それは今まで何度となく繰り返された目覚めと同じで、そしてそうではなかった。


 体を起こしてぼんやりしながら頭をかく。

 いつもならここで女神の名を罵倒しているところだ。


 だが今日は自分の手を見て何やら確認すると、男は静かにベッドを下りた。


 男、というのは正しくない。

 今の彼はほんの5才の幼児だ。


 手も背もちっちゃいが、何度も繰り返した苦痛の人生のおかげでこの先の準備は万端である。


 万端どころか、十分すぎて今ならなんでもできそうなほどの全能感さえある。

 目を覚ます直前、男は思い出したのだ。

 今の自分になる前、何度も死んでは子供時代からやり直す、を繰り返した今のこの自分になる前の自分のことを。


 それは女神からの贈り物だった。

 ようやくこの世界で己を生かす覚悟を決めた男への、祝福。


 男は時間を無駄にせずてきぱきと身支度をし、窓からふわりと飛び出すと次は速度を上げてまっすぐ目的地へ向かう。


 太陽が東の空を照らし始めている。

 もうすぐその最初の姿が見えるだろう。


 空気はしっとりと露を含んで清浄で、ひと息ひと息に体が洗われ、満たされていくような気さえする。


 男は大きく息を吸い込んで、そして満足げに吐き出した。


 彼の名は、アース・ノーザン・セイクリッド。

 ファースラウン王国の北に、広大な領地を持つセイクリッド侯爵家の嫡男である。

 そして前世はこの世界ではなく別の、魔法が当たり前に使われ、高度に発展した世界で生きていた。


 それは神々や精霊がごく自然に隣に住まう世界で、文明の中から戦争が取り除かれて長く、幾久しい世界だ。


 そこに住む人々は、些細なことで言い合い、喧嘩をし、そして許しあいながら、歌い、踊り、芸術を愛し、ときに何もせず、酒を愛し、美食を愛して生きている。


 自分が誰でどんな事をしていたのか、そういった細かい事までは思い出せないが、とにかく彼はそこで生きていて、ごく普通の幸せな人物だったのだ。



 それがどうして、こんな争いと憎しみで不幸ばかりを生み出す醜い世界にいるのかといえば、それは男自身にもさっぱり分からない。



 だがこうして前世について思い出したことで、彼は当時の力を使えるようになった。



 あまりの解放感に、アース・ノーザン・セイクリッドはその小さな体を宙でくるりと回転させた。



 自由だ!

 自由だ!

 自由だ!



 叫び出したいほどに幸せだった。


 この世界にも魔法は存在する。

 しかしそれはごく限られた人間のもので、魔力持ちはそれなりの数がいるが、魔法として使いこなす人間はごく稀だった。


 一定以上の魔力を持ち、一定以上の家柄と金銭を持ち、上位者に絶対服従を誓ったものだけが魔法を学ぶことができる。

 そしてその中でもさらに魔力を扱う才能に恵まれているかどうかで、どれだけの魔法を操れるようになるかが決まってくるのだ。


 ごくごく稀に、生まれながらにして魔法を操る事ができる人間も存在したが、そういった者は本当に珍しく、その才を磨けば他国にも名前が知られるようになるほどの力を得る事が多い。

 


 前世を思い出すまでのアースは、通常よりも多い魔力を持つが、高位貴族としてはごく平均的な普通の子どもで、魔法を扱う才にはあまり恵まれていなかった。

 それでも学び続ければ普通の貴族程度には魔法を使えるようになっただろう。

 これまでの繰り返すアースの人生の中でそんな機会は一度もなかったが。



 アース・ノーザン・セイクリッドは、これまでに何十回と人生を繰り返している。

 5才の今日が起点となっているのは、この日の朝、父の後妻とその親族によって殺されてしまうからだ。


 そしてなんとかそれを逃れても、執拗に命を狙われる日々が続く。


 そんな日々に嫌気がさして逃げ出せば、浮浪児として死んだり、大して役に立たないが珍しい魔力の持ち主として実験台にされたり、美しい顔立ちから奴隷商に捕まったりと碌な事がない。


 前回は猫に姿を変えられて散々な目にあった。


 空を自在に気持ちよく飛びながら、彼はある屋敷を目指していた。


 森を過ぎ、川を渡り、間には山を2つ越えた先に、その屋敷のある街が見え始める。

 それは、父の後妻の実家がある街だった。









「まだ連絡は入らないのか」


「申し訳ございません、あいにくまだ」



 執務室の窓から庭を眺めながら、男は目を細める。

 部下を下がらせると、窓の外を睨みながら小さく舌打ちをした。



「舌打ちなんて、品がありませんね」



 唐突に室内に響いた子どもの声に、男は振り向いて身構える。



「誰だ!」


「いやだなあ、僕です。アースですよ。会いたがっているようだったから、せっかく会いにきたのに」


「なっ……! おまえ、なぜここに!」



 アースはそれには答えず、にこにこと自分の話したい事を続ける。



「ああでも、おじさんが会いたかったのは僕の死体でしょうから、こうして生きている僕とは会いたくなかったかもしれませんね。すみません」


「なっ、何を……」


「突然、お約束もせずに押しかけてしまって申し訳ありません。でもちょっと急ぎの用があったんです」



 男は顔を引き攣らせながら使用人を呼ぶためのベルの紐へとゆっくりと近づいた。



「おまえは一体、何者だ。妹の義息子(むすこ)の姿かたちをしているが、その化け物じみた魔力、魔族か」


「いえいえ、正真正銘のアース・ノーザン・セイクリッドですよ。おじさんがどうしても僕に死んで欲しいみたいなので、問題を片付けにきたんです」


「問題だと?」


「ええ」



 男はアースを警戒しながらベルまでたどり着き、その紐を強く引いた。

 これですぐに使用人たちが……!

 そしてそこで男の意識は途切れた。


 絨毯の上に、バラバラになった男の死体が転がる。

 血溜まりが赤く広がって水たまりを作り、すぐさま吸い込まれて行く。



「まずひとつ」



 直後、使用人たちが何事かと駆けつけてきたが、そこには主人の無惨な死体があるだけで、大きく開いた窓からは心地良い風が吹き込んできていた。









 

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