表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

死と約束

 娘と猫の交流が始まって半年。


 その間に娘は何度か領主に呼び出され、屋敷からぐったりして帰ってくることがあった。

 命を削って治癒を行なったのだとひと目で分かったが、今の猫にはどうしてやる事もできない。


 ただ戻ってきた娘の荒れた指を舐めてやる事しかできなかったが、娘はそんな些細なことでも嬉しがった。

 そのか細い笑みが哀れで、猫は己の選んだ今の境遇を初めて悔やんだ。



 そしてその朝、事件は起きた。



 猫がいつもの木の枝でうとうとしていると、屋敷のほうが騒がしくなり、男が使用人たちとともにやって来た。

 娘は昨夜遅くに屋敷からぐったりして戻り、まだ起きてきていない。


 よほど疲れているのだろうと思っていたが、騒ぎで起こされたのか昨日の服のまま小屋から出て来た。



「ご主人様、何かあったのでしょうか」


「何か、だと!? お前が寝ている間に、また妻が熱を出したのだぞ! 手を抜いたのだろう! お前が、お前のせいで!」



 男はわめくと娘に掴みかかり、頬を打って地面に倒す。

 その瞬間、猫は男と娘の間に飛び込んだ。


 シャ───ッ!!


 全身の毛を逆立て、怒りの声を上げる。


 が、男は気にした様子もなく猫をにらむと蹴飛ばした。



「なんだこれは!」


「おやめください! ただの猫です!」



 蹴飛ばされ転がる猫を娘がかばう。

 しかし男の怒りは収まらなかった。



「なぜ猫がこんなところにいる! 勝手に屋敷に入れたのか!」


「申し訳ありません! 申し訳ありません! ですがこの馬小屋の辺りにいただけです、猫はネズミを捕まえますので、役に立つかと思い。どうかお許しください!」


「この……!」



 男は娘を無理やり起こし、突き飛ばすと猫を持ち上げた。



「おやめください、ご主人様!」



 娘の悲痛な声に男はにたりと笑うと大きく腕を振り上げ、猫を壁へと放り投げた。

 大きな音と衝撃。

 彼の最後の記憶は、泣きながら走り寄ろうとする娘と、それを許さず娘の腕を引っ張る男の姿だった。



『ああ、泣かないで。大丈夫だから。また会いに来る。助けに来るから……』



 もう口にできない、言葉にされる事のない、それは約束。

 娘とではない、自分との約束だった。







 彼が目を開けると、そこはいつもの何もない空間だった。


 自分を見ると、ちゃんと手がある。

 人の手だ。

 そして人の体。


 あの瞬間この体があれば、彼女を救えただろうか。


 だがここへ来たという事は、また彼の人生が始まるという事だ。

 最初からまた。


 それは、彼女を助けられる可能性があるという事。


 考え込んでいると、声がした。



「見つけましたか?」



 顔を上げると、女神がいた。

 いつも何も言わない女神。

 初めて女神が発した言葉に、彼はしかし答えなかった。


 女神が微笑み、繰り返す。



「見つけましたか? あなたが愛せるもの、生きる理由になるものを」



 愛せるもの。あの娘がそうなのだろうか。

 分からない。

 愛という感情は彼にはあまりに馴染みがなさすぎた。

 だがあの娘を助けてやりたいとそう思う。

 それは生きる理由にはなるのかもしれなかった。



「あの子を見つけて欲しかったのか」



 女神は首を振った。



「いいえ」



 何を気にしたふうもない、無感情な返事に男は苛立った。



「俺は時々、あんたは自分の事が嫌いなんじゃないかと思う事がある」


「わたしが、わたしを、ですか?」


「そうでなきゃどうしてあんた(世界)や、あんた(世界)が大事にしているものを傷つける人間を放って置くんだ。そんなこと、自分がどうでもいい、自分が嫌いな奴しかしないだろう」


「そうでしょうか」


「ああ。でも今日、そうじゃないかもって思ったよ」



 女神は微笑みながら首を傾げる。

 それは困っているわけでも疑問を感じているわけでもなく、先を促しているのだと、彼はそう感じた。



「俺があのクソ野郎を殺しても、あんたはきっと何もしないし何も言わない。そうだろう?」



 女神は何も言わず、ただ笑みを深めた。

 愛情深い、思いやり溢れる微笑み。

 男はそれに獰猛な笑みを返す。



「生まれて初めて、あんたの事を好きになりそうだ」



 くすくす、と女神は笑う。

 男の意識は次第に薄れていった。

 また始まるのだ。


 女神の言葉が聞こえた。



わたし(世界)は最初から、あなたの事が好きでしたよ?」



 ああ知っているさ、と男は意識の中で返して、そして暗闇の中に飲み込まれていった。













評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ