治癒魔法が使える娘
ツツ・ピ─
ツツ・ピ─
日差しが暖かい。
近くの木の枝で小鳥が鳴いている。
終わるのか、と俺はもうほとんど見えない目を細めた。
また、終わるのか。
一体いつになったら女神は俺を解放してくれるのか。
最初に死んで、もう何度めだろう。
頑張ってもダメ、頑張らなくてもダメ、女神は俺が死ぬたび現れて、ただ黙って首を振った。
何をどうすればいいか分からない。
ただもう殺してほしい。
終わらせてほしい。
ああ、今度こそ。
終わる確信もないまま、俺は細く息を吐き、目を閉じた。
「……大丈夫? ケガしてるのね? ちょっと待ってて」
不意に聞こえたその声に彼が目を開けると、目の前にそばかすだらけのボサボサの髪の娘がいた。
15、6くらいだろうか。
ガリガリに痩せ細った見すぼらしい娘で、年頃の愛らしさも柔らかさもその見た目には全く存在しない。
彼に触れてくる手も荒れて不快で、でもその優しい気配は嘘ではなかった。
治療しようとしているのだと理解して、彼は不要だと伝えるために小さく鳴いた。
「……にゃあ」
掠れたような本当に小さな声しか出なかったが、これが彼の今の精一杯だ。
普段なら、いらぬ世話だとにらみつけるくらいはしただろうが、今はそんな気力もない。
何より、小枝のような娘の優しさが嬉しかった。
「なあに? 心配してくれてるの? 大丈夫よ、このぐらい」
言って、娘は手のひらから癒しの光を放つ。
光は彼の体を柔らかく包んで傷を癒した。
目を開け、体を起こすとどこにも痛みがない。
彼が黙って見上げていると、娘はにっこりと笑った。
「もうケガしちゃダメだよ」
立ち去る娘のあとを、彼はただ見送っていた。
それから彼は、娘の気配を探って住まいを見つけ、何をするでもなく彼女の生活を観察した。
洗濯をする姿、水汲みをする姿、家畜の世話をする姿。
娘はどうやら治癒魔法の才を買われて、貴族の屋敷で庭の小屋に住み込み、下働きをしているらしい。
それなりの大きさの町を1つと、その周辺の村を治める地方貴族だが、爵位はない。
普段は領地にいないのか、娘のそばにいるようになって2週間、一度も主の姿を見ることはなかった。
治癒魔法は、珍しいというわけではないが得意とする者は少ない。
病やケガには薬師や錬金術師の作るポーションがあるし、多少の傷なら森や草原で薬草を取ってきて包帯で巻いておけば治ってしまう。
魔法の才のある者は、学園では魔法騎士や研究者を目指すものだ。
治癒魔法を専門に扱うのなら、こんな田舎ではなく魔法塔の研究者となるのが普通であった。
しかしこの娘は学園で学んだ様子もないのに魔法を息をするように操る。
よほどの才なのだろうが、にしては格好もみすぼらしく、下女どころかまるで貧民街の孤児のようだ。
屋敷の中に部屋すら与えられず、馬小屋のそばの物置のような小さな小屋で寝起きしていた。
不用心どころかあまりな扱いだが、彼にはどうしてやることもできない。
小屋のそばの木に登り、その枝の上から見守った。
娘は枯れ枝のような今にも折れそうな細い体でよく働いた。
大気から力を得ているのだろう。
よく見ると彼女の周りを取り巻く流れが見えた。
世界が彼女を癒し、回復させている。
そして彼女も世界を癒し、回復させていた。
それは美しい循環だ。
多くの魔法使いが忘れてしまった、世界との繋がり。
それを持つ者を、世界は生かそうとする。
彼女も余計なおせっかいで生かされているのだと、彼は同情した。
「猫ちゃん、ミルクよ。お腹すいてない?」
娘が木の下から彼に声をかける。
その手にはミルクの入った平たい皿があった。
彼は今でこそ猫の姿をしているが、その正体は猫ではない。
決して猫ではないのだが、娘にとってはただの猫だ。
ならば猫のふりをしてやるのが礼儀というものだろうと、彼は優雅な動きで枝から飛び降り、娘の足元までいくと顔を上げて「にゃあ」と鳴いた。
「ふふふ、どうぞ」
娘が皿を地面に置く。
彼はミルクの匂いにうっとりしながらその鼻づらを皿へと突っ込んだ。