サマーソルト
セーフ(疑惑のジャッジ)
「というわけでクロさん、試合をしましょう」
「何言ってるんですか」
海水浴の翌日、里の屋敷でのんびりしていたらこんな事を言われた。
相手を見上げて、至って真面目な顔をするエリナ様。
繕っていたナナのメイド服を手早く仕上げて。
「取り敢えず、何でそう思ったのか教えていただけますか?」
「ここ最近ずっとぐーたらしていたので、そろそろ運動しないとマズい気がして」
「なるほどわかりましたほかの人を当たってください」
「いいじゃありませんか、戦うくらい。減るもんじゃありませんし」
「ムダに疲れたくないので嫌です」
「ムダってなんですかムダって」
「実際無駄でしょう」
ギャーギャー喚くエリナ様を無視してメイド服を宝物庫に仕舞い、エプロンにワッペンを縫い付ける。
サクサクッと糸を始末して、頬をつつかれた。
「少しくらいいいじゃないですか。ほら、健全な精神は健全な肉体に宿るっていうでしょう?ここ最近全力で動いてないので、体が鈍っちゃいそうで」
「関係ないでしょう。俺はこの後、ナナにぜんざいを作ってあげなきゃいけないんです。諦めてください」
妙な事を言い出したエリナ様にそれだけ言って無視を決め込み、不機嫌そうな唸り声。
………これで諦めてくれればよかったが、残念ながらそうはいかなさそうだ。
とはいえ、駄々を捏ねればどうにかなると思われても困る。
どうしたものかと考えて。
「………いいでしょう。ですが一戦だけですよ?」
「本当ですか!?ありがとうございま」
「ああ、でも、ただ勝負するだけ、というのも、あまり面白くありませんね」
「………何が言いたいんですか?」
「勝った方は、負けた方に何でも一回命令できる、というのはどうでしょうか?」
勝った。
いくらエリナ様でも、負けたら何を言われるか分からないような賭けには乗ってこないはず。
常に主を第一に考えるべき人種の人間であるメイドが、こんな無茶な勝負を受けられるはずがない。
IQ53万の俺の脳内CPUに狂いは無。
「………なんでも、ですか?」
「ええ、何でもです。もちろん限度はありますが、多少の無理無茶程度までなら命令できるということで………どうします?受けますか?」
「受けます!!」
狂ってやがる。
「どうしてこうなった」
里中央の広場、土俵じみた円形舞台。
左の義手に固定した機銃に訓練用のゴム弾を装填した弾倉を叩きこみ、右手の盾を検める。
背伸び一つ、あたりを見渡せば、流れ弾防止の結界の向こうで見物の体勢に入った住民たち。
文句の一つも言ってやりたいところだが、あいにくとこの結界は音を通さない。
何故か審判を買って出たライカが、俺を見てべーっといたずらっ子のように舌を出した。
メスガキに笑って中指を立てて。
「そろそろ始めましょう、クロさん」
「かしこまりました、エリナ様。買っても負けても文句は無しですよ?」
「もちろんです」
逆手に短剣を構え、深く腰を落とした前傾姿勢のエリナ様。
構えから察して、超至近距離での格闘戦に持ち込む気だろう。
義手義足の体でどれだけやれるか知らないが、能面じみた無表情からは、不安も焦りも感じられない。
近づかれる前に仕留めるのが吉と見た。
腰溜めに機銃を構え。
「準備はいい?それじゃ───始めっ!!」
合図と同時に跳躍してきたのを盾で押し留め、躊躇いなく頸動脈を刳りに来たナイフを防ぐ。
力尽くで跳ね返し、まるで獣のような軽快な動きで着地するエリナ様。
相手が動き出すより先に引き金を引いて、ゴム弾が氷壁に防がれる。
………炸薬の装填量が低いとはいえ、機銃の弾を魔術で止めるか。
この人も、半ば人外の領域に踏み込んでいると見た。
打ち切った弾倉を引っこ抜いて再装填、構えてぶっ放してまるで当たらない。
身を翻して駆け出すエリナ様に薙ぎ払うように撃ち、硬質な音を立てて引き金が軽くなる。
好機と見たのか、突っこんできたエリナ様を盾で迎撃し。
「ぬるいッ!!」
「マジか」
ギャリンッ、と嫌な音と火花を散らして、義手の手刀が盾を切り裂いた。
金属製とはいえ、素手で鉄の盾を破壊するのか。
直撃は喰らいたくないな。
「無底沼」
盾を放棄してフィンガースナップ1つ、急速に泥濘化した地面がエリナ様の義足を捉える。
後ろに跳んで再装填し、引き金を。
「鉄砕掌」
ギリリと引き絞った両腕が勢い良く地面に叩きつけられて、炸裂する土俵場と土埃。
目くらましの煙幕のつもりだろうが、龍眼はその程度簡単に見通す。
案の定、土煙を突っ切って飛び上がった影に、銃口を向けて。
「踊れ、高足ロメロ」
ゾッとするほど冷たい怜悧な声音と、虚空を裂く二条の閃光。
咄嗟に掲げた銃が、半ばから真っ二つに斬り裂かれていた。
白煙と蒸気を噴き上げる義足が、煌めいて。
「剣脚:八連」
ギリギリで躱して、肩を抉られた。
一瞬だけ視界を過ぎった残光と回し蹴りの体勢で振り切った義足。
何をされたかはわからないが、このままじゃマズいのは分かる。
逡巡を押し殺して前に出て。
「お触り厳禁ですよ、ク~ロさん」
組みつこうとした瞬間、天地が逆転した。
背中から地面に叩きつけられ、ついでに後頭部も強打。
見上げた視界に振りかぶられた拳が映って。
「鉄拳パブロ!!」
ガヒュゥンと奇妙な音を鳴らして蒸気を噴き散らした義手が、俺の顔面に叩きつけられる。
肉と鼻骨が叩き潰される、鈍く水っぽい音と、微かな舌打ち。
気合と背筋のヘッドバンキングで鉄拳を受け、むりやり押しのける。
真下からの掌底を掴んで防ぎ、力任せにぶん投げて軽やかな着地。
わかってはいたが、まるで手ごたえがなかった。
腰に帯びていた短剣を引き抜いて構え。
「しっかし………クロさん、見た目よりタフなんですね。鉄拳パブロ喰らって意識あるって、なかなかですよ?」
「こちらも、障壁を貫通されるとは思いませんでした。正直言って、かなり驚いています」
「そうですか?それならよかったです」
「どういたしまして。………そろそろ再開しましょうか?」
「そうしましょっか」
首を抉りに来たナイフを逸らし、跳ね上げた切先が相手のナイフを弾く。
逆手に構えての刺突を切り結んで、踊るような回転から放たれる六連撃。
大ぶりの裏拳を腕で受け、死角から放たれた膝蹴りがもろに入る。
わずかに後退させられながら武具創成の盾を構え、片腕で倒立するように跳ぶエリナ様。
警鐘を鳴らす本能に従って、盾を掲げ。
「無駄です──────高足ロメロ、無尽脚」
ブレイクダンスじみた連撃。
異常に重いそれをギリッギリ弾き、槍のように繰り出された一撃が盾を貫通して肉を突き刺す。
盛大に抉られた腕を庇って飛び退り、高々と振り上げられた義足の爪先。
日の光を浴びてギラリと剣呑に煌めいた凶器が、無造作に振り下ろされて。
「………真剣白刃取り、ですか。クロさんってニンジャだったりします?」
「禁則事項です」
踵落としの要領で叩きつけられたのは、義足のひざ下から骨格にそって生えた一本の刃。
龍種特有の膨大な魔力量に物を言わせた身体強化のゴリ押しで、摘まんでいた刃ごと腕を振り抜く。
真下から振り抜く一閃を、半歩前に出て脇に抱え込み、義手を斬り飛ばされた。
「魔術の刃………いえ、伸縮自在の魔剣でしょうか?どちらにせよ、便利そうな脚ですね」
「その通りです。魔剣、星降りのロメロ。伸縮自在と自動修復、結界破壊の権能を持つ遺物です。そして………」
片手の短剣を地面に突き刺し、変則的なクラウチングスタートのように構えるエリナ様。
何をする気か知らんが、喰らったらヤバいのは分かる。
付呪・硬麟と城塞防御を重ね掛けし、攻撃に備えて。
「剣脚・地奔り」
エリナ様の姿が掻き消え、ほとんど同時に背後へ向けて放った拳がメイド服の裾を捉えた。
即座に斬り返して肘鉄を打ち、胸板に触れるように義手がそえられる。
爆発的に蒸気を噴きだした機構が、蠢くように撓み。
「ちょっと痛いですよ、クロさん?」
ズガンと、言いようのない衝撃が奔った。
筋肉と内臓をグチャグチャにシェイクされるような激痛と窒息感。
ぐらりと揺らいだ体を気合で立て直し、余裕ありげに笑うエリナ様。
何をされたのか、まるで分らな。
「たしか………発勁でしたっけ?昔の傭兵仲間に教えてもらった技なんですけど、クロさんみたいな堅い人を相手にするときに、けっこう重宝するんですよ?」
「………カポエラじゃなくて、太極拳でしたか」
「たいきょ………?何言ってるか分かりませんけど、勝たせてもらいますよ?クロさんに命令したい事はもう決まってますし、勝ちを譲る気はないので」
「エリナ様こそ、覚悟の準備をしておいてください。餅つきはそれなりの重労働です、せいぜい腰を痛めないように気を付けてください」
「言ってくれるじゃないですか!!」
跳躍からの連撃を受け流し、脇腹狙いの刺突を叩き落とす。
大上段からの踵落としを短剣で受け、即座に斬り返して避けられる。
まるで踊るような動きで跳び退ったエリナ様が、体をかがめ。
「踊れ、月剣脚」
鈍色の光が煌めき、咄嗟に突き出した短剣が大きく弾かれる。
頬が裂けて血が噴出し、足元に突き刺さる三日月状の刃。
「星降りロメロの権能の一つ、月光剣。魔力を喰って刃を作り出し撃ちだす技です。まともに喰らったら死んじゃうと思うので、頑張って避けてくださいね?」
「マジですか」
「行きますよ?──────無尽脚、乱月!!」
両足が閃き、勢いよく放たれた大小無数の鋼刃を龍麟結界が防ぎ、エリナ様がいない。
振り返りながら頭を下げて、頭上スレスレを美脚が通り過ぎた。
続く中段突きをいなし、嵐のような二連撃。
下から頸動脈を抉り込む一突きを躱し、引っ掛けるように振るわれた短剣に引き倒される。
気合で起き上がり、膝が鳩尾にもろに入った。
息が詰まり、アッパーを喰らってカチ上げられる。
膝蹴りを手で受け止め、反撃の暗転蝕はあっさり避けられた。
武具創成による即席のさすまたを繰り出し、跳躍して躱すエリナ様。
勝ちを確信したのか、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるエリナ様に、手をかざし。
「念動力」
「う、きゃぁっ!?」
超能力の腕でエリナ様を引っ掴んで投擲。
慌てて着地しようとしたところで横にすっ飛ばし、ブンブン振り回してぶん投げる。
思ったより加速度がついて危なかったので念動力で回収しつつ再投擲。
上に吹き飛ばして結界に衝突する寸前で横へ加速させぶん回す。
焦ったエリナ様が刃を飛ばしてくるも、この状態で当たるわけもなく。
「さて、エリナ様。そろそろ降参された方がよろしいかと」
「だれがっ、この程度で」
「お望みなら酩酊を掛けて差し上げましょうか?胃袋の中身を空にした方が楽になるかもしれませんし」
「冗談でもやめてくれません!?」
意外とタフなエリナ様を追加でグルグルして解放し、膝をつくエリナ様。
「チェックメイトです、エリナ様。これ以上魔法陣グルグルされたくないなら、降参してく」
「きゅう」
「………エリナ様?」
奇妙な悲鳴に首をかしげて、エリナ様が目を回していた。
………少し、やり過ぎたか。
ぐったりして動かないエリナ様を起こそうと近づき。
「かかりましたね!クロさん!!」
「おっと」
そんな声とともにナイフの群れが放たれた。
一体どこにしまっていたのか、数えるのがちょっと億劫なくらいの数のソレを物理障壁で弾き、足元でカランカランと軽い音。
下を見て、円筒状のナニカが転がっていた。
何をしたいか分からないが、知ったことじゃない。
再度、念動力を発動しようとして。
「気を付けてください、クロさん。少し眩しいので」
眼前が炸裂した。
耳鳴りに歪む脳内と真っ白に焼き付いた視界。
目が眩んでふらつき、次の瞬間、なにか柔らかくて温かいものに首を絞められて引き倒される。
ギリギリと、体の内側から音がする。
頸動脈を絞めて、意識を落とす音が。
色づき始めた世界がグラリと暗転する、その刹那。
誰かが耳元で、笑った気がした。
「ねぇ、クロさん。コレどうです?似合ってますか?」
「似合ってるんじゃないですかね」
エリナ様の「命令」は、街へ2人で買い物に行くだけだった。
正直もっと無茶を言われると思っていた分、かなり意外だったが………まぁ、楽に終わるならそれでいい。
どこで買ったのかネコミミのカチューシャを頭に付けてはしゃぐエリナ様を他所に、道端の露店を見て回る。
ふと目に映ったのは、少し大きめの水色のリボンがついた髪留め。
………ナナに買ってあげたら、喜んでくれるだろうか。
店主に金を渡して買い取り、宝物庫に仕舞い込む。
「クロさん?それ、誰にあげるんですか?」
「ナナに買ってあげようと思って」
「………ほんと、クロさんって妹想いですよね」
問いに正直に答えて、不機嫌そうにツンとそっぽを向くエリナ様。
よくわからないが、機嫌を損ねてしまったか。
辺りを見渡し、銀に朱玉をあしらった髪飾りが目に留まった。
「店主さん。コレはいくらですか?」
「ここに置いてあるのは全部、銀貨15枚だ。子供の冷やかしなら他所で」
「コレください」
「………アンタ、どっかの国のお貴族様だったりするのかい?」
「ただの奴隷です」
代金を払い、呆けた顔の店主にそう答えて店を後にした。
不思議そうに俺を見るエリナ様に、ちょっと笑いかけて。
「エリナ様。少ししゃがんでもらえますか?」
「?まぁ、構いませんが…・……これでいいですか?」
「はい。ちょっと待っててください、っと」
前髪に髪飾りを留めて、位置を微調整。
淡い翡翠の髪に、瀟洒な銀の飾りが、よく映えている。
我ながら、なかなか悪くないチョイスなんじゃなかろうか。
「ちょっとしたプレゼントです。気に入っていただけたなら嬉しいのですが………」
「………ありがとうございます、クロさん。大事にしますね」
いつになく優しい声音と、蕾が綻ぶような、儚い笑み。
思わずドキリとして、何故か頭をグシャグシャと撫でられた。
子供にするような仕草に気恥ずかしくなって逃れ、少しムッとしたような顔。
「ノリ悪いですねぇ、クロさん。ほら、ちょっと笑ってみてください」
「ちょっと、やめ」
抗う間もなく頬を掴まれてそのままにゅんと引っ張られた。
振り払い、不満げに頬を膨らませるエリナ様。
「も~………ちょっと弄られるくらいいいじゃないですか。そんなひどい事をするわけじゃありませんし」
「何をされるか分からないので嫌です」
「そんなことしませんよ。せいぜいゴスロリとかメイド服を来てもらったりするくらいです」
「えぇ………」
何故女装?
何故メイド服?
というか、何故俺?
「いえ、クロさんってなんていうかその、女装しても普通に似合いそうだなと思って」
「嫌ですよ、俺は。そういう趣味もありませんし」
「そうですか、残念です。似合うと思ったんですけど………」
「諦めてください」
「はい………」
微妙に落ち込んだ様子のエリナ様。
なんというか、何も悪いことしてないのに悪い事をしたような気分だ。
「ちなみになんですけど、ここにメイド服があ」
「赫華」
「ぬにゃーーっ!?」
ちょうど俺が着たらぴったり合いそうなサイズのメイド服を出してきたのでインフェルノで灰にし、奇怪な悲鳴を上げるエリナ様。
少し面白いが、流石に周囲の人からの目が痛い。
「エリナ様、ちょっと落ち着いてください」
「なにやってくれてるんですかクロさん!!アレ作るの、すっごく大変だったんですよ!?」
「どっちにせよ、少し落ち着くべきです。周りの迷惑にもなってますし」
「それでもです!アレ作るのに三日もかかったんですよ!?それを、それを一瞬で灰にするなんて、酷すぎます!!」
知ったこっちゃねぇ。
知ったこっちゃねぇが、さっきからベタベタくっついてきて鬱陶しい。
とはいえ、さすがに約束を反故にするのもアウトだろう。
ここは我慢しなければ。
「はぁ………もういいです、それより、アレ食べましょうよ、アレ」
そう言って義手が指さしたのは………
「ところてん、ですか?」
欅の看板に黒々と、やけに達筆で描かれた『休み茶屋』の文字。
藍染ののれんの奥、薄明りが差し込む涼しそうな店内に、まばらに座る客が数人。
風を孕んで揺れるのぼりには、『ところてん始めました』と、これまた無駄な達筆で描いてあった。
「はい。おいしいらしいんですけど食べたことがないので、ちょっと挑戦してみようかなと」
上を見上げれば、ギラギラと嫌に暑く照らす太陽。
人混みもまばらな砂埃の舞う道を行く人たちは、皆一様にびっしょりと汗をかいていた。
………人ならぬこの身はいざ知らず、エリナ様のような人間には、この地域の夏は少々堪えるらしい。
「………わかりました。奢りますので好きなものを注文してください」
「えっ?いいんですか?」
「はい。これくらいなら全然構いません」
「いやっほぅいっ!!」
奇怪な悲鳴を上げて茶屋の中へ突撃するエリナ様。
若干の呆れを感じながら暖簾をくぐり、案内された座敷に腰掛ける。
ひりつくような暑さの外気と打って変わって、冷たく僅かに湿っぽい空気。
イグサ畳独特の爽やかな香気が、どこか懐かしい。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ところてんを2つ、お願いします」
「黒蜜きな粉と酢醤油がありますが、どういたしますか?」
注文を取りに来た女中さんに目当ての品を頼んで、予想外の選択肢が飛び出てきた。
酢醤油………酢醤油か。
懐かしくはあるが、やはりここはオーソドックスに黒蜜で頂くべきか。
「俺は黒蜜で。エリナ様も同じものを」
「すじょーゆ?でお願いします」
ツンと澄ました顔でそんな事を言うエリナ様。
予想外の注文。
というか、渋いの頼むな。
ところてん初見で酢醤油を頼むとは思わなかった。
「エリナ様。大丈夫ですか?」
「ライカちゃんがオススメしてくれたので、間違いないかと」
やりやがったなあのメスガキ。
「では、酢醤油1つと黒蜜1つでよろしいでしょうか?」
「お願いします」
エリナ様がペコリと頭を下げて、そのまま奥の方へ消えていく女中さん。
なんというか、もうすでにどうなるか見えている気もするが、気にしたら負けだと思おう。
そうしよう。
「というか、クロさんって妙にこの国に慣れてますよね。昔住んでいたとか、出身が近かったりするんですか?」
「俺自身、あまり昔の記憶は無いのですが、どうも龍を祀る民の出身のようで。慣れているように見えたのならば、きっとそのせいでしょう」
「………辛くは、ないんですか?」
変な事を聞かれた。
「何がですか?」
「いえ、この国の近くに住んでいて奴隷落ちしたというのなら、なにかトラウマが」
「嘘です」
「へ?」
「俺が龍を祀る民出身というのはウソです。龍種系統の魔術をどこで覚えたかは………まぁ、長く生きればいろんなことを覚えるものですし、企業秘密ということで」
「………村を焼かれた悲しい記憶とか」
「ないです」
「将来を誓い合った幼馴染とか」
「いたとしても死んでます」
「復讐すべき相手とか」
「特にいません」
「………クロさん、ちょっと酷くないですか?」
「何を言ってるのかわかりませんね」
「えぇ………」
げんなりした顔のエリナ様を他所に、女中さんがところてんを運んできた。
手を合わせて箸で掴み、喉に流し込む。
黒蜜独特のコクのある甘みと清涼なのど越し。
冷たいものが胃袋に落ちていく感触が、わずかに火照った体に心地よい。
久しぶりに喰ったが、やはり旨いな。
ズゾゾッと半分まで食って、エリナ様が微妙な顔をしていた。
「エリナ様?どうかされましたか?」
「………なんか、思ってたのと違いました」
「然様ですか。………俺の食べかけでよろしいなら、こっちの黒蜜の方が食べやすいと思いますが」
「………すいません、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げたエリナ様と器と取り換え、酢醤油のところてんを頂く。
食べ慣れない人は苦手かもしれないが、個人的にはこの酸っぱさもありだと思う。
というか、この暑いのによく冷やしてあるな。
魔術が発達している世界じゃ、冷凍冷蔵の技術は案外利用しやすいものなのかもしれない。
「どうですか?」
「………クロさん」
「はい」
「里に帰ったら、ライカちゃんを理解らせます。手伝ってください」
「かしこまりました、エリナ様」
物騒な事を言いつつももくもくと黒蜜を食べ進めるエリナ様を眺めて、少し遅めのおやつの時間は過ぎていった。
関西人はところてんを酢醬油で喰う。
次回予告
無事メスガキを理解らせて、メイドと龍は帰路につく。
一方、里には龍国と征伐教会の使節団が到着していた。
龍を祀る民族と、龍を狩る騎士団。
衝突は免れぬ2つの組織が絡み合い、物語は転換点を迎える。
急変する世界で、龍の眼は何を見るのか。
「ひっさしぶり~アサカきゅん!!お爺ちゃんだよ~ん!!」
「誰だコイツ」
「アンドロメダ星人だ!!みょ~~ん!!」
「マジで誰なんだよ、コイツ」
「………俺の、お爺様だ」
「え゛っ?」
次回「ハイカラ爺が通る」




