遠路
少し遅れましたすんませんすんません。
シャンデリアが降って、砕け散った。
目が眩みそうなくらい煌びやかに飾り立てられていた舞台を赤く燃える火の舌が舐め尽くし、焼いていく。
ガラスも木も布も鉄も人間も、全てが砕けて燃えていく中、見知った人影がいくつも倒れ伏している。
藍色の殺し屋が、壁際に、ゴミクズのように打ち捨てられていた。
俺と同じ眼をした異邦の剣士が手足をもがれて横たわり、連れ添うように焼き焦げた亜麻色の髪の少女。
全身をズタズタに引き裂かれて無数の槍に貫かれたピンクの肉塊と、真っ黒に炭化した燃えカスが1つ。
壁に叩きつけられて四散した赤からべちょりと赤が落ち、球体関節人形じみた手足ごと丸められた肉塊。
ただしく死屍累々というべき惨状が広がる中、引き千切ったばかりの首を放り捨てた。
大きく口を開き、腕に抱えていた誰かの、虚空を睨む赤い瞳ごと喰う。
脳も肉も骨も一緒くたに咀嚼して、僅かに喉に引っかかる金髪の残滓。
喉に喰いつき、肉を噛み千切り、すべやかな白い腹に顔を埋めてハラワタを啜る。
まだ暑く湯気を立てる血と内臓のカクテルを飲み干し、大きなゲップが1つ。
両の掌を見つめ、歪な鉤爪とまばらな獣毛を備えた人外の手。
半ば獣のような異形と化したそれにこびりついた血を舐め、熱いものが甘く歯に沁みる。
ズキズキと脳を刺激する興奮のままに舌を這わせ、ねぶり、目の前の床に広がる赤。
手をついて床に這いつくばり、一面に広がる血を舐める。
凝固しかけた死血を貪るように飲み、琥珀色をした誰かの眼球を探り当てた。
昔よく遊んだ人形をおもちゃ箱の中から見つけたような、ワクワク感。
ためらわずに口に含み、やや小ぶりなソレを、飴玉をしゃぶるように舌の上で転がす。
じんわりと広がる甘みが、ズキズキと痛むような飢えを鎮めていく。
が、俺は、飴玉は噛み砕く方が好きだ。
ぶにぶにと弾力のある柔らかな肉塊に牙を突き立て、弾けてドロリと流れ出た体液が、喉を滑り落ちて胃袋へ落ち込んでいく。
適当に引き千切った太腿に齧りつき、柔らかくて甘い肉を食う。
酷く、腹が減った。
食っても喰っても、腹が減る。
胃袋の底が抜けたような空腹に耐えかね、焼かれた視界の端で銀色の髪が躍った。
突き出されたナイフを腕ごと砕き、首を掴んで投げ飛ばす。
地べたを転がり這いつくばる彼女の喉を締め上げ、苦し気な悲鳴と顔に突き立てられる狼の爪。
構わず、叩き伏せて。
「ク~ロさん?どうです、お腹はいっぱいになりましたか?」
ふわりと漂う日なたの香りと、首に回される柔らかい腕の感触。
耳元で囁かれた揶揄うような声に振り返り、銀色の髪と狼の尾が見えた。
「ねーねークロさん、黙ってないで返事くらいしてくださいよ。私が悲しくなるじゃないですか」
「…………」
「………まぁ、いいです。それで、どうするんですか?」
どうする?
どうするとは、なにを。
「だから、その娘をどうするかですよ。あの人に、みんな殺すように命令されたでしょう?まさか、可愛い可愛い自分の妹まで殺すんですか?」
ふざけるな。
俺がアイツを殺すわけがない。
殺せるわけがない。
たった1人の、大切な妹を、殺すはずが。
「………ひょっとして、殺さないんですか?私はあっさり殺したのに、ナナさんは殺せないと?」
当たり前だ。
至極当たり前の事だ。
「そうですか。そんなにナナさんが大事なんですね」
「………じゃあなんで、そんな事をしたんですか?」
言われて初めて、自分の手がナナの心臓を抉っていることに気づいた。
薄桃色の唇が痙攣し、ゴボリと、赤い血を吐いた。
蒼い眼が見開かれて、2,3回咳き込むように喉が震えて、それっきり。
「あれれ?ひょっとして、自分が何したのかわかってない感じですか?」
体の、手足の震えが止まらない。
やわらかい肉からゆっくりと腕を引き抜き、血に濡れた獣の五指。
頭が、割れるように痛い。
「ねぇ、クロさん。今どんな気持ちですか?自分の一番大切な人を自分で殺して、どんな気持ちなんですか?」
赤黒く熱を帯びた舌が俺の耳を舐り、酷く嬉しそうな声で狼が嘯く。
肉に突き刺した剣を抉るような言葉が脳を焼き。
………あ、れ?
「意外とどうにも思ってない、でしょう?」
「そりゃあそうですよ、クロさん、自分勝手なだけですもん」
「私を殺したのも、ナナさんのお兄ちゃんをやってるのも、結局は自分がいい気持ちになれるからです。自分がお兄ちゃんでいたいからナナさんを守る必要があって、私を殺す必要があっただけで、極論、妹役はナナさんじゃなくてもいいんですよ」
違う。
違う、そんなはずない。
そんなことなわけがない。
そんな、ふざけたことが。
「そうなんですよ、クロさんは。いろいろ自分で誤魔化してますけど、結局は、自分が気持ちよくなりたいだけなんです」
だから、と、狼が嗤い。
「…………そんなひどい人が、生きていていいと思ってるんですか?」
「………そうですよね。だから、早く死んでください、クロさん」
「ぁ、あァアアァァァぁァアアああああっ!?」
「ぁ、あァアアァァァぁァアアああああっ!?」
半狂乱で跳び起きて、目の前で星が散った。
重いものが倒れる音がして、ベッドわきで顔を押さえてジタバタ転がるナナ。
何があったのかわからないが。
「ナナ。大丈夫ですか?」
「ひどいですよクロ兄さん!私に何の恨みがあるんですか!?」
「特に恨みはありませんが………というか、なんでナナがここに」
「クロ兄さんがなかなか起きてこないからです!心配して見に来たらすっごくうなされてますし、急に錆びだしたと思ったら頭突きですよ!?なんかもう踏んだり蹴ったりです!!」
ぷんぷん怒りながらも、少しだけほっとしたような、そんな顔でナナが笑う。
………どうやら、ずいぶん不安にさせてしまったみたいだ。
「すみません、ナナ。心配させてしまって」
「わかればいいんです、わかれば。………そりゃ、何か私に出来ることがあるなら言って欲しいですけど」
「俺は、ナナが幸せで笑っていてくれるならそれで充分です」
「………そういう事じゃないですけど、まぁいいです。……………ほら、そろそろ起きてください。今朝は忙しいんですから」
ニヤつく口元を隠すようにそっぽを向いたナナが、俺の手を掴んで引っ張った。
急かされながら立ち上がり、投げ渡されるいつもの執事服。
浄化の魔術で寝汗を始末して袖を通し。
「着替え終わったら、ご主人様を起こしてくれませんか?私が行ったら十中八九抱き枕にされるので」
「何か問題でも?」
「………珍しいですね、クロ兄さんが寝ぼけるなんて」
「寝ぼけたわけじゃ」
「もう、しっかりしてください。龍国使節団の事、忘れてないですよね?」
困ったように言うナナの尻尾は、嬉しそうにブンブン揺れていた。
シーザー様を嚙み殺したあの日から、2週間が過ぎた。
アルトヘイム神教王国との交換留学生については、神国国営新聞が『滞りなく終わりを迎えた』と報じたのみ。
学院の対抗戦で起きた襲撃事件も、シーザー様を含めた交換留学生の死亡も、全ては無かったことにされた。
ナナも、お嬢様も、カティア様もフィリアも、シーザー様が死んだことは知らない。
知っているとすれば、帝国と神国の上層部の人間だけだろうし、それだって、原因不明の信号消滅としか認識されていない。
表沙汰にならないあたり、シーザー様が神国王家の落胤だというのも、おそらくは単なるデマ。
その裏にいた人間も含めて、失敗しても切り捨てられる、使い捨ての駒でしかなかったのだろう。
大多数の人間は、シーザー様が生きて、死んだことすら知らないわけだ。
留学中、シーザー様が使われていた部屋は再び元の用途────つまりは物置────として使われることになった。
唐突にやってきた狼少女は、色々なものを引っ掻き回して、来た時と同じように唐突に消えた。
残ったものは、いくつかの変化と、心臓を抉る後悔。
そして。
「………これ、どうすりゃいいんだろうな」
腰に差した短剣を引き抜いて、緩やかに湾曲した刃が鈍く光を反射する。
シーザー様との戦闘後、真っ二つに折れて転がっていた、不滅のはずの聖剣。
放置しておくわけにもいかず持って帰ったソレが、一晩寝て起きたら短剣に変化していた。
黄金の刀身の輝きはどこかに消え失せ、黒く煙った刃鋼と、茎を挟みこむように一体化した骨材。
根元の部分で大きく湾曲し、切っ先へ移るにつれて先細るように研ぎ澄まされた独特の形状と、肉厚の片刃。
鋭利さと重量で叩き割るように切る
俺の鱗の端材を問題なく切断していたし、威力に問題は無いのだが………いかんせん、不審すぎる。
ただでさえ体にガタが来ている以上、さらなる爆弾を抱えるような事態はごめんだ。
何度も捨てようとしたが、捨てても捨ててもいつの間にか手元に戻ってきていた。
バカみたいに頑丈なせいで壊そうとしても壊し切れず、おまけに勝手に修復される始末。
気味が悪い事この上ないが、武器として見れば非常に優秀。
なんというか、こう、すごく腹が立つ。
「クロ兄さ~ん?ご主人様が呼んで」
ガチャリと音がして顔を上げ、ドアを開けたまま硬直するナナ。
しばし互いに硬直し、オオカミ耳がピコリと動き。
「失礼しました」
「待ってくださいナナ。なんでそんな見たらいけないものを見たような顔を」
「じゃあなんでナイフ持って笑ってたんですか!?」
「………え?」
「え?じゃないです!!普通に怖かったですし、あれですか!?ストレス性ナンチャラって奴ですか!?」
「ストレス性ナンチャラとは?」
「知りませんよそんな事!!」
『うがーーーっ!!』と吠えるナナの頭を撫でて落ち着かせ、部屋を出る。
納得いってないのか尻尾を逆立てたまま俺の前を歩くナナが、シーザー様と重なって見えた。
「………ヒマ、だね」
「ヒマだな」
「ヒマです」
「ヒマね?」
「くふ~………すぴゃ~………」
ガタンゴトンと騒音を鳴らす車内に、気だるげな声を漏らす学生と眠りこける駄犬が一匹。
帝国領の辺境を離れ、中立地帯を抜けてから早二日。
最初の方こそ景色や列車の旅を楽しむ余裕もあったが、ここにきて、いよいよ虚無の領域に突入しつつあった。
ホテルの一室として通用しそうな客車内にいるのは、俺とナナ、お嬢様とカティア様、メイド枠でついてきたフィリアとエリナ様の6名のみ。
ミカ様とアマナ様は、それぞれ、乗り物酔いでダウンしたアサカ様と変態の看病のため個室で待機している。
…………変態に関しては、アマナ様に介抱されたさにダウンしたフリをしている気もするが、真相は闇の中。
盛大にゲロったのに気持ち悪い笑みを浮かべていたが、あの変態ならデフォルトでそれくらいしそうで怖い。
やはり、ナナが襲われないうちに暗殺しておくべきか?
最悪、そこらの安女郎でも攫ってきて腹上死したように偽装すれば。
「クロさん。どうかされましたか?」
「うおっ」
視界を占拠する義眼にビビり、不思議そうな顔で俺を凝視するエリナ様。
言ってはアレだが、非常に心臓に悪い。
「いえ、急にブツブツ呟き始めたので、何かあったのかと」
「大丈夫です、エリナ様。何でもありません」
「そうですか…………もし義手が必要なら、腕のいい義肢職人を」
「大丈夫です」
「なら私の予備を」
「大丈夫です」
「………そうですか」
なぜか義手を推してくるエレナ様に断りを入れ、しょんぼりされた。
一瞬申し訳ない事をした気分になりかけたが、よく考えたら俺は何も悪い事をしていない。
………なんていうか、理不尽な目に遭った気がする。
若干モヤついたものを抱えてそっぽを向き、プシューと間抜けな音を立てて後部車両に繋がるドアが開く。
「ふぃー………酷い目にあったのです」
「お疲れ様です、アマナ様。何か甘いものでもご用意いたしましょうか?」
「あったかいココア、砂糖ありありでお願いします」
「かしこまりました」
半分くらい溶けかかったアマナ様が、ナナの隣に倒れ込んで「みゃふー」とよくわからない声を漏らす。
いくら血の繋がった姉妹とはいえ、あの変態の介護はやはり疲れるらしい。
「お持ちいたしました、アマナ様。………あの、ミカ様は」
「2時間ぐらいたってから戻るって言ってました。疲れちゃったんですかね?」
「あっ………ハイ、ソウダトオモイマスヨ?」
ミカ様の姿が見えないことを気にしたらしいエリナ様が、純粋無垢な返事に何とも言い難い微妙な表情になった。
なんとなく、ツヤツヤになって帰ってきそうな気がする。
………幸か不幸か、今は走行中の列車の中。
ついでにナナも夢の中。
ナナの情操教育に悪影響が及ぶことは無いだろう。
世は全て事もなし、だ。
「お~い………ナナさん、寝てるんですか?」
「ふぴゅるる~…………ふがっ……………むぅ?」
ぐで~っとしていたナナが目を覚まし、青色の寝ぼけまなこ。
不思議そうな顔で周りを見渡したナナがにへ~と笑い、そのままアマナ様に抱き着いて寝っ転がる。
「にゅふふ~~………」
「ちょっ、ナナさん!?放し」
「アマナさんはや~らかいですねぇ…………」
「ひゃうんっ!?やっ、どこ触って」
続く悲鳴をシャットダウンして、窓の外、流れていく雲と田園風景。
地平線の果て、遥か前方へと伸びる線路は、まだしばらく終わりそうになかった。
舞台は既に出来上がり、車輪は軌条の上を走る。
深謀蠢く龍国で待ち構える牙と、来る帰郷に刃を研ぐ落国の剣士。
それぞれの思いが錯綜する中、破綻は天より降り来たる。
「久しぶりお兄ちゃん!元気してた!?」
「………クロ兄さん、私以外に妹がいたんですか?」
「ちがっ、ナナ、コレは何かの間違いで」
「失望しました」
「ぐふっ」
次回「割とマジでちゃんと設定してないと妹が生えたりする」




