閑話・或る端役の最期
イケてないイケオジがオヤジ狩りされる話。
「…………まさか、またここに戻ってくる羽目になるとはな」
ぼそりと呟いた独り言が、だだっ広い下水道内に無数に反響して、消えていった。
ガキの頃、幾度となく俺を憲兵から庇ってくれた、愛すべき我がドブ底。
憲兵も用心棒も、ここまでは追ってこなかった。
長い時間をかけて隠れ家として完成させたこの空間は、少しの変化もなく、俺を出迎えてくれた。
腐敗した汚物とナニカが横を流れていくのを尻目に、不自然に窪んだ壁に手を当てて、思いっ切り押し込む。
壁を崩して潜り込み、残り少ないマッチの明かりが、壁際にかけておいたオンボロランプを探り当てた。
おぼつかない手元で何とか火を点け、頼りないうすぼんやりとした灯が、室内を照らす。
部屋の端に山積みしておいた携帯食料の封を破り、プンと鼻を衝く何とも言い難い悪臭。
粘土のようなソレをほとんど咀嚼せずに水で流し込み、ようやく一息ついた。
ズタ袋をつけていると言われれば納得しちまいそうなほど、足が重い。
ボロの壁に身を預け、警戒もせずにちょこまか走り寄ってきたネズミにレーションの欠片を放ってやる。
………さて、と。
これからどうしようか。
異端審問組織が壊滅した以上、この国にはいられない。
俺たちはいろいろな情報を知り過ぎたし、恨みを買い過ぎた。
貴族も商人も平民も裏社会の人間も、ほとんど全てが敵に回るだろう。
下水道を利用すれば帝都からは脱出できるし、いざという時のために用意していた隠れ家がまだ生きているなら、南西部の大森林までは逃げられるはず。
問題は、組織からの追手か。
いくら俺が下っ端とはいえ、異端審問組織の持っていた情報やらなんやらを欲している奴はごまんといる。
連中は、金にも暴力にも糸目をつけない。
捕まったら最期、2度と日の目を見ることは無いだろう。
もし仮に、うまく逃げおおせたとしても、それからどうやって飯を喰っていけばいいのか。
いかんせん、本業がケチでチンケなチンピラの俺には、荷が重すぎる。
が、生憎、諦められるほど性格がお上品に出来ちゃいない。
まだ状況は詰んでいない。
まともな食いモンは………およそ3週間分ほど。
切り詰めれば2カ月は持つ。
水は魔術でどうにかできる。
国境線を潜るルートも、いくつかは使えるはず。
しばらくの間、連中は帝都近域を封鎖して、捜索網を徐々に狭めてくるはず。
俺が遠くに逃げたと思い込んで捜索の手を遠方に向けたタイミングで帝都から脱出。
いくら敵が巨大でも、探す範囲を広げれば広げるほど、捜査の網は薄くなっていく。
十分手薄になったら強行突破して、俺の勝ち、だ。
幸いというか、この地下下水道にはほとんど人がこない。
流れて来る死体を漁ればある程度は道具も手に入るだろうし、最悪、我が隣人には俺の生活の糧になってもらおう。
そんな事を考えたのがバレたのか、ビーズのような眼が目まぐるしく動き、来た時と同じチョロチョロした動きで壁の割れ目に消えていった。
まだ食わねぇよ、まだ。
コートを脱いで寝っ転がり、ランプの灯を消して。
「…………なんで、こうなったかねぇ」
いくら金がなかったとはいえ、あんな変態クソレイシスト集団に手を貸すとか、やめときゃよかった。
アイツらの手伝いをしてからというもの、どうにもツキがない。
賭場ですってんてんになるわ、憲兵に捕縛されかけるわ、気に入ってた密造タバコの売人がとっ捕まるわ、散々な目に遭った。
極めつけは、お気に入りの嬢に嫌われちまった事。
自称18歳、実年齢14歳、ネコ系の獣人で甘え上手喋り上手床上手の、三拍子そろったいい娘だった。
あと、胸がバカデカかった。
割とお得意様だったつもりが、どっかで異端審問官やってるのがバレたらしく、猛烈なビンタの一発でそれっきり。
アレは………うん、かなりきつかったね。
風の噂でどっかの貴族の3男坊の妾になったって聞いたが………まぁ、幸せになってりゃいいか。
背伸び1つ、あくびをして目を閉じる。
毛布代わりにコートを引っ被って。
………………
…………………………
…………………………………
「………眠れねぇ」
こんな状況だというのに、アソコが治まらない。
つーか、なんかもうありえないくらいギンギンになってる。
無理矢理目を閉じて眠ろうとして、まぶたの裏でちらつく肌色の夢。
耳を塞いで、わざとらしい嬌声のフィラッシュバック。
眠れねぇ。
眠ろうとすればするほど、頭の中で点滅する欲求不満の四文字。
思春期のガキじゃあるまいし、みっともない。
みっともないが、どうしようもない。
身を起こし、ランタンの明かりを点ける。
案の定、ズボンの真ん中で三角形にテントを張ったビッグマグナム。
辺りを見渡して、当然のように使えそうな道具は無し。
ゾッとしないが、まぁ、自分で処理するしかない。
ベルトを緩め、下を脱ぎ。
「ようやく見つけましたよ、ジョン・フラウス。出来れば無駄な抵抗はせずに、おとなしく死んで」
こんなドブ底に似合わない、凛と澄んだ女の声。
振り向いて、銀鎧の騎士がいた。
全身鎧とフルフェイスの兜のせいで容姿は不明だが、声が美人だ。
声が美人な奴は大抵エロイ、これ俺の経験則な。
フルチンの俺と女騎士、二人して黙ったまま、見つめ合い。
「………その粗末なものをしまってください」
「誰が粗末だ、犯すぞ」
これでもここらじゃ一番って評判だったんだぞ。
じゃなくて。
「何をしようとしていたのかは知りませんが、ええ、構いません。このまま殺し」
「んじゃ、ネェチャン!俺ぁ逃げるわ!!達者でな!!」
「ちょ、待っ、人の話を」
何か言いかけたのを無視して壁に突っ込み、別の下水道へつながる空洞へ身を躍らせる。
ズボンを履きながら華麗に着地。
急いでベルトを締めて、直後、背後から斬撃音。
見るまでもなく、あのおっかねぇ女騎士様が追いかけてきている。
予想外の逃走になるが、遅いか早いかの差でしかない。
どちらにせよここが正念場で、しくじれば俺は死ぬ。
覚悟を決めて、鼻をつまみ。
「待ちなさい!散々探した挙句、ここで逃げられてたまりますか!!その首切り落として」
「一発ヤらせてくれるんなら考えてもいいけどよぉ!俺は痛いのが嫌いなんだ!!」
「んなっ!?貴方、正気で」
「とうっ!!」
ドブへダイブした。
深く深く潜水し、重く粘ついた緑色の水をかき分けて、壁伝いに泳いでいく。
いくら相手が追跡の達人でも、一度ここに入ってしまえば、誰も追ってこれやしない。
絶対的な悪視界は、その中の全てをうやむやに隠蔽する。
ヘドロのような水底を蹴って、分岐路に身を沈めた。
「おっ、ぇえぇぇええぇぇぇ…………臭すぎだろ、ここ」
しこたま飲みこんじまった下水を吐いて、濡れネズミの体をふるって水を払う。
全身クソの臭いでいっぱいだが、とにもかくにも生き延びた。
帝都外郭付近のスラム街、適当に転がり込んだボロ家の屋根裏。
ここなら、追手もしばらくは撒けるはず。
少なくとも、今日眠る分には問題ないだろう。
積んであった腐りかけの毛布を漁り、比較的マシなのを引っ被ってダルマに。
最悪な目にあったが、少なくとも俺は生きていて、体はまだ動く。
あとは酒とタバコがあれば完璧だが………まぁ、高望みはしない方がいいってもんだ。
………いや、待てよ?
毛布から抜け出して壁際の木箱を漁り、予想通り酒瓶を見つけた。
恐らくは、スラムの連中が勝手に作った密造酒。
臭いを嗅ぐ限りジャガイモ製の粗悪品だが、酔っぱらえるなら問題なし。
やっすいコルクの栓を抜き。
「まったく…………こんなところにいたのですか。おとなしく生首になればよいものを、ムダにちょこま
かと逃げて、恥ずかしくないのですか?」
ガシャリと鎧が鳴り、呆れたような声が響く。
振り返って、目の前に直剣が突きつけられていた。
あれだけ逃げてもう追いつかれたのか。
なんかもう泣きたくなるのをグッとこらえ。
「いいやまったく。恥じることなんか一つもないね。………あと、できたらソレやめてくれ。先端恐怖症なんだよ、オレは」
「わかりました」
軽い気持ちで言ってみたが、予想外にあっさり剣を引く女騎士。
………コイツ、ひょっとしてポンコツなんじゃないか?
ワンチャン頼めばヤらせて。
「それでは、そろそろ生首になってもらってよろしいでしょうか?」
「ダメみたいだな」
「何がですか?」
「こっちの話だ」
「………?」
あざとく首をかしげる女騎士を他所に手札を整理。
『美人に殺されるなら本望』なんてよく聞くが、生きてる方がいいに決まってる。
つーか、兜のせいで美人かどうかわかんねぇし、もしブサイクだったら死に損だし、やはりここは逃げるが吉と見た。
それと悟られぬよう、僅かに唇を舐めて。
「なぁ、頼むから、最後に酒くらい飲ませてくれよ。それくらい別にいいだろ?」
「………いいでしょう。そのくらいの時間なら待ってあげます」
「ありがとな。恩に着るぜ」
あぐらをかいてボロ床に座り込み、酒瓶を一気に呷った。
粗悪なアルコール特有の、噎せ返るような異臭。
鼻の奥が痺れるような感覚を堪え、むりやり飲み下す。
頭が、酷く痛い。
痛いが、どうってことは無い。
気合を入れて。
「もうよろしいでしょうか?飲み終わったならそろそろ」
「あばよ、騎士サマ。油断したアンタが悪いんだぜ?」
思いっ切り床を踏み抜いて、床下に落ちた。
粉塵、木くず、その他雑多な無数のごみが散乱する中、慌てたような女騎士の声。
ドッスンと思いのほか重い音を立てて、銀鎧が落ちてきて。
「とっておきのプレゼントだ!存分に喰らってくれや!!」
鼓膜を直にぶん殴られたような衝撃と、目を覆ってなお視界を白く焼く閃光。
閃光手榴弾の炸裂を確認し、いたちっぺ代わりに放りこんだ破片手榴弾が火を噴いた。
爆音と衝撃波が爆ぜ、圧力に耐えきれずにボロ小屋が倒壊。
これで死んでいて欲しいところだが、修羅場を潜り続けてきた俺の勘は『逃げろ』と喚く。
得体のしれないボロの横たわる路地裏に滑り込み、暗く汚く湿った石畳の上を駆ける。
帝都のセーフハウスは、残り4つ。
敵がどうやって追ってきているか知らないが、逃げ続けてもいずれ見つかる。
一転攻勢というわけにもいかないし、やはり、帝都を脱出するしかないか。
幸い、逃げ方はいくらでもある。
ひとまずは下水道に引いて、機会を。
「なるほど、ジェスターを撒きましたか。なかなかやるようですね」
咄嗟に身を翻して、受け身を取れずに顔面から倒れ込む。
顔面を抑え、立ち上がろうとして、ついた手がぬるりと滑った。
奇妙な感触に目をやって、切断面から赤々と噴き出す赤。
手が、無い。
手が。
俺の、手が。
「はぁっ、ぁああぁぁぁあああ!?!?」
手が無い。
手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない手がない。
「随分と逃げてくれましたが、まぁ、端役にしては頑張ったんじゃないですか?」
誰か、手を取ってくれ。
俺の、俺の手を見つけてくれ。
手が無いんだ。
俺の、手が。
無。
「ごきげんよう、さようなら」
「申し訳ございませんッ、お姉様!!私があのような醜態を晒したせいで、お姉様にご迷惑をおかけして、ああっ、本当に、なんてことを」
「気にしないで。ワタシも気にしてないから。…………というか、使い終わった道具を自分で片づけるのは当たり前のことだし、変な仕事を任せてしまって、ごめんなさい」
「いえっ、そんな!!私はむしろ、お姉様に命じられたなら何でもやらせていただきます!!とりあえず、おみ足を舐めさせていただいてよろしいでしょうか!?」
「却下」
「あうっ…………ふふ、お姉様のチョップ。これであと半年は舞える」
「少し黙ってようか?」
「はい!誠心誠意黙らせていただきます!!」
「意味なかったですね」
「…………それで、彼女と彼の戦いは観測できましたか?」
「………申し訳ございません、お姉様。どうにも、龍の巣で戦いになったようで。内部の魔力嵐が測定器の許容範囲を大きく逸脱していたため、まともな情報は得られませんでした」
「なら仕方ないですね。………まったく、異端審問官といい、彼女といい、どうにも役に立たない道具が多すぎる。何とかならな」
「ただ」
「ただ?」
「継続時間にしておよそ37秒間、異常規模の魔力嵐が観測されました。コレはあくまで観測機が持った時間ですから、実際の時間がどうなのかはわかりません。………ですが、念のため、彼の脅威評価を検める必要があると愚考いたします」
「………そうですか。ありがとうございます、ジェスター」
「すべてはお姉様のためです。………時にお姉様、お姫様と可愛いあの娘の様子はどうでしょうか?」
「順調に計画を進めています。舞台の調整を、少し早めるべきでしょう。貴女には申し訳ないのですが、まだまだ働いてもらいますからね?」
「勿論です!粉骨砕身、務めさせていただきます!!」
「砕けないでください。貴女はかけがえのない、ワタシの家族なんですから」
「………はい。ありがとうございます、お姉様」
「ああ、それと、あの娘のお世話もお願いします。あの子の出番はまだまだ先ですが、出来るだけ成長してもらって損はありませんから」
「わかりました。では、私はコレで。僭越ながら、御健闘をお祈りいたします」
「さようなら。また明日」
「さようなら、お姉様」
「…………ふぅ」
「…………彼女の死を、ムダにしてしまいましたか」
「………仕方ありません、切り替えていきましょう」
「次の舞台の準備は、もう終えています」
「せいぜい踊ってくださいね、私のお姫様?」
次回、新章突入。楽しみにしてくれよな!!




