夕暮れに狼は微睡む
低く唸るエンジンと、ときおり弾む車体。
強化ガラス越しの歪んだ景色が、滑るように流れていく中、真っ黒に塗り潰された軍用車の背中から目を背けた。
いやに硬くて冷たいシートに背を預けて、眼を閉じる。
………………
…………
「………任務失敗、ですね」
ガチャリと、銃を構える音。
まったく。
「こんな小さな女の子相手に怖がって、恥ずかしくないんですか?」
「黙れ、バケモノめ。貴様のような混じり物と同じ空気を吸っているだけで、吐きそうになる」
「プロの軍人さんなのに、車酔いしたんですか?意外と情けないんですね」
「………ッ」
あらあら、す~ぐ怒っちゃうんですから。
変態さんの言葉を借りるなら、『煽り耐性クソ雑魚おじさん乙』、でしたっけ?
………なんていうか、コレ、少し楽しいですね。
「………そもそも、貴様が目標を達成できなかったせいで、我々が出撃する羽目になったのだ。責任は取ってもらうぞ?」
「あれ?聖帝様に命じられた任務って、聖剣の回収だけですよね?それを後から人殺して来いなんて付け加えられてもムリですし、そのせいで本来の任務が失敗したらどうするつもりだったんですか?」
「貴様がしくじらなければよいだけの話だ!!」
「いや、ムリですよ。ムリムリ、ぜぇったいムリです」
クロさん、すっごく強いですし。
というか、弱体化どころか半死体状態であれだけ動けるのって、ほんと理不尽です。
龍を殺せるような怪物と戦って生き残る自信は、私にはありません。
十中八九、こちらが狩られます。
聖剣の回収任務を果たした以上、当面の間は、孤児院のみんなの無事は保証されるはず。
「たかが混ざり物のメスとガキ共を殺すだけの任務だぞ!?その程度、貴様ならやりようなどいくらでも」
「だから、戦っても勝てないって踏んだから、聖剣の回収に専念してたんですよ。監視用の術式も仕掛けられていましたし、あの状況で下手に動いたら、間違いなく潰されてました」
「だったら暗殺でもすればよいではないか!!だいたい貴様、さっきから生意気な口を」
半分くらい泡を噴きながらギャーギャー叫ぶおじさん。
ツバ飛んで汚いのでやめてくれませんかね?
………というか、なんでこんなおバカさんが私の上司なんですかね?
実力が立場に見合ってないと思うんですよ。
魔力も低いしパワーもないし頭も悪いし見た目気持ち悪いしで、最悪じゃないですか。
あぁ、ナナさんに会いたいです。
思いっ切り抱き着いて胸に顔を埋めて深呼吸して癒されたいです。
………やっぱり、同じ種族で同じ年で発達にこれだけ差があるって、理不尽です。
あの屋敷に来るまでのナナさんの経歴を考えれば、栄養状態にも大差はないはず。
………ひょっとして、コレが因果応報って奴なんですかね?
だとしたらちょっと納得できちゃうのが、何とも嫌ですが。
……………ええ、分かってます。
あの人たちに会う権利が私にない事くらい、分かってます。
私は、あの人たちを、殺そうとした。
あの人たちの『家』を、壊そうとした。
ナナさんを、リーンさんを、フィリアさんを、クロさんを、殺そうとした。
ただ、自分のためだけに。
許されない事、です。
なによりも、私が、私自身を許せない。
人質を取られていた?
こうするしかなかった?
ほかに方法がなかった?
そんなもの、何の言い訳にもならない。
こんな人でなしの私を温かく迎えてくれた人たちを、私は、殺しかけた。
どんな屁理屈をこじつけても、その事実は、絶対に変わりません。
恥知らずで、恩知らずで、何よりも腐り切った、外道の所業。
自分勝手な都合でほかの人を踏みにじるなんて、それじゃ、まるで。
「………貴方達と、おんなじじゃないですか」
「このっ、獣風情が我ら栄えある聖堂騎士と同じだと!?いくら聖剣の担い手といえども、貴様は獣なのだ!!そのような涜信が許されると、本気で思っているのならば、あの貧民共を正法裁判にかけて」
本当に、なんでこんな事になってしまったんですかね。
ただ、普通に生きていたかっただけなのに。
孤児院のみんなの面倒を見て、笑って、遊んで、ふざけ合って、みんなで一緒になって寝て、また朝が来て。
そりゃ、『もう少しお金があれば』とか、『たまにはおしゃれをしてみたいな』なんて思ったこともありますよ。
冬に裏手の井戸で水を汲むのは手の肉が凍るくらい冷たかったし、市場に行くと石を投げられたり、すごく怖い人たちに攫われかけたことも、数えきれないくらいありました。
それでも、皆と一緒に暮らしていけるなら、それで十分だったんです。
変わらない、いつも通りの日常。
それだけ、たったそれだけのことも、許されないんですか。
私が、何をしたって言うんですか。
なにか、こんな目に遭わなければいけないような、酷い事をしましたか?
聖帝様も、教会の神父様も、『自らの罪を見出す事も贖罪なのです』としか言ってくれません。
そんな心当たりなんか、あるわけないじゃないですか。
『獣と姦通した母の罪』だなんて言われても、顔も知らないお母さんの罪を、なんで私が背負わなくちゃいけないんですか?
さんざん苦しい思いをして、辛い目に遭って、それでも必死に頑張ってきて。
…………挙句の果てに、私は、あの人たちを殺そうとした。
何の罪もない、あの人達を。
「そもそも!何の目的で『聖剣の担い手』である貴様を龍の巣へ赴かせたと思っている!!貴様が龍を倒しさえすれば、我らには龍狩騎士の称号が与えられたのだぞ!?建国以来4例目の栄誉を、みすみす逃すなど」
「[黒龍グラン]のおとぎ話、ですか」
「………貴様、何を言っているのだ?」
懐かしい、ですね。
眠る前、暖炉の前で院長先生に読んでもらった、おとぎ話。
邪悪な龍に国を滅ぼされたお姫様が、神託を受けた騎士様と一緒に、悪龍討伐の旅に出る。そんなお話でした。
院長先生の、温かくて優しい、よく響く声が、大好きで。
………みんながなかなか寝付けずにいると、院長先生が『悪い子は龍に襲われるよ!!』と脅かしに来ましたね。
年長の子は大丈夫なんですけど、まだ小さな子たちは、本気で怖がって漏らしちゃったりして。
布団を洗うのは、いつも私の仕事でした。
桶の水に灰を溶いて、はだしになって踏んで洗って、よく絞って干して、終わったらもう、くたくたで。
ボコボコと気泡が立つのが、好きでした。
「おい、聞いているのか?お前がもっとうまくやっていれば、我らがこのような程度の低い任務をせずとも済んだのだ!責任の全てが貴様にあるということを自覚して」
「なんで、あの人達を殺すんですか?」
「貴様に教えてやる必要はない!!」
「クロさんも、ナナさんもリーンさんもフィリアさんも、とても、いい人たちでした。なんで、殺さなきゃいけないんですか?」
「それが命令だからだ!これ以上逆らうなら、本国に連絡してあの背信者共を」
「ねぇ、なんでなんですか!?何にも悪くない人たちを、どうして」
「………まさか貴様、奴らに情でも沸いたのか?道理も知らぬところを見るに、やはり獣は獣ということか。このようなガキが護国の聖剣を託されるなど、本国は何を考えて」
「答えてください!!いったい何の罪で」
「奴らが帝国の、我等の神を信じぬ異教徒だからだ。他に理由がいるか?」
「それだけですか!?それだけの理由で、人を、殺そうとするなんて」
「…………それに今頃、全員冷たくなっているだろうよ」
え?
それって、どういう。
「………何を、したんですか?」
「聖堂の影を出した。どれだけ強いと言っても、しょせんは学生。本職の暗殺者集団に勝てるはずがない。………もう終わりだよ、あいつらは」
………うそ、です。
あの人たちが、そんな簡単に死ぬはずがありません。
龍を倒すような人が、負けるわけ。
「ちょうど、定時報告の時間だ。運が良ければ、奴らの悲鳴くらい聞けるやもしれんぞ?」
龍。
黒龍。
「………なに?おい、貴様、誰だ?何を言っている?おい、答えろ!!」
黒い鱗に黒い角、黒い尾と、大きな翼。
口から火を吐いて、魔法を使って、大食いで寝坊助で、なによりも、とても、とても悪い龍。
「全滅させた………だと!?ふざけるな、そんな事ができるわけないだろう!どこのどいつか知らんが、必ず地獄を見せて」
あぁ、いっそ。
私の後悔も、罪悪感も、肉も骨も魂も何もかも。
わるい龍が全部、食べてくれればいいのに。
「っ、ヘンドリクセン!今すぐ防護障壁を張れ!!最大出」
衝撃波と轟音。
私たちの前方を走っていた護送車が、中ほどから真っ二つに裂けて炎上していた。
思いっ切りつんのめってシートで首が締まり、内臓を掴んで引きずり回されるような、吐き気を催す不快な浮遊感。
「ぷぎゃあっ」っと変な悲鳴を上げてしひっくり返ったおじさんを放って、車体から這い出て。
「………どこなんですか、ここ」
全てが黒く染まっていた。
地面を埋め尽くすひび割れた黒水晶の群れと、見たこともない四角形の構造をした廃墟たち。
淡く緑色に色づいた燐光が宙を揺蕩い、鬼の哭くような風の音。
思わず酔ってしまいそうなほど、魔力が濃い。
只人の立ち入ることを許さない、正しく、人外の領域。
「おいっ、◆◆!聖剣の使用を許可する!!周囲を警戒し」
果てしない、耳が痛くなるほどの静寂の中に、ザシュッと湿った音が響いた。
真っ白い喉の肉を貫いた切っ先が、赤い雫を滴らせる。
水槽の魚のようにパクパクと口を動かすおじさん。
背後を睨みつけようとした血走った目が、ゴキリと頸骨を砕かれる音に呑まれて光をなくす。
片腕を雑に振るって死体を打ち捨てる、細い腕。
神秘的な色艶を帯びた黒色の髪が、異界の空気に逆巻くように震えた。
どす黒く粘着質で、不気味な圧力を帯びた悪視が、私を射竦める。
私と大差ない小柄な体に黒づくめの軍服を着込んで、だらりと力なくぶら下がった左腕。
自分の背丈を超える長さの大槍を軽々と振り回し、空を裂いた鈍い銀色の切っ先が、私の喉を照準する。
痩せ型の貧相な体にまるで釣り合わない、押し潰してくるような殺気。
見かけからは想像もつかない人外の握力が、鋼鉄の槍身をギシリと軋ませた。
歪に固く結んだ唇が、むりやり笑うみたいに引き攣って。
「…………申し訳ございませんが、シーザー様。死んでください」
衝撃と、一拍遅れでやってきた、焼き鏝を押し当てられたような灼熱感。
大きく弧を描いて繰り出された穂先が、私の横腹を貫いていた。




