第8話 白髪令嬢とアステル
ロベルトと鍛錬を続けていると、近くの村の長が兵の配置を指導して欲しいと相談しに来た。
馬ならばすぐの距離だ。ロベルトは送って行くと言ってくれたが、鍛錬を続けるようにお願いして私だけ村へ向かった。
「ありがとうございました。セレーネ様の提案ならば兵たちも納得するでしょう」
「お役に立てて良かったです。いつでも聞いてください」
村の人たちとの話し合いが終わり、ふと、この村の屋敷にアステルとモーゼン伯爵が下見に来ていた筈だと思い出す。
私は屋敷の場所を教えてもらい、寄ってみることにした。
「やあセレーネ。忙しそうだな」
小さくて古い屋敷を訪れると、アステルが箒を持ってせっせと床を掃除していた。
ちなみにアステルの『本名』はアステリケリオン・ペルカシュルツ王子だが、言われた通り前のままの呼び方で応じる。
「アステルさん。伯爵とこちらにいらしていると聞いたので」
「伯爵は別の予定があってもう出発してしまったが、せっかく来てくれたんだ。休んでいくと良い。飲み物を用意しよう」
「ありがとうございます」
椅子に座って、飲み物を頂く。
アステルもテーブルの向かいに座って、話しかけてきた。
「すまなかったな。私たちが皆の前で名乗り出たせいで、セレーネは後戻りできなくなってしまった。どこか遠くに逃げて、静かに生きるという道もあったはずだ。我々のように」
「そんな。帝都に行くと言い出したのは私です。それに、アステルさんたちのおかげで皇統断絶を心配せずに済みます」
私は言うが、アステルの表情は冴えない。
「本当は私は反対だったんだが、ロベルトに説得されたんだ。名乗り出たのはロベルトの功績だ。私は出来る事ならロベルトを危険に晒したくなかった」
「ロベルトさんを大切にされているんですね」
「もちろん、両親を殺した皇帝は憎い。私は5歳だったから両親と最後に会った時の事をはっきりと覚えている。皇帝を討ちたい気持ちは本物だが、弟が平穏に生きていくためならば耐えられた」
アステルの声は震えていた。
「もし良ければ、ご両親が暗殺された時の状況を教えて頂けませんか?」
皇帝が優秀な暗殺者を抱えているのであれば、油断はできない。
アステルは辛いだろうがどんな情報でも必要だ。
「目の前で見ていた訳ではないが……両親は帝国の使者に狩りに誘われ、そこで殺されたらしい。表向きには、猛獣に襲われた不慮の事故だと発表されたようだ」
なるほど。狩りということにすれば武器を持った人間が複数いても怪しまれることはない。
「では、おふたりはどうやって逃げたのですか?」
「父の家臣らが、帝国に協力する条件として私たちの助命を願い出てくれたんだ。帝国は私たちを殺さずに追放した。5歳と3歳の子供に何も持たせずに追い出したんだ、おそらく死ぬと思っていたんだろうがな。だが私たちは生き延びて、モーゼン伯爵領に辿り着き孤児として保護された」
ふたりは私の想像以上に苛烈な過去を持っていた。
「生きるという強い意志がおふたりを生かしたのですね」
「弟の八重歯は父にそっくりなんだ。あいつが笑うと、私はいまでも父に見守られてるような気分になる」
アステルは少しだけ微笑んでくれたが、すぐに悲しそうな顔に戻ってしまった。
「だから許してくれ、セレーネ。私は今の平穏な暮らしを捨てるのが怖くて、帝都にひとり乗り込もうとする君を見捨てようとした恥知らずなんだ」
アステルが私から目をそらして、うなだれた。
私は自分の両手でアステルの手を包むように握った。
「戦場では、ただ強いだけの好戦的な人間は役に立ちません。守るべき場所、守るべき人……何かを守ろうとする者こそ、自分の命も仲間の命も大切にして戦い、勝利をもたらすのです。アステルさんの優しさと思慮深さは決して恥じるべき物ではありません」
「セレーネ……」
「一緒に、帝都に行きましょう。ロベルトさんにも、アステルさんの支えが絶対に必要です」
「ああ、ありがとうセレーネ。もう迷わない。私は皇帝を討つ」
アステルは、今度はしっかりと私の目を見て言った。