con amore
とあるパン屋の話。
俺はしがないパン職人。政治やらなんやら詳しい事はわからないがこれだけはわかる。
この国は変わった。
重い税を課す王を討ち、新たに現王が即位されてからというもの、この国はとても良い国になった。
劣悪だった庶民の生活環境も整えられ、飢えに苦しむ者もめっきり減った。以前はパンを作るための小麦ですら高価でなかなか手に入らなかったが川の流れを変え、畑が整えられたおかげで安定した収穫を得ることができている、と問屋のあんちゃんが言っていた。
国民に笑顔が戻り、心から毎日が楽しい、幸せだとそう思える。
それもこれも彼あってのことだ。彼は英雄だ。元国王の圧政から我々を救ってくださったのだ。国王となられた後も驕ることなく政務に励んでおられると宮殿勤めのお役人も口々に言っている。
ありがたい話だ。この平和がずっと続けば良いなと思いながら俺は今日も生地をこねる。
とある王妃の話。
私の夫は偉大なる王です。王である以前に人としてとても立派な方です。王位継承権があった訳ではなく、革命によってこの地位に就かれた方なのです。
私は隣国から嫁いできた身ですので革命に関しては詳しいことは存じ上げないのですが、前王家の血は絶たれたほどに徹底したものであったのだろうと考えております。母国が彼に資金援助をしていた関係で縁があり私と彼は婚姻を結ぶ運びとなりました。
彼は夫としてもとても良い方です。いつも私を優しく気遣ってくださいます。夜会で着飾った時など「綺麗だ」と褒めてくださいます。
そんな彼を私がお慕い申し上げることはごく自然なことであったと思います。王妃として、妻として彼を支えたいと心からそう思っております。彼も私を大事に慈しんでくださいます。
だからこそ、気がついてしまいました。彼は私を決して愛してはくださらないということを。
彼の心の中にはいつも、誰か私ではない別の方がいらっしゃるのです。そしてその方はきっともう手の届かないところにおいでなのでしょう。ふとした瞬間、彼は憂いたお顔で遠くを眺めておいでになります。誰もが英雄と称える彼が望んでも手の届かないとは一体どのような方なのでしょう。私には見当もつきません。
私が隣にいても、彼のそばにいるのは私ではなくその方がいらっしゃるのでしょう。彼が愛するのはその方一人だけ、私が入り込む隙など無いことは嫌でもわかってしまいます。
建国記念日、つまり革命が成し遂げられた日には祭が行われ、大きな花火が夜空を彩ります。この日は祭の挨拶の後、決まって彼は一人部屋に閉じこもっておしまいになります。彼が色とりどりに花咲く空を見上げながら静かに涙を流しておいでだったのをお食事をお運びしようとした時に偶然お見かけしてしまったことがありました。あまりに悲痛なそのお顔を見たときに私は決めました。たとえ私を愛してはくださらなくとも、私は誠心誠意この方を愛そうと。私の生涯を通して成し遂げようと、そう誓ったのです。
とある女官の話。
私は古くからこの城にお仕えする女官にございます。前国王の時代から勤めてまいりました。今は女官長をしておりますが、昔は姫様のメイドをしておりました。
大層美しく、聡明だった姫様はこの国の為を思いその命をもって今のこの平和な国の地盤をお築きになりました。前国王の不正、汚職を暴く証拠を集めてはご自身が提供したことは伏せて革命軍へ情報を流しておられでした。あの革命が成功したのはもちろん現国王の手腕もですが、姫様のお力あってこそだと間違いなく断言できます。姫様は立派にこの国の姫君としての義務を果たしておいででした。この事実を知っていたのは私と姫様付きのメイド、革命軍の参謀で現国王の右腕と呼ばれる現宰相のみでした。
しかし、姫様があの日この世を去った後、現国王もまた姫様の活躍を知ることとなったのです。
革命の日、私どもと現宰相は姫様を遠くに逃す計画を立てておりました。騒ぎの中でならそのくらいたやすく出来ると考えていたのです。しかし、後日見つかった手記によると姫様は自分がいてはいつかまた反乱がこの国に起こってしまうのではないかと危惧され、この世を去ることを決意なさっていらっしゃいました。当日、お話しした計画の待ち合わせ部屋に姫様の姿はありませんでした。
現国王に抱かれたすでに冷たくなっていた姫様を私は一生忘れることはないでしょう。
「姫様はこの国のためにあなた方革命軍への協力をなさっていたのですよ!それだと言うのに、なぜ!なぜ姫様を…!」
姫様を抱えたまま立ち尽くす彼に詰め寄りました。驚いた様子の彼にいかに姫様が力を尽くしていたのかを半分怒鳴りながら説明しました。彼の顔からは表情が消え、ただ下唇を食いしばっておられました。そして一言掠れた声で
「すまない」
と仰ったのです。この言葉に乗せられた色は今でも脳裏にこびりついています。この方を姫様はそれはもう深く愛しておいででした。情報を流したのはこの国のためもあったでしょうが、彼の力になりたいとお考えになったからではないでしょうか。そして、彼もまた姫様を愛していらっしゃったのだと直感いたしました。
建国記念日、王は祭の挨拶を済まされた後、城から遠く離れた丘に向かわれます。そこには小さな白が広がる花畑が、そして小さな石碑が建てられています。『ここに眠る』とだけ彫られたそこには姫様が眠っていらっしゃいます。革命が終わった後、王が埋葬なさいました。小さいそれはどれだけ月日が流れても綺麗に佇んでいます。誰もこの墓のことを知りません。王の命によって私が毎月掃除をしております。本当なご自分の手でなさいたいのでしょうが、王というお立場ゆえそれは叶いません。年に一度、姫様の命日のみ王がこの墓跡の前で手を合わせることができるのです。
このことは誰にも知られてはいけない秘密。私も墓まで持っていきましょう。
とある王の話。
建国記念日、歴代の王はとある丘に向かうこととなっている。白と青が広がる花畑には二つの石碑が佇んでいる。
一つはこの国の英雄、圧政に苦しむ国民を救いその後は王となりこの国を良く治めた我が祖先のものだ。もう一つはこの国の女神のものだ。英雄を陰から支え、その結果その身を滅ぼすこととなったとだけ伝えられており詳しいことはよく分かっていない。王家には代々受け継がれてきたこの二人が描かれているとされる絵画が残されている。それを見るに二人はお互いを深く愛していたのではないかと推測される。お互いの手と手を取り合い、光に向かって歩み出そうとしている横顔は形容し難い感動を見るものに与える。
今の私の治世があるのもこのお二人あってこそだ。この平和を次代に繋げるよう私もまた努めていきたいと、目の前に広がる美しい花畑を護りたいとそう思うのだ。
con amore「愛情を持って」