lentando
elegy「哀歌」
あと少し、あと少しで全て終わる。
城の塔の最上階に位置するこの部屋からは王都を一望できる。普段ならば美しい街並みが広がる窓の外は、今は喧騒と松明の赤い炎。焦げた匂いが鼻をつく。
コツ
コツ
廊下から聞こえる規則正しい革靴がやけに大きく聞こえる。
カチャリ
扉が開く。
ああ…彼がきた。
漆黒の髪に空を突き抜けるような青い瞳、どこか作り物めいた造形の美しい顔ばせ。深い藍色の騎士服に身を包む彼の瞳は、まるで青い炎を纏っているかのように煌めいている。
初めて出会った時から彼は変わらない。
初めて出会った時から私は彼の瞳の虜だということも変わらない。
10年前、当時宰相をしていた彼の父親に連れられて王宮にやってきた少年だった彼を一目見た時、私は恋に落ちた。
彼と私は婚約した。王家と人望の厚い彼の家との縁を結ぶ為だ。政略的に必要な婚約だったけれど私は嬉しかった。
親交を深める為に何度か二人で会う機会が設けられた。私は1番可愛いドレスを着て、お気に入りの髪留めとアクセサリーをつけて彼に会いに行った。彼に少しでも「可愛い」と思われたかったの。でも彼が私に向けるのは義務的なお世辞だけ。
彼の微笑みが私に向けられたことは一度もなかった。他のご令嬢達に微笑む彼を見るたびに心が痛かった。彼女達に「彼に疎まれている哀れな王女」と影で噂されていることも知っていた。
それでも良かった。いつか、彼に微笑んでもらえるように時間をかけて努力しようと思っていたからだ。
「こんな所までお越しいただきまことにありがとうございます」
震えぬように、勤めて凛とした声を絞り出す。彼と言葉を交わすのはいつ以来かしら。
確か去年の建国祭でエスコートしていただいたとき以来かしらね。あれからまだ一年も経っていないのに今では私は憎き王家の王女、方や彼は愚王から民衆を救う英雄。
「貴女がお呼びだと伺いましたので馳せ参じました」
礼儀正しくそう言い礼をする彼のことを、この期に及んで美しいと思ってしまう自分に思わず苦笑してしまう。
「ここに貴方をお呼びしたのは、私を殺して欲しいからよ」
忙しい反乱軍の長である彼を呼び出した理由を告げる。
彼はその瞳を一瞬見開いたような気がした。
「ふふ、意外だったかしら?
まさかこの私が命乞いでもするとでもお思いになったのかしら」
「いえ…」
命乞いだなんて、そんなことするわけにはいかないのだ。この国は彼に治めて貰わねば困るのだ。その為には現(正確には元)王家の血筋を、ましてや王女を生かしておくわけにはいかない。
この国の平和を再び混乱に陥れる種を残してはならないのだ。
私には王宮の腐敗を止めることができなかった。私が気がついたときにはもうどうしようもない所まで来ていたし、仮にもっと早い段階で気がついていたとしてもただのお飾りの王女に何ができただろうか。
でも彼なら出来る。そして私は彼がこの先この国をもっとよくしてくれると確信している。
彼がクーデターを計画していると知った私は、密かにことがうまく運ぶようにと微力ながら立ち回ってきた。優秀な彼のことだから私なんかが何もしなくとも難なく乗り越えた障害だったかもしれないけれど、少しでも彼の、この国の役に立ちたかった。
だからこそ元王家の血筋は根絶やしにする。元王家を粛清した彼への民衆の支持は確固たるものとなるだろう。彼がこの先この国を支える土台を強固にする、それが今の私が王女としてこの国に貢献できる最後に残された唯一の方法なのだ。
「ここに毒薬を用意してあるわ。もし貴方が宜しければこれを飲もうと思っているのだけど…
何か要望があるなら聞くわよ」
彼の腰に下げてある剣をちらりと見る。
「…いいえ」
「そう」
ホッと息を吐く。死ぬことには変わりなくても出来ることなら苦しい想いは出来るだけしたくないし、血で汚れた姿を彼に見られるのは嫌だなと思っていたので安心した。
でも彼の剣で貫かれるのも悪くないかなとも少しは思ったけれどね。
「お願いがあるのだけど、聞いてもらえるかしら?」
「可能なことであればなんでもおっしゃってください」
ゴクリ
意を決して口にする。
「…手を握っていてもらえないかしら」
……。
沈黙が私たちの間に流れる。
「貴女がそう望むのならば」
承諾した彼は身につけていた黒い革手袋を外すと、私にその手を差し出す。
「ありがとう」
そっと彼のそれに私のものを重ねる。彼の掌には剣だこがあってゴツゴツとして、そして暖かかった。私のすっかり冷たくなってしまった手が彼の熱でじんわりと暖かく溶けていく。
ソファに移動すると、私はそばに置いておいた杯を取り、一思いに煽った。
ゴクッ
緊張からか、カラカラに乾いた喉を毒入りの酒が潤していく。
この毒を飲めば眠るように死ぬことができる。あと数分もすれば私は意識を失い、そして永遠に目覚めることもない。
そう実感した瞬間、頬に熱い何かが伝っていることに気がついた。
「あら、嫌だわ。こんなみっともない姿を見せるなんて…」
止まれ止まれと念じても、とめどとなく溢れてくる。彼に泣き顔なんて見せるつもりはなかったのに。これじゃあせっかくかっこよく退散しようと思っていたのに台無しではないか。
彼がハンカチで涙を拭ってくれる。布の隙間から垣間見えた彼の青い瞳は、見間違いかもしれないけれど珍しく揺れているように見えた。
前にこの部屋に2人できたことを彼は覚えているかしら?
数年前の建国祭の夜、私は勇気を出して彼を誘いパーティーを抜け出しここに来た。そして打ち上がる色とりどりの花火を2人で見た。彼に好かれているとは微塵も思っていなかったし、期待もしていなかったけれど彼と、好きな人と綺麗な花火を眺めてみたかったの。
夜空と街灯に照らされた王都を彩る花火はとても綺麗で、そして何よりチラチラと盗み見た、光に照らせれる彼の横顔は美しかった。彼の青い瞳に映り込む赤、黄、緑のキラキラとした光景が脳裏に焼き付いた。
「とても綺麗ですね」
そう街を見つめてほんのりと微笑み、呟いて花火と夜空を眺める彼。それはいつもキリッとして隙を見せない彼の初めての表情で、なんだか胸の奥がキュッと締め付けられて泣きたくなったのを覚えている。
「そうね。とても綺麗だわ」
心の底から美しいと思った。彼も、この王都も。
小さい頃から城の中で1番好きな場所だったこの塔の一室が、その日から世界で1番好きな場所になった。
だんだんと意識が遠のいていく。
(あぁ、私本当に死んでしまうんだわ)
かっこ悪いついでにもう一つ、これは言わないでおこうと思ってたのだけどこの際だから言ってしまおうかしら。
霞んで行く視界とそれに伴って鈍っている思考のせいにして、勢いに任せて言ってしまおう。
「あのね、私ね、貴方のことが、ずっと、好きだったわ…」
ヒュッ
彼が息を飲んだのが伝わってきた。そして私の手を握るそれにギュッと力が込められた。
彼は一体どんな顔をしているかしら?
好きでもない元婚約者、それも憎き愚王の娘である私にこんなこと言われて眉間にしわを寄せているのかしら。
あぁ、どんな表情をしていたとしても構わない。彼の顔が見たいわ。
視界がほとんどぼやけてしまって、彼がどんな表情をしているかさえもうよくわからない。
瞼を開けていることも出来なくなった。身体がとても重く、とても眠い。強烈な眠気が私を襲う。きっとこの眠りから覚めることは二度とないけれど。
「私もあなたを愛しています」
ほとんど何も考えられなくなっていた私の耳に届いたその言葉はあまりにも残酷だ。私の使い物にならなくなりつつある脳が聞かせた私に都合の良すぎる幻聴かもしれない。
現金な私は、自分の頬が緩むのを感じた。
例えその言葉が幻聴だとしても、世界で一番好きな場所でこの世界で最も愛している彼と最期をを迎えることが出来るなんて、今私は世界で一番、私の人生において最も…
「…幸せよ」
わずかに残った力を振り絞って彼の暖かい手を握り返した。
どこまでも落ちていく意識の中、頬に何か温かいものを感じたような気がした。
あぁ、神さま。どうか私にたくさんの幸せを与えてくれた彼を幸せにしてください。
lentando「だんだん緩やかに」