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歴史とDNA

騎馬民族と扶余族

作者: とびうお君

 遺伝子から読み解く歴史も佳境に入ってきたというかちと詰まってる気もする。やはりO1B2が単純に稲作と共に北上ってシナリオは一つの面しか表してない。正直北方で生まれたが一番合理的。山東省から幾らでもO2系で稲作を北上させる候補は居る。そこから担い手として地元民と混血して伝播しただけの可能性もある。だって縄文人がそうなんだから血族の移動は重要じゃない。


 前から知ってたが、これほど高い割合だった事をすっかり忘れていた。モンゴル族のダウール族のO1Bは高すぎる。かつO1Aもすごく高い。内訳は分からないがおそらく01b1が多いと思う。だが大事なのはそこじゃなくて、これが内モンゴル外モンゴルだとかなり下がる。ここに意味があるきがする。


 ダウール族が遼河人とモンゴル高原の遊牧民のちょうどぶつかる部分だと思う。漢民族の拡大のせいだが、満州地域ではあまりC2Cは高くない。しかも過去は女真系はもっと東に居た。遼河付近だけにしぼるとさらにC2Bは低くなる。


 ここの土着のC2Cと言うのはどうなのか?と思いがある。そして調べてみると、なんとこのダウール族に卵神話の原型があるそうだ。ダウールもコテコテのモンゴル部族に較べるとC2Cは高くないが、それでもやっぱりいかにも遊牧民というC2の高い比率がある。ただしこれもC2Cまでの内訳データは見てない。


 さらに歴史を調べていくと、高句麗じゃなくて、扶余王族はもっと北から来たその話が出てくる。そこがちょうど地図から見るとダウール族の居た当たりになる。そうなってくると天、神器のモンゴル高原ルートのブリヤート、スキタイの神話も絡まってくる。そもそもブリヤートとスキタイは密接な文化血統的に関係があるので、ほぼブリヤートの神器に関する神話はスキタイ神話が進化したものだと見て良い。


 天孫族はダウール族だと言えるのじゃないか?と思う。こうなると扶余が謎の言語と言うのが解けてくる。ダウールはモンゴル語系だがちと違うらしい。高句麗は単純に扶余族じゃないと思う。扶余族が支配した国の民族だと思う。これ百済と全く同じ構造で、民衆と王族の系統が違う。倭族に中国人を混ぜた韓族だから。韓国でC2Cが高いのは支配者原理の気がする。血統的にはあまり意味が無いと思う。


 高句麗がもっと扶余全体の民族像を示してると思う。ややO1系が薄いN+O2+C2Cの高いグループかと。この場合支配者原理じゃない。理由は、朝鮮と違って長期政権を保てず後継国家なしに崩壊したから。それでもちょっとC2Cが低い。扶余の北から来たってのがかなり信憑性があって、さらに扶余王族だけ異質なグループだった可能性がある。


 逆に高句麗の王族は民衆の遺伝子に近かったのじゃないか?と見てる。ただどちらにしろ神話の類似性から王族じゃなくても支配階級だと見てる。


 扶余は東湖も含めて南下した民衆グループと王族は分けたほうが良いと思う。


 基本的には稲作民族とほぼ変わらん。どうやら扶余の北のダウール族までO1系がかなり高い比率で北上したようだ。そもそもモンゴルにも薄いがそれなりに出るのでO1が混ざったN系遼河人ことさら南方系と見るのは間違ってると思う。もちろんやや異質な集団になるのは間違いないが、決定的な差になるほどじゃない。


 基本的には遼河人全体は日本人の成立に関して全く同質集団だと見て良い。大事なのはそこじゃない。天皇家の文化的背景に関わる問題になる。そこが僅かな遺伝子の違いを含めて異質だとしてる。


 さっぱり歴史が分からないのは稲作も漁労もすてたO1系は一体何を目的に北上したのか?


 モンゴルはデータによってO1Aは出たり出なかったりするが、日本ぐらいは出る。全く海洋と関係が無い民族と日本が同等ぐらい出る。特にO1Aは南方に偏っている。だからこの北上は稲作、漁労じゃ紐解けない。O1B2だけなら北方で生まれたんじゃないか?との疑問も出せるが、O1Aはありえない。O1AとO1B1の存在からやはりO1系の北上が何か合ったと見てる。


 稲作、漁労、北方民族の南下、りょうしょ文明の崩壊、そして一番可能性が高いと見てるのは夏王朝とは限らないが、南方民族が起こしたそれなりに大きな都市国家の誕生。これによる殷に繋がる青銅器文明の流れに入った。そうなると、朝鮮半島の戦争状態と繋がってくる。


 稲作=O1B2と見るのは単純すぎると見ている。いろいろと説明が付かない部分が多い。沿海州沿岸は漁労で解けるとしても他はどうだ?


 そういえば稲作を捨てて畑作にするはある。これが一番可能性が高いかもしれない。だがその場合確実に言えるのは専業化した稲作は多分捨てない。だからこそ日本にO1B2が高く出る理由に成る。それは論理的に言うと、移動時期が早かったとなる。元々漁労をセットに考えていたが、どうやらこれが、漁労抜きに内陸に進んだ可能性が高い。


 その理由は分からない。過去の稲作は捨てられる。だが、朝鮮半島で専業稲作が始まる前の生業は圧倒的に漁労なんだ。とても比重が高い。漁労を理由に稲作より先行して移動は考えられるが、畑作だけでダウール族の土地まで行ってしまうのはちょっとかんがにくい。それでも何かそういう理由があったんだろう。


 それだけ過去の稲作は魅力が無い。漁労を捨てるほどの理由は何か?山東省ですでに漁労じゃない集団と別れていた可能性がある。O1系自体が分岐してて、それが移動ルートが違ったとなる。すべてを夏王朝に求めるのはやはり苦しい。伝説の王朝は問題が無い。それに比類する都市国家があれば良い。


 歴史上の夏であったか?が歴史上の問題であって、民族の移動にとっては重要じゃない。ただすべてを青銅器に求めるのは苦しい。黄河文明に圧迫させる形で東夷狩猟採取を絡めた雑穀民が北上はありうる。


 さてここでまた神話に繋がる。実は卵生の起源南方にある可能性がある。南と北の神話の結合と言うのは日本以前にすでに弥生人のルーツでしこたまやられている。これを後世の日本人は日本で結合したと勘違いしてる可能性がある。


 女神アマテラス太陽神、天思想の結合は半島や渤海湾ですでに終えているかもしれない。秦の王族は卵と関わる神話を北からもってきたのではなく山東省ですでにあった可能性もある。これが逆に北上したのかもしれない。


 根本的には遼河南方人が稲作民で、遼河北方民が金属加工の集団だと見れる。これは集団としてはわずかな遺伝の違いしかなくて、微妙にシベリア形質が北方の方が強い可能性がある。だがそれはそんなに重要じゃなくて、畑作狩猟採取文化圏と、稲作漁労文化圏の違いかと思う。人種的にはほぼ変わらない。これが日本人最大のグループだと見てる。


 モンゴル最大のハルハ族とダウール族が近いらしい。多分そこが日本人と共通してるんだと思う。私の予想通り、北方から南下して日本人になったんじゃなくて、遼河人が東西南北に広がって間に中国人が入ってしまっただけだと思う。しかも中国の北京あたりだけなら華人と混血が分かる程度に薄れるが日本と近いグループになる。


 ここで天孫族とは何か?で扶余だとした場合その王族に限るのは意味が無いと思ってる。半島に南下するまえの遼河北方の金属文化の担い手が戦乱のキーになったと見ている。金氏に繋がる扶余支配層だけに限る必要は無い。ただそれでも最も天皇家に与えた影響が高いのは扶余支配層である可能性が高い。


 その扶余支配層は多分ダウール族だと思われる。これは2つの見方になる。広く金属加工に広げた職人集団の日本への流入なら、それは遼河北方集団の南下と見て良いが、特定の扶余支配層が深く関わったとするなら、逆に扶余族全体で見ない方が良い。実質その場合天孫族はダウール族だと言って良い。


 それだけ朝鮮半島の古代支配階層は扶余支配層に偏ってるからだ。人種的違いは無いが、父系直系が遼河地域のの一般的な人達じゃなくておそらくさらに北方の遊牧民。文化的な背景が違う。


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