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天使定額あくまサービス

作者: 空見タイガ

 天使のささめきを聞いたことがある。正確にはそれはささめきではなく鼻歌だった。さらに詳しくいえば、だぼだぼのパーカーのポケットに手をつっこんでだらだらと歩いている茶髪の女の鼻歌だった。すれちがったのは、たった一瞬だけ。でも、そもそもすれちがいなんてものは一瞬か永遠のどちらかにしかないのだ。だからこうとも言える。ぼくは天使と永遠にすれちがった。

 ぼくのもとに天使が舞い降りた。じつをいえば、みんなのところにも天使の羽に指を伸ばせる機会がめぐってきた。看板広告に、配られるチラシに、ティッシュに、ノベルティの鉛筆に、ラッピングカーに至る所に宣伝されている『天使定額~あくまでサービス~』はあらゆる違法に立ち向かうための合法な月額サービスで、定額料金で読み放題聴き放題見放題遊び放題楽しみ放題好き放題使い放題できる。この定額料金というのも各人で設定されている額が違っていて、天上の方々のお言葉によれば「貯金ができないぐらい」を目安に請求しているらしい。

 ぼくたちが明日の病気に怯えるはめになりながらも定額サービスにのめりこんだのは、入院も定額対象のラインナップに入っていたからだ。あくまで入院ができるというだけで、たとえば個室を使うには別途料金を支払う必要がある。定額サービスの動画系でもっとも盛んに配信されているドラマ『わっかは取れる』の第四シーズン最終話で天使長はこう言った。「人間はすぐに贅沢したり差を見せつけたりしようとします。しかし、このような形をとればその意図があからさまになりすぎるので、人は見栄をはらずに済みます」

 二十六歳だった。交際相手も天使が選んでくれたらと思って登録した定額サービスの婚活系で出会った女性はぼくと同い年だった。初めてのデート。定額の範囲内で素敵な一日にしたいと考えたぼくはさっそく評価欄に目を通した。これは本を読む前でも、映画を観る前でも、ゲームで遊ぶ前でも、食事を摂る前でも、服を買う前でもそうだ。どうせどれも定額で手に入るのなら、もっとも大切なのは時間に対する効果である。どれだけ効率よく充実するか。評価、評価の数、レビュー、ランキング、おすすめを見ながら、最優秀とされる定額デートプラン「映画お食事ショッピングぶらぶら夜景レストランコース」をそのまま利用する。これはふだんインドアなぼくにとってハードなスケジュールになることが予想できた。また映画のジャンルにも不安な要素がある。現在上映していてかつ定額対象の人気作品がホラー映画しかなかったのだ。公式サイトのトレーラーを見るだけで失禁しそうなのに、生きて帰れるのだろうか。

 女性はぼくより少し背が低く、細身で、顔が小さい。たいへんかわいい顔をしていたが、それもそのはずで、評価数がいちばん多く、高く、絶賛されていたところに目をつけてアプローチしたのである。声まで美しい、笑顔が自然、歯並びが良い、面白くない映画でも無難な感想を言えるなど納得の高評価といったところで、なぜ評価数が多いのかは考えないことにしていた。

 おすすめの洋食店は人でいっぱいになっていた。すみにある眺めの悪い席に座ってメニューを見る。軽くサンドイッチを食べたい気分だったが、あいにくの定額対象外。定額対象の文字をたどって、となりの値段を見る。どうせ定額ならいちばん高価な商品を選ばないと損である。ぼくと彼女はそれぞれステーキ定食を注文した。

 会話は滞りなく進んだ。定額対象の人気ドラマ、人気番組、人気ミステリー小説、人気コミック、人気スポットをぼくたちは当たり前のように共有していた。同じものを、同じ重さで語らう時間。分かち合えないものをわざわざ選んで得ようとしない日常的な戦略がまったくの赤の他人である二人をつよく結びつけた、気がした。

 デートが終わってから数日後、ぼくはふと彼女とまた会いたくなった。婚活系のページを経由して連絡を取ろうとしたところで、連絡機能が定額対象外になっていることに気づいた。調べてみると、一度会った相手とふたたび連絡を取るには別途料金が請求されるらしい。ベッドに寝転がって天井を見る。お金を、払う。確かに顔もスタイルもよかったし品もあったし話も合った。でも、ぼくには貯金がない。日々は生活費と定額サービスの支払いでいっぱいだ。ほんとうに必要なものだけに血を流さなければならない。

 部屋には定額対象の家具しかない。

 なんとなく街に出てぶらついていると、声を掛けられた。だぼだぼのパーカーを着た茶髪の女はかつて高校でぼくを見かけたことがあると言った。部活にも入らず行事や成績で目立ったこともない、すれちがっただけのぼくをどうして覚えているのか。そういうものだと彼女は言った。「同じ学年で同じ学校に通った人ってこの世で数百人しかいないんだよ。今の世界人口、知ってる? 奇跡みたいだよね」ぼくたちが再会したこともまた何かの縁だといい、食事に誘われた。駅近くのファストフード店。全品定額対象外だったが、彼女がおごってくれた。店の二階に上がり、空いている好きな席に座る。

「勧誘ならやめとけよ。ぼくには金がない」

「失礼なヤツだなあ。そんな気構えなくていいよ。あたし、こういうことよくやるし」

「こういう手口で街中で見かけたタイプの男を食事に誘いこむわけね。うんうん」

「はあ、そこから信じてないの。男も女も関係ないって。つーかあんた、べつにタイプじゃないし」

 そう言って茶髪女はチーズの入ったハンバーガーに食らいつく。安価でボリューミーと言えない商品だが、このぐらいが一番好きなのだと言う。

「お金がないってあれでしょ。定額サービス。あたしんとこの事務所でも多いんだよね。吞みに誘っても定額対象じゃないと行きたくないって言い出すヤツ。前なんかさー、聞いてよ。『今や定額でなんでも楽しめるのに、飲み会なんて無駄じゃないですか? 時間をもっと有意義に使ったほうがいいですよ』でも人と話すのも吞むのも好きなんだもん。好きなことをするなら、なんでも有意義なはずよね?」

 自分でも何が食べたいのかわからずに、とりあえず選んだポテトを食んでいると、ぬっと指が伸びてきた。

「おい、食べるなよ」

「あたしの金で買ったんだしいいじゃん。というか、あんたもハンバーガー買えばよかったのに。それじゃ足りないでしょ」

「高価なもんを頼むのもなんか悪いだろ」

「こっちが無理に誘ったからサービスしたのに、そこで気をつかわれるとややこしいって。値段なんて気にせずにほしいものを選べば良いんだよ。喜ぶことが一番のお礼になるんだから」

 女はぼくに見せびらかすようにして掴んだ二本のポテトをぱくりとのみこんだ。

 連絡先を交換して別れてからというもの、彼女から遊びに誘われるようになった。仕事が終わってやっと休めると思ったら、あらゆるところに連れ回される。先週は本屋で絵本を読まされた。「最近の絵本ってさあ、本当に綺麗で飾りたくなるものが多いんだよね。インテリアの一つというか」彼女との交際は定額対象外のものばかりだったが、お金の心配はなかった。「あたし、こう見えてもたくさん持ってるんでね」悪いなと思うぶんだけ振り回されて、帳消しになった。話も合わなくて、ひたすらに彼女の趣味に付き合わされる。「あんた、こういう音楽聴いたことないでしょ。これとこれとこれは本当に良いから。ちゃんと返してよね。で、これは……まあ返さなくていいや」だれもが知っていることを知らないくせに、だれも愛さないようなものを愛していた。「あはは、急いで来たでしょ。寝癖ついてるよ」なんでもない、どこにでもありそうな風景に、きらきらしたものを見出していた。

「この公園、いいでしょ。広いし、空気がおいしい気がするし」

「公園のすぐ外は排気だらけだ」

「よくわかんないけど、木が二酸化炭素を吸い取って酸素にしてくれるんじゃないの」

「よく分からないなら黙ってろ」

 彼女は少し黙って、くるくるとその場を回り出した。ぼくの手を取って。

「あんた、踊れる? あたし、踊れる。どこでも踊れる。平らな地面があるなら」

 回って回って回転して、あらゆるものが色になり線になりぼくたちを取り巻くように巡っている。

「生きてること以上にすてきな定額サービスはないよ!」

 請求書が届いたとき、ぼくがしたことは指折り数えることだった。その月の休日はほとんど彼女と一緒にいた。平日も、その名残のようなもので一日中がぼんやりとした幸福に包まれていた。新しく配信された定額対象のドラマや番組を観ることなく、しかし彼女から貰いうけたものに手をつけるわけでもなく、漠然と夢を見ていた。日々を、浪費してしまった。むだにお金を使ってしまった。何も為すことができなかった。『天使定額~あくまでサービス~』は少しの油断も許さない。請求書にはいつもと変わらぬ額が無機質に刻まれている。

 もう会わないでほしいと告げたとき、ぼくは彼女のためにステーキ定食を注文していた。彼女はぼくのためにサンドイッチを注文してくれた。ぼくは、サンドイッチを食べたくて仕方なかった。彼女は、きっと、仕方なく食べていた。

 いくら血を払ったら、彼女と同じ人間になれたのだろう。

「ぼくは、ぼくには、きみのような生き方はできない。自分の好きなものを、好きだからという理由で選べない。お金がないのもあるし、時間が限られているのもある。でも、それ以上に、不安になるんだ。こんなのすべてムダになるんじゃないか。無意味なんじゃないかって。自分の好きなものを自分で信じられない。だから、それだから。きみとの時間が、こわい」

 もしも彼女に泣かれたら、あるいは怒られたらぼくは涙をこらえることができただろう。

「あはは……器用なぐらい、不器用だね」

 何事もなかったかのように、彼女はステーキをすっかり平らげた。「おいしかったよ、ありがとね」俯くぼくの視界から伝票が消える。支払いを済ませて帰ろうとする背を見ようとして、振り返った彼女と目が合った。

 店内に、大きく響く声だった。

「好きだった日々を、後悔なんてしない!」

 泣いて、笑っていた。

 天使のささめきを聞いたことがある。正確にはそれはささめきではなく鼻歌だった。さらに詳しくいえば、歌詞がついていた。ひとりの部屋。定額対象の家具、の上に置かれていた借りっぱなしのCDを聴いたとき、ぼくは天使が何を歌っていたのかを知った。

 ――まずしくて悪魔の形がおなじとき、天使は二度とまみえない。

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