プロローグ:魔王に拾われた少女:前編
>>魔王エディプスの邸宅――
魔界にあって数少ない人族の少女ソフィー・ヴァイオレッタは、魔王エディプスによってニンゲン世界の神殿に捨て子として放置されているところを拾われ、魔王エディプスは義父になった。
ソフィーが住む邸宅には魔王とソフィーが住むだけで、その周囲には人族などいない。
ソフィーは男手一つで育てられたのだ。
家の周りにはオーガーやミノタウロスといった強めの魔物だらけであり、友達もベル様など魔人ばかりだ。
そんな少女が人族であることを強く意識したのは、物心がついてしばらく後、捨て子であることを知ったソフィーが義父にどうして自分を拾ったのか尋ねた時からであった。
「あぁそれはね。ソフィー。美しく育った君を食べちゃいたいからだよ。がおー」
義父は子供を怖がらせるように義父は両手を自身頭にあてライオンのポーズをとって、ソフィーを襲うよう振りをする。
「えー。私ぃ食べられちゃうのぉ?」
そんな義父にソフィーは涙目だ。
「ソフィーは人族で可愛いからね。だから頑張って可愛い娘に育つのだよ」
「えーん。食べられるのはやだぁ」
ソフィーは当時、『食べられる』の意味が物理的なものと勘違いし、ショックで何日か寝つけれなかったくらいである。
同族ではないのだからむしゃむしゃと食べられることもあるのかもしれない。
義父である魔人族の王エディプスと人族のソフィーとでは明確な種族の違いがある。端的には体力や魔力の差だ。
「そ、そうか……」
ソフィーをからかおうとしていた義父は、ソフィーに普通に嫌がられて地味にダメージを受けていた。
「でもぉ、お父さんのお嫁さんにならなってもいいよぉ~。私お父さんのお嫁さんになりたいー」
「!?」
「えへへ――」
「ありがとうソフィー。お父さんは嬉しいよ」
機嫌の良くなった義父から頭を撫でられて、その時のソフィーは一転して楽しそうに笑顔を見せた。
そういって義父に抱き着くソフィーは天真爛漫で、穢れた義父には眩しすぎた。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・
――それから月日が経ち、「食べられる」の意味が自身の純潔を、その身体を義父に捧げるという意味であることをソフィーはもう知っている。
(だけど――。お父さんになら……)
そして、それは今だ。
今日はソフィーが拾われてから15年目の誕生日の夜だ。
それまでにエディからは家を出ろと言われていた。
さもないと? さもないとどうなるのだろう? それがこれだ。
石造りの邸宅は質素である。質素ではあるが間取りは広い。両手で下から数えられる程度とはいえ、なにしろ義父は魔王なのだ。
ソフィーの眠る天蓋付きのダブルベットはその部屋が広いことで相対的に小さく見える。が、実のところそれはかなり大きい。
その大きさは1人で寝るのではなく2人で寝ることを想定しているからだろう。その染み一つないベットはソフィーのお気に入りの一つだ。
朝昼は魔界独特の柔らかな日差しも入るが、夜の時間ともなればうすら寒く感じるのは仕方がないことか。
大きな窓からは月明りも。――だがやはり、どうにも薄暗い。
そんな部屋で、ふいに月明りが遮られる気配をソフィーは感じた。
今日はずっと目が覚めている。どうにも寝られそうにない。
身体をシーツで書くし上半身を起こしたソフィーは、その気配に目を凝らした。
その気配は義父の発する妖気だ。
その妖気は夜よりも暗い混沌を纏っていたが、ソフィーにとっては慣れた、安らぎと温かみを持った色でもある。
確かに敵にとっては恐怖の対象でしかないのだろう。
だが振りまく恐怖はソフィーのためで、ソフィーを力強く守ってくれるのだ。
義父はソフィーに近づくと、ソフィーが覆っていたシーツをゆっくりと剥ぎとる。
その後は無垢なソフィーがあるだけだ。
義父はそんなソフィーを暗がりの中でゆっくりと眺める。
魔人にとって暗さなどは意に介さない。
ソフィーの黒髪黒髪は人族としても珍しい部類だ。
その黒髪は長く濡れているかのようにきらきらと輝き艶めかしい。
その瞳は黄昏よりも暗き漆黒で、その決め細かい肌は白雪がごとく、白く滑るようだ。
だが完全に身体が白いわけではなく、唇には薄い朱がさしていて可愛らしさを引き立てている。
未発達ながらも健全な身体は、殿方が触れば誰もがとろけ虜にしてしまうだろう。
ソフィーは両手を組んで胸にあて、期待した表情で義父をみつめる。
ソフィーと義父の目があった。
ソフィーの顔が羞恥で赤く染まる。
「なぁ分かっていただろう? どうして家を出なかったんだ? ソフィー」
「……」
「いつか俺は言ったよな。ソフィーを育てたのはお前を食べるためだと。はっきり言おうか? お前の身体が目当てだと。神殿で捨てられていた赤子のおまえの魔力を見て、これだと思ったんだ――」
(あッ)
エディプスはソフィーの両手首をつかむ。
そして覆いかぶさるように組み伏せる。
馬乗りのようになる義父。
ソフィーはそれに抵抗しない。
なぜなら――
(でも……)
ソフィーの瞳が潤む。
義父の雰囲気はソフィーが思っていたような、甘いモノとは違っていた。
そのときの義父はなんだか怖かった。
だが逃げようにも、逞しいソフィーに組み伏せられた状態では動くこともままならない。
ソフィーの混乱をよそに、義父はソフィーの耳元に口をよせ囁く。
「あぁソフィー。君は美しいよ。その艶めかしい黒髪も。その美しい白い肌も。魔人ですら魅了する深淵を宿す黒瞳も――。ソフィー、君は完全に俺好みに育った。育ってしまったんだ。だから、ソフィー。俺はお前のことを――」
(あぁ――、私は、私はこれからお父さんと――)
義父の低い声を聴きながら、走馬燈のように義父と過ごしていた日々をソフィーは思い出していた。
確かに義父の人並みに育てようという魔法訓練や薬草の勉強は厳しかった。
だけど、自分のために厳しくしているのだと知っていたし、うまくできれば褒めてくれた。
一緒になって喜んでくれさえもした。
戦闘の訓練では何度も死にそうになった。
けれど、それでもなんとかなったし、魔術の暴走で三日三晩昏睡状態にあったときも、眠もせずに看病してくれたこともソフィーは知っている。
あの時の悲しそうな義父の顔。
そして目を覚ましたのに気づいてぱっと明るくなった義父の顔への変化――ソフィーは忘れない。
魔人ともなれば数日寝なくても大丈夫なのだと義父は笑ったが、看病してくれる義父に素直に嬉しかった。
あの時ウサギ型に切ってくれたリンゴーとかいう果物はとても美味しかったな――
リンゴ―は妙薬で、魔力創造で作り出すいつもの食事とは違い、遠い地にあるものをわざわざ義父が採ってきたのだという。
だから――
ちょっとだけ怖かったけれど――
(だから、お父さんになら捧げてもいいのかな――)
手首を掴んだまま、耳に頬にと唇を落とす義父に、熱に駆られたようにソフィーはうわずった声をあげる。
「あぁ。お父さん……。わたし、わたし――。お父さんのことが、好き――」
だが、その言葉が決定的だったのだ。
「お父さん――」それは魔法の呪文であるかのように義父を縛りつける。
(あれ?)
ソフィーを両手首を掴んでいた義父の力はやがて弱くなり、そして手を離されてしまう。
(どうして……)
「可愛いよソフィー。ごめんね? 怖かっただろう?」
気が付くとなにか怖い感じがする義父ではなく――
そこには、いつもの厳しくも優しい義父の姿があった。
暖かい義父の手のひらがソフィーの頭をやさしく撫でる。
義父に頭を撫でられるのは気持ちが良かった。
「だが可愛いのは我が娘としてだな。俺は血も涙もない残虐な魔人だ。そして俺は魔人の中で魔王という立場でもある。ヒトに何かをしてあげれば必ず代償を払わせる。そんな執行者役だ。君を育てた代償は必ず君に支払ってもらう。そうするべきだ。なのに――、嫁のいない俺にもどうやらニンゲンの『親子の情』というものが分かってしまったらしい。なぁソフィー、俺はどうすれば良い?」
「お父さん……」
「ソフィーが子供の頃――といっても今もまだ子供だが――、雷が怖いといって一緒にこのベットで寝たことも、たかが魔獣に震えていたことも、俺は覚えている――。あぁ忘れない――。だから今はソフィーのことは娘としか思えないんだ――」
「お父さん……」
「はは――。なぁソフィー。今日は久しぶりに一緒に寝ないか? 親子なんだし、構わないだろ?」
「うん! お父さん! 大好き!」
その日、ソフィーは義父と一緒に寝て――
――しかし翌日、ソフィーは義父の家を追い出された。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・
「あははは」ベル様はそんな話を聞いて笑い転げていた。
「笑い事じゃありませんわ! 切実な問題なんです!」それにソフィーは頬を膨らませる。
「あのエディに追い出されちゃったの? あのエディに! 何もされずに?」ベル様はまだ足りないとばかりに笑い続けている。
2人がいるのはベル様の邸宅の中庭にある庭園の一つだ。
優雅なお茶会といった風情で、おしゃれな丸いテーブルの周りの椅子にベル様は腰掛けていた。
同じようにソフィーも腰掛けている。他にも椅子はあるが今は2人だけ。
テーブルには白黒の模様のテーブルクロスが敷かれ、お茶会用のポットにティーカップ。
お茶請けには雪蜂の蜜を混ぜ込んだクッキーが並べられている。
ティーカップからは暖かな紅茶のにおいが漂う。
庭園にヒトの血肉でしか育たないとされる青白いバラの花が咲き乱れ、さらに甘い匂いを漂わせていた。
ほのかに光る一面のバラは庭園を一種幻想的なものとしている。
そのベル様は7大魔王中で暴食を司る一柱で、エディプスとは同格だ。
エディプスとベル様は気が合うのか、ときどき戦闘や魔術の訓練などで一緒になり、その縁でソフィーとベル様は友達になっていた。
魔界特有の曇天の雲がソフィーの心を沈ませる。
痴態に興味津々といったベル様とは対照的だ。
「私、待っていたのに! どうしてあのまま襲ってくれないのかなお父さんは」
「ソフィーのことだからどうせ『お父さんっ』て連呼したからじゃない? さすがに引くって。それはないわー」
「連呼はしていないわよ。連呼は……、言ったかもしれないけど……」
「そこはねソフィー。『あぁ、エディー 大好き(はぁと) 』とか、耳元で囁いてあげれば一発で――」
「よし! 今からやってくる!」
「やめなさいってば。今すぐいったら逆効果だわ」
「逆効果?」
「うーん、なんていったら良いか……」
ベル様はソフィーの姿を改めて上から下まで眺めた。
ソフィーの今のいで立ちは黒龍の革レザーに白竜のマントというフルカスタムのドラゴン装備である。
極め付きに腰に履くのはミスリルのロングソードだ。希少な金属の最高峰、あのミスリルだ。
これはこれで悪くはないのだが、羅生門に棲息する蜘蛛の糸で織り合わせた純白のドレスというベル様とはやっぱり対照的であった。
ソフィーのその姿は女剣士そのもので、魅力的ではあるのだが男の気を引こうという情緒というものが欠片もない。
「その恰好じゃ、ちょっと気を引くのは無理かな」ベル様は残念なものを見るような目をしていた。
「うぅ……、でも、この装備はお父さんが仕立てててくれたものだし……」
ちなみに、身にまとうドラゴンを狩ったのは外ならぬソフィーである。
義父は、『魔界基準で』ソフィーをどこへ出しても恥ずかしくない人並みの魔術師に育てていた。
義父にとってその程度は身だしなみだ。
お父さん娘のソフィーはがんばって魔術や剣術を人並みに覚えた。
いたって『普通で一般的な』少女だと、ソフィーが疑う余地はどこにもない。
男手ひとつで育てているのだから誰も義父を止める者はいない。
「その装備を見るに、しばらくは人間界に行ってほとぼり覚ましてこいってことなんじゃないの? そりゃ、未遂とは言え娘を襲っているんだし、顔を合わせずらいんでしょ? だから追い出した」
「そう、なのかな?」
疑問符を浮かべるソフィーに、ベル様はあきれ果てる。
「ソフィーは人族なんだから、人間らしい生活とか一度してみたら? そうね……、ニンゲンの学園とか行くのが面白いかもしれない」
「そ、そうなのかな……」
ソフィーはヒトの世界に赴いた経験がほとんどない。
義父はそんなヒトの世界にわざわざ赴いて捨て子であるソフィーを拾ってきたくらいなのだ。
きっとニンゲンが大好きなのだろう。
そんな人族らしいソフィーを見たのなら、きっと義父は――
「制服着た女学生ソフィーとか、きっとエディが見たらぞっこんよ。再会したらすぐに押し倒すかも」
「そ、そうね! ニンゲンの学園とか悪くないかも……」
ぐるぐると妄想がソフィーの中で巡る。
ソフィーは押しに弱かった。
「そうねぇ……。3年くらい冷却期間を置いたらいいんじゃないかしら。ニンゲンの世界で、ニンゲンらしく女を磨けばきっと、お父さんいちころよ」
「いち殺ろ……」
ソフィーは義父を悩殺するシーンを想像する。
(悪くない、悪くないわね……)
ソフィーの姿にドギマギする義父は想像し難いが、できたのならそれは楽しいだろう。
きっとドキドキする。
「でも、ニンゲンの世界に行くにはちょっと問題があるかな?」
そんなソフィーの楽しい気持ちを吹き飛ばすように、ベル様は一点して深刻そうに語り始める。
「?? ベル様?」
ベル様は手のひらを上に向けてソフィーに両手を差し出す。
可愛らしいが、一体何のポーズだろう?
「ソフィー、貴方には決定的な問題がある」
「そ、それは!?」
「ソフィー、貴方にはお金がない」
ソフィーは後でそれは「お金ちょうだい」のポーズだと知った。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・
(私には無理かも……)
ベル様のお城の執務室で、ソフィーはベル様の仕事ぶりを見ていた。
執務室は義父の家と比較して高価な調度品が多くはあるが、基本は質素な作りだった。
その小さな体に似合わない大きな椅子に座り、真剣な表情でベル様は仕事をしている。
傍目には書類を見てハンコを押すだけの仕事のようにも見える。
だが、そのハンコを押すことで何千という魔界の住人達の命を左右することもあるのだ。
中身の良くないものはどこが悪いのかを丁寧に指摘してベル様は書類を突き返す。
やはり魔人の王というものはこういった事務方の実力も違うようだ。
「最近の魔界は平和そのものだからねぇ。流行っているのか、エディのように人族を育ってている子も多いし、こうして人族の子らと遊んでいる魔人だって多いのよ? それから異世界で息抜きしたりしてね」
人族の子らと遊んでいる魔人とはベル様自身のことだろう。
ソフィーはあいまいな笑顔を作る。
(こうして遊んでもらっている私は幸せだろうか? それとも?)
「ソフィーが来てから毎日が楽しいわ。ソフィーはなんて可愛らしい生き物なのかしら。人族の中なら相当に上位なんじゃない? こんなに綺麗なソフィーをエディのやつにくれてやるなんてほんとーに腹立たしいのだけど、本人が望むなら仕方がない」
「ご、ごめんなさい」
「謝らなくていいわよ。あぁー。私が貴方の立場だったら、エディをこうがりがり『暴食』してやるのに」
「ちょっと、ベル様でもお父さんを食べたりしないでよ」
「えぇ、分かっているわ可哀そうなソフィー。貴方には幸せになって欲しいからね。だから、私が息抜きで買ってきた異世界のご本を使って、さまざまな定番シチュエーションでエディのやつを誑かしていきましょう」
「た、誑かすって……」ソフィーは頬を赤く染める。
その様子にベル様はうまくからかうことが出来たと満足そうに頷いた。
「でも先立つものはお金よねぇ……。恵んであげても良いのだけれど、それじゃ楽しくないわよね」
そこでベル様は自身の仕事の一部をソフィーに任せようと思ったのだが、ソフィーの表情を見るにそれは無理そうだとあきらめた。
「でも、ソフィーに淫魔の真似事なんてさせられないし……」
「それはちょっと……」
ソフィーは少しだけ考えて――、その妄想を隅に追いやった。
さすがにエディー以外の男性に淫魔のようなことができるはずがない。
純潔は義父に捧げるとソフィーはあの時誓ったのだ。
「んー。じゃぁ一芝居打ちますか!」
ベル様がおもむろに立ち上がる。
「何を……」
「『さぁ、行きましょう勇者よ!』 私ことベルゼブブはちょっとヒトの世界の征服を試みるから見事救ってみせて?」
「はい?」
突然にして魔人が忌み嫌う勇者呼ばわりされたソフィーは困惑する。
(一体、ベル様は何をされるおつもりなの?)