わたしは絵本の中のお姫様なんかにはなれない
初めての投稿でどきどきです。
皆様に少しでも面白いと感じていただけたら幸いです。
まず、人と話す時、確かに一人称は「わたくし」を使っているけれど、本当は「わたし」って言いたい。だから、一人の時は「わたし」を使っている。誰かに悪口や陰口を言われたら、めそめそと泣いて悲しい気持ちになんてならない。むしろ、ものすごく腹が立って相手には倍返しの目に合わせてやりたいと思うし、実際にそうする。そもそも泣き顔を誰かに見られるなんてわたしの矜持が許さない。惨めな姿を見られるのも弱音を聞かれるのも屈辱的だ。お姫様たちみたいに王様(自分の父親)に可愛らしくおねだりもしない。欲しいものがあったら全力で自分の力で掴んでみせる。
そんなわたしの名は、トラマジパミュウ国の第一王女、メヒカ・フレット・トラマジパミュウ。自国だけでなく近隣諸国までに知れ渡る絶世の美姫。歩くだけで老若男女の問わず、いちころで落とせちゃう自他ともに認める美しい王女。それがわたしだ。
ガラスのような透明感を思わせる白い肌に、緋色が帯びた銀髪、長いまつげに縁どられたのは神秘的なアイスグレーの瞳。ふわりと色づく頬はサンゴ色で、唇は小さくて花の蕾のように愛らしいながらも、すっきりとした鼻筋がわたしの印象を引き締まらせ、気高くも迫力のある美貌の王女へと仕立てあげる。
父は国王で母はわたしが物心つく前に亡くなり、今は継母が王妃の座に就いている。その継母と父の間には五人の王子がいる。ちなみに、わたしは家族に爪弾きにされている。
まず、継母はわたしと母を蛇蝎のごとく嫌っている。家柄や財産ともに母も継母もほぼ同列だった。しかし、父が最終的に母に決めた理由が継母よりも母の方が美人だったからだそうだ。権力が大好きな継母は当時、とても悔しがっていたそうだ。わたしの母が亡くなったと知るや否や、継母はすぐさま父に取り繕って、王妃の座を今度こそ勝ち取った。実に性根たくましい。そんなことがあり、忌まわしい女の娘ということで、わたしは継母に毛嫌いされている。まったく困ったものだ。そんな器の小さな者が、わたしの国の王妃だなんて情けないやら恥ずかしいやら――。
継母の影響を受けた五人の王子たちも、これまたわたしを嫌っていた。そうなってしまった原因はわたしにもある。女の身であるわたしが剣術、馬術、帝王学、全てにおいて圧倒的な力の差で、五人の王子たちをねじ伏せてしまったのだ。男としてのプライドをずたずたに遠慮なく潰すような可愛げのない王女に対して、それは当たりも強くなることだろう。
そして、童神とも謳われ全て完璧にこなし、容姿端麗な娘を父も疎ましく思っている。答えは簡単だ。父はわたしほどの才能を全く持っていない。強いて言わせれば顔だけの男で、世に言う愚王なのだ。
父にも継母にも、それこそ弟たちにも忌み嫌われて育ってきたわたしには信条がある。
自分の身は自分で守る。
だから、わたしは鍛錬を欠かさず剣術を磨き、王族らしい所作と知識を徹底的に供えることにした。でなければわたしは王宮から消されてしまうと確信していたからだ。おかげで何でもできる万能人間で、つとめて元気で快活なわりに、狡猾な王女へとわたしはなっていった。
そんなわたしが育った国を実質治めているのが宰相だ。先ほども紹介した通り、ポンコツの父の代わりに宰相はいつも忙しそうに働いている。宰相は賢王だとわたしは思う。
あとそう、家族からは敬遠されているわたしだけれど、宮廷人や国民からの支持は絶大だ。なんせ学力も健康面も何もかも秀でているわたしへの周囲の期待は自然と高い。
そんな生活が数週間前に潰えた。理由はこれまたごくごく単純で明快。父の右腕でもあり影の国王であった宰相が亡くなり、国がまともな機能をしなくなった隙を、隣国のエンタントリニテ国に突かれて制圧されてしまったからだ。王家がどうなってしまったのかは知らない。なぜかって、それは国が制圧されてしまう数日前に、わたしはちゃっかりとエンタントリニテ国に逃亡したからだ。普通のお姫様なら、きっと家族のためにエンタントリニテ国の王家に交渉や懇願をして、国の復興などを健気に望むのだろうが、残念ながらわたしには一切その気がない。わたしは家族を見限ることにしたのだ。エンタントリニテ国の王者にわたしは会ったことがあるが、とても優秀で統括に優れた為政者だ。故に、むしろ統治してもらえてトラマジパミュウ国にはこのうえなくありがたい話だとわたしは思っている。
ちなみに、わたしが逃亡したと知られれば、ありとあらゆる人がわたしを捜索しそうなので、間違って湖に溺れてしまった哀れな王女という工作を、自国でしてきたのでばっちりだ。わたしを捜す人は現れないので心配いらない。人望があるというのも結構大変だ。
だから今日からわたしは王女じゃない。エタントリニテ国のただの国民である。
「じゃあ、君はすごい人なんだね」
撫で肩で華奢な体つきの、長めのカメリア色の髪を弄びながら、飄々とした表情を男は浮かべ、わたしにそう言った。
「ええ、そうよ」
わたしは男の言葉を肯定する。
わたしが超人的なのは事実だけど、今の話を本当に信じたのなら、ものすごく頭の悪い人ね。
ここは、エンタントリニテ国の最西端の離島、キャラット。エンタントリニテ国は横に国土が広がっている国で、本土から船で一時間もかかるところにある離島が、このキャラットなのだ。それ故に、キャラットはトラマジパミュウ国からとてつもなく遠い。しかもまるで栄えていないので、わたしの噂も流布されていない。堅く二年はここで過ごせる予定である。
「君がその気になったらできないことはないんだよね」
自称、二十六歳の男ことイキトは一つ一つわたしの言葉を確認するような聞き方をしてくる。
「そうよ。どんなことでも余裕でこなせるわ」
わたしは自信満々にイキトに答えた。
「じゃ、オレをここから出してくれないかい?」
「……は……?」
驚きのあまりわたしは木の上から落ちそうになった。しかし、そこは運動神経が抜群なわたし。木の上から落ちるようなへまをするはずがない。だから、木から落ちかけたことはどうでもいい。
平気でわたしは真昼間から無断で人の家に不法侵入をし、その家の木の上に登って果実を取り、食べてしまおうとするお行儀の悪い子だ。子と表記するのはいささか語弊があるので訂正しようと思う。わたしは今年で十六歳になった。もう大人であって子供ではない。そんなわたしは十六年も生きてきて、並みの人生を送ってきたわけではない。時には暗殺されかける、はたまた一週間も食事をろくにもらえなかったことなど日常茶飯事だ。それなりの経験は積んできた。だからと言って、この状況をすんなり呑み込めるわけじゃない。
わたしは冴え冴えとした表表情ながらも、冷静な口調でイキトに聞き返す。
「わたしが貴方を?王子が大魔王に閉じ込められているお姫様を助けるみたいに?」
「うん!よろしく?異国のお姫様?」
イキトはまるでお姫様が勇者に、悪の大魔王を倒すのをおねだりするかのように、にっこりと微笑んだ。
冗談じゃない!
とりあえず昨日はそのまま何も言わずに逃げてきてしまったけど……。なんだかこのままだと、わたしが逃げ出したみたいになるのかしら?そんなのわたしのプライドが絶対に許さない!百戦練磨のこのわたしが、あんな男のひと言に退くなんて!
昨日と同様に桃の木を素手で登って、二階の窓を軽く叩く。すると、窓が開かれ、能天気そうな顔のイキトが、寝台から上体を起こした状態で話しかけてきた。
「おー。ちゃんと来てくれたんだ!嬉しいよ!で、どうやってオレをここから出してくれるの?すっごい楽しみだなー」
流暢に言葉を並べるイキトに、わたしはにべもなく却下する。
「わたしが貴方をここから出す理由も義理もないわ。そもそもここは貴方の家でしょ?勝手に出ても平気じゃないの?」
「それは無理な相談だな。オレめちゃくちゃ体弱いから、外に出ただけで風邪ひくんだよ。だから、家族はオレを外に出したがらなくてね。それでオレはもう何年も外に出れてないんだー。だから、家族を説得するなり、オレの体の弱さをなんとかしてくれるか、あとは、まぁーなんだ。任せた!」
イキトは笑みを浮かべている。対照的にわたしは巌のような無表情でイキトを見下ろした。
何この適当な理屈……。長年の闘病生活に嫌気がさしたってだけじゃない。
「やっぱりわたしが貴方をここから連れ出す理由なんてないじゃない」
「何でもできるってオレに言ったのに、急に逃げ腰?」
イキトは蔑んだ目でわたしを見てくる。
どれだけ図々しい神経をしているのよ……。
「それとこれがどうわたしと関係しているのよ?」
「そんな細かいことは気にしないで、ね?それよりオレと喋れて結構楽しいでしょ?」
「あははっ!」と陽気に笑う彼はわたしを無性にイラっとさせる。
「そのお花畑みたいな頭だから風邪をひくんじゃないの?」
わたしは真顔でイキトに助言してあげた。これはあくまでも親切心でだ。
「根拠がない上に、それはあまりにもひどいと思うなー?」
「無駄口もいけないわね。そんなのじゃこの世の中を生き延びていけないわよ」
「オレは大丈夫だと思うけどな。それより、君の方がオレは心配だよ?そんな高飛車な態度だと人から嫌われるよ」
ふんっとわたしはイキトを鼻でせせら笑ってやった。
「普段は愛想よくやっているから大丈夫よ。こんな横暴な態度で実際、人と接していたら周りが敵だらけになるじゃない。そんなことしないわよ」
それは無能な人間がすることだ。わたしは後先を入念に思案してから行動する人間なのだ。
「人を選んで態度を変えるのか?それしんどくない?」
のほほんとしているくせに意外と核心をついてくる男だ。
「話が変わっているのだけれど……」
「やりたくないのならやらなくていいから、オレと一緒にお喋りしようよ。臥せる毎日で寂しくって、人に飢えてるんだよ。いいでしょ?頼みます、この通り!」
頭をぺこりとイキトは軽く下げる。そんなイキトにわたしはしらけた眼差しを向けた。
「誠意がまるで伝わらないわね」
呆れ返るわたしにイキトは実にどうでもいい口を開く。
「異国の姫なら、自分の父親が王様なだよね?生まれながらの王族ってどんな感じなの?やっぱり楽しい?それとも辛い?あと、攫われないように監禁とかされているの?それだけ美人だと大変そうだよねー。あ、でも君だったらいろんな人を手玉に取ってそうだから、やっぱり楽しいのか?」
人の話を全く聞かない人ね……。
矢継ぎ早の質問をわたしは華麗に無視して、平坦な声でイキトに質問を投げかけた。
「監禁されているのは貴方の方じゃないの?」
「なんだ、知っていたのか?どうやって知ったんだ?君から見たらこの部屋はきれいだから、監禁されているようには見えないのに?」
イキトは相手の油断を誘うような笑みを浮かべている。かつてわたしが身をゆだねていた宮廷の中でもよく見られていた笑みだ。しかし、その笑みを無意識に使いこなせる者は、大体食えない人間ばかりだった。
けろっと認める潔さのわりにこの男、案外食えないタイプね。
イキトの言う通り部屋はとてもきれいだった。窓際に置かれた寝台に、本棚は部屋を囲うように壁際にびっしりと並び、やや威圧感がある置き方となっている。そして、その本棚には様々な本が所狭しに並べられている。イキトは読書家なのだろう。そして、丸い小さなテーブルが一つ、用途が不明の五リットルのバケツがあるのみの簡素な部屋。毎日掃除されているのだろうということは、本棚の棚の一番上まで埃一つないことよりわかる。
わくわくとした面持ちのイキトの様子を見やりながら、わたしは判りやすい事の成り行きを口にした。
「そんなの簡単よ。ひっそりとした森の中にあったこの屋敷をわたしは見つけた。たくさんの桃の実がついているこの木は、屋敷の中で異彩を放っていたわ。だって熟れ頃なのに一つも摘果していないし、無残に桃の実はなおざりに落ちっぱなし状態だったもの。そして、その実に隠れるようにあったこの窓が目についたわ。まるでこの窓を、この部屋を外から隠すかのように、わたしには見えたわ。庭も屋敷もきれいにしているくせに、この桃の木だけ何も手を加えていないのよ。変でしょ。それが二週間も続いているのを見続けていたの。そうこうしていたら、ここに子爵夫婦以外の人がいるのがわかったわ。買い付けている肉や牛乳の量が二人分じゃないこと。定期的に医師がやって来ること。夫婦は至って元気そうなこと。監禁されている人がいるのは一目瞭然でしょ?だから、わたしはこの家の果実を摘果するついでに、監禁されている相手の顔でも拝んでみようと思って来たのよ」
まさかこんな無駄に陽気な男が監禁されているとは、夢にも思っていなかったけどね。
「なるほど。まんまとひかったのはオレかー。あははっ!君は本当にすごい人なんだな」
「どうして監禁されているの?」
イキトの性格なら直球に聞いても問題ないとわたしは考えた。わたしの予測通り、イキトは気を悪くするそぶりも見せず、朗らかに語りだした。
「ここは伯母夫婦の家なんだけど、オレの両親がオレに莫大な遺産を残してくれたらしいんだよね。それの在り処を息子であるオレが知っているんじゃないかって、疑惑で監禁されているんだ。ちなみにオレは本当に知らないよ。これ大事。オレに何かあったら金の居場所もわからなくなるから、扱いも丁重でね。それじゃなくても死にそうだからオレ。看病をしつつも部屋に閉じ込めて、オレから遺産を聞き出そうとしているんだよ。懐柔作戦てね?良くある話でしょ」
直截までの質問に、あけっぴろな物言いで受け答えるイキトの神経の図太さは本物だろう。
「つまりがめつい伯母夫婦に財産を渡すまで逃げ道なしってことね。よくある話なら、どんな形で遺産を両親が貴方に渡したのか、貴方にも本当にわかっていないのよね?」
「がめついって口悪いぞー?言ってることは正しいけどね。両親から贈られた物はくまなく調べたけど、何もなかった。そもそもオレには何も言ってなくて、伯母夫婦だけに遺産の話をしていたんだ……。オレに一言もなしって、ひどいと思わないかい?」
そんなイキトの見解、わたしには至極どうでもいい。今、気になることはただ一つ。
「貴方って本当に貧弱なの?」
イキトは苦笑しながらも答えてくれる。
「それは事実だよ」
わたしは不躾にイキトの寝台をじろじろと見て口を開いた。
「昨日は氷枕なんてしていなかったわよね?」
「……ははっ!君と張り切って喋ったから、夜に高熱が出てね。参っちゃうよ。あはは……ごほっ!けほっ!」
笑い声をあげたせいで、気管に痰でも入ったのだろう。イキトはけほけほと咳をする。わたしはイキトの背をさすってやった。
病弱なのは嘘じゃないのだろう。彼の面は昨日も今日も血色が悪く青白い。手の爪なんかも赤みがかかっておらず、紫色だ。自宅、しかも自分の部屋にいる状態で彼の様子は異常で、『百聞は一見に如かず』という言葉がまさしくぴったりと当てはまる。
「そうらしいわね。実際に監禁されて何年?」
イキトの咳が治まったあたりで、わたしは大事なことをイキトに尋ねてみる。
「三年余り」
「ふーん」
「自分から尋ねたくせに気のない返事をするね?別にいいけど――」
唇を尖らせてイキトがわたしに文句を言った折、部屋の扉がノックもなしに開かれた。そして、二人の男女が入室してきた。女はわたしを見つけるなり、不信を露わにした眼差しを向け、男の方はわたしに一瞥しただけだった。双方どちらも四十代あたりの歳だろう。高そうなものばかりに身を包んでいるが、年季が入っている。
名前は確か、奥方の方がリスぺリドン・クロガピン。旦那がオランザピン・クロガピンだったわね。
「いったいあなたは何者ですか?」
リスぺリドンは眉をこれでもかというぐらいに吊り上げて、怒りで表情を硬くした。
しょうがないわね。これも何かの縁かしら?
わたしは木の枝に立ち上がり、身軽に寝台に座っているイキトを飛び越えて、部屋の中に軽やかに飛び入る。
「ごきげんよう?」
わたしは口元にほのかな微笑みを浮かべ、スカートの裾をつつましく持ち上げて、優雅に会釈をした。流れるような所作の礼がリスペリドンの鼻についたらしく、彼女はわたしをねめつけた。
「声がするから何事かと思って来てみれば、この小娘は誰ですか、イキト!」
「落ち着きなさい。みっともないぞ」
リスぺリドンをオランザピンが叱責する。
「僭越ながら、これに残された遺産について、わたくし知っていますわよ?」
イキトを指差しながらわたしは数多くの人
々を籠絡させてきた無敵の笑みを向けた。
結局、わたしはイキトの頼みを引き受けることにした。能力のある人間はいつだってその能力を自分のためだけでなく、世のために人のため行使し続ける義務があると、わたしは思っているからだ。だからこのまま困っている(あまり深刻に困っていそうもないが……)イキトを助けることは成り行き上でも、当然のことなのだ。
ただ、したり顔で頷くイキトの顔面に肘鉄をくらわしたくなってしまうのも、人として当然の心理だと思う。
「何を……言って……」
リスぺリドンはわたしに気圧されたかのように、先程までの声の張りがない。逆にオランザピンは目を鋭く細めて警戒の色を初めて見せた。唐突に現れたわたしに驚く様子を見せず、落ち着き払った態度のオランザピンにわたしは視線を向けた。
旦那の方が交渉しやすそうね?
「教える代わりに、わたくしにお宅の桃の実を全て譲っていただきたいと思っていますの?よろしい?もちろん、後悔はさせませんわ」
「ふふっ」と愉快に笑うわたしに、イキトはぽそりとわたしにだけ聞こえる声で「おっかないなー」と呟いた。
おっかない?こんなのわたしにしては生易しい方だ。
「まるで手がかりなしなんだ。面白いではないか。聞いてみるのも一つの策だな。いかせん用立てる心配のないものを、こちらの麗しいお嬢さんはご所望のようだからな」
物わかりがいいようで助かるわ。
「叔父上の言う通りですよ。彼女は切れ者らしいので期待できますよ。なんたってオレ自身が遺産の行方を知らない以上は、第三者に助けてもらうしかないんですから?」
にたりと愉快そうに笑う彼は実に楽しげだ。この状況を完全に誰よりも楽しんでいる。
なぜか腹が立つのよね。彼の笑い方……。
わたしは極力イキトを視界に入れないようにした。
「いいわ。もし、嘘でも言ったら承知しませんからね!」
夫に言いくるめられたリスペリドンは語尾を強くして言い張った。
「構いせんわ」
優雅に余裕の表情を浮かべたわたしに、オランザピンはわたしが何を言い出すのかが楽しみな様子で口角を上げている。一方リスぺリドンは完全に、素性不明なわたしになめられないように、わざと胸をそらして虚勢を張りだす。
さっさと終わらせるのが得策のようね。
「彼に残された遺産というのは貴方たちのことですわ」
まるで意味がわからないというように、リスペリドンは顔をしかめた。
「彼は極度の病弱人間なので、彼の両親は自分たちが亡くなった時のことを考えて、莫大な財産を残すと夫妻に言って、彼を丁重に保護してもらうという計画を立てたのですわ。貴方方は彼を療養してくれるであろう大事な方々。つまり、彼の両親からしてみれば息子に贈る莫大な『生きる財産』そのもの。実際、彼には遺産の話なんてなかったようですから」
「だからオレには何も言わなかったのか。なるほど」と、神妙に頷くイキト。
「そんな嘘を、独り占めしたいばかりにでっち上げないで!」
怒り心頭に鼻息を荒くしてヒステリックな声を上げるリスぺリドン。そんな彼女にわたしはあくまでも 優しく微笑み、諭すように告げた。
「どう思うかはそちらの自由ですけど、利用されていますわよ?」
わたしの言葉にイキトが言い添えた。
「オレの両親は頭がいいからなぁ。確かにいくらお金を残したって、オレを世話する人がいないとオレは困るし、両親も心配で死ぬに死ねないなよな。こんな一生世話係のいるオレに仕えてくれそうな人なんて、相当の理由がないと現れるわけもなく、最終的に捨てられるのがオチだからな」
「まさか!でも、私たちがこの子を引き取る確証なんてないじゃないの!」
リスぺリドンは戸惑いの色を滲ませながら、激しく反発する。リスぺリドンのもっともな主張に、わたしは余裕の笑みで切り返した。
「貴方方の性格から作戦にのっかる自信がおありだったのでは?実際そうしたのではありませんか?そもそもこんな病持ちを養っていた時点で、彼の家が裕福だったのはわかりますけど、その分消費されたお金がそれこそ莫大で、一銭も残っていなかった可能性の方が大きいのでは?そして――」
間を置かずにわたしは畳み掛ける。考える隙を与えないのが交渉術の鉄則だ。
「手のかかる子供ほど、親は可愛く感じるそうですわ?まさしく彼は両親が貴方方に嘘をついてまで、守りたかった何よりもかけがいのない財産だったということでは?」
今まで黙って事の成り行きを見守っていたオランザピンがおもむろにつぶやいた。
「義兄さんたちならあり得る話だな。そうか、子供が何よりの財産というわけか――」
「そんな!まさか!嘘よ!そんなこと……。はぁ――!」
あまりの衝撃的な話にリスぺリドンは気を失い、倒れてしまった。そんな彼女を夫はかいがしく抱きとめた。
「私たちは見事に義兄さんたちの思惑通りに動かさられていたのか……。君との約束は守るよ」
自嘲気味にオランザピンは一人で笑うと、イキトの顔を見やり静か「イキト」と言い放った。
「はい」
「好きにしなさい」
それだけ言ってオランザピンは、妻を抱えてその場を去って行った。
「一件落着だ!いやー助かったよ。これでオレが監禁される理由はなくなった。何より叔父上から自由にしていいと、お許しが出たから安心だ。でも、あれ本当なの?」
「そんなのわかるはずないでしょ。自信満々に言って、そういうふうに思い込むように誘導させてみただけよ」
わたしは夫妻に使っていた言葉使いを止め、一気に砕けたしゃべり方に変えた。
「じゃあ、あれは全部……嘘?」
嘘とは、まったくこの男は本当に失礼極まりない。
「さあ?わたしはわたしが思う推測を語って聞かせただけよ?それに彼らが納得して信じたのなら、あの方々にとってそれが真実なのよ」
「あはは!すごい理屈を押し付けるな」
わたしはイキトの言葉を聞かなかったことにして、説明を続けた。
「そもそも遺産の在り処を知りたいという彼らの焦燥感が、結論を提示してくれたわたしの言葉に飛びつかせる要因となってしまったのよ。いい加減蹴りをつけたいと思っていたでしょうからね。わたしの言葉を信じやすくなっていたのよ」
「確かに三年余りは長いよなー」
他人事のようにうそぶくイキト。
「ちゃんと感謝してよね?それといつかこの貸しを返してもらいますから」
「わかっているよ」
わたしはふとこの部屋に不釣り合いなスカイブルー色のバケツに目を止めた。
この際だから一応聞いておこうかしら?
「ちなみにこのバケツは何に使うのかしら?」
「それはオレのゴミ箱だよ。吐血しても吐いても鼻水が止まらなくても、この大容量なら、余裕で入るでしょ?」
利便性にとても特化しているバケツだったようだ。そういうバケツは好ましい。
「優秀なバケツね」と、わたしはバケツを褒めた。すると、何を勘違いしたのか、イキトは「面白味のある使い方をしていると思うだろ?」と誇らしげにそう言って、嬉しそうに頬をほころばせた。
このままここにいたらろくな目に遭いそうね……。
窓辺に寄り、木を伝ってわたしは屋敷を後にしようとした。
市井ではこういう時「これにてお役御免」と言うのだったかしらね?
「ちょっと待って」
イキトに腕を掴まれてわたしは引き止められた。
「何かまだご用?」
これ以上の面倒事はご遠慮願いたいのだけど――。
「頭が切れて美人な君に、オレ――」
真剣な眼差しでわたしを見つめるイキトを見て、私は内心「またか……」と思った。
この手の告白には馴れている。でもわざわざ付き合う義理はない。恋愛感情と窮地を救ってくれた感謝を恋愛感情として混合してしまう輩が、わたしの周りにごまんといる。
彼がわたしに求婚してきたら、やんわりと断ってやろう。
「オレを弟子にしてよ!」
目をキラキラと無邪気に輝かせて言い放たれた言葉に、わたしは愕然とする。
わたしは絵本の中のお姫様みたいに、親切にしてあげた異性から、求婚されることなんて素敵なことは起こらない。
なぜなら、わたしは絵本の中のお姫様じゃないからだ。そして、こいつは普通の男性ではなかった。
「わたしが貴方を弟子に?なんで?」
この男は本当に何を言い出すのかと思えば、こちらの予想の遥か斜め上を行き過ぎて、わたしの理解の範疇を超えてくるのが得意らしい。
「オレ、君みたいなたくましい人になりたいんだ!病気ばっかりしてるから、昔から強い人に憧れてて!君なら怪物だって悪徳商人だって倒せるだろ?だから、その技をオレに伝授してほしい!」
わたしは自らの麗しい顔を歪めて、イキトを見つめた。わたしが承諾することを信じて疑わない笑みを、わたしに振りまいてくれている。いい迷惑だ。
わたしはイキトに見せつけるかのごとく、盛大なため息をついた。
わたしは絵本のお姫様みたいにはなれない。でも、これはいくらなんでもなしだと思う。
読んでくださった皆様、ありがとうございます。
元々、ヒメカの娘が登場する小説を先に書き上げ、その後、この娘の母と父の出会いを書いてみたいなという思いから、書いてみた短編小説です。
いつかヒメカの娘の話も載せれたらなと考えています。
本当にありがとうございました。