ACIDってなんだ
こと音楽。作家は他人の作品を聞くと批評家にならざるをえない。正確に言うと純粋な賞賛、世間体としての賞賛、批判。その3つのどれかだ。
ありがたいことにいろんな音楽を聞く環境に恵まれている。デモトラックを送られてくるたびにふむぅ、彼はこういう意図で作品を作ったのだなと返信をする時もなかにはある。しかしながらいい音楽は必ず世に知らしめられるとは限らない、いや限られていない現状で世界中で楽しげな、憂鬱な、退屈な音楽が今も作られている。極めて健全な世界だなぁと寝る前にタバコを一服し、送られてきたデモをプレイリストにしてBGM代わりにして聞いている。
批評家というものは作家以上におもしろいものを提示できない。自分の判断基準でもって物差しを作り、その中で判断するから当たり前である。文庫本小説の後書きで名作に出会ったことはない。後書きというのは感想文であって、批評的見地から書かれたものは極めて少ない。そりゃそうだ、売れるために後書きで読者と意識を共有するための文章なのだから下手なことを書いては作家はもとより出版社、編集者に苦い顔をされるわけである。
ことインターネットの世界では好きな事を好きなだけ書ける。かつ匿名背も相まって、FBですら、この人は本当にこの人なのだろうかというパラノイアも働いて懐疑的になる。これが実に面白い。実名性と虚構の空間で構成されているFBは一番楽しいツールだ。
と、書いたところで批評家的立場に戻ろう。僕はTB-303の音が大嫌いだ。音色の話ではなく、「使い方」これが実に嫌気がさしているのである。
ハードフロアの音に憧れてそれふうの曲で悦に浸り、シカゴハウスに憧れてクールなアシッドフレーズが延々と鳴り続け、変態性を狙ってAphex Twin的な狂ったフレーズを作ったりと、TB-303の可搬性は多種多様である。僕は303の音にまみれてテクノシーンを渡り歩いてきた。クラブイベント一夜にして303の曲が流れないテクノイベントはない。そのぐらいあのベースラインは浸透している。
しかしながらだ。今や世界を覆うインターネットのおかげで様々な情報を摂取できる時代だ。僕だって機材を買う前はYoutubeや個人ブログなどでいろいろ調べあげてから機材の購入にいたる。
ここで敢えて303の変遷を書いておこう。TB-303の音が「現代に」浸透したのは1987年にDJ PierreがリリースしたAcid Tracksに端を発する。ドラムマシンと303だけで構築されたその音源は世界中のDJ、クラバーを魅了した(なぜかは後で書きます)。その直後、Black Traxxやリッチー・ホウティンの別名義F.U.S.E. でリリースされたSubstance Abuseでアシッドテクノを確固たるものにした。その後、ヨーロッパ圏に渡りHard Floor、サイケトランスなどにも波及する。
好きか嫌いか。上記に羅列した楽曲は大好きだ。303の表情を見事に作っている。808 StateのFlow Coma を最初に聞いたときはぶっ飛ばされた。
しかしだ。いまや機材としての303クローンが大量生産され、「誰でもハードフロア」になれてしまう現状はいかがなものか。
リズムの上にウネウネしたアシッドベースを乗せて「僕の楽曲です」というのは突飛な話ではないか?
例えばピアノ。ピアノはあの音しか出ない。ピアノで作曲、リリースされた楽曲は何の抵抗もなく聴取者に受け入れられる。303はどうだろう。「あー、またこの音か」大半がそう思うであろう。楽器としてのキャパシティがあまりに狭すぎるけれども存在感でもって楽曲に反映されて主役をとっている。
で、303を使った楽曲を「アシッド○○」と呼称するが、要するにアシッド(LSD)のことである。DJ PierreのAcid Traxを作っている過程は容易に想像できる。「おい、、今おれに神がおりたよ」「曼荼羅に近づく手がかりを教えてくれた」「これ以上303の音を鳴らすな、吐き気がする」「おばぁーちゃーん」そんなところで作られたのであろう。つまりアカデミックもセオリーもコンセプチュアリズムもない、ヘドロみたいな楽曲だったはずだ。
それをたまたまクラブの爆音でかけてみたら一気に感染してしまった。そこにいる人間全てがキマっていたわけではないだろうが、とにかくぶっ飛ばされたのであろう。
その衝撃が世界中をまわり、我が日本のお茶の間に広がったわけです。「わっ、303を使えばハードフロアになれる!」「デモを送ればテクノDJがかけてくれるかもしれない」
甘っちょろい!
言葉は悪いが、そのような音源を散々聞かされてきた。酒を飲もうがタバコをバカスカ吸おうがLSDをキメ(ませんよこんな歳になって)ようが、その人が紡ぎだした303のフレーズ、パラメータの変化に興奮はしなかった。テクスチャのみの音楽。いっとき、これはもしかしたら新しい解釈なのかもしれない。と思ったことがあったが、風が吹けば吹っ飛んでいくような、テオ・ヤンセンの作品のような妖艶さがあれば別の話になるのであろうが、そうではなかった。
今の「健全な方々が作る」アシッドハウス、アシッドテクノにはLSD特有の浮遊感、異様な神経の集中力、自然環境との調合、脳みそをえぐられるような倒錯感というものが全くと言っていいほどない。
そらそうです本物のアシッドを体験したことがないから。(一概に良いことかどうかはさておき)
909の上に303を乗せました。頑張ってツマミを動かしました。渾身の一作です!どうぞ!ありゃりゃ、そこに作家と聴取者の差異が生まれ続けてしまうぞ。
あ、結局批評になってませんね。感想文でした。
追伸:TB-303クローンは人類が絶滅した後にも生産し続けるんじゃないか。