君が残した八月は涙の味がした
朝の教室は地獄だ。
「おい、真鍋樹! 今日も暗い顔してるな」
「樹君がいると教室が辛気臭くなるわね」
僕は、男子にも女子にも言葉の暴力を受けている。
「樹、何か喋れよ。うつむいてないで。人と話すときは目を見ろよ」
いつも僕を真っ先にいじめる鈴木聖人。野球部のエースで誰とでも仲良くなれる持ち主だ。日に焼けた顔に白い歯を覗かせ、僕に絡んで来る。
──消えてしまえばいい、こんな奴。
昼休み、弁当を持って男子トイレに移動した。
ここ最近、何を食べても味がしない。
あいつら、みんな消えてしまえばいいのに。
手つかずの弁当を眺めていると、自然と涙が流れた。
もう、僕の心は限界かも知れない。
やっと放課後になり、帰ろうとしていると、肩を軽く叩かれた。
「樹君、疲れてるね」
「あの⋯⋯君は?」
「クラスメイトの顔も忘れたの? 十六夜夏希だよ」
クラス替えがあってから、クラスメイトの名前なんて覚えているわけがない。それどころじゃなかった。
「まだ、クラスの人の名前覚えてないんだ。ごめん」
「気にすることないよ。私もまだみんなの顔と名前一致しないから」
夏希は、髪を手の甲で押さえ、優しく口角を上げた。
うつむいていた僕は、顔を上げた。
──綺麗だ。
一目見た感想はそれだけだ。
クラスの中でも上位に入るルックス。
どうして僕なんかに話しかけてきたのかな。
「樹君って何か特別な力がありそうだよね」
「そんなわけないよ」
「まあ、気を付けてね」
そう言うと夏希は、走って教室から出て行った。
また明日が始まる。早く夏休みに入ればいいのに。
朝になり、僕はため息を付いた。
「学校⋯⋯行きたくないな」
鈴木聖人の顔が頭に浮かんで来る。僕を最初にいじめたあいつ──消えてしまえばいいのに。
「鈴木聖人なんか消えてしまえばいいのに」
そう心から強く願った。
教室に入るといつも一番にからかってくる鈴木聖人がいない。
鈴木聖人の机もない。
朝のホームルームでも、鈴木聖人がいなくなった件についても何も話題にならない。
僕は、夏希に相談することにした。
「鈴木聖人の机がなくなって本人も登校してないんだけど、何か知らない?」
夏希は、目を丸くした。
「鈴木聖人って誰?」
「え? 野球部のエースで⋯⋯」
「そんな人クラスにいないよ。見たこともないない。樹君、ちょっと疲れてるんじゃないの?」
鈴木聖人の存在が消えてしまった?
こんな馬鹿なことがあるわけがない。
──原因は僕か?
僕が消えてしまえばいいと思ったから──いや、もしかすると鈴木聖人が消えてしまえばいいと僕が口に出したせいで彼の存在を消してしまったのか。
「樹君、すごい汗だよ。どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
「それよりもさ、樹君。八月に入ったら花火大会あるじゃない。一緒に行かない?」
「僕と?」
「樹君と行きたいんだ。連絡先交換しよ」
夏休みに入り、昼夜逆転の生活が始まった。
学校生活がないので気楽なものだ。
僕をいじめる人もいない。
そんなだらだらした日が続いたある日、買い物中にクラスメイトに出会ってしまった。鈴木聖人と仲が良かった高橋直人だ。
「樹、夏休み何してんだよ? 相変わらず辛気臭い顔してるなぁ。お前、十六夜夏希と仲いいらしいな。二人で仲良く話してるとこ見たってクラスの奴らが言ってたぜ。お前、十六夜夏希に近づくなよ。勘違いすんなよ?」
「いや、僕は十六夜さんとは⋯⋯」
「何だよ、声が小さいんだよ、はっきり言えよ!」
直人は、僕の肩を掴んだ。
「高橋直人は消えろ!」
口が反射的にそう叫んだ。
僕の前に誰もいない。
原因はやはり僕だった。消えろと言葉に出すと消えてしまう。
僕は、その場から走って逃げた。
──八月、花火大会が開催される。
夏希から花火大会の当日、連絡が来た。
『君がしたことはしかたがなかったんだ。樹君、君は悪くないよ。花火大会で会おう。家に迎えに行くね』
こんなメールが届いた。
夏希に家の場所だけ教えただけなのに、こんな意味深なメールが届いた。
やっぱり夏希は何か知っていたんだ、僕のまわりに起きた現象を。
どうして知らないふりをしていたんだろう。
夏希は、浴衣を着て僕の家の前で待っていた。
「樹君、君が口にしたことを覚えている?」
「うん、鈴木聖人が消えればいいのに。高橋は消えろ」
「その二人は、私たち二人以外の記憶から消えてる」
「どうして、そんなことが?」
「わからない」
「僕は大変なことをしてしまった」
「樹君は苦しんでいたんだよ」
「だからといって人を消したのはおかしいよ」
「樹君、君は優しいね」
「僕は優しくない、自分勝手だ。苦しさ紛れにクラスメイトを消したんだ」
花火が上がった。
「僕なんて消えろ。真鍋樹は消えればいい!」
僕は、腹の底から声を出した。
「却下します。真鍋樹も鈴木聖人も高橋直人も消えなくていい。これでみんな元通りだよ。私にはこんな力があるんだ」
夏希の手のひらから光があふれ夏の空へと消えた。花火がまた上がる。
「私も、ちょっと前から樹君と似たような力があるんだよ。樹君の反対の力だけどね」
震えが止まらなかった。
「樹君が鈴木聖人の存在を消したとき、私はやっぱりなと思ったんだ。君はだいぶまいっていたからね。だから私は君の様子を見ることにしたんだ。いざとなれば私の力でみんなを元通りにすることが可能だからね」
「そうだったんだ。あの、この力はいったい?」
「わからない。でもね、樹君に会った頃から私は見えていたものがあるんだ。黒い渦みたいなものが樹君の後ろに見えていたから」
「⋯⋯そうだったのか。ねえ、僕⋯⋯僕は、みんなを消してしまった償いをしなくちゃいけない」
「樹君、償いよりも私と一緒に友達作ろう?」
花火がいっせいに上がり、涙がこぼれ落ちた。
夏休みが終わり、僕と夏希は鈴木聖人と高橋直人に話かけた。
「樹、話せば面白いじゃん。どうして話さなかったんだよ。もっと話そうぜ」
言葉があふれ出す。
夏の終わり、僕と夏希には力がなくなった。それはなんだったのかわからない。
神様がくれた力なのかも知れない。
──八月の花火は涙の味がした。




