攻略対象とかよく知らないけど多分全員抱いてる。
王都中心部に位置する貴族の貴族による貴族のための学び舎、ロイヤルセレブリティ学園。王族をはじめとしたやんごとなき血筋の令息令嬢たちが集うこの学園にて、春の陽気に花も綻びはじめたこの日、卒業生たちを祝うパーティーが開かれた。
場所は豪華絢爛な装飾が施された学園の大広間、何事も無ければなごやかに終わるはずの会で事件は起こる。
「今日このときをもって、僕は君との婚約を破棄する」
人垣の割れたホールの中心には三人の生徒が立っていた。次期国王たる俊英の王太子エドワード、その婚約者でもある聡明な公爵令嬢エリザベス、生まれ育ちは平民の可憐な男爵令嬢アン。彼らの関係性は娯楽に飢えた生徒たちにとって恰好の的で、王族の不貞、嫉妬に駆られるご令嬢、王子を誑かした平民の子と、多くのゴシップが学内では飛び交っていた。そこに爆弾が投げ込まれたのだ。
エドワードの宣言によって水を打ったかのように静まり返った広間は、事の重大さが認識されるにつれ騒がしさを増していく。大観衆の前での婚約破棄に対して反応は様々で、ついにかと納得を見せる者も、そんなまさかと焦りを隠せない者もいる。祝いの席での突然の暴挙に教員たちが事態の収拾を図ろうにも、生徒相手といえど王室に連なる彼をどうこうすることはできず、成り行きを見守ることしか許されない。
「それは……本気と捉えてよろしいのでしょうか?」
「そうだ。幼い頃より将来の王妃としての研鑽を重ねてきた君には申し訳ないが、撤回はしない」
「ホントですかエドワードさまぁ!」
エドワードの隣に侍るアンは甘ったるく媚を含んだ声で彼の名を呼ぶ。かろうじて肉体的接触のないギリギリのラインを保っているものの、会場の人間からは非難や侮蔑のこもった視線を向けられており、おおよそ歓迎されてはいない。
しかし当の本人はそれを歯牙にもかけない様子で、大きく丸い瞳をうるうるとさせてエドワードを見つめている。その目には確かな歓喜が宿っていた。
「ホントにホントなんですよねっ? あたし嬉しいですっ! 政略結婚じゃなくってぇ、ちゃんと好きな人と結婚したいって思えたんですね!」
「ああ、アンの言う通りだ。僕は『真実の愛』を見つけたんだよ、エリザベス」
真っ直ぐに自らの意志を貫かんとするエドワードの眼差しに、耐えきれないとばかりにエリザベスは顔を伏せた。常日頃から王太子の婚約者として気を張り、皆の手本となるような貴人として振舞っていた彼女しか知らない生徒たちにとって、ただの少女然としたか弱い姿はひどく痛々しく見える。ホールに広がる小さな話し声たちはエリザベスに同情、あるいは擁護するような論調のものだったが、前に出てエリザベスを直接庇い立てするような者は誰もいない。
観衆の様子を気にも留めず、エドワードは自らの心の内を語り始めた。
「僕は幼いころから周囲の期待を背負い、この国を繁栄させる偉大な王となるために育った。エリザベス、君と初めて出会ったのは十年前、王城の庭園で開かれたお茶会だったね。あのときから僕の婚約者は変わらず君で、王となった僕を隣で支えてくれるのは君しかいないと思っていた。いや、思い込んでいた」
だけど、と言葉を切り、横にいるアンの顔を見つめる。期待の色を隠しもしないアンは、こくりと控えめに頷き、それを見たエドワードは笑みをこぼした。
「……アンと出会って、彼女は僕にいろんなことを教えてくれた。彼女の考え方や常識は僕にとって新鮮で、いかに自分が狭い世界で生きていたのかを知ったよ。そうしてある日アンが言ったんだ、『何にも縛られることはありません。好きなことをして、好きなものを食べて、好きな人と結ばれることの何がいけないんですか』って」
「エドワード様……」
あまりにも優しく、愛おしげにエドワードが話しているものだから、エリザベスは思わず顔をあげて正面から彼を見据える形になった。僅かに震えた声でその名を呼び、体の前で組んだ手をぐっと強く握りしめて、深く呼吸をする。瞬きの次には覚悟を決めた彼女の姿があった。
「エリザベス、君は素晴らしい女性だ。王の配偶者に足る知性と教養、何よりそこに至るまでの血の滲むような努力。尊敬しているよ。でもそれだけなんだ。心から愛することは生涯できない。勝手な我が儘なのはわかってるけど、僕は僕の愛する人と共に人生を歩んでいきたいんだ」
「……承知しましたわ。エドワード王太子殿下との婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「すまない。そしてありがとうエリザベス、君の王家への献身は忘れない」
ざわり、と再び動揺が走る。婚約破棄が受け入れられたことへの驚きと、王太子の次なる婚約者への不安。エドワードの『真実の愛』といった言もあり、エリザベスが退いた後釜を狙わんと瞳をぎらつかせる者は少ない。ただ、学生たちの祝賀会でしかなかったこの卒業パーティーが今後の貴族たちの権力闘争に波紋を広げることは決定事項であり、王室とエリザベスの生家が思わぬ形で打撃を受けたことに違いはない。
混沌とした会場でひとり笑みを浮かべるアンはエドワードの次のセリフを待ちきれない様子で、エリザベスはすんでのところで溜め息を押しとどめた。エドワードはもはや思いの丈を止めておくことができないのか、エリザベスへの感謝もそこそこに言葉を続ける。
「皆、聴いてくれ! この僕、王太子エドワードが愛するのはこの世でただ一人であり、その者をおいて他を伴侶に望むことはない! 僕が愛しているのは――――――!」
そのとき、大広間の扉がおもむろに音を立てて開かれた。
場内は静まり返り、会場中の視線が音の出所に殺到する。観音開きの扉の向こう側に見えるひとつの人影は、それに満足したかのように長い脚をゆったりと動かして、先ほどまで異様な熱の籠っていたホールによどみない靴音を響かせた。
コツ、コツ、コツ。ブーツの踵が床を叩き、首元で一つに纏められた長髪が合わせて揺れる。紳士然としたフロックコートとトラウザーズが淑女らしいドレスのパーツと違和感なく混じりあった、着る人間を極々選ぶだろう異彩を放つ華やかな装いが、その人物の魅力をこの上なく引き出している。
コツリ。
人の波を割り、足音は騒動の中心にいた三人を目前にして止まった。
「遅れてすまないね。学園長代理として参上した、ジーン・ジャルジェだ。これはいったい何の騒ぎだい?」
一瞬の空白の後、黄色い悲鳴。
その音圧にびりびりと空気が震え、建物自体も揺れている。学園の敷地外まで届くほどの歓声は、この舞台の主役が完全に立ち代わったことを如実に表していた。
「ジーン様、いらしたのね!」
「麗しの貴公子、社交界の華!」
「あーんステキ~!」
「ジャルジェ先輩だ、去年卒業したはずじゃ……」
「いや、学園長代理と仰ってるぞ。お父上の代役で来たんだろう」
「もう学園の仕事を任されているのか? さすが先輩だな」
生徒も教職員も、王太子たちも例外なく、突如として現れた麗人に注目している。唯一わけがわからず目を白黒させているのは、今年度編入してきたばかりで、昨年までの学園の事情など知るよしもないアンのみである。
周囲の会話を盗み聞く限りでは、目の前のジーンという男か女かも判別しがたい人物は、このロイヤルセレブリティ学園の最高権力者である学園長の子供で、卒業したというのに未だ根強い人気を誇るという。アンにしてみればとんだ伏兵、想定外の闖入者であった。
(な、なによコイツ~~~!? こんなの悪役令嬢モノによくある『理不尽な婚約破棄に悲しむ悪役令嬢を横からかっさらって溺愛するイケメン』じゃない! せっかく『イジメをでっち上げて冤罪をかける』っていうテンプレ断罪ルートを回避して、普通に会話コミュだけでエドワードを攻略したのに~~~! このまま『ざまあ』でバッドエンドだけは絶対にイヤ!)
そう、アンはこれまたよくある『乙女ゲームのヒロインに成り代わった転生者』なのだ。しかしテンプレ断罪劇からのざまあ展開は本人の望むところではなく、ならばと彼女は真正面からイケメン王子を攻略しにかかり、ここまで漕ぎつけたのだった。
アンの苦悩はいざ知らず、エドワードはジーンの問いに堂々と答えた。
「この場をお借りしてエリザベスに婚約破棄を申し入れ、承諾してもらいました。もう僕は自分の気持ちに嘘をつけない」
「せっかくの卒業祝いに何してるんだか……エリザベス嬢はそれでいいのかい?」
「は、はい。エドワード様、いいえ、エドワード殿下のご意思は固く、わたくしもそれを尊重すべきと考えましたので」
「そうか……キミは昔から変わらないね。キミみたいな優しくて素敵な女の子、私だったら手放したりなんかしないのに」
「あ……」
そう言って柔らかな笑みを浮かべたジーンは、遠慮がちに首肯したエリザベスの頬に手を添えて、彼女の顔にはらりと落ちてきた前髪を耳にかけてやった。ジーンの突然の登場にわずかに動揺を見せたエリザベスも、自分を壊れ物のように扱う指先に顔を薔薇色に染め上げ、切なげに目を伏せる。
(ダメだ~~~! 絵になる美男美女、あるいは美女美女かもしれないけど、ヒーローとヒロインがセットになって完璧に向こうが主人公サイドになった! 婚約破棄モノの展開としては比較的穏便だけど、向こうからしたら恥かかされたことには変わりないし……ああもう、卒業パーティーなんか出ずに大人しくしてりゃよかった! せめてこれ以上刺激しないように……って、何やってんのよエドワード!?)
荒ぶる胸中を貼り付けた笑顔でなんとか抑え込むアンだったが、その後のエドワードの思わぬ行動に冷や汗がこめかみを伝った。彼はエリザベスに触れるジーンの腕を掴み、二人の間に割って入っていったのだ。お互いの鼻先が触れ合うかどうかといった距離まで詰めてきたエドワードに対して、ジーンは小首を傾げているが余裕綽々といった態度で、機嫌を損ねたようには見えない。
客観的に見れば、自らが婚約破棄を宣言した相手にすら悋気を起こし、その相手といい雰囲気だった男に威嚇している構図となる。今更になってエリザベスが惜しくなったか、とうっかり喉まで出かかったが、どうにも様子がおかしいことに気がついた。
エドワードの白い肌がじわじわと、例えるならばついさっきまでのエリザベスのように、色づき始めている。今度は別の意味の冷や汗が背中に流れた。
「どうしたんです殿下? ほら、言いたいことがあるならちゃんと言ってくれなきゃ」
「っ、あの、だな。ええっと、ジーン……僕は、そのっ……」
今までの昂然とした様はどこへやったのか、舌を縺れさせ、顔を真っ赤にして恥じ入る姿はまさしく恋する乙女。しっかりとジーンの腕を掴んでいたはずの右手も、いまや弱々しく縋っていると形容した方がよい。
見たこともないエドワードのいじらしい様子に、アンは笑顔のまま硬直した。そうして自分の立ち位置を理解し、やってられるかと一歩下がるが早いか、エドワードの目線がアンの元へと向けられていた。
「そう、友人ができたんだ! 彼女はアンといって、平民のことをよく知っていて……僕のことを応援してくれているんだ」
やはりか、とアンは頭を抱えた。最初からエドワードの中でアンはただの友人でしかなかったのである。
『真実の愛』に婚約破棄の騒ぎ、応援といった言葉からして、友人は友人でも『自分の叶わぬ恋心を見抜き、背中を押して勇気づけてくれた友人』ということになる。調子に乗って浮かれていた自分を心の中で罵る一方、今までアンに向けられていた貴族たちからの冷たい視線は一転して、信頼と尊敬の籠ったものとなっていた。エドワードの初心で可愛らしい反応と、ジーンの圧倒的な人気がこの一年間の醜聞を美談へと早変わりさせたのだ。
もちろん、それを面白く思わない者もいる。
「ええ、ええ。エドワード殿下はアン様に『真実の愛』とやらを教わったのですものね。それはもう手取り足取り色々と」
「はあっ!? それは違うぞエリザベス! 誤解を招くような言い方はよしてくれ!」
「どう誤解するというのかしら、わたくしには見当もつきません。ほら、愛するお相手のためにわたくしとの婚約をこんな大勢の前で破棄したのでしょう? 殿下はジーン様に近づき過ぎです。それこそお相手の方に誤解されてしまいますわ」
そう、エリザベスだ。もともとエリザベスはジーンと旧知の仲であり、恋愛的な意味で好意を持っていたのである。しかし王太子との婚約が決まってしまったこともあり気持ちに蓋をしていたのだが、先のエドワードからの婚約破棄とジーンの登場ですべてを悟った。
前々からエドワードがジーンに向けていた感情を薄っすらと察していた彼女だが、今この場でそれは決定的となった。故にこうして攻勢に打って出たのだ。仮にも自分に蔑ろにした男が、自分の意中の人間に言い寄る様を間近にしていて面白いわけがない。
エドワードの陰からするりと抜け出したエリザベスは、ジーンの横を陣取った。そうしていまだジーンの腕に置かれたままのお邪魔虫の手を払い落とすと、そのまま慣れた風な上目遣いで隣の顔を伺う。
「ねえジーン様、わたくし婚約者に捨てられてしまって、エスコートしてくれる殿方がおりませんの。よろしければ腕を貸してくださらない?」
「それはそれは苦労されていますね。私でよければいくらでも。けれど、才色兼備と名高いエリザベス嬢なら今すぐにでも良縁が舞い込むんじゃないかい? そうなると私はお役御免かな」
「傷物のわたくしを嫁に迎える方などいませんわ。ジーン様は来期から学園長に就任なされると聞きます。きっとお忙しくなるでしょうから、わたくしを秘書としてお隣に置いてくださいまし。能力は優秀だと自負してますし、家のほうも弟がいますから何も心配ありません。優良物件ですわよ?」
ジーンから差し出された腕に自分の腕を絡ませて、エリザベスは見せつけるようにしな垂れかかった。これまで生徒たちに見せてきた品行方正な振る舞いとはかけ離れた姿に広間に何度目かのざわめきが広がる。思い人に密着し、積極的なアピールを仕掛けるエリザベスにエドワードは眉根を寄せて、エリザベスもまた勝ち誇るように目を細めた。
一触即発の空気が漂う中、婚約者同士が恋敵同士に変貌する引き金を引いた自覚のあるアンは、少々の罪悪感とともにホールの中央からじりじりと後退した。ざまあ展開の可能性が薄くなった以上アンが恐れるのはバチバチ三角関係の飛び火のみである。三十六計逃げるに如かず。どうにか沙汰を治めてくれと教職員からの懇願するような目を無視している間にも、王太子殿下と公爵令嬢の仁義なき戦いは続く。
「ジーンの秘書……!? エリザベス、さっき言ったように君は素晴らしい女性だ。国内のみならず周辺国からも声がかかるかもしれない。第一、公爵夫妻と何の相談もせずにというのは……」
「殿下も冗談を仰られますのね。今回の件は陛下もご存じだったのかしら? ああ失敬、殿下はジーン様がパーティーに参加する旨もわたくし達に伝え忘れておりましたもの。陛下へ事前に説明なさるのをうっかりお忘れしていたとて仕方ありませんわ」
「……そう言われてしまうと耳が痛い。でも悪気はなかったんだ。ジーンが来るとなれば皆浮足立って別れを惜しむどころじゃないだろう、今の君のように」
「あら、不意を打つつもりではありましたでしょう。最初は気を違えたかと思いましたが、横槍を許さぬ仕掛けだったのでしたら納得はできます。もっとも、肝心なところで及び腰になっては意味もありませんが」
「功を焦って軽率に動くよりはよっぽど賢いと思うよ」
次代の王国の顔、お似合いのロイヤルカップルとも呼ばれていた二人の面影はどこへやら。今や彼らの間にある言葉はロイヤルでもエレガントでもセレブリティでもなく、ひたすらに牽制と嫌味の応酬。ある意味では二人の世界である。渦中のジーンは微笑と共に見守っていて諌める様子は一切ない。
このまま背景に徹して素知らぬふりで帰ってやろう――――アンが一歩一歩と後ずさり、そしてくるりと反転したそのとき。
「ああ、そこのかわいいお嬢さん。たしかアンだったね」
(あたしに話しかけるなスケコマシ~!)
限りなく最悪に近い一手が打たれる。ついさっきまで聞こえていた口論もぴたりと止み、会場の視線を独り占めにしたアンは、錆びたブリキのおもちゃのようにぎこちない動きで振り向き、笑顔を引き攣らせた。射殺さんばかりの視線が痛い。エリザベスはともかくエドワードも何故そんな目でこっちを見ている、仮にも友達だったんじゃないか。
しかし悲しいかな、主人公とは得てしてトラブルに巻き込まれるものなのである。
※このあとメチャクチャ『おもしれー女』認定された。
他の攻略対象&攻略対象の婚約者もメス堕ち済みと知ったアンの明日はどっちだ!




