第12話 極限(2)
シェリの心の中で何かが揺れた。血管が、細胞が狂喜するかのように脈動する。
脳天まで貫くような脚の痛みは、いつしか鳴りを潜めていた。
――変わる。
少女は負傷の重みなど微塵も感じさせない、流麗な足取りで岩陰から歩み出た。
雑念という不純物は削ぎ落とされ、研ぎ澄まされた身体感覚が極限まで冴え渡っていくのを肌身で実感する。再び異形のスライムと対峙したシェリは、あろうことか手にした刃を捨て、その場にただ静かに立ち尽くした。
「いつでもどうぞ」
「な、何をやっとるんじゃ!」
シェリのあまりの行動を前に、先ほどまで寛いでいたアムールの顔には、焦燥が写っていた。
しかし、そんなアムールの声など届いてないかのように、シェリの視線はスライムを見据えていた。
張り詰めた空気の中、緊張を切り裂くように水の刃が放たれた。
空を切り裂くように飛来する水の刃。その真っ只中にありながら、シェリの心は凪のように静まり返っていた。
少女は動じることなく、最小限の動きで一つ、また一つといなしていく。放たれる斬撃はどれも紙一重のところで狙いを外れ、少女の白い肌をわずかに掠め、空を裂く風の音だけを残して背後へと消えていった。
(まだ......まだだ......)
その後もシェリは反撃するそぶりも見せず、黙々と躱していく。やがて、スライムは少女に水の刃は通じないということを理解したのか、放つことをやめ、再び体の中で水流を構築していった。
同時にそれは、水の槍を放つという合図にもなった。
「来る!」
シェリの掛け声と同時に水の槍は空間を貫く勢いで放たれた。見てからの回避は不可能。
シェリはありったけの決意を脚に込め、身をかわす。
しかし、遅かった。
落ち行く日に照らされた、槍は少女の掌を無残にも貫いていた。
貫かれた少女の掌からは鮮血があふれ出し、槍の雫と共に滴り落ちていった。
「くぅぅ......!」
シェリの表情が、耐えがたい苦悶に歪む。痛みは呼応し、身体全身を駆け巡っていった。先ほどとは決定的に違う異変が、内側から彼女を蝕み始める。刺突箇所を起点として、血管の走行をなぞるように、細く鋭い水の枝が体内へと根を張っていくのが分かった。
自身の体液が、生命の奔流たる血液とともに、その水脈へと強引に引きずり出されていく。内側から乾き、命が急速に削り取られていく感覚に、シェリの意識は白濁し始めた。
「も、もう限界じゃ......! 特訓は中――」
「これを待っていたんですよ!」
アムールの叫びに覆いかぶさるようにシェリの声をあげる。
先ほどまでとは違い、その顔には笑みが浮かんでいた。シェリがゆっくりと水の槍を握りしめる。
青白くなっている手の甲には欠陥が浮き出ており、『絶対に放さない』という決意がにじみ出ているようだった。
「血液には微量な魔力が含まれてることを知ってますよね?」
「そりゃあ知っとるが......」
「体内にある魔力を操作することは至難の業かもしれない......。けど! 一度体外に出たなら話は別です。」
シェリの手の周りに白い霧のようなものが漂い始める。
やがて、白い霧は掌から水の槍を伝い、スライムを囲むほど広がっていった。
「こ、これはまさか!」
シェリは、驚愕に目を見開くアムールの表情を視界の端で捉えると、口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「銀世界の静寂を。永久に眠る万物を凍土へと誘え。」
「――アイスグランス!」
詠唱の終わりとともに、立ち込めた白霧が牙を剥く極寒の冷気へと変貌した。それは放たれた矢の如き速さで槍を伝い、スライムの全身を侵食していく。
回避も、あるいは逃走すらも許さぬ一瞬の出来事であった。蠢いていた粘体は、抗う術もなく静謐な氷の彫刻へと成り果てた。
しかし、その反動は大きく、スライムの一部が入っていたシェリの腕すらも白銀の結晶へと変えてしまったのだった。
やがて、冷気が収まり、辺りには心地のよい涼しさだけが残っていた。
シェリが貫いていた氷の柱をへし折り、冷たく凍った腕を掲げる。
「私の勝ち」
少女の頬は喜色に染まり、西日に照らされ輝いていた。
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