第12話 極限(1)
大地を踏みしめ、叩くように蹴りだす。その動きに呼応し、透き通った核の奥で不気味な水流がうごめき始めた。先程と同様に水の刃を飛ばしてくると予想した私は、全身の感覚を研ぎ澄ませた。
いつでも回避が行えるように、地を這うような低い姿勢のまま、標的との距離をじりじりと詰めていった。
気が付けば、振れば当たるほどの間合いまで近づいていた。スライムは臨戦態勢を取ってはいるものの、攻撃をしてくるそぶりを見せない。その様相を前に、シェリの中では一つの疑問が渦巻き始めていた。
先程食らいかけた水の刃は、見たところ中・遠距離で効果を発揮する技であると予測していた。
知能がなく本能で動くスライムなら、既に打ってきていてもおかしくはない。
「――ッこの距離なら......!」
シェリは心の中の不安を振り払うかのように、スライムの身体に向けて、短剣を左下から振り上げた。
刹那、スライムの身体が大きく膨張した。
「――わ!?」
予想にもしていなかった行動を前に、身体が硬直し、態勢を崩す。
シェリの放った渾身の斬撃は、スライムの表皮を掠るように当たり、そのまま空を切ってしまった。
「しまっ――」
乱れた態勢を整えようと、腰をねじるように回し、地を蹴るように左足を力強く踏み出す。
そのままの勢いで再び、身体をスライムの方へと向けようとした時だった。
小さく弾けるような音が木霊する。
右足に鈍い痛みが走り、鋭利な針で貫かれたかのような感覚が足全体を波及していった。
「へ――?」
痛みの正体を探るべく視線を落とす。
視界に飛び込んできたのは、まるで毒々しい染料をぶちまけたように、どす黒く赤に染まった水の槍。
それがシェリの太ももを無残に貫通していた。揺らめく水の中には、砕かれた骨の破片と思わしき白い欠片が漂っている。
「くぅ......ぅ!」
脳が今になって理解したのか、遅れて嗚咽が漏れる。
自覚をすればするほど痛み鋭く、牙を剥き、嗚咽が止まらなかった。
痛みが形を変え、底冷えするような恐怖となって全身の血管を駆け巡る。シェリはそれを無理やり抑え込むように深く、長く息を吸い込んだ。肺を満たす冷たい空気が、わずかに混濁した意識を繋ぎ止める。
震える視線で太ももに刺さった槍をたどると、スライムの身体へと繋がっていた。
(こんな攻撃があったなんて......)
水の槍はただ刺さっているだけではなかった。その水流に触れた端から、本来止まるはずの血が固まることを拒み、意志を持ったかのように絶え間なく体外へと引きずり出されていく。傷口からどくどくと溢れ出す鮮血は、水の槍を赤く染め上げながら、無慈悲に地面を濡らしていった。
苦悶するシェリを前に、スライムはとどめを刺さんとばかりに再びうごめき始めていた。
(まずい......次の攻撃が来る!)
シェリが右手に握りしめた短剣を槍に向かって振り下ろし、槍を切り裂く。飛沫を上げ切断された水の槍は、再び結合することなく飛散していった。どうやら、一度身体から離れた水分は操作できないようだ。
体の一部を切断されたスライムは声こそ上げないものの、悶える様にその艶やかな体を震わせていた。
――反撃がくる!
そう予感したシェリは態勢を立て直すべく、近くにある大きな岩の後ろに滑り込むようにして隠れた。
やけっぱちの全方位攻撃のようなものが飛んでくることを危惧下が、幸いなことにスライムからの応答はなかった。
シェリは一度、肺に溜まった熱を吐き出すように深く安堵の息を漏らした。しかし、その瞳から険しさが消えることはない。彼女は岩の陰に身を潜めながら、獲物を探るように、あるいは次に繰り出される異能を警戒するように、スライムの微かな蠢きをじっと注視した。
体積は先程に比べ、少女が切り裂いた分小さくなっていた。細部までよく回しても、人間でいう心臓のようなものは存在せず、百パーセント水分で出来ている。しかも、感情のようなものは見受けられず、本能的......もしくは、何かに反応して攻撃してきている様子であった。
つまり、物理攻撃での突破は現状不可能に近い。もし、シェリが百戦錬磨の剣豪ならば可能かもしれない。だが、シェリは一国の王女であり、剣術もこっそり兄様に教わっていただけで、スライムを切り刻むほどの腕前はないのだ。
(ここから勝てる道筋が全く見えないのだけれど......)
ほぼ敗北に等しい状況に思わずため息を吐く。それは、この状況だけでなく、自分自身にも向けられたものだった。ここまで、たどり着く過程で数えきれないほどの無力を噛み締めてきた。だが、噛み締めるだけだった。アムールと出会ってからも、改善の余地は見られず、それどころか彼に頼り切り、あまつさえ甘える様になってしまっていた。
――何も変われていない。
――変わろうとしていない。
――お母様を助けられなかったあの日から。
魔法をあきらめたあの時から。
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