表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/25

第2話:紅い舌と白い酒

(……また面倒に巻き込まれてる)


朝から洗濯物の中に潜んでいた「生乾きの赤痕」に気付き、

同室の下女の食器から微かに「土気の匂い」を嗅ぎ取り、

そして今──ユウは、酒宴の最中に、急遽呼び出された。


 


「舌が……舌が、真っ赤に……っ」


絹の帳をかき分けて飛び込んだ先、

ひとりの妃が、口を開けて、泣きそうな顔をしていた。


小さな舌は、まるで染料に漬けたかのように、どす黒い紅に染まっている。


「毒です! 誰かが毒を盛ったんです!」


騒然とする部屋。

集まっていたのは五人の妃と、酒を注いでいた宦官数名。

食膳の中身はほとんど手がついておらず、皆が固唾を飲んで妃の舌を見守っていた。

 


「動悸なし、顔色良好、嘔吐・下痢なし……呼吸も正常」


ユウは、脈を取りながら呟く。

毒なら真っ先に見られる症状が、どれもない。


だが舌は確かに紅く染まっていた。


「……何か召し上がりましたか?」


「白酒を……皆で乾杯を……」


傍らの杯には、半分だけ残った白い酒。


ユウは手に取って香りをかいだ。


(……甘い。梨の花と……杏仁? どこか、鉱物のような匂いも混じってる)


白酒に異臭はない。色も問題なし。毒なら、こんなに堂々とはしていない。


「ほかに誰か飲んだ方は?」


「私も……」「わたくしも……」


他の妃たちも、口をつけていたという。


(でも、舌が染まったのは一人だけ──なぜ?)


ユウは杯を慎重に傾けた。


底に、何かが沈んでいる。


「……これは」


小さな粒。それは透明で、指先に取ると、すっと消えた。


「氷……?」

 


(白酒に氷? 夏でもないのに?)


違和感が、ユウの脳裏に引っかかった。


この国の上流階級では、夏になると氷室から氷を運ばせ、冷たい菓や酒を楽しむ習慣がある。


だが今はまだ春。

氷は貴重品のはずだ。まして、酒に仕込む理由があるだろうか?


ユウは、器の外を指でなぞった。


(冷えていた形跡は……ない。ではこれは、見せかけの氷?)


氷のふりをした何か?


──そのとき、別の妃が口を開いた。


「そういえば、氷を運んできたのは珍しい宦官でした。見かけない顔で……」




「紅い舌の原因、判明しました」


ユウは、そう告げた。


「毒ではありません。ただの“色素”です」


「色素……?」


「白酒に沈んでいた“偽氷”は、ある植物の根を乾燥させて作った塊です。

水に溶けると、濃い紅の色素を放つ。毒性はありません」


「でも、どうしてそれを……?」


「仕掛けた者は、“舌が紅く染まった”ことだけを狙ったのでしょう。

見た者が驚いて騒げば、疑心暗鬼になる。

一番目立ちたがりの妃に仕掛ければ、全員が警戒しますから」


そう言って、ユウは白酒の杯をいくつか並べた。


そのうちのひとつだけ、底に“色素の氷”が沈んでいる。

つまり、最初からその妃だけが狙われていたのだ。


「では……犯人は?」


「氷を運んだ宦官。けれど、おそらく“雇われた”だけでしょう」


ユウは、妃たちの席次を見渡す。


──誰が、どの位置に座り、どの杯を取るかは決まっていた。

「一番手前に置かれた酒」が“紅舌の杯”だったのだ。


「この席次と杯の配置を決めたのは、あなたですね」


ユウの視線が、ひとりの妃に注がれる。


驚いたように身を引いたその妃は、淡く笑った。


「証拠など、ないでしょう?」


「ありません。でも、舌が染まらなかったあなたの杯……そこにだけ、“水滴の輪”がない。

つまり、冷えた氷の杯が置かれたのは、他の四人だけだった。あなたの杯は最初から空だった」


それは、冷えた杯をわざと避けた証拠だった。


「……なるほど。だから“毒”ではなく“色”なのね。やるじゃない、田舎娘」


妃は唇を吊り上げ、堂々と去っていった。




(──毒にもならない色素で、心を惑わせる)


ユウは、染まった杯を見つめる。


視覚の印象は、時に毒以上の衝撃を与える。

まるで幻覚のように、記憶に残り、思考を狂わせる。


(目に見えるものが、真実とは限らない。だから私は、“匂い”で確かめる)


ふっと香の匂いが鼻先をかすめる。

都の空気にも、ようやく少しだけ慣れてきた。


だが──


「これが“無害な色素”で済む話なら、まだいい。

次は、そうとも限らない」



これはまだ、始まりに過ぎない。


この後宮には、もっと濃く、もっと黒い“毒”が潜んでいるのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ